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    ものみの塔 1982 | 2月15日
    • しました。―マタイ 16:18,19。ヨハネ 4:4-42。使徒 8:5-25。

      17 (イ)神は「ご自分のみ名のための民を取り出すため」,いつまたどのように無割礼の異邦人を初めて顧みられましたか。(ロ)彼らの水のバプテスマは何を象徴していましたか。

      17 西暦36年,ユダヤ人に対する神の特別な恵みの時が尽きると,エホバ神は,「ご自分のみ名のための民を取り出(すため)」,無割礼の非イスラエル人,つまり異邦人に注意を向けられました。(使徒 15:14-18)別の「かぎ」を用いるに際し,ペテロはユダヤ人に対して親切な態度を示していたコルネリオという名のローマの百人隊長の家に遣わされました。これらの異邦人はエホバ神とその栄光を受けたメシアに関する証しを受け入れたに違いありません。聖霊が彼らの上に下り,彼らは異言を語り始めたからです。神はあわれみ深くも,「世の罪を取り去る,神の子羊」であるイエス・キリストを通して,「命のための悔い改めを諸国の人びとにも」授け始められたのです。(ヨハネ 1:29。使徒 11:18)エホバはまた,彼らが心の中で神に対して示した献身を根拠に,霊的な国民の中に彼らを受け入れられました。聖霊がこのことを確証しました。そのため,ペテロに同行した,キリスト教に転向したユダヤ人たちは,「イエス・キリストの名においてバプテスマを受ける」ようにとのペテロの命令に対し,だれも異議を唱えることができませんでした。これは,「諸国の人たちの転向」の発端となりました。(使徒 10:1-48; 15:3)その時以来,ユダヤ人であれ異邦人であれ神に仕えたいと望む人は皆,エホバに心の中で献身しなければなりませんでした。そして彼らの水のバプテスマに関して言えば,彼らはイエスに倣い,自分たちに対する神のご意志を行なうために自らを差し出すのです。

  • ホセアの統治に光を投げかけるアッシリア年代記
    ものみの塔 1982 | 2月15日
    • ホセアの統治に光を投げかけるアッシリア年代記

      聖書には,ホセアがペカ王に対して陰謀をたくらみ,「ウジヤの子ヨタムの第二十年に彼に代わって治め始めた」ことが記されています。(列王下 15:30,新)第20年というのは,明らかにヨタムが王となってからの期間を指すものと理解されます。ヨタムが実際に統治したのは16年間でした。―列王下 15:32,33。

      ホセアはヨタムの後継者アハズの第4年に統治を開始しましたが,その後何年かはイスラエルの王として完全に認められてはいなかったようです。列王下 17章1節によると,ホセアはアハズの第12年に王となりました。ティグラト・ピレセル三世の年代記はそれを説明するものと思われる一つの事実に光を投げかけています。この支配者の統治に関する碑文の断片にはこう記されています。「余は住民(と)その財産すべてをアッシリアに携えていった。彼ら[イスラエルの人々]は自分たちの王ペカを倒した。……そして余はホセアを……彼らの王とした」。(ジェームズ・B・プリチャード編,「古代近東テキスト,1955年,284ページ)ホセアが首都サマリアからイスラエルに対する完全な支配を確立したのは,おそらくアッシリアの後ろだてによるのでしょう。

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