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神の新秩序への人類の救出ものみの塔 1972 | 4月15日
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神の新秩序への人類の救出
「さあ,わたしは新しい天と新しい地を創造する」― イザヤ 65:17,新。
1,2 (イ)「日の下には新しいものは何もない」ということわざがあるので,どんなことが考えさせられますか。(ロ)そうした状態を考えると,どんな質問が生じますか。
「日の下には新しいものは何もない」という古いことわざがあります。(伝道 1:9,新)しかし,もはや戦争がなく,地上では戦争の準備さえ行なわれず,なんら自然の災害もなく,致命的な事故や,飢きんや疫病もないとすればどうですか。また,もし政府の支出超過による重圧がなく,政府からの圧迫もなければ,革命も,暴力による政権打倒もないとすればどうですか。それはたいへん喜ばしいことではありませんか。しかし,もう少し考えを進めてみましょう。
2 もし,さもしい社会的差別や国家的偏見また人種差別がもはやないとすればどうですか。もしわたしたち人間がだれも年老いず,視力や聴力,髪の毛や歯,からだの順調な機能も失われず,かえって,麗しい青春時代の健康色とみずみずしさを得,しかもそうした状態を限りなく保てるとすればどうですか。もしだれも病気をして死ぬことがなく,それどころか,人びとが墓から戻ってきて,わたしたちのただ中に再び生きて復帰し,ついにはあらゆる墓地がからになるとしたらどうですか。もし宗教にかんする正確な真理を教える教育が世界中で施され,すべての人がその真理に一致した生活をするとしたらどうですか。それは全人類にとって新しい事がらではないでしょうか。
3 (イ)そのような状態が特徴となっているのは,どんな種類の秩序だけですか。(ロ)死に関して医師や健康問題専門家に何かをしてもらえるのではなかろうかという期待についてはどうですか。
3 そうです,まさに新しい事がらです。そして,一つの秩序のもとに,そのような状態が全地に行き渡り,同時に全人類家族の間にそうした完全な関係が見られるなら,その事物の秩序はまさしく新しい秩序といわなければなりません。地上にそうした事物の秩序を持つという考えさえ今日の無数の人びとにとっては新しい事がらです。歴史から明らかなとおり,人類は現代に至るまで,ただの一度もその種の秩序のもとで生存したことがありません。わたしたちすべてが熟知しているのは,今では「古い秩序」となっているもの,つまりこの「現在の秩序」です。人類はこの地上で幾千年かを経ましたが,今なお地表全域に,しかもすべての人を養うに足る豊かな食物に恵まれながら居住しているわけではありません。この事態は,さまざまな原因による死が着実に人びとの命を奪ってきた結果です。死は,過去2世紀間に人類が行なってきたよりもさらに速い速度で人類家族の増大を妨げてきました。死は,この古い秩序の常に存在する特徴となってきました。ですから,今日,大ぜいの医師や健康問題専門家がいても,この古い秩序が存続するかぎり,それらの人びとに死を除去してもらえると期待できる根拠はありません。
4,5 (イ)人びとは現在の秩序をどう感じていますか。しかし人びとの望んでいることに関してどんな質問が生じますか。(ロ)世の事務家はだれに信頼していますか。ゆえに,彼らは将来に関して何を行なっていますか。
4 人類はこの「現在の秩序」,もしくは多くの人が好んで呼ぶ「無秩序」にあきています。今は変革を必要とする時です。しかし,そのような変革を成し遂げるよう定められているのはだれですか。それを変革できるのはだれですか。人間はそれを変革し改善する機会を久しく与えられてきましたが,人間の窮状の改善は今に至るまで成し遂げられてはいません。
5 現在の秩序の事務家たちは,今なお人間に,それも人間の能力に信頼することをやめようとはしません。この20世紀には人間が科学上のあらゆる進歩を遂げただけに,特にそうです。遠い将来にわたる計画が熱心に押し進められ,政府の政策立案者たちは今世紀末のことを考えています。そして,すでに西暦2000年代をうんぬんしており,その時までに地上に人間の創意工夫によってどんな状態がもたらされるかについて楽観的な展望を行なうとともに,大きな変化を期待しています。また,彼らは多くの徹底的な変革が必要であることも認めています。かつて得られなかったほどの大きな恩恵に全人類が浴せるような,いっそう高度の文明,つまり人生をいっそう生きがいのあるものにする文明をもたらして,自分たちの名を高く上げたいとも考えています。しかし,その間のわたしたちについてはどうですか。
6 (イ)現在の世の諸問題はどうなっていますか。(ロ)ゆえに,わたしたちは何を望んでいますか。それがいつもたらされるよう願っていますか。
6 今日そして現在,わたしたちには世界的な規模の種々の問題があります。しかも,時が進むにつれて,諸問題はいっそう深刻で複雑なものになってゆきます。政治独裁者や世界の指導者たちが述べた,輝かしい「新秩序」を国民にもたらすとの,あらゆる約束や保証のことばにもかかわらず,事態はいっそう深刻になってゆきます。もちろん,外見的には表面上の変革が多少なされてはいます。しかし,戦争・圧迫・不正・人種また国家的抗争・何百万もの人びとの飢餓・暴力・不安・苦痛・病気・老齢・死などを伴う,相も変わらぬ「古い秩序」が存続しているのです。わたしたちはそれとは異なるもの,つまりほんとうの新秩序を望んでいます。生き残りたいとの自然な願いから,わたしたちは,そのような秩序がわたしたちの世代のうちに実現しはじめることを望んでいます。そうすれば,わたしたち自身もその永続的な益にあずかれます。では,だれがそれをもたらしうるのでしょうか。
7,8 (イ)人類が何千年か経験を重ねたのち,だれかに信頼することについて詩篇作者はなんと述べましたか。(ロ)このことに関する積極的な面について詩篇作者はなんと述べましたか。
7 霊感を受けたある筆者はかつてこう書きました。「もろもろの君によりたのむことなく人の子によりたのむなかれ かれらに助あることなし その〔霊〕いでゆけばかれ土にかへる その日かれがもろもろの企図はほろびん」。その時までに人類はすでに何千年もの歳月を経,経験を重ねていました。書きしるされて以来,およそ3,000年を経たこのことばは健全な忠告であることが証明されてきました。それでは,人の子に,それも普通の人間よりもすぐれているはずの君たちにより頼むことさえ賢明ではないとすれば,わたしたちはほかのだれに信頼できるのでしょうか。
8 確かに前述の忠告者は,単に消極的なことばだけを述べて,わたしたちを当惑させるままにしておくはずがありません。人間以外のだれに信頼すれば,失望しなくてすむかという積極的な忠告を述べてしかるべきです。そして正しくそうした忠告を述べて,こう告げています。「ヤコブの神をおのが助けとしその望をおのが神エホバにおくものは福ひなり 此はあめつちと海とそのなかなるあらゆるものを造り とこしへに真実をまもり 虐げらるゝもののために審判をおこなひ 餓えたるものに食物をあたへたまふ神なり」― 詩 146:3-7,〔新〕。
9 人間に信頼することについてはエホバはエレミヤになんと言われましたか。人類の歴史からすれば,それはどの程度真実ですか。
9 霊感によるこの助言をともすればあざ笑う人がだれかいますか。そのような態度を取る人は決して少なくありません。大多数の人びとはたとえ知っていようと,この助言に注意を払おうとはしませんでした。そうすることによって,益もしくは祝福にあずかりましたか。人類の歴史はその答えを明らかにし,人間の創造者がみずからその預言者に言われた次のことばの真実性を確証しています。「エホバかくいひたまふ おほよそ人を恃み肉をその臂とし心にエホバを離るゝ人は詛るべし 彼は荒野に棄られたる者のごとくならん 彼は善事のきたるをみず荒野の燥きたる処 塩あるところ人の住ざる地に居らん」。(エレミヤ 17:5,6)のろいは祝福の反対ですから,あらゆる証拠は,人間が神にではなく,人間に信頼したために祝福を受けそこなったことを示しています。
10 (イ)自己過信に陥った人間は,神に対する義務にかんしてどのようにふるまいますか。(ロ)結果についていえば,神は彼らに対してどのようにふるまえますか。なぜですか。
10 現代の業績を誇る,自己過信に陥った人間は,神に対してあたかも何一つ負うところがないかのようにふるまい,神に対する責任を感ぜず,公にされた神の律法を無視しています。たとえ神の存在を否定しなくとも,あるいは「神は死んだ」などとは言わないにしても,人間の事がらに関するかぎり,あたかも神は存在しないかのようにふるまいます。人間はあらゆるものを神に負っていますが,創造者なる神は人間に何一つ負ってはいません。人間は自分が所有して楽しんでいるものすべてを神に負っています。しかも今や,感謝の念を忘れた人間は神に背を向け,命の源また生活を律する義の律法の源としての神に従順であるべき,神に対する義務を感じない以上,神は反抗的な人間に何一つ負うところがありません。神は,人類が自分勝手でわがままな行動の結ぶ苦い実を食べるままにしておくこともできます。しかもそうなる前に,神は,人類が悲惨な自滅をもたらす近代的手段を用いて死滅もしくは自滅するままに放置しておくこともできるのです。
11,12 (イ)ある賢人は人間の始まりについてなんと述べましたか。それがどのように真実だったかを述べなさい。(ロ)どんな事態が進展していたなら,「新秩序」を必要とはしなかったでしょうか。今日のわたしたちは過去の人間の諸計画について,どんなことを知っていますか。
11 人類の歴史をその最初から西暦前11世紀に至るまで概観した,昔の最も賢い王はこう述べました。「このことだけをわたしは見いだした,真の神は人を廉潔な者に造られたが,人はみずから多くの計画を探り出したのだ」。(伝道 7:29,新)真の神は最初の人間夫婦を廉潔な者,からだ・思い・心・徳性の点で完全な者として創造し,完全な健康を保って永遠に生き続けさせるため,ふたりを食物の整った園のような喜ばしい住まいに置きました。
12 もしそのふたりが自由な道徳的行為者としての自分の能力を正しく行使し,廉潔さを保ち,また子どもたちを廉潔な者に育て,そして楽園の住みかを徐々に拡大し,この全地に拡張していたなら,今日「新秩序」を必要としていたでしょうか。いいえ,必要としてはいませんでした。地上ではその楽園に存在していた物事の状態が今日に至るまで存続していたでしょうから,かつて神が人間を創造した時の状態に人類を回復させる必要は生じなかったでしょう。しかし,創造者で立法者であられる神に対する完全な従順が試されたとき,最初の人間夫婦は自分勝手な計画を探り出したのです。(創世 1:26–5:5)その後約6,000年を経た今日,その計画がうまくいったかどうかは周知のとおりです。
新秩序の必然性
13 ほんとうの新秩序をもたらしうるのはだれですか。そのかたには,そうすべきなんらかの義務がありますか。
13 そうした誤った計画の影響を排除する人間の能力にかんするかぎり,人類は自力で回復を図りえないほどに自らを害してきました。今やこの時代は一般に考えられている以上にその終わりに近づいています。ゆえに,もし人びとが,死んでゆく不完全な人間に信頼しつづけて,現行の秩序のあらゆる有害な特徴のない新秩序の招来を人間に期待するなら,今やまもなく悲惨な失望に陥るほかはありません。新秩序をもたらしうるのは,わたしたちの創造者,全能の神だけです。神はそうなさるでしょうか。人間はこの地に生まれ出ることを願ったのではなく,またみずからこの地に現われたわけではないにしても,神には新秩序をもたらすべき義務はありません。しかし,なぜ神にはその義務がないのですか。なぜなら,それは人間が神を捨てたからです。人間はその創造者また立法者に反抗して自分勝手な道を歩むことを選びました。そのうえ,人間の考え方や計画またその努力から判断すれば,人間は神の新秩序を欲してはいないということがわかります。どうしてそういえますか。というのは,人間はそのような新秩序のための要求を満たすことを望んではいないのです。
14 では,どんな質問が生じますか。信頼できる情報をどこから得ることができますか。
14 ゆえに今,次のような重大な質問が生じます。全能の神は,緊急に必要とする新秩序を設けたいと考えておられますか。また,そうすることを決定されましたか。こうした質問に対する信頼できる,権威ある答えはどこから得られますか。それは書きしるされた神のみことば,つまり聖書からしか得られません。
15,16 (イ)新秩序をもたらすという目的について神は預言者イザヤを通してなんと言われましたか。(ロ)使徒ヨハネは,神がこのことに関するご自分の考えを変えられたかどうかをどのように示していますか。
15 西暦前8世紀に神がご自分の預言者イザヤに語った次のことばに耳を傾けてください。「さあ,わたしは新しい天と新しい地を創造する。以前の事は思い出されることがなく,心に上ることもない。しかし歓喜しなさい。わたしが創造するものを永遠に喜びなさい」。(イザヤ 65:17,18,新)これを聞いて,なかには,『ああ,それは2,700年も前に言われたことばを書いたものなのだから,今では時代おくれで,通用しない』と言う人がいるかもしれません。では,それから800年余ののち,神がクリスチャンの使徒ヨハネに与えた黙示のことばに耳を傾けてください。それを書きしるしたヨハネはこう述べています。「我また大なる白き御座および之に坐し給ふものを見たり。天も地もその御顔の前を遁れて跡だに見えずなりき。……我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り,海も亦なきなり」。(黙示 20:11–21:1)このように8世紀余ののちでも,その同じ神はご自分の考えを変えてはおられませんでした。また,ヨハネはさらにこうしるしています。
16 「斯て御座に坐し給ふもの言ひたまふ『視よ,われ一切のものを新にするなり』また言ひたまふ『書き記せ,これらの言は信ずべきなり,真なり』」― 黙示 21:5。
17 ゆえに,1,900年後の今日,この点で何が良いたよりであるといえますか。
17 したがって,天の御座に座しておられるこの神は,新しい天と新しい地を伴う新秩序を創造するという公表されたご自分の目的に関して,もし考えを変えるなら,ご自身にそむくことになるでしょう。その新しい地には,人間の最初の両親から受け継いだ罪により神から離反した人類の海はもはや存在しなくなるのです。ゆえに,神は人類になんら負うところがありませんが,望ましい新秩序をもたらそうと考えており,1,900年もの歳月を経たあとでさえご自分の考えを変えてはおられないのです。これは良いたよりではありませんか。
人間の努力をはばんでいるのは何か
18 「新しい地」が存在するには,その前にまず何が存在しなければなりませんか。
18 神は単に「新しい地」だけでなく,「新しい天」をも創造すると約束しておられることに注目してください。これは,死んでゆく人類が新秩序を持つのに最も肝要な事がらは何かを神が知っておられるということを如実に示しています。まず最初に「新しい天」がなければ,「新しい地」はありえません。それは人間の頭上の視界内に新たに存在する太陽,月,恒星,惑星そして島宇宙のことですか。そうではありません。大空にあるそれら理知のない見える物質の天体は,古代バビロンの日以来,占星術者が教えてきたように,人間の事物の秩序になんらかの影響を及ぼすということはありませんし,またそうすることはできません。しかしエホバ神は「新しい天」という表現によって,人類に対する超人的な天的支配を行なう,目に見えない霊的な新しい理知的存在のことを意味しておられます。
19 「新しい天」という表現がそのような意味を持っていることを,預言者ダニエルそしてイエス・キリストはどのように示していますか。
19 古代バビロンの王が見た,1本の大木に関する夢を預言者ダニエルが解き明かすさいに用いた「天」ということばも,同様の意味をもっています。ダニエルは語りました。「七の時を経て汝つひに知ん至高者人間の国を治めて自己の意のまゝに之を人に与へ給ふと 又彼らその樹の根の上の斬株を遣しおけと言たれば汝の国は汝が天は主たりと知るにいたる時まで汝を離れん」。(ダニエル 4:25,26)人類に対する理知的な見えない天的支配と管理というこの考えは,『天の王国は近づいた』とふれ告げたイエス・キリストのことばの中にも含まれています。―マタイ 4:17,新。
20,21 (イ)「新しい天」という表現は何を示唆していますか。それは人間が物事をより良い方向に改善しえないことをどのように明らかにしていますか。(ロ)世故にたけた人びとはこのことに関してどのように自分を欺いていますか。
20 「新しい天」に関する神の約束は,人類を支配し,目に見えないさまで現在の事物の秩序を制御している古い「天」が存在することを示唆しています。この象徴的な古い天は現在の秩序を改善し,人類を自滅の危機から救うことを願って,恒久的な改革を図ろうとする人びとのあらゆる誠実な努力をはばむ超人的障害物として立ちはだかっています。人類の歴史が今日に至るまで終始証明してきたとおり,人類にとってこの古い「天」は,自己信頼をこととする男女を絶えず出し抜く見えない敵となっています。
21 この科学的な頭脳時代の世故にたけた人びとは,そのような見えない超人的で理知的な霊者としての敵の存在は信じないばかりか,嘲笑します。しかし,その同じ敵は,みずからを欺く以上の大馬鹿者はいないということを知っています。しかし,古い「天」で表わされているその敵とはだれですか,と尋ねる人は愚かな人ではありません。
22,23 天から来て,また天に戻ったかたは,その敵がだれかについてどのように人びとに語りましたか。
22 天から地上に来て33年余人間として生活し,次いで見えない霊的な天に戻ったかたは,その敵がだれであるかを告げておられます。地上におられた時のこと,神の王国をふれ告げるために,そのかたから福音宣明者として派遣された70人の男の人たちは,戻ってきて,「主よ,〔悪霊〕すら我らに服す」と報告しました。イエス・キリストはそれら喜びにあふれた福音宣明者たちになんと返答しましたか。「われ天より閃く電光のごとくサタンの落ちしを見たり」と言われました。(ルカ 10:1-18,〔新〕)この事物の体制の終結に関するご自分の預言の終わりの箇所でイエスは描画的なたとえを述べ,山羊のような人びとに対して「詛はれたる者よ,我を離れて悪魔とその使らとのために備へられたる永久の火に入れ」と告げる時が訪れることを予告されました。(マタイ 24:3; 25:31-33,41)それから3晩ののち,ほどなくして自分が裏切られ,刑柱につけられて無残な死を遂げることについてご自分の忠実な使徒たちに語ったとき,イエス・キリストは次のように言われました。
23 「今この世の審判は来れり,今この世の君は逐ひ出さるべし」。「この世の君きたる故なり。彼は我に対して何の権もなし」。(ヨハネ 12:31; 14:30)「視よ,サタン汝らを麦のごとく篩はんとて請ひ得たり」― ルカ 22:31。
24 こうしてイエスは,現在人類を制御している「天」について何を示されましたか。パウロによれば,人類の世はだれを崇拝していますか。
24 これはこの問題に関する権威者としてのほかならぬイエス・キリストご自身のことばです。象徴的な古い天,つまり現行の古い秩序が続くあいだ人類を支配し制御する現在の超人的な「天」を構成しているのは,サタン悪魔とその悪霊たちです。人類の大多数は,「新しい天と新しい地」を約束しておられる真の神を崇拝するかわりに,悪魔と悪霊たちを崇拝しています。悪魔は人びとに対する自分の活動や欺瞞を隠すのに狡かつで,策略にたけています。というのは,クリスチャンの使徒パウロはこう書いているからです。「この世の神は此等の不信者の心を暗まして神の像なるキリストの栄光の福音の光を照さざらしめたり」。(コリント後 4:4)こう説明した使徒パウロは,偽りの神サタンのことを言っていたのです。
25 アダムとエバを誘惑して,神の意志に反する計画を探り出させたのはだれですか。
25 さらにイエス・キリストは,サタン悪魔が,神の意志に反する計画を探り出すよう,廉潔なアダムとエバを誘惑した見えない張本人であることを明らかにしました。サタンはこうして,今日の死に向かう不完全な状態をわたしたちすべてにもたらしたのです。
26 イエスはサタンを人殺しと呼びましたが,サタンはどうしてそのような者になりましたか。
26 ある時,イエスはその死を図ろうとしていた,聴衆の中のある人たちに話しかけて,こう言われました。「汝らは己が父,悪魔より出でて己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初より人殺なり,また真その中になき故に真に立たず,彼は虚偽をかたる毎に己より語る,それは虚偽者にして虚偽の父なればなり」。(ヨハネ 8:44)人間の最初の住みかであったエデンの園でサタン悪魔はエホバ神を偽り者と呼びました。それから,最初の女エバは悪魔のことばを信じ,その後,彼女の夫アダムは妻に組して彼女といっしょに神にそむきました。ゆえにエホバはわたしたちの最初の両親に死の宣告を下しました。そしてサタン悪魔はそうした結果を引き起こしたゆえに,イエスの言われた「人殺」となりました。サタンはまた,わたしたちをも殺しました。なぜなら,わたしたちは,死ぬべき状態を罪深いアダムとエバから受け継いできたからです。―創世 2:7–5:5。
27,28 (イ)世の有能な人びとでもわたしたちのどんな無力な状態を除去できませんか。あるいは,軍隊や革命家はわたしたちから何を排除することができませんか。(ロ)パウロはわたしたちが何に相対しているかについてエペソ人におよそどのように教えましたか。
27 政府の支配者,立法者,判事,医師,科学者たちは,そのなしうる事すべてをもってしても,受け継いだ罪と不完全さゆえに今なおわたしたちすべてが留められている,死に定められた状態を除去することはできません。また,わたしたちの最初の両親が創造者なる神に反抗したゆえに追い出されたエデンの園に,わたしたちを連れ戻すこともできません。世の軍隊や社会革命家たちが何を試みようとも,人類にまつわりついてきた,悪霊の古い「天」を排除することはできません。このことでは世の軍隊や革命家は,他の人間とではなく,目に見えない超人的な勢力と争っているのです。使徒パウロがアジアのエペソにあるクリスチャン会衆にあてて次のように書き送ったことばからすれば,全人類は何に相対しているかが大体わかります。
28 「悪魔の術に向ひて立ち得んために,神の武具をもて鎧ふべし。我らは血肉と戦ふにあらず,政治・権威,この世の暗黒を掌どるもの,天の処にある悪の霊と戦ふなり」― エペソ 6:11,12。
29 イエスとその使徒たちは悪霊を追い出したにもかかわらず,何をしようとはしませんでしたか。その結果,今日どんな事態が見られますか。
29 使徒パウロは,イエス・キリストご自身また他の使徒たちと同様,悪霊に取りつかれた人たちから悪霊を追い出して,哀れな犠牲者を解放しました。しかしながら,地上におられたイエス・キリストやその使徒たちは,悪霊による政治・権威,この世の暗黒を掌どる者また天の処にある悪の霊で構成されているこの見えない古い「天」をくつがえそうとは決してしませんでした。19世紀前のその当時は人類のそのような解放を行なうべき時ではなかったのです。したがって,それら邪悪な悪霊で成る「天」は今日に至るまで引き続き人類と人間の事がらを支配してきました。人類家族は今も,この見えない支配の恐るべき影響を経験していますし,しかもそうした支配に立ち向かうには全く無力です。
30 わたしたちは救出者をだれに求めざるをえませんか。『詛はれ』ないようにするには,わたしたちはだれにたよらなければなりませんか。
30 人類は,破滅をもたらしかねないこうした悪霊の天から自分たちを救ってくれる解放者を切実に必要としています。エホバ神は必要な救出者を起こされました! 待望の救出のためのエホバの予定の時は間近です! わたしたちは人間の「君たち」もしくは人の子に救出者を求めることはできません。そうするなら,わたしたちは『詛』れるでしょう! わたしたちはそのような救出者をエホバに求めざるをえません。その救出者はだれですか。
31 エホバに選ばれたそのかたは何を行なうことができますか。それは新秩序にとってなぜ基本的な要求といえますか。
31 それはエホバ神によって選ばれたかたであり,悪霊で成るこの古い「天」を滅ぼしうるかたです。この古い秩序を支配してきたその邪悪な「天」を除かないかぎり,人類のための新秩序は存在しえません。「新しい天」なくして人類のための新秩序はありえません。これは基本的な要求であるとともに,第一の要求です。エホバ神はそうした「新しい天」を創造すると約束されました。
32 「新しい天」を構成する者たちは「今の天」のそれとどのように釣り合いますか。「新しい天」の枢要で不可欠な者とはだれですか。
32 邪悪な「今の天」は見えない超人的な霊者で構成されているのですから,新しい天もやはり見えない超人的な霊者で構成されているに違いありません。使徒ペテロは,「されど我らは神の約束によりて義の住むところの新しき天と新しき地とを待つ」と書き送って神を待ち望み,神に信頼するよう,仲間のクリスチャンを激励しました。(ペテロ後 3:13)神はすでにその「新しい天」の首位者,枢要かつ不可欠な者を起こされました。そのかたは神の忠実なみ子,主イエス・キリストです。この救出者を歓呼して迎えてください!
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神の新秩序のための基礎を据えるものみの塔 1972 | 4月15日
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神の新秩序のための基礎を据える
1 ペテロ後書 3章13節のことばを書き送られた人びとは,何になることを期待していましたか。しかし,それゆえに,どんな現実的な質問が生じますか。
使徒ペテロは当時の仲間のクリスチャンに,「我らは神の約束によりて…新しき天と新しき地とを待つ」と書き送りましたが,それらのクリスチャンはこの事物の体制の終結のさいに,その『新しい天』の一部になることをみずからも期待していました。(ペテロ後 3:13。マタイ 24:3; 28:20)人類を治める「新しい天」で,神から与えられた自分たちの指導者で頭であるイエス・キリストとともに交わることを期待していたのです。そして,死と破滅のとばりで今日全人類をおおっている邪悪な悪霊の「天」に取って代わるという希望をいだいて喜んでいました。しかし,彼らも,またイエス・キリストの他の仲間の弟子たちも,しょせん単なる人間である以上,どうして「新しい天」の一部となれるのでしょうか。
2 ペテロは,この秘密を解くかぎともいうべきどんなことをその第一の手紙の始めに書きましたか。
2 使徒ペテロはイエス・キリストの贖いを信ずる仲間の信者につぎのように書き送って,この秘密を解くかぎを指摘しました。「讃むべきかな,我らの主イエス・キリストの父なる神,その大なる憐憫に随ひ,イエス・キリストの死人の中より甦へり給へることにより,我らを新に生れしめて生ける望を懐かせ,汝らの為に天に蓄へある朽ちず,汚れず,萎まざる嗣業を継がしめ給へり。汝らは終のときに顕れんとて備りたる救を得んために,信仰によりて神の力に護らるるなり」― ペテロ前 1:3-5。
3 人類は天に行くよう定められていましたか。死んだ忠実なクリスチャンは天に行くためには何を経験しなければなりませんか。
3 『新に生れしめて天に蓄へある嗣業を継がしめ』という表現に注目してください。また,「イエス・キリストの死人の中より甦へり給へることに由り」ということばにも注目してください。人類は,神の住んでおられる天に行くために創造され,また生まれてきたのではありません。人が天に行くには,新たに生まれること,つまり霊的誕生が必要です。そうした誕生をもたらしうる人間の父親はいません。それをなしうるのは天の父なる神だけです。そのうえ,イエス・キリストの忠実な弟子たちはすべて今日に至るまで人間として死に服してきました。ですから,それら死んだクリスチャンが天にはいるためには,確かに復活させられる必要があります。
4 人間イエス・キリストが天に行くためには,ペテロが説明したとおり,何が起こらなければなりませんでしたか。
4 天から来たイエス・キリストでさえ,元いた天に帰るためには,死んで,その父なる神,エホバの全能の力によって死から復活させられる必要がありました。そのように人間として死んで,霊者として復活させられたことについて,使徒ペテロは次のように述べました。「キリストも汝らを神に近づかせんとて,正しきもの正しからぬ者に代りて,一たび罪のために死に給へり,彼は肉体にて殺され,霊にて生かされ給へるなり。また霊にて往き,獄にある霊に[復活によりて]宣伝へたまへり……彼は天に昇りて神の右に在す。御使たち及びもろもろの権威と能力とは彼に服ふなり」。ペテロ前 3:18,19,21,22。新英語聖書もごらんください。
5 キリストが死なれた理由について,ペテロはなんと述べていますか。
5 イエス・キリストは完全な人間として死に,完全な霊者として復活させられることによって,再び天に戻る道が開かれました。イエス・キリストが死なれた理由について使徒ペテロが述べた次のことばに注目してください。ペテロはこう述べます。「キリストも汝らを神に近づかせんとて,正しきもの正しからぬ者に代りて,一たび罪のために死に給へり」― ペテロ前 3:18。
6 (イ)ここで「正しきもの」と対照的に述べられている「正しからぬ者」とはだれのことですか。(ロ)「その正しきもの」はだれの罪のために死ぬことができたのでしょうか。どうしてですか。どんな効果をもたらしましたか。
6 ここで「正しきもの」といわれているのはイエス・キリストです。それでは,「正しからぬ者」とはだれですか。それは罪深いアダムから生を受けたわたしたちすべての人間のことです。イエス・キリストは「一たび罪のために」死にましたが,ご自分の罪のために死なれたのではありません。もしそうだったなら,その死は,死んでゆくわたしたち人間に少しも益するものではなかったでしょう。キリストがそのために『一たび死なれた』罪とはわたしたちの罪,つまりエホバ神より死の宣告を受けたアダムから罪深い状態や不完全さ,そして死を受け継いだ全人類の罪なのです。イエスは完全な人間として地上で生まれ,そして『殺される』まで,『正しさ』を保たれたので,その死には犠牲としての価値がありました。その死は,キリストの命がそのために犠牲にされた人びとに何ものかを得させることができるのです。
7,8 (イ)正しい新秩序のためには,「新しい天」のほかにさらに何が必要ですか。(ロ)人類はその当然の報いを受けて何を経験してきましたか。イエスは,他の人びとが受けるに十分値するものをみずからどのように負われましたか。
7 さてこれで,もう一つの秘密が解かれることになります。それはエホバ神が創設なさる新秩序に必要なもう一つの事がらです。新秩序に必要なのは「新しい天」だけではありません。罪や不完全さのない,したがって死に定められた状態のない「新しい地」も必要です。しかし,そのような正しい「新しい地」はどのようにして創設できるのでしょうか。
8 「正しからぬ者」つまり罪を犯したアダムの子孫である全人類は,その当然の報いを受けて死に服してきました。神の律法はこう述べています。「それ罪の払ふ価は死なり,然れど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠の生命なり」。(ロマ 6:23)しかし,完全な人間として生まれたイエスは,罪深い世のただ中におられたにもかかわらず,終始『正しき』を保ちました。使徒ペテロはクリスチャンにあてた同じ手紙の中でイエスについてこう述べています。「彼は罪を犯さず,その口に虚偽なく,木の上に懸りて,みづから我らの罪を己が身に負ひ給へり。これ我らが罪に就きて死(なんためなり)」。(ペテロ前 2:22,24)それで,イエスは全く『正しい』かたでしたから,死に値しませんでした。イエスは,他の人びとが受けるに十分値するものをみずから負うために死なれたのです。
9 自分の命を犠牲にした利他的な人間の恩恵にあずかった人びとにとって,そうした犠牲は限られた益をもたらすものでしかありませんでした。なぜですか。
9 人類史上,他の人びとのために自分の命を犠牲にした利他的な人は少なくありませんが,そうした犠牲の恩恵を受けた人たちは後日死にましたし,今なお死んだままになっています。それらの人たちはそうした人間の犠牲を通して永遠の命を得たわけではありません。彼らのために死んだのは,死ぬべき不完全な人間でした。つまり自分自身不完全で罪深く,また死に定められた状態にある人間でした。そのおかげで生き長らえた人びとといえども,その命はほんの少し延長されたにすぎませんし,そうした犠牲の死は彼らを死人の中から地上に復活させることを保証するものではありません。そのうえ,自己を犠牲にする人たちのいったいだれが,過去および現在の人類世界全体のために死ぬことができるでしょうか。戦場で死んでゆく若い将兵を含めて世界の軍隊のすべてといえどもそうすることはできません。
10 わたしたちはだれも他の人が永遠に生きるための贖いを与えることはできません。なぜですか。
10 自分自身の罪のために永遠の死に定められている,罪深い被造物である人間は,他の罪深い人間に地上での永遠の命を得させることはできません。詩篇 49篇7,9節が,「たれ一人おのが兄弟をあがなふことあたはず 之がために贖価を神にさゝげ 之をとこしへに生存へしめて朽ざらしむることあたはず」と述べるとおりです。
11,12 (イ)人間イエス・キリストはどれほど多くの人のためにご自身を贖いとして与えることができましたか。(ロ)ロマ書 5章12,18,19節でパウロが説明しているように,それはどうして可能でしたか。
11 一方,イエス・キリストについては,「それ神は唯一なり,また神と人との間の中保も唯一にして,人なるキリスト・イエス是なり。彼は己を与へて凡ての人の[ための対応する]贖価となり給へり」としるされています。(テモテ前 2:5,6[新])このことはどうして可能でしたか。なぜなら,アダムが罪を犯し,その故意の罪ゆえに死の宣告を受けたとき,アダムの子孫はすべてアダムのうちにあって死んだからです。使徒パウロが次のように書いているとおりです。
12 「それ一人の人によりて罪の世に入り,また罪によりて死は世に入り…一つの咎によりて罪を定むることの凡ての人に及び…一人の不従順によりて多くの(人)は罪人とせらる(るなり)」― ロマ 5:12,18,19。
13 (イ)エデンで自分の潔白さを汚したアダムは,後の子孫に,そしてそのうちのどれほど多くの人に何をもたらしましたか。その子孫すべてを贖うには,何が支払われなければなりませんでしたか。
13 神の働きは完全ですから,アダムは創造されたとき,完全でした。その肋骨の1本から造り上げられてアダムから取られたその妻エバも同様に完全でした。アダムはエバのことを,「わが骨の骨わが肉の肉」といいましたが,そのとおりでした。(創世 2:21-23)アダムは罪を犯したとき,人間としての完全さを失い,死の宣告を受けました。その後,人類はみな,ひとりの人アダムから罪と死を受け継ぎました。したがって,死んでゆく人類すべてを贖うには,人間としての完全さを備えたアダムに対応する人が必要でした。アダムがその不従順によってすべての子孫にもたらした死を取り除くためには,もうひとりの完全な人間が罪なくして死ぬことが必要でした。言いかえれば,『対応する贖価』が必要だったのです。とはいっても,そのような『対応する贖価』はどのようにして備えられるのですか。有罪の宣告下にある罪深い不完全なアダムの子孫はだれもそれを備えることはできません。
14 神にはそのような贖いを備える義務はありませんでした。なぜですか。しかし,それを備えることによって神はまた何を成し遂げることができましたか。
14 それを奇跡的な方法で備えうるのは明らかに,全能の神エホバだけです。エホバにはそうする義務はありませんでした。公正に関するあらゆる規定からすれば,それをエホバに要求することはできません。しかしエホバは,進んでそうしようとしておられましたか。まさにそのとおりです。なぜなら,「神は愛」だからです。(ヨハネ第一 4:8,16)神はその愛ゆえに,公正の原則に完全にのっとって行動する道を見いだすことができましたし,またそうすることにより,ご自分の被造物である人間を,対応する贖いによって買い戻す手だてを設けることができました。同時に,そうすることによって,エホバは,サタン悪魔の行なった邪悪なわざを消し去り,創造者で神権支配者であられるご自身を立証することができました。―ヨハネ第一 3:8。
15 エホバは,創世記 3章15節の婦の苗裔となる機会をだれに提供しましたか。それは必然的にその者に何をこうむらせる結果になりましたか。
15 遠い昔,神はエデンの園で,人間の反抗に関係した者たちに裁きを下したとき,反抗をそそのかしたへびに対して早くも,「我汝と婦の間および汝の苗裔と婦の苗裔の間に怨恨を置かん 彼は汝の頭を砕き汝は彼の踵を砕かん」とおっしゃいました。(創世 3:15)その婦の苗裔となる機会を,神は天でそのひとり子に提供なさり,そして神のみ子はそれを受け入れました。そうすることは,必然的にへびによって踵を砕かれることを意味していましたが,み子は自発的にそれを受け入れられたのです。
16 やがて,神はどのようにしてご自分のひとり子を,エデンに住んでいた潔白だったときのアダムと全く同等の人間にならせることができましたか。
16 やがてエホバ神は,ご自分の天のみ子の生命を聖霊によって,ガリラヤのナザレにいた処女マリヤの胎内に移されました。こうして,神のひとり子は人間の母マリヤを通して,アダムおよびアダムの子孫と関係を持つ者となりました。しかし,その命はアダムからではなく,神から来ました。人間として誕生したにもかかわらず,彼は依然として神のみ子でした。そして,マリヤに与えられた天の父からのさしずにしたがって,「エホバは救い」という意味のイエスと名づけられました。イエスの完全な命はもともと神からのものでしたし,またそれは天からマリヤの胎内の卵細胞に移されたゆえに,イエスは神によって死に定められていない完全で罪のないみ子として生まれました。(ルカ 1:31-35; 3:23-38)それ以後,罪と大いなるへびサタンの誘惑に抵抗することによって,イエスは生殖能力を備えた完全な人間へと成長し,こうして,エデンの園に住んでいた潔白だったときのアダムと全く同等の人間になることができました。
17 その子イエスはどのようにしてキリストになりましたか。
17 イエスは神の「婦」の苗裔として行動すべく自分自身をささげることを象徴するため水のバプテスマを受けました。次いで,神は聖霊をもってイエスに油をそそぎました。こうしてイエスはキリスト,つまり油そそがれた者となりました。それで,イエス・キリストと呼ばれたのです。―ルカ 3:21-23。
贖い主,新しい天の首位者
18 人間キリスト・イエスは個人としてはどんな状態の人間として,またなぜ死ななければなりませんでしたか。
18 イエスは,ご自分が人間として死ななければならないということを知っておられました。さもなければ,全人類のための贖いの犠牲とはなりえませんでした。イエスはその12人の使徒たちに向かって,「人の子の来れるも事へらるる為にあらず,反って事ふることをなし,又おほくの人の拯贖として己が生命を与へん為なり」とおっしゃいました。(マタイ 20:28)そのためには,無実の者として,つまり正しい者でありながら,正しくない者のために死ななければなりません。ご自分の命を永遠に犠牲にし,その価値を全人類のために費やさなければなりません。イエスは子どもを設けずに死にましたから,自分はイエス・キリストの子孫であると唱えうる人は地上にはひとりもいません。イエスはご自分の完全な人間としての命と親になる資格とを全人類のための対応する贖いとして犠牲にされました。
19 創世記 3章15節の婦の苗裔であるためには,イエスはどうされなければなりませんか。イエスはあたかも何をした者のように,しかし実際には何を行なったために死にましたか。
19 そのうえ,神の「婦」の苗裔として,大いなるへびサタンによって踵を砕かれなければなりません。それはイエス・キリストにとって悲惨な死を意味しました。このことのゆえに,イエス・キリストはその敵や偽りの告発者たちに身をまかせ,あたかも冒涜の罪をおかした犯罪者でもあるかのように刑柱につけられて殺されました。このことは西暦33年の過ぎ越しの日,エルサレムで生じました。しかしながらイエスは実際には,神の王国,つまり人類のための神の新秩序における「新しい天」としての役割を果たすメシヤによる王国を宣べ伝えたために死なれたのです。―ヨハネ 18:36。
20 このような取り決めに報いという問題が関係したのはなぜですか。その報いとはなんでしたか。
20 イエス・キリストはこのすべてを自ら進んでなさいました。その天の父エホバ神が,そうするようイエスを強制されたのではありません。エホバは,そうすることによってご自身の宇宙主権を擁護し,そのみ名を立証する機会をご自分の忠実なみ子に単に提供されたにすぎません。しかし,み子になんら報いを与えずに,そのような奉仕をことごとく遂行させ,そうした苦しみのすべてを受けさせるような不公正なことは行なえません。それで神は,み子の前に輝かしい報いを置かれました。それは「新しい天」でメシヤとしての王になるという報いでした。そのように王としてイエスはへび,つまりサタン悪魔の頭を砕き,またへびのすべての苗裔,つまり悪霊となったみ使いたちをも一掃し,こうして現在の事物の秩序の古い天を滅ぼすのです。
21 そのために,神は死んだイエス・キリストに関して何を行なわねばなりませんでしたか。神はご自分にどんな価値がささげられることを期待しておられましたか。
21 そのためにはまず第一に全能の神は,その正しい無実のみ子を人間としてではなく霊者として死からよみがえらせなければなりません。神は,み子が死んで3日目にまさにそのことを行なわれました。その証拠としてイエス・キリストは,ご自分が復活させられた日またその後に何度も弟子たちに現われました。そして40日目に,ご自分の人間としての犠牲の価値を神にささげるため,昇天されました。
22 キリストの忠実な弟子たちはその後いつ,またどのようにして『新たに生まれる』ことを経験し始めましたか。
22 その10日後,つまり西暦33年のユダヤのペンテコステの祭りの日に,神はみ子イエスの忠実な弟子たちに聖霊をそそぎ始められました。こうして,キリストに従う献身してバプテスマを受けた真の弟子たちは,朽ちない天的な嗣業を継ぐために『新に生れる』ことを経験しはじめました。(使行 1:1–2:36)その日以後,神は,み子イエス・キリストとともに「新しい天」を構成する者としてみずからお選びになったそれら忠実な弟子たちを,「新に生れ」させてこられました。
23 コリント前書 15章50節からすれば,それら弟子たちは自分たちに関して何が起きなければならないということを知っていましたか。
23 それら弟子たちは,使徒パウロが「兄弟よ,われ之を言はん,血肉は神の〔王国〕を嗣ぐこと能はず,朽つるものは朽ちぬものを嗣ぐことなし」と書きしるしたことばを知っていました。(コリント前 15:50〔新〕)ですから,自分たちは死ななければならず,朽ちる肉体を永遠に捨てなければならないということを知っていました。彼らは「死に至るまで忠実」であることを実証しなければなりません。それは「新しい天」で『生命の冠』を受けるためです。そして,神の王国が建てられたのちの復活のさい,不滅の霊の被造物としてよみがえらされるのです。これらの人たちについては,「血気の体にて播かれ,霊の体に甦へらせられん」と書かれていることばがそのとおりに起きるのです。―黙示 2:10。コリント前 15:44。
「新しい地」
24 (イ)以上のことからすれば,新秩序については,まず最初に何が到来しなければならないということがわかりますか。(ロ)「新しい天」,次いで「新しい地を立てるには,古い天と地をどうする必要がありますか。
24 こうした驚くべき事がらを考えると,神が約束された新秩序をもたらすためには,まず最初に「新しい天」を設けることがどんなに必要であったかがわかります。ところで,神が創造なさるその「新しい地」とはなんですか。「新しい天」がわたしたちの頭上の大空の新しい惑星や恒星を意味しないのと全く同様,「新しい地」も人間がその上に立つ新しい別の地球を意味するものではありません。「新しい天」を確立するには,サタンとその使いである悪霊たちを,人類を支配するその天的な立場から除き去る必要があります。「新しい地」を確立するには,神の王国に反対し,またそれゆえにこの世界の見えない支配者つまり「この事物の体制の神」としてのサタン悪魔に仕える邪悪な現在の人類社会を除き去る必要があります。その代わりに神は,新しい正しい人類社会をこの同じ地上に,しかしご自分が設ける「新しい天」すなわちイエス・キリストと,霊的復活にあずかるその弟子たちのもとに生み出されます。
25 「新しい地」はどうして創設途上にあるといえますか。古い「地」には何が起きようとしていますか。
25 「新しい地」は今やすでに形成途上にあります! 献身してバプテスマを受けたクリスチャンのこの形成途上にあるグループを構成する人たちは,神から離反した邪悪な人類社会の一部として留まることを選ぶ人びと,つまり人類の『不敬虔な世』から別れています。この古い比喩的な「地」を除き去るということは,間近に迫った「大かん難」,つまりイエス・キリストが予告された,世界の歴史上,空前絶後の世界的大災害となるかん難において,その比喩的な地が滅びるという意味です。
26 神の新秩序への人類の救出は神のどんな思い切った行為によってのみ可能になりますか。
26 そのかん難は非常に広範に及び,また非常な破滅をもたらすので,神がその日を短くされないかぎり,肉なる人間はだれも救われないでしょう。(マタイ 24:21,22。マルコ 13:19,20)そのかん難は現在のこの事物の体制の徹底的な滅びをもたらしますが,それはこの地球と,わたしたちの頭上の無数の星のある大空を滅ぼすものではありません。そののち,悪霊で成る古い「天」は取り除かれ,サタンとその悪霊たちは束縛されます。つまり底なき所にいれられたような監禁状態のもとに置かれます。(黙示 19:11–20:3)神のこうした思い切った行為による以外に,地上の人びとの神の新秩序への救出はありえません。
27 もしわたしたちがその新秩序をほんとうに欲しているなら,黙示録で予見されているどんな人びとのひとりでありたいと願いますか。
27 『義の住むところの新しい天と新しい地』で成る神の新秩序へのそのような救出をわたしたちは欲していますか。わたしたちはそうした輝かしい救出にあずかるに足る者であることを実証する覚悟をかため,また実証するよう努力していますか。正しい天の統治を受けて,広大な園と化してゆく地上で完全な健康に恵まれた幸福な正しい生活をしたいとせつに願う人は,きたるべきその「大かん難」を生き残る人びとのひとりになりたいと思われるでしょう。「速かに起るべき」事がらにかんする黙示を収めた,聖書巻末の書は,その世界的な「大かん難」を生き残る,あらゆる国・部族・民族・国語からの人びとの「大なる群衆」が神の保護と恵みのもとにその「大かん難」から出てくるさまをさし示しています。
28,29 そのかん難の生残者たちに関する黙示録の説明によれば,彼らはだれを崇拝し,また救いのためのどんな備えを受け入れますか。
28 生残者たちのその群衆にかんする説明からすれば,それらの人びとは,宇宙主権者として宇宙の御座に座しておられる,ただひとりの真の神の崇拝者であることがわかります。注目すべきもう一つの点は,彼らは神のみ子によって備えられた贖いの犠牲を受け入れているということです。そのみ子は,「世の罪」のために,きずも罪もない小羊のようにささげられました。このことに留意しながら,次のことばに耳を傾けてください。
29 「[彼ら]大声に呼はりて言ふ『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』……『かれらは大なる〔かん難〕より出できたり,羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。この故に神の御座の前にありて昼も夜もその聖所にて神に事ふ』」― 黙示 7:9-15〔新〕。ヨハネ 1:29,36。
30 この幻は『大いなる群衆』が,新秩序の特色となっている何を支持していることを示していますか。また,彼らは何に至る道を歩んでいるということがわかりますか。
30 この預言的なことばからすれば,献身してバプテスマを受けたこの「大なる群衆」は,小羊イエス・キリスト,およびあの天的な嗣業を継ぐべく「新に生れ」た14万4,000人の忠実な弟子から成る神の「新しい天」を確かに支持していることがわかります。(黙示 7:1-8; 21:1-14)彼らは「羔羊の血」で衣を洗って,死をもたらす罪を洗い去ってもらいます。そうすることによって,新しい天により地球全体が美化されてエデンの園のようになるこの地上での永遠の命に通ずる道を歩むのです。
31 そのかん難を生き残るこの『大いなる群衆』は,新秩序の特色を成すどんなものの基礎を形成しますか。
31 事実,かん難を生き残るこの「大なる群衆」は,神の創造物である「新しい地」の基礎としての役割を果たします。彼らはそのかん難の始まる前の今でさえ,滅びに定められた古い「地」から,つまり悪魔に制御される今日の人間製の事物の体制を固守する現代のこの世的な人類社会から別れています。ゆえに大かん難によってこの古い「地」が取り除かれたのち,それら生残者は新しい天のもとに組織される社会の基盤となるでしょう。こうして,人類家族は新秩序で新たな門出を迎えます。
32 そのかん難が終わり,サタンが束縛されたのち,「新しい地」はどのようにして増大し,広がりますか。
32 大かん難が終わり,サタン悪魔とその使いである悪霊たちが底なき所に監禁されたのち,この「新しい地」は疑いもなく,生まれ出る相当数の人間によって増大し,広げられてゆきます。が,そうした仕方だけで増大するわけではありません。なぜなら,小羊イエス・キリストは単にそれらかん難の生残者とその子孫のためだけに死なれたのではないからです。イエス・キリストは人類の『世の罪を除く神の小羊』であり,「凡ての人の〔ための対応する〕贖価」としてご自身をお与えになったのです。そして,完全なアダムと同等の人間であられたゆえに,『万民のために死を味わう』にふさわしい者とされました。(テモテ前 2:5,6〔新〕。ヘブル 2:9)19世紀前に死なれたこの小羊の恩恵にあずかれる人類家族の圧倒的大多数の人間はすでに死にました。それらの人びとはキリストの死の贖いの価値の恩恵にどのようにして実際にあずかるのでしょうか。驚くべき奇跡によってです。つまりイエス・キリストと栄光を受けたその会衆,すなわち「新しい天」による千年統治の期間中に死人の中から復活させられることによって恩恵にあずかります。
33,34 (イ)王としてのイエス・キリストが行なう復活のわざは,地上で生活しておられた当時になさったものとどのように異なりますか。(ロ)かん難を生き残る『大いなる群衆』は,復活させられる人たちに対して何を行なう機会に恵まれますか。
33 イエス・キリストは完全な神の子として地上におられた当時,何人かの人を復活させましたが,それらの人は後日,その世代のうちに死にました。しかし,王イエス・キリストがその千年統治の期間中に,贖われた人類を復活させる場合は,全地におよぶエデンの楽園で永遠に生きられるよう,それらの人を復活させるのです。永遠に生きられるかどうかは,復活させられる人の態度いかんにかかっています。その正しい「新しい地」の成員になることをよしとしますか。それとも,現在のこの事物の体制の中で追い求めた以前の悪の道に戻りますか。この後者の道を取る人たちは裁かれて,人間としての完全性と神聖さとを備えた永遠の命の賜物を得るに値しない者として有罪の宣告を受けるでしょう。
34 裁きという問題について話したイエス・キリストが,「墓にある者みな神の子の声をききて出づる時きたらん。善をなしし者は生命に甦へり,悪を行ひし者は審判に甦へるべし」とおっしゃったのはそのためです。(ヨハネ 5:27-29)「新しい地」の営みを開始する「大なる群衆」は,それら復活させられる人たちを助けて,彼らの復活が有罪の宣告を受ける結果に終わらないよう援助できるでしょう。
35 西暦1914年以来起きてきた事がらを預言されたイエス・キリストは,どんな正しい態度を取るべきことをご自分の弟子たちに告げましたか。
35 わたしたちが生きているこの時代はなんと異常なまでにすばらしいのでしょう。最初の世界戦争の勃発を見た西暦1914年以来,著しい,しかしきわめて重大な事がらが起きてきました。イエス・キリストはそうした事がらを,この古い事物の体制の終結をしるしづけるものとして予告されました。その真の弟子たちすべてがこの時代において取るべき正しい態度について語ったイエスは,こういわれました。「これらのことが起こり始めたら,身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。なぜなら,あなたがたの救出が近づいているからです」。―ルカ 21:28,新。
36 そのことから考えて,わたしたちはどんな特権にあずかるにふさわしい者であることを実証したいと願いますか。わたしたちは何を行なうよう決意すべきですか。
36 神の新秩序へのこの救出は,わたしたちの多くがそれら預言された事がらの「起こり始め」るのを初めて見た時よりも今はずっと近づきました。わたしたちがこの待望の救出を経験するにふさわしい者であることを実証するのに今は確かに一刻の猶予も許されません。今やわたしたちには,二度と繰り返されることのない機会が差し伸べられています。わたしたちは意を決してその機会をとらえるとともに,「新しい天と新しい地」で成る神の新秩序への,間近に迫った人類の救出について,義を愛する他の人びとすべてに宣明します。
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命を尊んだ初期クリスチャンものみの塔 1972 | 4月15日
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命を尊んだ初期クリスチャン
古代ローマの世界は流血行為を楽しんでいた。しかしながら,「ローマのカタコーム(地下墓地)」と題する本の中でW・H・ウイスローは次のように指摘している。「[初期クリスチャンは]人命に新たな尊厳さを付与し,胎児をおろす異教の習慣を殺人行為として公けに非とすることさえした。幼児を捨てて殺すことは異教徒の間で広く一般に見られた恐るべき慣行であり,プラトンやアリストテレスさえこうした事実を認めた。われわれは当時のクリスチャンがそのような捨て子を死から救ったり,あるいはさらに恐ろしい運命である堕落の一生から救い出して,優しい博愛の精神を示した証拠を持っている。当時のクリスチャンはまた,『自殺』を非とする全能者の規範の正しさを力説したが,その罪悪を異教徒は美徳として称揚さえした。その全能者の規範は,ヨブの場合のように辛抱強く忍耐することは,カトーの自害以上により高尚な勇気を表わすものであると教えている。
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妻と子供たちはすっかり変わっていたものみの塔 1972 | 4月15日
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妻と子供たちはすっかり変わっていた
ギリシア人の一家族が南アフリカに移住しました。その移住先で,妻はエホバの証人から伝えられた聖書の真理の音信に非常な関心をいだくようになりました。その後ほどなくして,妻と子供たちは病気の両親を助けるためにギリシアに戻らなければならなくなりました。ギリシアに向けて発つ前に夫は妻に,子供たちをギリシア正教会の教えに従って養育するようにと堅く言い渡しました。しかしギリシアに戻った婦人はエホバの証人との聖書研究をつづけ,聖書の教えにかんする知識の面で急速に進歩しました。今や学んだ事柄を熱意をこめてしたためた手紙が夫のもとに届くようになりました。そこで夫は,「手おくれにならないうちに,妻が関係していることを全部やめさせるため」ギリシアに戻ることにしました。
ギリシアに戻った夫を迎えたのは,大きな変化を遂げた非常に幸福な家族だったのです。以前,妻は人のうわさをふれ回っては問題を起こす手に負えない女でしたが,今やみんなに好かれ,尊敬される女性になっていました。そして,まるで始末に負えなかった子供たちは,今やたいへん礼儀正しい子供になっていました。言うまでもなく,夫はそうした事態すべてに驚くとともに喜びました。にもかかわらず,夫は依然,妻の宗教に関して事態を正さなければならないと考えていました。
そこで,妻の聖書を持ち出して,教会の聖書と妻のそれとの違いを見つけるために村の教会に出かけて行きました。違う点は何も見いだせませんでした。実際のところ,問題を調べているうちに,イェホバ(エホバ)の名を教会の聖書の中に見いだした夫は,司祭がその名をなぜただの一度も指摘しなかったか不思議に思い,すっかり考えさせられて,家に戻りました。そして,「おまえの宗教は良い宗教だ。おまえが妻として私にいつも忠実であってくれることと子供たちがこれまでになく良くなってくれたことを私は今よくわかった。この宗教をこれからも続けなさい。そして私にも何か読ませてほしいものだ」と妻に言い,次いで南アフリカに戻った夫もエホバの証人とともに聖書の研究を始めました。
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