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献身 ― だれに? なぜ?ものみの塔 1982 | 2月15日
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31-34,新)したがって西暦33年のペンテコステの日に,イエスのユダヤ人の弟子たちはモーセの律法契約から,大いなるモーセ,イエス・キリストを仲介者とする「新しい契約」に移されたのです。b
15 (イ)律法契約が解消されても,ユダヤ人にとってどんなものはすぐには終わりませんでしたか。(ロ)神に献身した関係を大切にしたユダヤ人たちに対する神のご意志は,その時どのようなものとなりましたか。
15 律法契約は今や無効にされましたが,ユダヤ人はアブラハムの生来の子孫であるという理由で,神が彼らに特別の好意と注意を向けられる期間は終わっていませんでした。それは西暦36年に初めて終わりました。ですから西暦33年に最初に聖霊が注がれた後でさえ,霊によって油そそがれた使徒ペテロはエルサレムにいた一群のユダヤ人にこう述べています。「ですから,あなたがたの罪を消していただくために,悔い改めて身を転じなさい[転向しなさい]。さわやかにする時期がエホバのみもとから到来し,あなたがたのために任命されたキリスト,イエスを遣わしていただけるようにです」。神に対して献身した関係を是正することには,律法契約,すなわち彼らが依然として自分たちはその下にあると考えていた契約に違犯した罪を悔い改めることだけではなく,この新しい国民の成員となる見込みを持つ者として自分自身を差し出すことが関係するようになったのです。それはイエスの弟子たち,つまりクリスチャンとなるすべての人に対する当時の神のご意志でした。このことは,イエスを死に追いやることに荷担したため「心を刺され」たユダヤ人に対し,ペテロがそのペンテコステの日の早くに述べたことによって確証されています。ペテロは彼らにこう語りました。「悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりは,罪のゆるしのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう」。ですから,ただ悔い改めることや,イエスに対する信仰に基づいてただより良いことを行なうというばく然とした決意以上の多くの事柄が関係していたのです。―使徒 3:19,20; 2:37-40,新世界訳,欽定訳。
16 (イ)王国の音信が無割礼のサマリア人に達した時,彼らの水のバプテスマは何を象徴していましたか。なぜですか。(ロ)彼らが神との契約関係に入れられたことを何が立証していますか。
16 イエスは昇天される前,ご自分に関する証しが弟子たちによって「サマリア……でも,また地の最も遠い所にまで」広く行なわれるようになると弟子たちに告げられました。(使徒 1:8)非イスラエル人であり,「他国の」人であったにもかかわらず,サマリア人は割礼を受けていました。モーセが書いた聖書の書物を受け入れ,モーセが神と自分たちとの間の仲介者であると考えていたからです。(ルカ 17:16-18)エホバはその過分のご親切により,ペテロが無割礼の異邦人に幾分先立ってサマリア人のために特別なかぎを用い,天の王国に関連した機会を開くことをよしと見られました。しかし,そのサマリア人たちは事実上モーセの律法契約には入っておらず,「自分の知らないものを崇拝して」いたため,バプテスマを受けるに当たっては,よく理解した上で新しい契約の仲介者であるメシア,イエスの名においてエホバ神にまず献身しなければなりませんでした。彼らがのちに聖霊によるバプテスマを受けたことは,彼らが新しい契約に受け入れられたことを立証しました。―マタイ 16:18,19。ヨハネ 4:4-42。使徒 8:5-25。
17 (イ)神は「ご自分のみ名のための民を取り出すため」,いつまたどのように無割礼の異邦人を初めて顧みられましたか。(ロ)彼らの水のバプテスマは何を象徴していましたか。
17 西暦36年,ユダヤ人に対する神の特別な恵みの時が尽きると,エホバ神は,「ご自分のみ名のための民を取り出(すため)」,無割礼の非イスラエル人,つまり異邦人に注意を向けられました。(使徒 15:14-18)別の「かぎ」を用いるに際し,ペテロはユダヤ人に対して親切な態度を示していたコルネリオという名のローマの百人隊長の家に遣わされました。これらの異邦人はエホバ神とその栄光を受けたメシアに関する証しを受け入れたに違いありません。聖霊が彼らの上に下り,彼らは異言を語り始めたからです。神はあわれみ深くも,「世の罪を取り去る,神の子羊」であるイエス・キリストを通して,「命のための悔い改めを諸国の人びとにも」授け始められたのです。(ヨハネ 1:29。使徒 11:18)エホバはまた,彼らが心の中で神に対して示した献身を根拠に,霊的な国民の中に彼らを受け入れられました。聖霊がこのことを確証しました。そのため,ペテロに同行した,キリスト教に転向したユダヤ人たちは,「イエス・キリストの名においてバプテスマを受ける」ようにとのペテロの命令に対し,だれも異議を唱えることができませんでした。これは,「諸国の人たちの転向」の発端となりました。(使徒 10:1-48; 15:3)その時以来,ユダヤ人であれ異邦人であれ神に仕えたいと望む人は皆,エホバに心の中で献身しなければなりませんでした。そして彼らの水のバプテスマに関して言えば,彼らはイエスに倣い,自分たちに対する神のご意志を行なうために自らを差し出すのです。
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ホセアの統治に光を投げかけるアッシリア年代記ものみの塔 1982 | 2月15日
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ホセアの統治に光を投げかけるアッシリア年代記
聖書には,ホセアがペカ王に対して陰謀をたくらみ,「ウジヤの子ヨタムの第二十年に彼に代わって治め始めた」ことが記されています。(列王下 15:30,新)第20年というのは,明らかにヨタムが王となってからの期間を指すものと理解されます。ヨタムが実際に統治したのは16年間でした。―列王下 15:32,33。
ホセアはヨタムの後継者アハズの第4年に統治を開始しましたが,その後何年かはイスラエルの王として完全に認められてはいなかったようです。列王下 17章1節によると,ホセアはアハズの第12年に王となりました。ティグラト・ピレセル三世の年代記はそれを説明するものと思われる一つの事実に光を投げかけています。この支配者の統治に関する碑文の断片にはこう記されています。「余は住民(と)その財産すべてをアッシリアに携えていった。彼ら[イスラエルの人々]は自分たちの王ペカを倒した。……そして余はホセアを……彼らの王とした」。(ジェームズ・B・プリチャード編,「古代近東テキスト,1955年,284ページ)ホセアが首都サマリアからイスラエルに対する完全な支配を確立したのは,おそらくアッシリアの後ろだてによるのでしょう。
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