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イエスは何と言うでしようかものみの塔 1957 | 12月15日
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彼らの生活の中には,御子を通しての神の御目的を学ぶ余裕が全くないという事なのです。それで,近づいているハルマゲドンの戦いと来りつつある新しい世についての無智は,いまだに広く見られます。
故に,キリストはクリスマスについて何と言われるでしようか。クリスマスとは宗教的な欺き,商業の仕掛けるわな,異教の祭日であり,キリストの名誉を汚してキリスト教を堕落させるものである,という事です。キリストは決してクリスマスを是認せず,それが,真のクリスチャンの行であるとは決して認めません。それで,クリスマスを祝う者はキリストに是認されない事になります。そうであるなら,どうしてクリスマスを祝いますか。商業の仕掛けるこの巨大なわなから,なぜ自由にならないのですか。他の自称クリスチャンたちがするからと言つて,私たちが祝う必要は全くありません! まつたくのところ,無数にいる自称クリスチャンの一人になる必要はありません。彼らがキリストの名によつて,業を為したことを抗議しても,王は彼らを認めることを拒絶するでしよう。
『その日には,多くの者が,わたしにむかつて「主よ,主よ,わたしたちはあなたの名によつて悪霊を追い出し,あなたの名によつて多くの力あるわざを行つたではありませんか」と言うであろう。そのとき,わたしは彼らにはつきり,こう言おう,「あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ,行つてしまえ。」』故にキリストから離れ去ることのないように,いまクリスマスから離れ去りなさい。―マタイ 7:22,23,新口。
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神への忠実を保つて救われるものみの塔 1957 | 12月15日
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神への忠実を保つて救われる
『罪人とともに私の魂を取らないで下さい。また流血の罪を持つ人とともに私の生命を取らないで下さい。それらの人々の手にはふしだらな行があり,その右の手は賄賂で充ちています。しかし,私は忠実の中に歩きます。』― 詩 26:9-11。新世。
1 私たちが救われたいと欲する多くの事柄は何ですか。
救い! 悲しみや苦難,不正と圧制,無知と不安定,平和と繁栄に対する危険,絶望と死に行くこと,そして打ち破れた古い世の好ましくない悪い交わり,などのたくさんの事柄から私たちは救われたいと欲します。
2 何時そしてどのように,この救いは来ますか。その幸福は,将来は,どのように保証され守られますか。
2 それですから,そのすべてのものからの救いが,私たちの時代に来るとはなんとすばらしいのでしよう! 正義の新しい世が栄光の中に実現するという意味です。急速に近づいているその時において,天と地の創造者は,あらゆる災を持つこの古い世から人類を救われるでしよう。創造者は,この古い世の代りに全く新しい世を立てられます。その新しい世の地は,よろこびと健康,公正と向上,知識と確信,平和,安全,希望,生命の完全さと,人の欲するすべての良い交わりによつて祝福されます。地上におけるこの幸福な状態を保証して守る為には,創造者の愛子の手中には全能の天的な政府があるでしよう。ずつと以前に,完全な人間としてこの地上に居られた御子は,新しい世を希望する者たちに向つて,天の御父にこう祈れと教えました,『御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように。』― マタイ 6:9,10,新口。
3 何に対する報いとして,私たちの救は来ますか。そして,この要求はどの位の期間のあいだ関心を集める事柄でしたか。
3 この古い世とその災から私たちが救われるのは,新しい世の神なる創造主よりの報いとして来ます。しかし,何の報いですか。生ける真の神としての彼に忠実を保つ生活をすることによるのです。全宇宙の最高支配者なる彼に変らざる従順を保つことです。そして,この腐敗した古い世からいつも身を清く保ち,正義の新しい世の生命に対する規則に従う生活をなすことです。別の言葉で言うなら,神に忠実を保つことです。今日の地上の人々で,忠実が何であるかを知つている人は殆どいません。何時の時でも忠実を保つ人々は,地上に多くいなかつたのです。しかし,極めて古い昔から忠実については論ぜられてきました。それは願わしいものであつて,最高至上の神は,約6000年前に最初の男と女を創造した時以来,それに興味を持たれました。
4 忠実は,どのように私たちすべてに問題となりましたか。忠実に対して神が報いを与えて救われるということについて,どんな適切な例がありますか。
4 この最初の夫婦であるアダムとエバは,神への忠実を保ちませんでした。両人は神の律法を破つて罪を犯したためにその完全さをそこないました。私たちはみな,その両人から来たもので,生まれながらに不完全であり,罪に向つています。そのために,忠実は私たちすべてにとつて非常な問題になつたのです。クリスチャン時代よりも1600年以前,エジプトが世界強国になつていたとき,神は人間家族を調べ見て,忠実の人々を探し求めました。アジア南西部にあたる中東のところで,神はこの類の人を見ました。その人の名前はヨブでした。それで神は,大敵対者であるサタン悪魔にこう告げられました,『私の僕ヨブのように忠実を守る者で心の正しい者,そして神を畏れて悪に遠ざかる者が地上に一人もいないことに心を留めたか。お前は私をすすめて,ゆえなく彼を亡ぼそうとしているが,彼は今でも忠実をしつかり保つている。』(ヨブ 2:3,新世)悪魔サタンは神の僕ヨブにたいしてあらゆることをいたしました。しかし,彼は神に対する忠実を保つて,非の打ちどころのない生活を送り,そして全き献身をつづけたのです。神は,報いとしてサタン悪魔の迫害からヨブを救いました。それで,ヨブは私たちを励ます模範となつています。即ち,人が創造者なるヱホバ神に忠実を保つならば,その報いとして神はこの古い世の悪しき神であるサタン悪魔から,その者を救い,そして救い得るということを示します。―ヤコブ 5:11。
5 神はどんな種類の支配者を新しい世の政府に置きますか。神は,そのように選ばれた支配者についてのどんな予表を与えましたか。
5 ヱホバ神は,その正義の新しい世を支配する為に一つの政府を設立する目的を立てられました。それですから,ヱホバ神がその新しい世の政府の御座に忠実を保つ支配者を置かれると私たちは期待すべきです。ヱホバ神は,そうされると誓われました。約3000年のむかし,ヱホバ神はこのことについての予表を与えられました。アジアとアフリカの分れ岐にあたる中東のところで,ヱホバ神は一つの模型的な国を設立して,その御座に忠実を立証した人を置きました。一詩篇は,かつては羊飼の若者であつた人が神によつて選ばれたことを告げており,そして次のように述べています,『その僕ダビデをえらびて羊の牢のなかよりとり,乳をあたうる牝羊にしたがいゆく勤のうちより携えきたりてその民ヤコブ,そのゆずりイスラエルを牧わせ給えり。かくてダビデはそのこころの完全にしたがいてかれらを牧い,その手のたくみをもて之をみちびけり。』(詩 78:70-72)ダビデ王は,神の選民の支配者として,私たちの創造者なる神に対しつねに自分の心を清く,忠節に,そして忠実に守ろうとしました。この理由の故にダビデは良い支配者でした。良い支配者であつたダビデは,神が正義の新しい世の政府の支配者にならせる方,すなわち,神の天的な子であるイエス・キリストを予めに表わしたのです。
6,7 (イ)ダビデは,彼について何をしようと一生県命に努めましたか。(ロ)ダビデは,なぜ神の裁きに是非とも服したい気持でしたか。彼の決意は何でしたか。
6 ダビデは,神に忠実を保つたために,多くの敵を持ちました。その敵とは,心の中に悪を図る者,偽りを愛した偽善者たちです。ダビデ王が彼らと共にならず,彼らのようにならないので,これらの悪行者たちは侮辱を受けたと感じました。それで,あらんかぎりのことをして,ダビデ王を神に対する潔白と無実の道から引きはなし,この古い世の悪しき神に崇拝をなさせようとしました。しかし,ダビデ王は,自分は神にたいする潔白を保つて歩もうと努めているのであつて,その努力は真実であり,正直なものであると知つていました。
7 それですから,ダビデ王は神の裁きの御座の前によろこび進んであらわれ,神としてヱホバだけを崇拝し,全宇宙の最高主権者としてヱホバだけに奉仕するという清い正直な気持と忠実な努力を調べられることをよろこんで受けたのです。神の法廷で裁かれたいというダビデの切実な気持は,彼の次の言葉からも示されます,『ヱホバよ,ねがわくは,我をさばきたまえ。われ我が完全によりてあゆみたり。しかのみならず我たゆたわずヱホバに倚り頼めり。ヱホバよ,われをただし,また試みたまえ。わが腎(あるいは私の最奥の感情)と心とを錬りきよめたまえ。そは汝のいつくしみわが眼前にあり,我はなんじの真理によりてあゆめり。』他の人が何を為そうとも,また敵から反対や迫害を受けようとも,ダビデ王はヱホバ神に全く献身していて心を捧げていました。彼は祈りを捧げる敬虔な態度で次のように語りました,『されどわれは我が完全によりて歩まん。願くは,我をあがない,我をあわれみたまえ。わが足は平坦なるところに立つ,われもろもろの会のなかにてヱホバを讃めまつらん。」― 詩 26:1-3,11,12。
8 (イ)実際私たちは,神に何を負うていますか。そして,なぜですか。(ロ)それでは,何の中に私たちは歩まねばなりませんか。そして,どのようにしてのみ,私たちはそうすることができますか。
8 この古い世の終りが極く間近い今日,あがないを受けて,神の恵みを受けたいと願うなら,そしてハルマゲドンの宇宙戦争にも保護を受けて無事に生き残り,そして新しい世に入りたいと願うなら,私たちもダビデの行つたと同様に,神への忠実を保つて歩かねばなりません。私たちの創造者でもあり,かつ正義の新しい世で私たちの永遠の保護者になると約束されている神に,私たちは忠実を捧げるべきではありませんか。たしかにそうです。神は私たちに生命を与えられました,そして聖書の中に啓示された神の目的によると,彼は生活の目標ともなるものを私たちに与えられました。それは何ですか。御子イエス・キリストの完全な政府の支配する約束された新しい世です。私たちが,創造者にして保護者に対する忠実の中に歩くということは,つまり書かれた御言葉の中で神が置かれている真理と原則に従つて歩くということであつて,それ以外のことによつてはなされません。私たちの知るごとく,神の全創造は彼の置かれた法則に従つて動き,運営しています。それですから,神は万事において原則の神にちがいありません。神の恵みを受けて,終りのないその新しい世で幸福な生命を持つためには,私たちは忠実を保つ者と証明しなければなりません。
9 それでは,私たちはどんな原則の人でなければなりませんか。
9 しかし,このことをするためには,自分自身の立てた原則の人であつてはなりません。私たちは神の原則の民でなければならないのです。といつて,初歩の事柄を意味するものではありません。たとえばヘブル書 5章12節(新口)に述べられているような神の書かれた御言葉の基礎的な事柄とかは根本的な教えではありません,『あなた方は……もう一度神の言葉の初歩を,人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。』
10 (イ)ここで,『原則』とは,特にどういう意味ですか。(ロ)この見地から,ヤコブとパウロはクリスチャンに何と言うことができましたか。
10 記憶しなければならないものに,次のことがあります,すなわち原則は行為についての設立された規則,行動を支配する法則,人の行為を絶えず指示する行為の規則,生命と振舞について指示の影響を行使する信仰または態度ということです。(ウエブスター)それで,原則は秩序立つた生活を意味する故に,ヤコブは使徒パウロにむかつて『あなたはまた律法を守つて,秩序正しく歩いている。』と言うことができました。(使行 21:24,新世)パウロ自身もキリストにある兄弟たちにこう言うことができました,『達し得たところに従つて,同じ道に秩序正しく歩みつづけよう。』そして『この行の規則に従つて秩序正しく歩くすべての人々の上に平和とあわれみがあるように。また,神のイスラエルの上にもあるように。』(ピリピ 3:16。ガラテヤ 6:16,新世)神の原則に従つて生活するためには,私たちをみちびいて統御するために神の置かれた規則に一致しつつ,秩序正しく歩くことが必要です。神の御子イエス・キリストは,地上に居られるあいだ,御父であるヱホバ神の原則に従つて生活することについて完全な模範を残されました。それで,私たちは『この世の初歩の事柄に従つて』歩いてはならないと警められているのです。それは『キリストに従うものではない。彼(キリスト)の中に,満ち満ちた神の性質はみな宿つている。』― コロサイ 2:8,9,新世。
神権的な原則
11 (イ)神の原則は,なぜすべての被造物に適用されねばなりませんか。(ロ)私たちの多くは,どうして情欲に大きく支配されるようになりましたか。
11 ヱホバから与えられた行為の原則もしくは規則に従つて考えたり,語つたり,また行つたりして私たちの忠実を保つとき,私たちは真実に神権的です。ヱホバは最高の神なる支配者であるという意味で唯一つの神権者です。彼は,天と地にあるすべての生物や事物を支配し,力を行使します。彼は唯一つの生ける真の神だからです。そのわけで行為と制御についての原則なる規則は,人間でも霊者でも理知のある被造物すべてに適用しなければなりません。私たちの創造者なる神は,神の像にしたがい,神の状にならつて最初の人間アダムを完全につくりました。最初の人間は,天の御父のように原則を守る人になり,単なる本能とか又は人間としての感情によつて制御されるとか動かされる者でない,と当然に期待されました。アダムの妻が最初の蛇であるサタンに欺かれたとき,アダムは非神権的な行をしました。彼は天の御父をよろこばして御父の律法につき従い,忠実を保つて全き行をするよりは,誤まちを犯した自分の妻をよろこばすことに決めたのです。今日の私たちをも含めてアダムにあるすべての子孫たちは,原則からの大きな脱落を受けるようになり,情欲に大きく支配されるようになりました。情欲といつても,男性と女性のあいだの性的な欲情だけを意味しているのではありません。私たちに良い感じを与えさせるものに対する強い愛着,あるいは神の御意に一切の顧慮も払わず,私たち自身の個人的な関心事とか快楽を利己的にすすめるものに対する強い愛着,という意味です。
12 (イ)神の原則とは,どんな種類のものですか。(ロ)神の原則の知識が人間に失われないようにするため,神はどのように取り極めましたか。
12 神は,被造物をよろこばすために,自分自身の原則から外れることをしません,彼の原則は完全で変ることなく,そのすべての中に彼の愛,公正,知恵,そして力が考慮に含まれているのです。神の道徳の原則と宗教的な原則は,一般の人々からは知られて居らず,また認められていません。彼らはこの古い世の哲学と原則に従うからです。大いなる神権者ヱホバは,御自分の原則が失われることのないようにするため,そして正しい原則を愛するすべての人が学び得るため
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