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私に対する献身の意味ものみの塔 1956 | 10月1日
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正しいことではありませんか。全くそうすることは,本当に良いのです。
16 恐れを感ぜぬ献身したヱホバの僕たちは,過去と現在にどのようなすばらしい例を残していますか。
16 キリスト・イエスは勝者であつて,臆病者でありません。その最初から,また地上にいる時でも,彼は悪魔や悪鬼共に対して獅子のごとくに断乎として戦つたのです。全く彼は,『ユダの族の獅子』のようでした。イエスの忠実な使徒たちを初めとして,初期のクリスチャンたちも,決して臆病者ではありませんでした。また,アブラハム,イサク,ヤコブ,そしてダビデのような人々,サラ,ラハブ,デボラ,そしてヤエルのような婦人たち ― そして勇気を持つていて契約を守つた義人アベルの時からの多くのヱホバの証者たちは,ヱホバに全く献身していたのです。彼らは敵の手中に陥つて死に面しようとも,自分の立場をしつかり守りました。しかし,彼らの生命は亡びましたか。いいえ,そのようなことはありません。彼らは死人をも復活し得るヱホバの最高の力にかたい希望を抱いていたからです。同じように,今日60万人以上もいるヱホバの忠実にして献身した奴隷たちは,神の力と愛の霊を頂いています。それで,数多い敵を相手にしても彼らは恐れを感ぜず大胆で,しかも熱心と勇気をもつて真理と正義のために戦うことができるのです。―ヘブル 11:4-39; 12:1,2。
個人的に選ぶ
17 どの源から生命は来ますか。生命は誰に与えられますか。どのように生命は得られますか。
17 最初の人アダムが神のいましめを破つたため,私たちすべての人間は罪人として生まれ,生まれた時から死の処罰を受けており生命の権利を有していません。それで,永遠の生命は生命の与え主ヱホバからの過分の贈物です。ヱホバは,望む人々にこの贈物を与えますが,しかしそれはただキリスト・イエスを通して与えられるのです。(使行 3:23; 4:12。ロマ 5:19; 6:23。コリント前 15:22)故に,永遠の生命を得る唯一つの道は,神より与えられる規定に従つてそれを受入れることです。つまり,キリストを通して生命の与え主ヱホバに確信を抱いて来り,それから,永遠の将来にわたつてヱホバに奉仕するため,自ら進んで献身することなのです。神にたいするこの献身は,よろこんで心から進んで為されねばなりません。それは各個人の選ぶべき事柄で,他人が代りに選ぶことはできないのです。また強制して選ばせるものでもありません。家族内に波風を起させないためとか,そうしなければならぬ,と押付けられているように感ずるから,という理由でそのような献身をなすべきでありません。生命に通ずるその道を選ぶのに,何人も強制されるべきでありません。選ぶことは,各個人の責任です。モーセも次のように語りました,『我は生命と死および恵みと呪詛を汝らの前に置けり。汝生命をえらぶべし。然せば汝と汝の子孫生存らうることを得ん。』それでは,現在どのようにして生命を選びますか。次の節は,こう説明しています,『すなわち,汝の神ヱホバを愛してその言葉を聴き,かつこれに附従うべし。かくする時は,なんじ生命を得,かつその日を永うすることを得ん。』別の言葉で言えば,永遠にヱホバに従うためあなたの神ヱホバに全く献身することにより,あなたは生命を選ぶのです。―申命 30:19,20。
18 十分の知識を持つ人は,どんな選択をしなければなりませんか。
18 ヱホバに捧げる献身した奉仕は各個人の選ぶべき事柄である,とヨシユアも強調しました。『なんじら若しヱホバに事うることを悪しとせば,汝らの先祖が河の彼辺にて事えし神々にもあれ,又は汝らがいま居る地のアモリ人の神々にもあれ,汝らの事うべき者を今日選べ。ただし,我と我家とは共にヱホバに事えん。』(ヨシユア 24:15)それで今日まだ献身していない皆さんは,生命か死か,そのどちらかを自由に選ぶことができるのです。いま私たちの生存しているこの裁きの日に,ヱホバ神に献身することを故意に拒絶するならば,あなたの生命はハルマゲドン以前に死ななくても,ハルマゲドンの時に死ぬでしよう。しかも,生命の権利はなく,復活の希望もないのです。これとは別に,生命に導くヱホバの道を選ぶならば,あなたは自ら進んで大きなよろこびの中にあなたの心,思い,力,そして所有するすべてのものをヱホバ神と勝利の御国に全く献身するでしよう。
19 ヱホバに献身することは,それに伴う犠牲を払うだけの価値がありますか。
19 是非とも,費用を計りなさい。この世にいて,あなたに何が要求されるかを研究しなさい。(ルカ 14:26-33)しかし,あなたの与えるものを測るとともに,ヱホバより約束されているものをも測りなさい。あなたの献身,讃美,そして心からなす奉仕の力を除いて,最初にヱホバから頂かなかつたものがありますか。それで,あなたの持つすべてのものを,よろこんで神に捧げなさい。すでに神より頂いたものを,神に捧げなさい! かくして,神の献身した僕たちには言葉で言えない特権や祝福が絶えず注がれるのです。神は彼らに霊と力を与えられ,御自身の証者として神の御名によつて呼ばれ,かつ御名の中に語る権威を与えておられます。この亡びに向う死行く世にあつて,献身した神の僕たちは,生存している人々の中でいちばん幸福な人々です。彼らは,神の御言葉と御名を立証するハルマゲドンを生残るという希望を持つています。この希望を持つ彼らは,来るべき大暴風雨について恐れを感じません。そして完全な,新しい天とパラダイスの地で成立つ新しい世で,永久に生活し得る,と彼らはつよく期待しています。まつたく,多くの事柄は献身をなすことに依存しています。あらゆることは,その献身を忠実に守るか否かに依存しています。―ルカ 9:59-62。
20 善意者はいまヱホバに献身しなければなりませんが,どのような理由により,そのことはいちばん緊急なものとなるのですか。
20 過去数ヵ年のあいだ,毎年5万人以上の多くの人々は,自ら進んで生ける神ヱホバに献身しました。『献身は私にとつて何を意味するであろうか。』と自問してごらんなさい。ハルマゲドンが急速に近づいています。救の与えられる恵みの時はいまであつて,後ではありません。生きたいと欲するすべての人々がいる限り,それらる人々が神を求められよう,神は忍耐して待つておられるのです。安全を図るために神権的な山に逃げる時は,今であつて後ではありません。それで,今はヱホバ神に生命を捧げるのを延ばす時ではありません。献身の意味するものと,献身がどんな祝福をもたらすかを十分良く悟るとき,いま為すべきことを明日に延ばしてはなりません。もしあなたが真実の信仰と希望を持ち,神にたいしては善意を持つ人で,また献身について十分の理解と知識および認識を持ち,そして道徳的にも聖書的にも清いなら,秘かな祈りの中に,今日次のことをヱホバ神に厳粛に誓うべきです。すなわち,今後永遠にわたつて,ヱホバ神だけに崇拝と奉仕を捧げ,そしてたとえどんなことが起ろうとも神の書き給うた御言葉,聖書に述べられている神の御意を行う決意を持つ,ということです。あなたがそうなされるならば,その後にバプテスマをうけるでしよう。そのとき,ヱホバはあなたを豊かに祝福します!
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なぜバプテスマを受けねばならないかものみの塔 1956 | 10月1日
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なぜバプテスマを受けねばならないか
1 人間はどんな本能的な慾望を持つていますか。どのようにして,それは実際に充されますか。
人間の心には造り主なる神を崇拝したいという欲求があります。その特質の故に,人間は下等動物よりもずつと勝れているのです。この欲求は本能的なもので生まれながらに備つているものであつて,すべての人類はこの欲求を持つています。地上の原始人種も高度に進歩した人々も ― 人間社会内のいわゆる『神を信ぜぬ』人々も ― 勝れたもの,もしくは崇拝者よりも高い名誉あるものと秘かに考える或る対象を崇拝したい,という生まれながらの欲求を或る程度持つているのです。最初の人間夫婦にこの崇拝の欲望を入れられたのはヱホバ神でした。それは,自分たちの創造者であり恩恵者を,彼らが崇拝し得るためだつたのです。それは,彼らの善を図つて為されたのであり,彼らを正しく導くためでした。しかし,間もなくして反逆者サタンは最初の人間夫婦の崇拝を創造主から引離すのに成功しました。そして,その時以来,大多数の人類は,多くの偽りの宗教を行い,崇拝の欲望を充そうと努めました。それで,正直な心を持つ人が真理を学ぶとき,その人は偽りの宗教をよろこんで捨ててしまい,『ヱホバという名を持ち給う』最高の神の汚れなき清い崇拝に戻ります。―詩 83:18。
2 真理によつて自由に解放される人々の採る最初の三つの段階とは何ですか。
2 いまキリスト・イエスは囚われ人を解放つ大きな仕事を指示しています。
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