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人は自分のまくものを刈り取る目ざめよ! 1970 | 5月8日
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律に強い関心をいだく人でなければなりません」― 1969年3月8日付,トロント・デーリー・スター紙。
したがって今日の多くの若者は,古い世代の人々と違って,伝統的な宗教を少しも重視しません。牧師はパリサイ人に似て,人からされたいと望むとおりに人に対して行なえと説く「黄金律」を口では「言うが,実行しない」とヒッピーは考えています。(マタイ 23:3,新)インタビューを受けたひとりのヒッピーは言いました。「わたしの知っているかぎり,神から最も遠く離れている人間といえば,それは司教です。人々が飢えているのに,イエスはビロードの衣を着て歩き回っていたとは考えられません」。
しかしこうした理想主義を唱えることによって,ヒッピーはより良い社会を自分たちの力で築いていますか。人類を苦しめている諸問題の解決策を持っていますか。彼らは自分たちのしあわせを図っているのですか。
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『ありのままを語る』ヒッピー目ざめよ! 1970 | 5月8日
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『ありのままを語る』ヒッピー
ヒッピーは問題の答えを見いだしましたか。その生き方は,幸福に通ずる道となっていますか。その人間関係は,純粋の愛に基づく,徳を高めるものですか。生活の面で自分のまいているものから何を刈り取っていますか。
ヒッピー自身が語ることを聞くのは,興味深いことでしょう。彼らは,『ありのままを語れ』ます。もちろん,全部が全部同じ経験をしたというのではありません。しかし次に掲げる話は,多くのヒッピーが語っていることをかなりよく表わしていると考えられます。
問題の答えを見いだしているか
アメリカのある若い女性は,他のヒッピーと同様の理想主義をいだいて,その仲間にはいりました。問題の答えを得るためでした。この「目ざめよ!」誌のために話された彼女の経験をお読みください。
「わたしたちみんなは,人生の途方もない大きな問題に対する答えを見いだそうといっしょうけんめいでした。わたしは答えを求めて,麻薬と性崇拝に関係し,やがて,密教や神秘主義と魔神信仰に深く関係するようになりました。
「ところが,そのどれをしてみても,何一つ意味をなしませんでした。わたしは,“導師”といわれる人を通して,神秘主義・密教・麻薬の使用などにますます深入りしましたが,何をしてみても,いよいよたえられなくなるばかりでした。やがて,ひどい憂うつ状態に陥るようになり,橋の上から身投げをしたいという衝動を何度も押えねばなりませんでした。
「わたしの友人の多くはやがてヘロインやアルコールの中毒にかかり,ある者は汚い注射針で麻薬を打ったことがもとで,敗血病になり,えそにかかって死にそうになりました。別の人はついに銃を手にいれて,自らの命を断ちました。特にわたしたちの上には,異様な霊の力が働いていたので,その人はどうすることもできなかったのです。
「このことで大きな衝撃を受けたわたしは,その生活をそれ以上続けることはできないと感じました。それは自分が求めていた答えを確かに与えるものではなかったからです。わたしは,『聖人』と呼ばれている人々の手で“ひどい目”に会わされました」。
この女性は,捜し求めていた答えを見いださなかっただけでなく,ヒッピーとして生活しても,より良い生き方はできず,将来に対する希望も幸福も得られませんでした。
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