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    ものみの塔 1972 | 8月15日
    • エホバによる救出の目的を逸しないでください

      「彼とともに働きつつ,わたしたちはまた,神の過分の親切を受け入れながら,その目的を逸することがないようにとあなたがたに懇願します」― コリント後 6:1新。

      1 使徒パウロはエホバの過分の親切をどのように受け入れましたか。なぜ彼はそれをありがたく思いましたか。

      エホバの過分の親切について述べた使徒パウロは,経験に基づいて語っていました。自らもエホバの過分の親切を受け入れたパウロは,それをほんとうにありがたく思いました。パウロは事実,エホバの真のしもべたちを迫害する使命を帯びて目的地に向かう途中でエホバの過分の親切を施されましたが,パウロは良い心,つまりよく受け入れる心の持ち主だったので,エホバの親切をすぐその心に受け入れることができました。(使行 9:1-30)パウロは次のように書いて,ガラテヤの諸会衆の人たちとともに,自分の以前の行状を回顧しました。「我がユダヤ教に於けるさきの日の挙動は,なんぢら既に聞けり,即ち烈しく神の〔会衆〕を責め,かつ暴したり。又わが国人のうち,我と同じ年輩なる多くの者にも勝りてユダヤ教に進み,わが先祖たちの言伝に対して甚だ熱心なりき」。(ガラテヤ 1:13,14〔新〕)しかしパウロはエホバの過分の親切により,聖書に基づかない先祖伝来の言伝から救出されました。そして,以前の生き方を悔い改め,新たな歩みを始めました。

      2 過分の親切によってどんな特権がパウロのために開かれましたか。彼はそれにどう応じましたか。

      2 ガラテヤ書 1章15,16節〔新〕を読むと,パウロはエホバ神の過分の親切によりクリスチャンの奉仕の務めに携わるよう召されたことがわかります。彼は言いました。「母の胎を出でしより我を選び別ち,その〔過分の親切〕をもて召し給へる〔神〕,御子を我が内に顕して其の福音を異邦人に宣伝へしむるを可しとし給へる(なり)」。彼はまた,自分が奉仕の務めに携わるよう召されたのは過分の親切によるものであることをエペソの人たちに次のように確証しました。「我はその福音の〔奉仕者〕とせらる。これ神の能力の活動に随ひて賜ふ〔過分の親切〕の賜物によるなり。我は凡ての聖徒のうちの最小き者よりも小き者なるに,キリストの測るべからざる富を異邦人に伝へ(る)……〔過分の親切〕を賜はりたり」。(エペソ 3:7-9〔新〕)パウロは自分に差し伸べられた奉仕の務めに携わって一生懸命働くことにより,エホバの過分の親切に対する感謝のほどを表わしました。ですから,クリスチャンの奉仕の務めの点で自分の模範に従うよう他の人に勧めることができたのはまさに当然と言わねばなりません。―コリント前 11:1。

      コリントの人たちは見方を変える必要があった

      3,4 パウロがコリントの人たちに,エホバの過分の親切を逸すべきでないことについて書き送るもっともな理由がありましたか。説明しなさい。

      3 パウロがエホバによる救出とその過分の親切についてコリントの人たちに書き送るにはもっともな理由がありました。コリントのクリスチャンの中にはエホバの過分の親切の目的を逸した人がいたようです。古代のコリントは,みだらな性崇拝を含む,偽りの女神アフロディテの崇拝で悪名高い堕落した都市として知られていました。もちろん,コリントのクリスチャンは大いなるバビロンのそうした崇拝への隷従から救出されていましたが,会衆内のある人たちはうっかりして再び不道徳に陥り,エホバによる救出の目的を逸していました。彼らはうかつにも環境に影響されて悪行をしだしたようです。パウロは述べました。「現に聞く所によれば,汝らの中に淫行ありと,而してその淫行は異邦人の中にもなき程にして,或人その父の妻を有てりと云ふ。斯てもなほ汝ら誇ることをなし,斯る行為をなしし者の除かれんことを願ひて悲しまざるか」― コリント前 5:1,2。

      4 ほかにもコリント会衆の中には,キリストにではなく人間に従いだした者もおり,そのために会衆内には分裂もしくは分派が生じていました。このことは,「わが兄弟よ,クロエの家の者,なんぢらの中に紛争あることを我に知らせたり」というパウロのことばからもわかります。(コリント前 1:11)主の会衆を分裂させていたそれらのクリスチャンもやはり,エホバによる救出とその過分の親切との目的を逸していました。

      5 コリントの会衆は使徒の助言にどのように応じましたか。

      5 コリント会衆にあてたパウロの最初の手紙は確かに,同会衆が自らを清めるのに助けとなりました。不道徳を行なっていた者たちは排斥されました。つまり,会衆から追い出されました。(コリント前 5:5,11)良い助言が与えられ,みな一致結束して愛のうちに働き,人間にではなくてキリストに従うよう訓戒されました。(コリント前 1:10)明らかに会衆はパウロの助言を心にとめました。というのは,コリント会衆にあてられたその第二の手紙の中で彼らは賞賛と激励のことばを受けているからです。そしてパウロはコリント後書 13章11節〔新〕で次のように結びのことばを述べています。「終に言はん,兄弟よ,汝ら喜べ,全くなれ,慰安を受けよ,〔考え〕を一つにせよ,睦み親しめ,然らば愛と平和との神なんぢらと偕に在さん」。

      現代における救出

      6 クリスチャンは今日,エホバの過分の親切の目的を逸してはならないというパウロの助言を熟考すべきです。その理由を説明しなさい。

      6 エホバの過分の親切を受け入れながらその目的を逸してはならないという,コリント人にあてたパウロの助言を今日,熟考するのは有益です。当時のコリントのクリスチャンが悪い影響に取り巻かれていたように,おおむねわたしたちも悪い環境の中で生活しなければなりません。わたしたちのまわりには,不道徳・盗み・うそをつくこと・不正をすることその他エホバ神に忌み嫌われることをならわしにする人が大勢います。もちろん,そのようなことをならわしにする人たちは真のクリスチャンではありませんし,わたしたち真のクリスチャンはそのようなことを捨て去りました。わたしたちは真理によってそうした悪事から解放されました。パウロが述べたとおり,「汝等のうちさきには斯のごとき者ありしかど……己を洗ひ,かつ潔め」たのです。(コリント前 6:11)エホバのクリスチャン証人としてのわたしたちは特に,この古い事物の体制の悪からはもとより,大いなるバビロンとその偽りの教理また伝統への隷従から救出されました。こうした救出およびそれに伴う自由は確かにエホバ神からの過分の親切によるものです。

      7 パウロは,キリストに関する知識やクリスチャンの奉仕の務めをパリサイ人の名声や富と比較し,どう評価しましたか。

      7 エホバの過分の親切によりパウロが当時の物質主義から救出されたのと同様,わたしたちもこの古い事物の体制の人びとのいだいている物質主義的傾向から救出されました。以前パリサイ人であったパウロ自身,正しい認識を示したりっぱな模範です。なぜなら,彼はパリサイ人の名声と富を喜んであとにしたからです。パウロは,こうした面で救出されてエホバの過分の親切を施されたことを見過ごしませんでした。パウロのことばはそのことを示しています。彼は,名声や富また生活を楽にするこの世の物を,エホバの過分の親切によって与えられた祝福と比較して,それこそくず,あるいはごみ同然のものとみなしました。こう書いています。「されどさきに我が益たりし事はキリストのために損と思ふに至れり。然り,我はわが主キリスト・イエスを知ることの優れたるために,凡ての物を損なりと思ひ,彼のために既に凡ての物を損せしが,之を塵芥のごとく思ふ。これキリストを獲(んが為なり)」。(ピリピ 3:7-9)そうです,パウロはクリスチャンとしての自由を善用しました。

      その目的を逸しないでください

      8 (イ)ここでどんな質問をするのは適切ですか。(ロ)ある人はどう答えますか。

      8 パウロの助言,また彼の残した良い模範を熟考するにあたって,次のように問えるでしょう。わたしたちは今日,自分の自由を用いて何をしていますか。パウロの良い模範に従っていますか。それとも,エホバによる救出の目的をもしかして逸していますか。ある人はこう答えるかもしれません。「エホバによる救出の目的をどうして逸することができるでしょうか」。また,ある人はこう主張するかもしれません。「私は清い生活をするよう心がけていますし,不道徳にはいっさい関係していません。私はたいていその集会に出席していますし,神の王国を定期的に宣べ伝えています。野外奉仕に毎月出ています」。

      9,10 (イ)あるクリスチャンはどんなまちがいをしますか。それは彼らの霊性に影響しますか。(ロ)ふたりの主人に仕えようとする場合,どんなことが起こりえますか。そのことを示す例をあげなさい。

      9 しかし,次のように考えてみましょう。あなたはエホバの証人の会衆と交わっているにしても,古い事物の体制とのあなたのきずなはどれほど強いものですか。古い体制とどれほど密接に関係していますか。中には,ふたりの主人に仕えようとする人がいるかもしれません。そのような人はキリスト・イエスの治める新しい体制を好み,そのために喜んで少しのことはしますが,実際には,サタン悪魔の配下の古い事物の体制のためにもっと一生懸命働いています。しかし,まちがってはいけません。イエスは,人はふたりの主人に仕えることはできないと述べて,こう言われました。「汝ら神と富とに兼事ふること能はず」。(マタイ 6:24)もし古い事物の体制との強いきずなを維持しているなら,新しい事物の体制とのきずなは非常に弱いということになります。もし古い体制とのわたしたちのきずなが強ければ,わたしたちは霊的に弱くて,奉仕の特権を捕えようとしてはおらず,エホバの今日の組織の中でクリスチャンとして進歩してはいないことになります。

      10 職場ですぐれた従業員として働いているクリスチャンの例を考えてみましょう。雇用者はその人を好ましく思っており,その熱心な働きを評価しています。また,彼が正直で,信頼できる人物であること知っており,そのために十分の給料を払います。その兄弟は自分の仕事を楽しんでおり,信頼されていることをうれしく思い,またわたしたちは「外の人にも令聞ある者」であるべきことを述べたテモテ前書 3章7節のパウロのことばを念頭に置き,このすべてはクリスチャンとしての自分の良い取り柄だと感じています。ところで何が起きますか。その兄弟に昇進の話が持ちかけられます。それはさらに多くの責任を引き受けることを意味し,今や仕事のために残業をしなければならなくなり,次いで,会衆の集会や野外奉仕に参加する時間に食い込むようになるかもしれません。それに自分個人の勉強や家族との勉強についてはどうですか。雇用者から課されるいっそう多くの責任を喜んで引き受ける人は,しばしばこうした事がらを犠牲にしなければなりません。

      11 物質上の所有物を重視しすぎる人はどんな危険に陥るおそれがありますか。

      11 これに似たことがあなたにも起きましたか。自分の仕事のために,エホバへの然るべき奉仕が妨げられていますか。雇用者からの評価をエホバによる評価以上に重視していますか。もし明日にも大いなるバビロンが滅ぼされ,その後まもなくこの古い事物の体制の残りの部分が滅ぼされるなら,あなたの立場はどうなりますか。その滅びを免れますか,それとも巻き添えになりますか。エホバの奉仕に関して清い良心を持っておられますか。

      12 (イ)物質上の所有物を持つのはそれ自体悪いことですか。なぜそう答えますか。(ロ)デマスはどんなまちがいをしましたか。

      12 サタンは物質上のものに対する愛を通して非常に巧みに働きかけます。もちろん,もし購入する余裕があり,しかもエホバ神を生活の中でなお第一にしているのであれば,りっぱな自動車や上等のテレビ,りっぱな家や種々の設備その他を持つのは何も悪いことではありません。しかし問題は,生活の中で物質のものを第一にしてエホバを第二にする人がいるのではないかということです。このことはパウロの時代の一部の人にも起こりました。パウロの同僚としてクリスチャンの奉仕の務めに携わったデマスのことが思い出されます。彼はコロサイの人たちにあてたパウロの手紙の中で,同地のクリスチャンにルカとともにあいさつを送りました。ところが後日,デマスはパウロとクリスチャンの奉仕の務めを捨てました。なぜですか。パウロはテモテに書き送りました。「デマスは此の世を愛し,我を棄ててテサロニケに往(けり)」。(テモテ後 4:10)ですから,パウロの時代でさえ,ある人びとはクリスチャンの奉仕の務めよりも物質上のものや世の快楽を愛するようになり,そのためにエホバの過分の親切の目的を完全に逸してしまいました。

      13 (イ)キリスト教世界の直面している問題の原因の一つは何ですか。(ロ)わたしたちはこのことから何かを学べますか。

      13 物質上のものに対する愛がエホバへの愛に先行するなら,この古い体制からのエホバによる救出の目的を確かに逸していることになります。そうだとすれば,わたしたちはやがて今日のキリスト教世界の背教したクリスチャンのようになるでしょう。彼らがいだいているかもしれないほんのわずかのキリスト教的精神も今や,物質上の所有物や世の快楽に対する彼らの愛で締め出されつつあるのです。キリスト教世界の諸教会の直面している問題を報じたアメリカの有名な雑誌は述べました。「宗教制度の遭遇している問題は敵意や分裂ではなく……物質的価値と不安でいよいよおおわれてゆく世界に見られるおびただしい無関心さだと言われている」。(USニュース・アンド・ワールド・リポート誌1970年3月23日号44ページ)ですから,それら背教したクリスチャンは物質上のものをもって神と置き替えて,それらを自分たちの神とし,そうした物質上の所有物を崇拝しています。もしエホバとその奉仕とに対するわたしたちの愛をさめさせ,物質上の所有物に対するこの古い体制の愛の影響を受けるなら,クリスチャンとしてのわたしたちにも同様のことが容易に起こりうるのです。

      古代の実例から益を得る

      14 (イ)西暦前537年にエホバがイスラエルをバビロンから救出された目的は何でしたか。(ロ)忠実なユダヤ人は当時何を行なうべきでしたか。

      14 生来のイスラエル人が昔のバビロンから救出されたことを回顧するのは有益です。その救出には目的がありました。エホバ神はご自分の真の崇拝がエルサレムで再興され,その神殿が再建されることを欲しておられました。事実,クロスが発布してエズラが記録した布告は,エルサレムとその神殿の再建のことを明確に述べています。「凡そ汝らの中もしその民たる者あらばその神の助を得てユダのエルサレムに上りゆきエルサレムなるイスラエルの神の室を建ることをせよ彼は神にましませり」。(エズラ 1:3)それで,忠実なユダヤ人は昔のバビロンを去ってエルサレムに戻り,そこでエホバの神殿と都を再建し,エホバの律法を民に読んで聞かせるわざに着手すべきでした。そして,エホバの律法の命ずるとおりエホバに犠牲をささげ,また真の崇拝に関する要求全部を学んで,それに従うべきでした。

      15,16 (イ)ユダヤ人の残れる者にとってエルサレムとユダヤに戻るのは容易なことでしたか。説明しなさい。(ロ)多くのユダヤ人はどんな事がらのためにエルサレムに戻るのを妨げられたと考えられますか。

      15 それは忠実なイスラエル人にとって容易な割当てでしたか。決してそうではありません。そのすべては努力しつらい仕事を伴うものでした。それにはバビロンの気持ちのよい家での安楽な生活や,おそらくその地での良い仕事をあとにして,半砂漠の土地を長期間旅行しなければならず,また崩壊した都市にはいって自分たちのための家を建てなければなりません。それらの家は自分たちのかつて住んでいた,もっと近代的なバビロンの居ごこちのよい家とは確かに異なっていました。食べ物は乏しく,その種類はごく少なく,生活はそう容易ではありませんでした。真の崇拝を第一にした当時のユダヤ人にとって,それは確かにかなり困難な歩みでした。

      16 一方,当時のバビロンを愛するあまり,エホバによる解放の真の目的を逸した人もいたでしょう。それらの人は大いなる都バビロンにある自分たちの住みごこちのよい家や良い仕事が気にいって愛着を感ずるあまり,それをあとにしてエルサレムに戻りたいとは思わなかった人もいたでしょう。当時のバビロンにあまり落ち着きすぎて,そこを出ることなど考えられなかったかもしれません。そのうえ,仕事の関係でバビロン人の良い友人を持っていたかもしれず,あるいは申し分のない事業に自分たちの時間の大半を費やしていたので,それを手離してエルサレムに戻り,いわば始めからまたやり直しをすることなど好まなかったかもしれません。そうです,それは真の崇拝がエルサレムに再興されるのを見る特権よりも物質上の所有物を重視したそれら一部のユダヤ人にとってはたいへんわびしい見通しだったかもしれません。

      17 (イ)ユダとエルサレムに戻った忠実な残れる者をだれが助けましたか。(ロ)それら忠実なユダヤ人はどんな祝福と特権を享受しましたか。

      17 しかし,エホバによるバビロンからの解放を感謝した人たちにはエホバがともにいてくださり,彼らはその助けを得ました。エズラはこう述べています。「是にユダとベニヤミンの宗家の長 祭司 レビ人など凡て神にその心を感動せられし者等エルサレムなるエホバの室を建んとて起おこれり」。(エズラ 1:5)そうです,エホバはバビロンからの解放とご自分の過分の親切を感謝したそれら忠実な人たちとともにおられました。彼らはエホバの助けを得て,エルサレムで真の崇拝を再興することができました。それは彼らにとってすばらしい特権でした。真の崇拝が再び確立されるのを見た彼らはまさに歓喜しました。記録はこう述べます。「そのエホバを讃美する時に民みな大声をあげて呼はれりエホバの室の基礎を据ればなり されど祭司 レビ人宗家の長等の中に前の室を見たりし老人ありけるが今この室の基礎をその目の前に置るを見て多く声を放ちて泣り また喜悦のために声をあげて呼はる者も多かりき」。(エズラ 3:11,12)一方,真の崇拝の回復よりもバビロンにある自分たちの家や良い仕事を愛した人たちは,エルサレムで真の崇拝を回復するこのすばらしい特権を得そこないました。

      18 今日の場合,何が関係しているので問題はいっそう重大な事がらとなっていますか。どんな質問が提起されていますか。

      18 しかしながら,この問題は今日なおいっそう重大な事がらとなっています。単に奉仕の特権を得そこなう以上のことが,つまり今日の場合,命が関係しています。大いなるバビロンが滅ぼされるとき,そこから出ることは手おくれとなります。大いなるバビロンや古い体制の残りの部分に頼る人は,それとともに滅びます。それで,お尋ねしますが,あなたはどんな立場に立っておられますか。世俗の仕事あるいは物質上の所有物を依然として真の崇拝に優先させながらエホバに仕えることができると考えておられますか。

      19 コリント後書 13章5節のパウロの助言にどのように従えるかを説明しなさい。そうすれば,何がわかる場合がありますか。

      19 今は,「なんぢら信仰に居るや否や,自ら試み,自ら験しみよ」というコリント後書 13章5節のパウロの助言に留意すべき時です。腰をおろして自分の活動計画を検討してみてはいかがですか。自分の時間についてはどんなことがわかりますか。世俗の仕事や物質上の所有物の世話に時間の大半を取られていますか。もしエホバから求められる場合,物質上の所有物を今直ちに捨てるのは,あなたにとって困難ですか。もしそうであれば,あなたは非常に危険な立場に立っています。今やあなたの命が危うくなっているのです!

      20 (イ)ここでイエスのどんな助言を考慮するのは非常に時宜を得ていますか。(ロ)したがって,何をするのは適切ですか。

      20 確かに今は,エホバの組織内のわたしたちの恵まれた立場を失うべき時ではありません。この邪悪な体制がいつ「大かん難」に襲われて滅ぼされるかを正確に知っている人はいません。わたしたちは覚悟していなければなりません。イエスは言われました。「汝等みづから心せよ,恐らくは飲食にふけり,世の煩労にまとはれて心鈍り,思いがけぬ時,かの日羂のごとく来らん。これは遍く地の面に住める凡ての人に臨むべきなり。この起るべき凡ての事をのがれ,人の子のまへに立ち得るやう,常に祈りつつ目を覚しをれ」。(ルカ 21:34-36)したがって,わたしたちはみな,立ち止まって自分の信仰を試し,それが強いかどうか,また自分が霊的に目ざめているかどうかを確かめてみるのは適切なことです。それから,もし必要なら,エホバによる救出とその過分の親切に対する感謝を表わせるよう,自分の考え方を改めるべきです。

  • エホバによる救出を感謝する
    ものみの塔 1972 | 8月15日
    • エホバによる救出を感謝する

      1 (イ)エホバは今日,ご自分のしもべたちにどんな救出を経験させておられますか。(ロ)西暦前537年に行なわれたエホバによるイスラエルの救出の目的は何でしたか。現代のエホバのしもべたちが救出されたのはなぜですか。

      救出! 自由! それはとらわれ,もしくは奴隷の身の人にとってすばらしい事がらです。真のクリスチャンは今日,救出,つまり大いなるバビロンおよびサタン悪魔の支配するこの古い体制への隷従からの救出を経験して歓喜しています。(コリント後 4:4,新)そのようなクリスチャンは真の霊的自由を享受します。それは神のみことば聖書の真理によって自由にされるからです。(ヨハネ 8:32)エホバのしもべたちが今日享受している,霊的束縛からの自由にあずかるのはすばらしい経験です。しかし,わたしたちは忠節なしもべとしてどうすれば,エホバによる救出をほんとうに感謝していることを表わせますか。今日享受しているこの自由をどうすれば固守できますか。それには,昔のイスラエルが経験させられた救出の目的を思い起こすのは良いことです。それは何でしたか。それはエルサレムにエホバの神殿を再建し,真の崇拝を回復することでした。同様に今日,エホバはわたしたちを大いなるバビロンから救出し,真の崇拝を行なえるようにしておられるので,わたしたちはエホバのみ名をたたえ,エホバから授けられる奉仕の務めに携わってそのみ名を知らせることができます。(ロマ 10:13-15)それで,エホバの真の崇拝およびクリスチャンの奉仕の務めに関連して,エホバによる救出に対する心からの感謝を表わすのに助けとなることが幾つかあります。少しの時間を費やして,それらの事がらをもう一度考慮してみましょう。

      正しい精神的態度

      2 パウロはクリスチャンの奉仕の務めに関してどんな態度を取りましたか。

      2 クリスチャンの奉仕の務めに関して使徒パウロは正しい精神的態度を持っていました。彼は奉仕の務めを享受し,その面で良い模範を示すよういつも努めました。「我等この職の謗られぬ為に何事にも人を躓かせず。反って凡ての事において神の〔奉仕者〕のごとく己をあらはす」とあります。(コリント後 6:3,4〔新〕)次いでパウロは,かん難・窮乏・困難・殴打・投獄・騒動・労苦・眠られぬ夜・食物の欠乏など,自分の耐え忍んだ多くの事を指摘しています。しかしパウロは首尾一貫良い精神的態度を保ちました。エホバによる大いなるバビロンからの救出に対する真の感謝を表わしたいなら,わたしたちが良い精神的態度を持つのは非常に大切です。

      3 (イ)「態度」ということばはどのように定義できますか。(ロ)わたしたちの態度はどんな点で積極的であるべきですか。どんな点では消極的であるべきですか。

      3 ある英語の辞書は,態度を「気持ち,あるいは確信を示す動作」もしくは「個人・集団・対象・状況または価値に対して積極的あるいは消極的に行動する根強い性向」と定義しています。このことからすれば,確かにあなたの精神的態度はあなたの気持ちや確信を示すものといえます。ところで確信といえば,あなたは真理を持っていることをほんとうに確信しておられますか。大いなるバビロンが倒れたことを確信していますか。古い体制はエホバにより滅びに定められており,それに頼ったところで何にもならないことを確信しておられますか。もしそのような確信をいだいておられるなら,新しい事物の体制やエホバの組織に対するあなたの精神的傾向は積極的なものであるはずです。エホバの王国に対しても積極的であるべきです。そのような精神的傾向は,クリスチャンの奉仕の努めに対する態度を含め,わたしたちの行動に現われます。それでわたしたちはパウロのように奉仕の務めを遂行してゆきます。このことについて彼は書きました。「それ我らの福音の汝らに至りしは,言にのみ由らず,能力と聖霊と大なる確信とに由れり。且われらが汝らの中にありて汝らの為に如何なる行為をなししかは,汝らの知る所なり」。(テサロニケ前 1:5)もしわたしたちの精神的傾向が神の王国と神の新体制に対して積極的なものであれば,それはこの世とその物質主義的な魅力のある事物に対しては消極的でしょう。

      4 (イ)イエスはわたしたちが見習えば益となるどんな精神的態度を持っておられましたか。(ロ)物質の面で富んでいる人たちに対してどんな適切な助言が与えられていますか。

      4 パウロは,キリストがいだいた精神的態度を見習うよう勧めました。「それで,忍耐と慰めとを供される神が,あなたがたがキリスト・イエスと同じ精神的態度を互いの間で持てるようにしてくださいますように」。(ロマ 15:5,新)エホバの王国とエホバのわざに対するイエスの気持ちは非常に積極的なものだったので,父の意志を行なうことは自分にとっては食物のようであると言われたほどでした。(ヨハネ 4:34)イエスはまた謙遜という精神的態度,つまりへりくだった思いを持たれました。わたしたちもその良い態度を見習い,「畏れ戦きて」努力し,自分の救いを遂げるよう,パウロは勧めています。(ピリピ 2:5,12)このような正しい精神的態度があれば,物質上のものを豊かに持っている人でも,そうした物質に頼ったり,あるいは物質の面で富んでいるからといってエホバの組織内のしもべたちに影響を及ぼせるなどと考えたりしないように助けられるでしょう。むしろ,そのような兄弟たちは謙遜になり,王国の関心事を促進するために物質上の所有物を用いるでしょう。テモテ前書 6章17-19節でパウロは,物質上のものを豊かに持っている人たちに良い助言を与えています。「汝この世の富める者に命ぜよ。高ぶりたる思をもたず,定めなき富を恃ずして,唯われらを楽ませんとて万の物を豊に賜ふ神に依頼み,善をおこなひ,善き業に富み,惜みなく施し,分け与ふることを喜び,斯て己のために善き基を蓄へ,未来の備をなして真の生命を捉ふることを為よと」。ですから,わたしたちはみな,正しい精神的態度を持てば,クリスチャンの奉仕の務めの重要性,またエホバ神に密接につき従い,古い事物の体制ではなく神の新しい事物の体制および神の王国を支持する必要性を認めるよう助けられます。

      愛

      5 わたしたちはわたしたちの父エホバに対する愛を示すべきです。その理由を説明しなさい。

      5 エホバによる救出に対する真の感謝を表わすには,わたしたちの神エホバに対する愛も肝要です。エホバはわたしたちに愛を示す点で率先されました。エホバはご自分のみ子を贖い人として供されましたが,そのかたこそ大いなるバビロンおよびこの古い事物の体制の残りの部分からのわたしたちの救出の基礎となっています。ですからエホバは書きました。「我らの愛するは,神まづ我らを愛し給ふによる」。(ヨハネ第一 4:19)それで,エホバがまず最初にわたしたちに愛を示されたのですから,それに答えてわたしたちもエホバに対する愛を示すべきです。父をほんとうに愛する子は父について語るということにお気づきですか。その子は父にしてもらった数々の良いことを語ります。父に決して感謝せず,万事あたりまえと考えて,いつもさらに多くをねだる,感謝を知らない無情な子どものようにはなりません。

      6 エホバに対する愛は何を要求しますか。語る面で率直であるとはどういう意味ですか。

      6 ヨハネは,わたしたちがわたしたちの父に対する愛を持つクリスチャンとしてエホバの掟を守るべきことを示しています。ゆえに,わたしたちの父エホバをほんとうに愛しているなら,わたしたちは,全地で宣べ伝え,また教えよというその命令を守ります。(マタイ 24:14; 28:19,20)したがって,愛のある子どもとしてわたしたちは,エホバとそのみ子を信ずる人たちのためにエホバが行なわれる良い事がらについて語ります。「神の誡命を守るは即ち神を愛するなり,而してその誡命は難からず」。(ヨハネ第一 5:3)まさにそのとおりです。エホバの良い事がらについて語り,その命令に従って,エホバに対する愛を示すのは喜びではあっても重荷ではありません。クリスチャンは天の父エホバについて率直に語るべきです。パウロは,語る面でのこうした率直さをしっかり保つため注意するよう戒めて,こう書きました。「ですから,語る面でのあなたがたの率直さを投げ捨ててはなりません。それには当然与えられる大きな報いがあります」。(ヘブル 10:35,新)それで,確かにわたしたちは,エホバについて,またエホバを愛し,エホバとそのみ子を信ずる人びとにエホバが約束しておられる祝福について率直に語ることにより,エホバによる救出に対する感謝を表わせます。

      悪い交わりを断つ

      7 世の人びとはクリスチャンにとってなぜ悪い友ですか。

      7 エホバによる救出に対する感謝を表わす別の肝要な事がらは,悪い交わりを断つことです。この古い事物の体制の人びとは悪い友です。彼らはエホバを愛しません。もしエホバを愛しているなら,エホバに仕えているはずです。この古い体制の人びとはたいていお金や物質のもの,この体制が与えうるものすべてを愛します。また,不道徳で邪悪な事がらを喜ぶ人は大勢います。それらの人はエホバにも,またその新体制を律する原則にも全然関心がありません。もしかして,エホバのしもべたちの中にそのような友を持ち,仕事の関係でそうしたこの世の人たちとのつき合いを続けている人がいるかもしれません。しかしそれは非常に危険な歩みです。

      8 コリント前書 15章33節の助言に留意しないクリスチャンには何が起こるおそれがあるかを説明しなさい。

      8 クリスチャンのエホバの証人は,エホバを愛していない人びとといったいどうして交わる必要があるのですか。そのような人と交われば,やがて彼らと同様に物事を考えはじめ,物質上のものを霊的な関心事に優先させるようになります。コリント前書 15章33節(新)のパウロのことばの真実性は否定できません。彼は書きました。「誤導されてはなりません。悪い交わりは有益な習慣をそこないます」。もし仕事の関係でこの世的な交わりを続けるなら,そうした悪い交わりはついには,クリスチャンの奉仕の務めの上での有益な習慣を必ずそこないます。個人の勉強や集会に出席する良い習慣は忘れられてしまいます。コリント後書 6章14節のパウロの助言も適切です。「不信者と軛を同じうすな,釣合はぬなり,義と不義と何の干与かあらん,光と暗と何の交際かあらん」。エホバがわたしたちに施してくださった救出をほんとうに感謝しているなら,わたしたちは配偶者あるいは仕事の上でのいわゆる「友人」を通してであれ,いかなる点でも不信者とくびきを同じくしたいとは思いません。手おくれにならないうちに今直ちに悪い交わりを断つのはまさに急を要します。もしそうするなら,エホバによる救出とそれに伴う霊的な自由の益を十分に生かせます。

      エホバに信頼する

      9 物質上の所有物を信ずるのはなぜ賢明ではありませんか。

      9 わたしたちはまた,エホバに信頼し,エホバにたよることによって,わたしたちに施された救出に対する感謝を表わせます。この古い体制はエホバを信じてはいないので,それを支持する人たちは自分たちの物質上の所有物に信頼しています。あなたも物質上の所有物を信質していますか。それを入手しようと始終心配していますか。また,ひとたび入手するや,それを固守するのに腐心しますか。もしそうであれば,それら物質上の所有物に何をしてもらいたいと望んでいますか。詩篇 49篇6,7節のことばを思い起こすのは常に賢明なことです。「おのが富をたのみ財おほきを誇るものたれ一人おのが兄弟をあがなふことあたはず之がために贖価を神にさゝげ(ることあたはず)」。さらに10節はこう付け加えています。「その富を他人にのこすことは常にみるところなり」。

      10 (イ)王国の関心事を第一にする人たちにエホバは何を約束しておられますか。(ロ)エホバが昔そのような約束をどのように守られたかを述べなさい。

      10 クリスチャンは,単に神が存在するというだけでなく,賢明にも王国の関心事を生活の中で第一にする人たちに神は必要なものを備えてくださることをも信じなければなりません。わたしたちはエホバがそうしてくださることを知っています。なぜなら,エホバはそうしてくださるとイエスが言われたからです。マタイ伝 6章でイエスは,神が草木や鳥をいかによく顧みておられるかについて述べ,次いでこう言われました。「神はかく装ひ給へば,まして汝らをや,ああ信仰うすき者よ」。そこでイエスは,「さらば何を食ひ,何を飲み,何を著んとて思ひ煩ふな。是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。まづ神の〔王国〕と神の義とを求めよ,然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし」とさとされました。(マタイ 6:30-33〔新〕)エホバのこの約束を忘れないでください。信仰を表わし,エホバに頼ってください。エホバは決してご自分の民の期待に背かれません。わたしたちが王国の関心事を第一にすれば,エホバはわたしたちの必要とするものを備えてくださいます。エホバは昔のご自分の忠実なしもべたちを,彼らの必要とするものをもって祝福されました。(マラキ 3:10)西暦前537年にバビロンから救出されてエルサレムに戻ったイスラエル人は苦しんだわけではありません。エホバは彼らが十分の衣食住に恵まれるよう取り計らわれました。エズラは述べました。「その周囲の人々みな銀の器 黄金 貨財 家畜および宝物を予へて之に力をそへ この外にまた各種の物を誠意より献げたり」。(エズラ 1:6)もしわたしたちが真の崇拝と王国の関心事とを生活の中で第一にするなら,エホバは今日ご自分のしもべたちに必要なものを備えると約束しておられます。それで,エホバに信頼し,王国の関心事を第一にしつつ,物質上の必要についてはエホバに頼ることによって,エホバによる救出に対する感謝を示してください。

      霊的な事がらを認識しなさい

      11 イエスが霊的な事がらを認識しておられたことはどうしてわかりますか。

      11 また,霊的な事がらに関する認識を培うのも賢明なことです。もし正しい精神的態度を持ち,またエホバに信頼しているなら,それは可能です。わたしたちはイエスが霊的な事がらを認識しておられたことを思い起こします。イエスは,人はパンだけではなくて,「〔エホバ〕の口より出づる凡ての言に」よって生きると言われました。(マタイ 4:4〔新〕)それで,エホバのみことば聖書に述べられているエホバからのことばは重要であり,わたしたちはそれを認識しなければなりません。

      12 霊的な事がらに関するこの世的な人びとと真のクリスチャンの見方を説明しなさい。この点でどんな助言が適切ですか。

      12 この古い体制の人びとは霊的価値に対する愛をほとんど持っていません。パウロはこのことに言及して書きました。「しかし,肉的な人は神の霊の事がらを受け入れません。それは彼には愚かなことだからです。そして,彼はそれを知るようになれません。なぜなら,それは霊的にわきまえられるものだからです」。(コリント前 2:14,新)しかしながら,次の節(15節)でパウロは,クリスチャンは霊的な事がらを愛する霊的な人であるべきことを示しています。なぜなら,パウロは,「霊的な人は実際すべての事がらをわきまえます」と述べているからです。生活の中で霊的価値を強調すれば,物質上の所有物もしくは快楽に対する愛のわなにとらわれずにすみます。この点で詩篇作者のことばはたいへん適切です。「わが心をなんぢの証詞にかたぶかしめて貪利にかたぶかしめ給ふなかれ」― 詩 119:36。

      13 わたしたちの会話はわたしたちについて何を明らかにするものですか。それで,どんなことが勧められていますか。

      13 わたしたちの会話すら,話者のほんとうに愛しているものは何か,それは物質上の所有物か,それとも霊的価値かを表わす場合がよくあります。開拓者として全時間の奉仕の務めに携わるクリスチャンはもとより,真の開拓者精神を持つ他の大勢の人たちは,毎週行なわれる会衆の集会でエホバのみことば聖書から学ぶ新しい事がらについて話し合うのを好むということにあなたはお気づきですか。あるいは,それらの人は野外の奉仕で得た楽しい経験や会衆内の新しいかたがたの霊的進歩についてしばしば語るものです。その生活はエホバへの奉仕であふれるばかりに満たされています。彼らはエホバへの奉仕を,そして霊的な事がらを愛していますから,物質上の所有物や快楽について語ることはまずありません。そのようなクリスチャンの兄弟姉妹は,正しい事がらを認識する点ですれぐた模範です。ですから,霊的な事がらに関する認識をいっそう培い,奉仕の喜びや神のみことば聖書から学ぶ良い事がらについて語るのはよいことです。それは確かに,わたしたちがエホバによる救出およびエホバが授けてくださる自由を認識していることを示すのに助けとなるからです。―詩 34:1。

      奉仕の特権を得ようと努めなさい

      14 (イ)ヨハネ第一書 2章16,17節のヨハネのことばを信じていることを生活の上でどのように示せますか。(ロ)クリスチャンは霊的に進歩するには,何を行なうべきですか。

      14 最後に,わたしたちはサタンの組織における昇進よりもむしろエホバの組織における奉仕の特権を得べく努めるよう勧められています。ヨハネ第一書 2章16,17節〔新〕の「世と世の慾とは過ぎ往く(なり)」と述べたヨハネのことばをほんとうに信じていますか。ヨハネの述べたことをほんとうに信じているなら,滅びようとしている世でどうしていっそうの昇進を求めたりするでしょうか。もしそうするとすれば,それはエホバの新しい事物の体制よりも古い体制を愛していることを示すものとなるでしょう。しかしながらヨハネは,「然れど神の〔意志〕をおこなふ者は永遠に存まるなり」とも書きました。であれば,エホバの意志を行ない,その組織の中で奉仕の特権を得ようと努めて,新しい事物の体制を促進し,奉仕の務めを拡大するほうがずっとすぐれています。みんながクリスチャンとして進歩し,毎年理にかなった目標を設定して,それに達するよう一生懸命努力するのは良いことです。パウロはこう述べます。「いづれにしても,自分が進歩してきたところに応じて,その同じ手順で整然と歩んでゆきましょう」。(ピリピ 3:16,新)ですから,クリスチャンとしての霊的進歩の点で決して速度を落としたり,進歩をやめたりしてはなりません。

      15 特権を得ようと努める人たちはどんな特権にあずかれますか。今日わたしたちが行ないうる最善の仕事は何ですか。

      15 エホバのわざは今日急速に拡大しています。幾千人もの人びとがエホバに献身して,その組織にはいってきています。昨年だけで14万9,808人もの人たちがバプテスマを受けました。わずか1年にしては何と大勢の群衆でしょう。宣教者は依然として派遣されていますし,しもべたち,また特別および正規開拓者はさらに多く必要とされています。そうです,ハルマゲドン前のそうした奉仕の特権やハルマゲドン後のエホバの新しい事物の体制における数えきれない祝福を得ようと努める人たちは,数多くの驚くべき特権と祝福にあずかれます。監督になるよう努める人はりっぱな仕事を望んでいるとパウロは述べました。(テモテ前 3:1,新)そうした監督の仕事のほかに,なさねばならない数多くの重要な務めがあります。エホバへの奉仕においてはなすべき,しかも楽しい仕事がたくさんあります。パウロが述べたとおり,「したがって,わたしたちの愛する兄弟たち,主の仕事においてなすべきたくさんのことを常に持ち,あなたがたの労苦が主に関連してむだでないことを知り,しっかりした,動じない者になりなさい」。(コリント前 15:58,新)そうです,この古い事物の体制のための仕事はむだです。その体制は滅びようとしている以上,それを永続させるために働く必要がどこにありますか。そうしようものなら,それに巻き込まれて,もろともに滅ぼされかねません。主に関連してむだでない仕事をするほうがずっとまさっています。主のために勤勉に働き,エホバの組織内の奉仕の特権を得ようと努めることは,エホバによる救出に対する感謝をエホバに表わすすぐれた方法です。―テモテ前 3:13。

      16,17 (イ)西暦前537年にバビロンを去った,ユダヤ人の忠実な残れる者はどんなりっぱな模範を残しましたか。(ロ)クリスチャンがその模範に見習うのはなぜ急を要することですか。

      16 遠い昔バビロンを去って,神殿再建のためエルサレムに戻った,ユダヤ人の忠実な残れる者が残した良い模範を絶えず念頭に置いてください。彼らはバビロンから救出されたことを感謝し,良い精神的態度をいだきました。そして,エホバとその崇拝を愛し,神殿が再建され,真の崇拝が回復されるのを見たいと願いました。彼らはバビロンにある自分たちの家や仕事に縛られすぎて捨てきれないということはありませんでした。エホバが必ず自分たちを祝福し保護してくださるとの全幅の信頼をいだいて,家や仕事を直ちに,また喜んで捨てました。真の崇拝を回復する貴重な特権にあずかるために,喜び勇んでバビロンとその物質主義とを捨てたのです。―エズラ 3:11,12。

      17 ですから,家や仕事また物質上の所有物に縛られすぎて,この古い体制があとわずか数年提供できるにすぎないものを過度に楽しむよりもむしろエホバと真の崇拝とに対する愛のこの良い模範に従うよう勧められています。これはほんとうに急を要する事がらです。物質面の快楽追求のわなに自らを捕われるままにする人たちのための時間は過ぎ去ろうとしています。大いなるバビロンとこの古い体制の残りの部分に頼りつづける人たちには,次の警告に留意する時間はほとんど残されてはいません。「わが民よ,かれの罪に干らず,彼の苦難を共に受けざらんため,その中を出でよ」。(黙示 18:4)そうです,今日,次のパウロのことばは当時よりもなおいっそう緊急なものとなっています。視よ今は恵のとき,視よ今は救の日なり」― コリント後 6:2。

      18 どうすればエホバによる救出とその過分の親切とに対する感謝をエホバに表わせるかを要約しなさい。

      18 エホバによる救出の目的を逸してはいないことを示してください。常にエホバの新しい事物の体制に対する正しい精神的態度を表わしてください。(マタイ 6:33)エホバの王国とその正しい新しい体制に対して積極的であってください。エホバ神とその祝福に対する心からの愛を行動によって,特にクリスチャンの奉仕の務めに定期的に参加することによって示してください。(ペテロ前 1:13)エホバよりも物質上のものや,この古い体制を愛する人たちとの悪い交わりを断ってください。(テモテ後 3:5)エホバ神に信頼してください。王国の関心事を生活の中で第一にしつつ,生活の必要物についてはエホバに頼ってください。(テモテ前 6:6-8)あなたの信頼をわざをもって裏づけてください。(ヤコブ 2:26)そして,霊的な事がらに対するいっそう深い認識を培い,それら霊的な物事を生活上の物質的価値に優先させてください。(ペテロ後 1:5-8)サタンの組織における昇進よりもむしろエホバの組織内のいっそう大きな奉仕の特権を得るよう努めてください。確かにわたしたちは,わたしたちの神エホバを知って仕え,真の崇拝を促進する,人類史上きわめてすばらしい時代に生きています。わたしたちはみなパウロの次の助言を認識し,それに基づいて行動できますように。わたしたちはまた……あなたがたに懇願します。神の過分の親切を受け入れながら,その目的を逸することがないようにしなさい」― コリント後 6:1,新。

  • 神の忍耐を試みすぎてはならない
    ものみの塔 1972 | 8月15日
    • 神の忍耐を試みすぎてはならない

      1,2 神から責任を問われると嘲笑者は何と言いますか。しかし,彼らは何を見過ごしていますか。

      使徒ペテロは,神聖な制約に拘束されない自分勝手な生活をしたいと考える人たちに対する答えを提供しました。それらの人は,神が世に対してそのわざの責任を問うわけがないとして,こう言います。「主の来りたまふ[つまりエホバの『日』の]約束は何処にありや,先祖たちの眠りしのち万のもの開闢の初と等しくして変らざるなり」。つまり,「神は死んだ」と言います。

      2 ペテロはそのような人たちについて言いました。「彼らは殊更に次の事を知らざるなり,即ち古へ神の言によりて天あり,地は水より出で水によりて成立ちしが[つまり,乾いた土地は海面以上に高く位置し,地球の大気圏には水蒸気の重い天がいがあった],その時の世は之により水に淹れて滅びたり」。

      3 ペテロは,神の処置が一見おそく思えることに対してどんな理由を述べていますか。

      3 次いで使徒はこの実例を現在の事物の体制のきたるべき滅びにあてはめて,それが一見おそいように思える理由をこう述べています。「〔エホバ〕

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