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なぜためらうのですか 耳を傾け,従いなさい!ものみの塔 1984 | 9月1日
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はイエスの指示を思い起こしました。彼らは耳を傾け,従ったのです。時を移さずユダヤを出て,ヨルダン川の東にある山々へ逃れました。不信者のユダヤ人,および疑いを抱いたクリスチャンは,神の保護を受けていると思われた聖なる都市の中にとどまりました。4年後,ローマ軍は激しい勢いで戻って来て,エルサレムの住民のうち100万人以上をぬぐい去りました。ローマ軍が去った後には,廃虚になった都市が残りました。エルサレムの滅びに関する知らせを聞いた時,山の中にいた従順なクリスチャンたちはどんなにかうれしく思い,ほっとしたことでしょう。彼らがためらわずに従ったことは祝福されたのです。
現代への適用があるか
ソドムとゴモラおよびエルサレムの滅びに関するこれら生々しい描写からどんなことを学べますか。イエス・キリストはこれらの都市の壊滅を,「人の子が表わし示されようとしている」時代に対応する出来事として用いています。(ルカ 17:28-30; 21:5-36)まじめな聖書研究者たちにとって,1914年以降の様々な出来事は,裁きの執行されるその時がいよいよ迫ってきていることを示唆するものとなっています。エホバとキリストは間もなく,重大な罪を犯す者たちを地から一掃するために行動を起こされます。―啓示 19:11-21。
この知識からどんな影響を受けて然るべきでしょうか。例えば,水によるクリスチャンのバプテスマについて考慮しているなら,この肝要な段階を踏むことについてためらうべきでしょうか。その決定はあなたにとって山のように見えてよいでしょうか。イエスの命令に耳を傾け,イエスに従うとすれば,その決定は山のようなものに見えないはずです。(マタイ 28:19,20)エホバとその王国に関する知識をすでに取り入れているので,水のバプテスマを受けることによって,キリストを通してのエホバとの関係を自分が高く評価していることを示せます。それは神に対して確かに献身したことの公の告白になるでしょう。―マタイ 10:32,33。
すでにバプテスマを受けたクリスチャンもやはり,自分たちの状況を分析してみなければなりません。どのようにですか。ロトの妻の態度をよく考えることによってです。彼女が失敗したのは,心から神を信頼していなかったためでした。確信を抱いて前進しなかったのです。(ルカ 17:31,32)今日,自分たちの状況が許すにもかかわらず,より一層クリスチャンの奉仕にあずかろうとはしない人がいるかもしれません。例えば,ある人は補助開拓者あるいは正規開拓者として奉仕する立場にいるかもしれません。その結果もたらされ得る祝福について考えてみてください。自分たちに与えられた機会を生かして行動を起こし,現在,ギレアデを卒業した宣教者として喜びにあふれて奉仕していたり,ベテル,特別開拓,巡回あるいは地域などの奉仕に携わったりしている人は今日大勢います。それらの人たちは,奉仕のこの開かれた戸から入ってよかったと思っています。―啓示 3:8。
今日のクリスチャンにとって,今はためらっている時ではありません。この腐敗した事物の体制は滅びに定められています。それでは,どうして疑いをもって後ろを振り返るのですか。耳を傾け,従う用意をいつもしているようにするのです。前にあることを見,エホバに信頼を置いてください。ためらうことなく従ったアブラハムのようになるのです。使徒パウロも,アブラハムについて次のように述べています。「[彼は]神の約束のゆえに,信仰を欠いてたじろいだりすることなく,むしろ信仰によって強力になり,神に栄光を帰し,また,神はご自分の約束した事を果たすこともできるのだと十分に確信していました」― ローマ 4:20,21。
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