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バプテスマはクリスチャンに必要ものみの塔 1963 | 8月1日
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悔改めて敬虔な気持をもたなくてはなりません。それについで誠実な献身の誓いをすることが必要です。
12 バプテスマの重大性について述べなさい。ある人はバプテスマについてどんな間違った考えをもっていますか。
12 バプテスマは厳粛な段階です。しかしそれだけに,喜びに満ちた段階でもあります。それは知性をもって,また意味をよく理解して受けるべきものです。献身の誓をしておきながらそれを果たさないことは,死を意味します。(伝道の書 5:4,5)反対に,十分の知識を持ちながら献身の誓をせず,ためらうことも死を意味します。ある人は,バプテスマを受ける必要はないという間違った考えをもっているかもしれません。また十分の知識がないからもっと適当な時まで待とう,というかも知れません。人に義務を負わすのは,バプテスマでなくて知識であることを忘れないでください。この古い世は間もなくその欲と共にすぎ去ること,また,新しい世に備えての生活をいま始めること,が命を得る唯一の道であることを認めるだけの知識があれば,バプテスマを受けるに十分です。また同時に道徳的に清いなら,なぜ引き延ばすのですか。―ヨハネ第一書 2:15-17。
13 (イ)バプテスマに理くつをつけるのはなぜ賢明ではありませんか。(ロ)神が助けて下さるというどんな保証がありますか。
13 自分はまだ洗礼を受ける必要はないという理由について,人は理論を立てることもできれば,多くの言いわけをならべることもできましょう。そして『どうして献身の誓にふさわしい生活をすることができるだろうか。神が援助してくれるというどんな保証があるか。むずかしい問題が起きたらどうなるだろうか。信仰が保てるだろうか。まあもう少し知識が増し,適当な時がくるまで待ったほうがよかろう』と考えるかも知れません。これは一種の理くつではないでしょうか。これは「自分の意見とか行為を,合理的と考えられる事だけによって説明あるいは正当化する行い」という理くつの定義を地で行くことではないでしょうか。またこれは神のお考えに従わずに自分のさとりに頼っていることではありませんか。私たちはだれの標準に従うべきですか。自分のですか,神のですか。何が正しいかについて少しでも疑問があれば,あなたの最善の霊的益を考えている円熟したクリスチャンの援助と助言を求めるのは知恵の道ではないでしょうか。エホバがピリピ書 4章13節で私たちに与えておられる保証を忘れないでください。「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる」。ですから,クリスチャンの献身をし,バプテスマを受ける資格があるなら,遅らせる必要はありません。
吟味してのちにバプテスマ
14 (イ),父(ロ),子(ハ),聖霊の名においてバプテスマを受けるとはどういう意味ですか。
14 次に,イエスは,父と子と聖霊の名においてバプテスマを受けるべきであると言われました。(マタイ 28:19,20)これはどういう意味ですか。父であることは親であることを意味します。父の名によってバプテスマを受けることは,ただひとりエホバという名をおもちになる天の御父の卓越性と主権を認めていることを示します。(詩 83:18)私たちは父の御名をあがめ,父の主権を尊敬し,父の御国を愛してその益のために働かねばなりません。(ルカ 11:2)次に,子の名によってバプテスマを受けることは,父が子にお与えになった高い権威と地位を認めていることを示します。子はあがない主ですから,子に対する愛と感謝がなければなりません。子の犠牲がなければ,私たちは命を得ることができないのです。私たちは子に対して何という大きな恩があるのでしょう。(イザヤ 55:4。ヨハネ 4:42)そして最後に,聖霊の名によってバプテスマを受けるということは,その霊をエホバの活動力と認めていることを意味します。昔の人を導いて聖書を間違いのないように記述させ,初期クリスチャンをして首尾よく迫害に耐えさせ,また今日地上のエホバの神権制度を導いているのは,この同じ力です。―ペテロ後 1:21。ヨハネ 6:63。ヨハネ第一書 5:6。
15 バプテスマの大切な面をいくつか述べなさい。
15 バプテスマは,過去の生活の仕方に対して死んだことを公表する行いです。もしバプテスマを受ける者が,水中につけられたままでいたなら,それはほんとうに死を意味するでしょう。ですからその人はいわばよみがえらされるわけです。エホバのみこころを行なうために生きるわけです。したがって,バプテスマを受けた日は,新しい生活を始めた日,ということができます。バプテスマは献身の公の告白ともなり,また任命された奉仕者であるしるしともなります。バプテスマを受けた人はエホバのゆたかな祝福を受けた人です。バプテスマを受けた日を,記録しなければならず,またいつもおぼえていなければなりません。エホバの見える組織にかんする限り,その日はあなたが,最高者に奉仕するよう任命された日となります。
16-19 (イ)バプテスマ希望者にはどんな重要な質問がされますか。(ロ)何がバプテスマを受ける資格のあることを示しますか。(ハ)バプテスマは窮極の目標ですか。
16 しかしバプテスマ希望者たちが,バプテスマをゆるされるまえに,二つの質問に答えるのは正しくまた適切なことです。そうすれば,その時彼らとともに集まっている人々は,彼らが意味をよくわきまえて行動していること,またバプテスマを受ける資格を得るのに必要な段階を経たことを,バプテスマ希望者自身の口から聞いた証人となることができます。質問に対して肯定的に答えられる人たちは,各質問のあとで「ハイ」と答えます。大きな声で,一斉に,つまり同時に答えなければなりません。
17 最初の質問はこうです。あなたはエホバ神のみまえで,自分が救いを必要とする罪人であることを認め,かつその救いはみ子イエス・キリストを通して父なるエホバ神が与えてくださることを神のみまえで認めましたか。
18 2番目の質問。あなたはいまから,神,および救いのための神のご準備に対するこの信仰に基づいて,神が,啓発力である聖霊のもとに,イエス・キリストと聖書とを通して啓示されるみこころを行なうよう,神に無条件の献身をしましたか。
19 この二つの質問に対して「ハイ」と答えた人はみな,バプテスマを受ける資格があります。そしてエホバの証者のその同じ大会でバプテスマを受けなければなりません。そしてバプテスマを受けた人は,その日をいつもおぼえていなければなりません。というのは,その日は生涯の真に決定的な日だからです。この時に,今後の奉仕における責任と特権をはっきりとみきわめることはきわめて健全な行いです。バプテスマは終極の目標ではなく,むしろ恵まれた関係の始まりであることを忘れてはなりません。
20 検討を要するどんな質問がさらに生じますか。
20 ぜひとも必要な段階であるバプテスマを受けたあとは,エポバとエホバの制度およびクリスチャンの兄弟たちと,自分との関係をどのように見るべきですか。献身の誓を忠実に喜びをもって果たすには,何をしたらよいでしょうか。どうすれば霊的な思いを増し,物質を求める気持を少なくできますか。この危険な時代に,神のみまえに忍耐して忠実に歩みつづけるためにいっそう円熟するには,どんな道を追い求めるべきですか。これらの質問に対する答は,次の記事にゆずることにしましょう。
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すすんで奉仕を拡大しなさいものみの塔 1963 | 8月1日
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すすんで奉仕を拡大しなさい
1 今日,人々はどんなことを恐れていますか。
あなたは今日自分の周囲を見まわして,どんなことに気づきますか。いまの世界と,世界の人々とを特色づけているものは何ですか。恐怖です! 国であろうと,共同体であろうと,家族であろうと,個人であろうと,どこを見てもあらゆる場所に恐怖がみなぎっています。人々は何を恐れていますか。戦争を恐れています。不安定を恐れています。病気を恐れています。隣人を恐れています。政府を恐れてい
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