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  • 世界のハルマゲドンに面して勇気を持つ
    ものみの塔 1962 | 2月15日
    • 神を崇拝するために霊的な宮にくる何十万の人々は,その天の宮の「生ける石」になることはできません。これらの人々は,神の御国によって永遠の楽園に変えられる地の上で何時までもエホバ神を崇拝するでしょう。(イザヤ 2:2-4)ダビデと同じく彼らがエホバに願う「一つの事」は,ハルマゲドン前のいま世にある限り,そしてハルマゲドン後,地上において永遠にエホバの家に住むことでなければなりません。

      34 詩篇 40篇7-9節にしるされたダビデの場合と同じく,これらの人々はこれこそ自分たちの求めるものである事をどのように示さねばなりませんか。

      34 このひとつの事を願い,また求めていることをどのように証明しますか。どうすればエホバのうるわしさを仰ぎ,感謝してその宮を見る特権を確かなものにできますか。ダビデはかつて預言的な次の言葉を述べました,「そのとき我いへらく,視よ我きたらんわがことを書の巻にしるしたりわが神よ我は聖意にしたがふことを楽しむ,なんぢの法はわが心のうちにありとわれ大なる会にて義をつげしめせり,視よわれ口唇をとぢず,ヱホバよなんぢこれをしりたまふ」(詩 40:7-9)神の御子イエスはダビデのこの言葉を深く心に刻み,雄々しくそれをなしとげました。(ヘブル 10:5-10)イエスと共に霊的な宮の中で「生ける石」になるすべての者も,同様にしなければなりません。「生ける石」になる希望を持たない他の人々も,いま宮において崇拝することを望むならば同じことをしなければなりません。その人々も「書の巻」すなわち聖書に書きしるされたエホバの御心を行なうため,大祭司イエス・キリストを通してエホバに近づき,エホバに献身しなければなりません。

      35 (イ)このような献身そして,この世でそれを果たすには何が必要ですか。なぜ?(ロ)従って神の新しい世はだれのものですか。

      35 この献身と一致して彼らはエホバの律法を学び,それを心に刻んで喜んで行なわなければなりません。キリスト教国を含めて全世界が神の御心を行なうことに専心せず,預言の通り(マタイ 24:12)に不法の増加している今日,このように献身してエホバの御心を行なうには勇気を必要とします。この道をとる人は全世界から反対を受けるので,この世では悩みがあります。そのために人は世に勝つことが必要です。そして世に勝った私たちの指導者イエス・キリストと共に世に勝つことができます。悩みがくるのを見ても気落ちしたり,しりごみする必要はありません。神の新しい世における永遠の生命に至る道を歩みたいなら「勇気を出しなさい」。正義の宿る神の新しい世は臆病者の住むところではありません。「おくびょう者,信じない者」は決して新しい世にはいらないでしょう。―黙示 21:7,8,新口。

      36 (イ)ダビデはどのようにエホバの語る奉仕者でしたか。(ロ)イエス・キリストもまたどのように語る奉仕者でしたか。ゆえにその追随者は何でなければなりませんか。

      36 人々がエホバの御名をこころよく受け入れない今の時において,ダビデの如く神の言葉を語る奉仕者となるには勇気を必要とします。ダビデはレビ人の祭司ではないにしてもそのことをしました。ダビデは「大なる會にて義をつげしめせり」と語っています。ダビデが神の義の良いたよりを語るのをやめず,口をつぐまないことを,エホバご自身はご存じでした。それゆえにダビデはエホバ神ご自身に対して次のように言うことができました。「われなんぢの義をわが心のうちにひめおかず,なんぢの真実となんぢのすくひとをのべつたへたり,我なんぢの仁慈となんぢの真理とをおほいなる会にかくさゞりき」(詩 40:9,10)ダビデの子であるイエス・キリストはその先祖ダビデ王にまさるとも劣らないエホバの言葉の奉仕者でした。イエスはイスラエルの全地において全国民のおほいなる會」の中でエホバの義と救いの良いたよりを語りました。イエスはたとえ生命の危うい時にもエホバの宮における集まりに行くことをやめませんでした。(ルカ 8:1。使行 10:38,39。ヨハネ 7:1-10)献身したイエスの追随者のすべてはイエスと同じく,そのことをしなければなりません。真に献身したクリスチャンは神の言葉を語る奉仕者でなければならず,神の言葉を心の中にひめてそれを自分だけのものにしてはなりません。その人は会衆の集会に出席しなければならないのです。

      37 (イ)このひとつの大きな事を求めたことを示すため,その人は何をしますか。(ロ)どんな預言の成就と一致してその事をしますか。

      37 一生のあいだエホバの家に住むというひとつの大きな事をエホバに願ったことを示すため,神の霊的な宮で崇拝するエホバの会衆と交わるあらゆる機会を求めなければなりません。その人はとりきめられている会衆のすべての集会に出席するでしょう。人は会衆の集会に心から招待されています。その人は他の人々を会衆の集会に連れて行くことに努めます。従ってイエスと12使徒のした如く,家から家に行って人々の家で神の言葉を教えます。(マタイ 10:5-13。使行 20:20)このようにしてイザヤ書 2章3節を成就する行いをすることになります。「おほくの民ゆきて相語りいはん,いざわれらヱホバの山に登りヤコブの神の家にゆかん,神われらにその道ををしへ給はん,われらその路をあゆむべしと」。ハルマゲドンのことを考えればいまこれをすることが必要です。

      38 この事をするゆえに,その人は何を見ますか。そしてどのようにハルマゲドンに面しますか。

      38 このすべての事のために,神の言葉の良いたよりの奉仕者は「ヱホバの美しき」を仰ぎます。そして神のうるわしいこと,善意を持たれることを知り,また感ずるでしょう。悪しき諸国民に対して神の怒りが表わされるこの時代において,神の善意を経験し,神の「善意者」の一人に数えられるでしょう。その結果,神と御子イエス・キリストとの平和を得ます。(ルカ 2:13,14)また神の宮制度の中の事柄の意味を理解するにつれ,信仰によって神の霊的な宮を仰ぎ見て,あらゆる機会に神の会衆と共にいることに努めるでしょう。そうするとき,たとえハルマゲドンに面しても神の奉仕者として働きつづけるいっそうの勇気を与えられるでしょう。

  • 神の保護の下にあって勇気を持つことができる
    ものみの塔 1962 | 2月15日
    • 神の保護の下にあって勇気を持つことができる

      1 私たちがエホバの家に住むのは,この古い世で地上の日を過ごす間だけですか,それともどんな前途がありますか。

      エホバの崇拝の家は保護された場所であり,そこに住む者はだれでも神の保護を受けます。古い世のつづく間だけ,勇気をもってエホバの家に住み,地上の日を過ごすことがすべてではありません。霊的な「生ける石」であるクリスチャンは死からの復活によって天に移され,天においてすみのおや石であるイエス・キリストと共にエホバの宮を完成します。そのほかに今日エホバの宮にくる何十万人の献身した崇拝者は,楽園の地で神の清い崇拝をつづけることによって,終りのない新しい世で生ける限りエホバの家に住みつづけるでしょう。

      2 いま何を求めることによって,エホバの証者は将来に何を望んでいることを表わしますか。

      2 しかしいま望み,いま求める事柄によって,私たちは将来に何を望んでいるかを表わします。従ってハルマゲドン後の将来,エホバの家に永遠に住む希望を持つ私たちは,ハルマゲドン前の今でもそこに住むことを望みます。ゆえに私たちがこの世で会うあらゆる悩みと迫害にもかかわらず,エホバは私たちがいまこの特権を楽しむことのできるようにされました。共産主義者の鉄のカーテンの背後およびその外にある多くの国々でエホバの証者は禁止されています。聖書を学ぶ集まりが禁止されているので,集まるには非常に大きな危険を冒すことになります。しかし彼らは大きな勇気を持ち,地下にもぐってこの事をするのに成功しています。これは彼らが将来に何を望んでいるかを示すものです。

      3,4 (イ)私たちは,どのように一緒に迫害を受けますか。またそれにもかかわらず何をしなければなりませんか。(ロ)詩篇 27篇5-10節において,ダビデは家に再び住む確信をどのように言い表わしていますか。

      3 直接に迫害されても間接に迫害を受けても私たちエホバのクリスチャン証者は他の者を思いやる仲間として,一緒に迫害の苦しみを受けます。迫害にもかかわらず,私たちは勇気を持ち,敵の火のような反対にあいながらもダビデのした

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