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なぜ洗礼を受けるかものみの塔 1962 | 7月15日
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です。彼はいまエホバの御心を行なうという強い決意を持ち,エホバの奉仕に献身し,そしてできるだけ早く洗礼を受けねばなりません。献身して洗礼を受けてしばらくたって後に,汚れた状態が生じても献身が無効になるわけではありません。しかし,この人は制度から適切なこらしめを受けるでしょう。
15 洗礼を施す者は,献身した兄弟でなければなりません。しかし,洗礼の妥当性を判断する際に,洗礼を施す者を重要視すべきでありません。私たちはエホバの神権制度の取決めた献身の話を聞き制度から任命された者によって洗礼を受けただろうか,ということが,大切な事柄です。洗礼を施した者,あるいは洗礼の話をした者が後日再洗礼を受けるようになったにしても,それは私たちにとってすこしの関係もありません。大切なことは,その時に彼が代表した制度が正当なものであったということ,および彼が制度の権限と任命によって水の洗礼を施したということです。
献身を全うするための神の助け
16 (イ)私たちはどんな三つの名前によって洗礼を受けますか。(ロ)父の名によって洗礼を受けるとは,私たちが何を認めることを意味しますか。
16 しかし,自分の力だけに頼って献身を全うすることができると考えてはなりません。エホバの助けが必要です。エホバの助けを欠かすことはできません。私たちは弟子たちに与えたイエスの命令の中に,神の援助の必要を認めます,「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」。(マタイ 28:19,20,新口)私たちがこの三つの名によって洗礼を受ける理由を理解するとき,洗礼についての私たちの理解は増します。父の名によって洗礼を受けるとは,私たちがエホバを霊的な父,生命の与え主と認めることです。私たちは,エホバが宇宙の主権者で,エホバが専心の献身を求めておられることを認めます,さらに,献身することによって,私たちは宇宙主権の論争を理解しており,その正しい側に立ちたいという望みを示します。
17,18 (イ)なぜ私たちは子の名によって洗礼を受けますか。(ロ)また,なぜ私たちは聖霊の名によって洗礼を受けますか。
17 子の名によって洗礼を受けるとは,私たちが神のひとり子の立場を認め,彼が新しい世におけるエホバの王なることを認めることです。私たちは,イエスの犠牲によって,信ずる人類から罪と死の影響が取り除かれることを認めねばなりません。彼は,「他の羊」の「大いなる群衆」の「永遠の父」です。―イザヤ 9:6。ヨハネ 10:16。
18 聖霊の名によって洗礼を受けるとは,私たちがエホバの活動力の果たす役割を認めることです。エホバの霊には個性がありません。しかし,エホバの要求する仕事を行なうことができます。そして,何ものも反抗し得ぬエホバの御心を達成するため宇宙のあらゆるところに伝えられます。従順な人は,聖霊の力によって,エホバの御心と目的を理解します。それは今日の制度をみちびく力です。また,それは真の崇拝を支えて,敵の反対をしりぞける力です。神の言葉である聖書は,聖霊の所産であり,私たちはその言葉を研究しなければなりません。
19 (イ)正しい環境下の献身と洗礼は,どんな特別な関係を存在させますか。(ロ)忠実な者たちのたしかな希望は何ですか。洗礼の後には,どんな奉仕の特権が開かれますか。
19 洗礼の段階を取る者の特権とたしかな希望は何ですか。第一に,御子キリスト・イエス通して,エホバときわめて特別な関係にはいります。もし人がためらうことなしにエホバに来て,清い環境の下でエホバに献身するなら,その人はそのような関係が存在することを確信します。エホバがその人に祝福をそそぎ,その人の知識と理解が増加して,御霊の実がむすばれることからも,その関係は証明されます。彼はエホバの約束に対して強い信仰とたしかな希望を持ちます。彼は正義の者と共に地を相続するでしょう。また,仲間の者である新しい世の社会の成員とも特別な関係をむすびます。彼は,同じ信仰を持ち,同じ仕事をして神の真の崇拝をしている多数の兄弟姉妹を得ます。彼は円熟して宇宙主権の論争を認識し,さらにエホバとその原則に献身しているので,エホバの有能な代表者になる資格を持ちます。彼は出かけて行って設立された御国の良いたよりを伝道せよと任命されています。彼は真実に神の奉仕者です。かくして,彼が円熟に成長しつづけるとき,付加的な特権が与えられます。たとえば,会衆内の奉仕の僕として特定な制度の義務を取り扱ったり,あるいは伝道のわざを指導するためエホバが用いる中央制度の全時間伝道者になることかも知れません。時たつ中に,彼は円熟に進み,エホバの御言葉が理解できるので,会衆内の監督になる資格を得るでしょう。―ガラテヤ 5:22,23。テモテ前 3:1-13。
あなたの仕えるものを選びなさい
20 私たちがエホバの奉仕に献身する決定を下すとき,なぜこの世と戦いますか。
20 末の日にこの世の大きな制度が建てられています。この世の制度は強暴です。それは利己的です。それはあなたをその奴隷にすることを目当てにつくられています。商業的にも,宗教的にも,また政治的にも,この世の制度のすべては,あなたを引きずりこんで,あなたの時間,あなたの力,あなたの能力,まったくあなたの献身を奪うように仕組まれています。また,それは魅惑的なものであるため,たいへんずるかしこいものです。あなたがこの世並の生活をしている人で,生活に追われ多くの心痛を甘受しながら,物質的な慰安物をいくらか楽しむにしても,あるいはあなたがこの世の知識をいくらか身につけて,立身出世をはかるために時間を野心的に費やすにしても,それは悪魔および全世界を惑わすために悪魔の使っている者たちにとっては,何の影響もありません。ずるい悪魔は,いろいろの手段を用いて,神の愛と真理の力に答え応じようとしない者たちをまどわしてしまいます。いま偉大な博愛主義者たちや,いろいろの人間努力の分野で指導的な立場についている偉人がいます。しかし,彼らはひとつの仕事,あるいは盲目的な愛国主義の気持ちから,ひとりの顕著な人に献身しています。しかし,エホバ神の僕はまったく違います! なぜですか。なぜなら,彼は自分の神に献身して,ひとつの仕事に献身していないからです。もちろん,彼の献身の中にはエホバを賛美する建設的なわざがたしかに含まれています。
21 私たちはどのように賢明に選んで生きることができますか。では,まだ献身しておらず水の洗礼で献身を象徴していない人々は,何をするべきですか。
21 したがって,全人類はおのおの,エホバとサタンのどちらに仕えるべきかを決定しなければなりません。この世の制度に仕えるか,あるいは御国に仕えるか。あなたの決定は,「我と我家とは共にヱホバに事へん」と語ったヨシュアの決定のようですか。また,「見よ! わたしは御旨を行うためにまいりました」と語ったイエスの決定のようですか。この決定の中には,私たちに洗礼を命ずるキリストの命令もふくまれています。私たちがエホバと彼の御子との特別な関係にはいるために,洗礼はぜひ必要な段階です。私たちは故意に洗礼を拒絶しながら,同時に神の恵みをいただくことができません。神の御言葉を勤勉に研究しなさい。それによって,献身の責任についてのあなたの理解は増し,あなたは献身と洗礼についての意味を十分に知るでしょう。まだあなたがそうしていないなら,ためらわずに,そして従順な気持ちでこの段階を踏みなさい。そして,エホバの恵みと彼の新しい世における生命をいただけるようにしなさい。―ヨシュア 24:15。ヘブル 10:9,新口。
22 私たちは,献身の責任を遂行するに際して,この末の日にどんな仕事に従順に参加しなければなりませんか。
22 すでにエホバとの契約にはいっている者は,いつもその誓を覚えて,その誓を忠実に保つようにしなさい。エホバに対する愛を強く保ち,また隣人に対する愛を忘れてはなりません。イエスは,出かけて行って弟子をつくり,エホバへの献身の象徴として洗礼を施せとの命令を出したとき,次のように述べました,「わたしは,天においても地においても,いっさいの権威を授けられた」。いっさいの権威が授けられて後のイエスの弟子になって,彼の命令に従うことを延期し,また洗礼を受けて,良いたよりの伝道に参加することを延期するのは賢明ではありません。―マタイ 28:18,新口。
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恐怖の時代ものみの塔 1962 | 7月15日
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恐怖の時代
「現在の世界は,異なった世界である。今日の人々は,収容所の記憶,原子戦争の可能性,古い帝国と古い生活および信仰の滅亡に恐れおののいている。各人は,この時代特有の希望と恐れを分け合っている。今は理性あるいは啓発の時代でなく,恐怖とおののきの時代である」。―1961年7月号の「ディ・アトランチック」
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