ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 支配している神の御国の宣教者
    ものみの塔 1959 | 8月15日
    • 身分の低い貧しい,虐げられた人々のあいだに行きましたが,御自分の品位を低めませんでした。同じくあなた方も自分の品位を低めません。あなた方が従順にも,また愛の気持から,いま支配している神の御国を宣明しつづける限り,最も見すぼらしい場所であろうと,あなた方の御国の品位をひくくしません。あなた方が悪を行うなら,不道徳をするなら,この世的になるなら,そして支配している神の御国が表わし示す高貴な標準を支持しない時のみ,あなた方は御国の品位をひくくし,きずつけます。そのようなことをするのは,貴重な政府に仕えるあなた方の奉仕を失うことになります。

      20 それらの宣教者たちが何の認識を増し加えるように祈りますか。そして,『他の羊』が何の認識を増し加えるように祈りますか。どんな目的のためですか。

      20 あなた方がこの奉仕を失うなどということは決してないように。あなた方の御国宣教の高い名誉についての認識が,さらに増加しますように。そして,あなた方が宣教の任命地で奉仕する神権政府について,『他の羊』の認識が増加しますように。そのような認識により,あなた方が正義と清い道を保ちつづけ,天的な政府につねに忠実を捧げ得ることができますように。パウロがおこなつたごとく,あなた方は真の使命を果してふさわしく歩くことにより,あなた方の宣教をあがめることができますように。(ロマ 11:13)あなた方宣教者たちの全部が,この世の国々がなくなる時まで,そして神の御国が永遠の新しい世で勝利の支配をする時まで,王の支配する政府の奉仕を行いつづけますように。

      21 私たち献身したすべての者は,今日どんな高い名誉を持つていますか。このことに関連して誰が特別に幸福ですか。

      21 卒業して行く宣教者たちに告げた前述の話から判断するとき,嘆き悲しむ人類に全宇宙の最善のたよりを伝える真実の福音宣明者になることは,今日なんという高い名誉なのでしよう! それは設立した神の御国のたよりです。この御国はいま天で支配しており,この地上から,死をもたらすサタンの支配を取りのぞき,そして神の女のすえにより全国民の善意者たちに祝福をもたらします。これは『永遠の良いたより』です。それが全人類のあいだで伝道されることは,大いなる福音宣明者ヱホバ神の御こころです。いま,それに参加する人々の特権は極めて高いものです。ギレアデの宣教者訓練学校の卒業生のごとく,自分の生活を調整して,福音宣明者になり,今までのたよりの中,最善のたより,すなわち神の御国についての最善のたよりを伝えるために全時間を捧げる人はみな非常に幸福であります。神の御国は永遠にわたつて栄光の中に支配しつづけます。

  • 「御心が地に成るように」(その16)
    ものみの塔 1959 | 8月15日
    • 「御心が地に成るように」(その16)

      『最高至上者の御こころを実施する王』イエスは,ベツレヘムでユダヤ人の処女から生まれました。彼は,ヱホバ神が永遠の御国に関してダビデ王とむすばれた契約の永久の相続者になるべきでした。イエスはナザレで成人しました。彼の先駆者である洗礼者のヨハネが,天の御国は近づいたと伝道しはじめたとき,イエスは御国の相続者として姿を現わす神の予告せせられた時であると知りました。彼は首都のエルサレムに行かず洗礼をうけるためヨルダン河のヨハネのところに行きました。そこでヨハネはイエスに洗礼を施しました。イエスがヱホバの律法に対する罪の悔い改めをしている罪人なることを象徴するためでなく,彼が神の御こころを行うために来たことを象徴するものでした。イエスは,洗礼を受けた後,神の御こころと自分の意志力を一致させようと,たえず努力しました。

      22 ヨハネの洗礼は,一般的に言つて何のしるしでしたか。特にイエスの洗礼は,何のしるしでしたか。それで,何のためにイエスは神に献身しましたか。

      22 魂を揺り動かすこの事実を心に留めねばなりません。すなわち神がヨハネにより始められた水の洗礼は,天の御国が近づいたことを示すしるしでした! ヨハネがイエスに洗礼を施したことは,神の御国が近づいたことを示すものでした。全くのところ,イエスが水の洗礼を受けて後に神の霊が彼の上に降つて来たときその御国はユダヤ人の只中に存在するようになつたのです。そのとき神ご自身は聖霊によつて御子に洗礼を施しました。イエスが神のみこころをする為に洗礼の場所に来て,水の洗礼により自分の献身を象徴したことは,神の御国に向つてイエスが一歩進んだことになりました。彼はナザレにおける大工の仕事を止めました。彼は今,ヨハネの宣明していた天の御国の事柄に奉仕するために来ました。彼は,その御国に表わし示された神の宇宙的な主権のために自分自身を献身しました。

      23 イエスのときに始まつた洗礼は,悔い改めていたユダヤ人に対するヨハネの洗礼とは,どのような面でちがつていましたか。

      23 イエスのときに始まつた洗礼は,モーセの律法を破つた罪人ユダヤ人の悔い改めのためのヨハネの洗礼とはちがつていました。イエスに始まつた水の洗礼は,彼と彼の天的な御父を信ずるすべての者の洗礼です。その信者たちは,神の御こころをするためにキリストのごとく献身いたします。それは『父と子と聖霊との名』を認めてなされる洗礼です。(マタイ 28:19,新口)それは神の御国に関連して啓示される神のみこころを行うために,宇宙の主権者ヱホバ神に信者が献身したことを象徴する洗礼です。それですから,現在ヱホバ神が地上の証者たちの間に全き水の洗礼を復興せしめておられることは不適当なことではありません。すなわち,油注がれた王イエス・キリストにならつて神のみこころを必ず行おうという献身の象徴として,信者の全身を水の下に全く没せしめるのです。

      24 イエスは,何を知つていたため,そしてどんな啓発の下に,この世の国々を与える,というサタンの提供をしりぞけましたか。

      24 いまではキリストとなつたイエスは,水の洗礼を受けて,御霊により油を注がれて後は,神の天の御国のために生活しました。ユダヤの荒野で誘惑を受けたときイエスはサタン悪魔の提供を拒絶しました。その提供とはもしイエスがひれ伏して,『この組織制度の神』なるサタンを崇拝するなら,この世のすべての国とその栄華を与える,というものでした。イエスは,ダビデとむすばれた神の契約にしたがい,自分が御国の相続者であるということを良く知つていました。彼は,天の御国の相続者になるべく,神の御霊により油を注がれた者であると知つていました。それで,彼はサタンの安い提供をしりぞけて,次のように命じました,『サタンよ,しりぞけ。「あなたの神ヱホバを崇拝し,ヱホバ神のみに聖なる奉仕を捧仕を捧なげねばらない。」と書かれている。』(マタイ 4:8-10,新世)聖霊の啓発を受けたイエスは,自分が柔和な人々に良いたよりを伝道するために油を注がれたということを知つていました。―イザヤ 61:1-3。ルカ 4:16-21。

      25 ヨハネが投獄されて後,イエスは何を伝道しはじめましたか。神の御国の設立を示す証拠として,彼は予めに何を告げましたか。

      25 洗礼者ヨハネが投獄されて,伝道と洗礼を施すわざができなくなつて後,イエス・キリストは御国のことを公に伝道し始めました。そして,『悔い改めよ,天の御国は近づいた』と語つたのです。(マタイ 4:12-17)彼は12使徒をお選びになり,伝道の仕方を教えました。そして,御国の良いたよりを伝道するため,2人ずつの組にして彼らをつかわされました。イエスは,サタンの世の終りと,神の御国の設立を予めに告げ,次のことは天における御国の設立を証明するひとつの証拠であると予告しました,『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』― マタイ 24:14,新口。

      26 イエスが処刑をうけたとき,御国の事柄はどのように顕著なものになりましたか。彼が死んだとき何が生じましたか。

      26 ついにイエス・キリストは殉教者として,神の御国の証者として死にました。彼は神の御こころにたいする献身を忠実に守り,また御国を伝道せよという自分の任命に忠実を保ちました。ローマの総督ポンテオ・ピラトの前で,群衆の頭に立つた多数のユダヤ人の祭司はイエスを捨てて『私たちには,カイザル以外に王はありません。』と言いました。そしてイエスが苦しみの杭上で死んだとき,彼の頭上には『ユダヤ人の王,ナザレのイエス』という掲示がつけられました。(ヨハネ 19:15,19,新口)これは西暦33年ニサン14日,金曜日に生じました。それはダニエル書 9章26,27節に予告されていた70周年の真中です。彼が死んだとき,地震が生じ,エルサレムの宮の聖所にあつた重い二重のとばりは,上から下まで二つに裂けました。―マタイ 27:51。

      27 サタンがこのようにイエスの踵を砕いても,それはなぜ無益のものでしたか。イエスはいま,神の御子であると,どのように述べられるようになりましたか。

      27 『もとの蛇』サタン悪魔は,神の女のすえのかかとを砕きました。しかし,それは無益なものだつたのです! ヱホバ神はダビデの相続者,イエス・キリストと結んだ御国契約を破りませんでした。ヱホバ神は,神の女のすえが蛇のかしらを砕くという御自分の目的を失敗させません。ヱホバ神は,イエスが水の洗礼を受けた後,聖霊によつて彼を産み出すことにより,天における霊者の生命にイエスをみちびき始めました。ヱホバ神は,油注いだ御子を天で全く誕生させねばなりません。神の御子が死によつて抑制されるということは,どんな場合でもあつてはなりません。予めに告げられた時どおり,イエスが死んでから3日目に,天の御父は彼を天の生命によみがえしました。神のごとき性質を持たれる不滅の天的な御子は,『死人の中から最初に生まれた者』と述べられています。『御子は,肉によればダビデの子孫から生れ,聖なる霊によれば,死人からの復活により,御力をもつて神の御子と定められた。これが私たちの主イエス・キリストである。』― コロサイ 1:18。ロマ 1:3,4,新口。

      28 何になるため,イエスは死人の中から生かされましたか。そのとき彼は何をしましたか。

      28 何ものも反抗し得ぬ神の力により,イエスは,死にあずかる洗礼から引き上げられました。それは,天にあつてイエスが御父の御こころをいつそう行うことができるためです。全くの意味で,彼は『新しい創造』になりました。彼は霊の体を持つ霊者としてよみがえりました。『(キリスト)は肉においては殺されたが,霊においては生かされたのである。』(ペテロ前 3:18,新口)イエスは,この霊者としての復活を受けたため,復活後の40日目に天にのぼり,信ずるすべての者のために神のみまえに現われ,ダビデの『主』として神の右に坐ることができました。―ヘブル 9:24; 10:12。

      第7章

      支配を行う聖者たち

      1 イエスは,どのように最初の弟子たちを得ましたか。そのとき弟子たちは,彼について何と告白しましたか。

      イエス・キリストは,洗礼者ヨハネが準備した人々の中から,最初の弟子たちを集めました。御使ガブリエルの言葉によると,ヨハネは『ヱホバのみまえに先立つて行き,その民を備える』ことになつていました。(ルカ 1:13,17,新世)洗礼をうけたイエスが,40日間の断食と研究をなし,そしてユダヤの荒野で誘惑をうけて後に戻つてきました。イエスの来ることを見たヨハネは,『見よ,世の罪を取りのぞく神の小羊!』と叫びました。(ヨハネ 1:29)翌日,ヨハネの2人の弟子であつたアンドレとゼベダイの子ヨハネは,イエスに従い始めました。アンドレは自分の兄弟シモン・ペテロを見つけて『言つた,「私たちはメシヤ(訳せば,キリスト)にいま出会つた。』シモン,ペテロもこのことの真実なることを知り,約束されたメシヤすなわちキリストに従い始めました。後日,イエスはベッサイダのピリポを見出し,『私に従つてきなさい』と言いました。良いたよりをひろめようという熱心な気持に駆られたピリポはナタナエルを見出しました。イエスは,このナタナエルについて奇跡的な先見を示しました。そのとき,ナタナエルは『先生,あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。』と言つたのです。―ヨハネ 1:35-49,新口。

      2 どんな告白の言葉は,イエスの宣教の終りでもイエスの使徒たちは同じ確信を持つていたと示しましたか。そのとき,イエスはペテロに何と言いましたか。

      2 明白に分るごとく,イエスの弟子たちは最初から彼を約束されたメシヤ,すなわちキリスト,そして神の子と認めていました。全くのところ,洗礼者ヨハネはヨルダン川にいた弟子たちに次のことを語りました,すなわち彼はイエスに洗礼を施して,神の御霊が目に見える状でイエスに降つたこと,および彼は『このかたこそ神の子である』という事実についての証者でした。(ヨハネ 1:29-34,新口)ヨハネが弟子たちを『神の小羊』なるイエスにみちびいたとき,彼らはこの事実を信じていました。しかし,イエスは御自分がメシヤなるキリストであることを人々に公表しませんでした。もちろん,彼は自分が神の子であり,自分をつかわした天的な御父については絶えず語つておられました。イエスの伝道する言葉を聞き,イエスの奇跡を見たユダヤ人の中で,彼が誰であるかについては意見がちがいました。しかし,彼の最初の弟子たちは,初めの時と同様に彼についての同じ確信を持ちつづけました。イエスの宣教3年目,ピリポ・カイザリヤの近くに来られたとき,イエスは『あなた方は私をだれと言うか』と弟子たちに尋ねました。シモン・ペテロは『あなたこそ生ける神の子キリストです』と答えました。イエスはペテロをさいわいな者と呼び,天の御父がそれを彼に示した,と告げました。それから,イエスは次の言葉をつけ加えたのです,『そこで,私もあなたに言う。あなたはペテロ(ギリシャ語でペトロス)である。そして,私はこの岩(ギリシャ語でペトラ)の上に私の会衆を建てよう。ハーデスの門もそれに打ち勝つことはない。』― マタイ 16:13-18,新世。

      3 ペテロ自身が告白したごとく,ここで述べられている岩は誰ですか。

      3 ローマの宗教家たちは,イエスの言葉を次のように理解して主張しています,すなわちペテロは,『岩』であつて,霊的な家である会衆はその上に建てられるというのです。ペテロは,それらのローマの宗教家たちと同意しません。ペテロは,ペテロ前書の中で,彼が岩(ペトラ)であることを否定し,イエス・キリストこそ岩であると述べています,『主は,人には捨てられたが,神にとつては選ばれた尊い生ける石である。この主のみもとにきて,あなた方も,それぞれ生ける石となつて,霊の家に築き上げられ,聖なる祭司となつて,イエス・キリストにより,神によろこばれる霊のいけにえを,ささげなさい。』(ペテロ前 2:4,5,新口)ペテロはイエス・キリストの上に建てられた霊的な家の内のひとつの生ける石でした。この事実についてパウロは,ペテロと同意して次のように述べました,『みな同じ霊の食物を食べ,みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち,彼らについてきた霊の岩(ペトラ)から飲んだのであるが,この(ペトラ)

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする