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  • 人を弟子とし,次いでバプテスマを施す
    ものみの塔 1973 | 8月1日
    • 人びとはすべて,奴隷市場で代価をもって買われる奴隷に似ています。クリスチャンの監督たちに対してパウロはこう言いました。「神がご自身のみ子の血をもって買い取られた神の会衆を牧(しなさい)」。また,コリント人に対してはこう言いました。「あなたがたは自分自身のものではありません。あなたがたは代価をもって買われたからです。どうあっても,あなたがたの体によって神の栄光を表わしなさい」。(使行 20:28; コリント前 6:19,20,新)奴隷はその所有者から言いつけられることを行ないます。それでパウロはローマの会衆に次のように告げました。「事実,わたしたちはだれひとり,自分についてのみ生きるのではありません。また,だれひとり自分についてのみ死ぬのでもありません。わたしたちは,生きるならエホバに対して生き,また,死ぬならエホバに対して死ぬからです。それゆえ,生きるにしても死ぬにしても,わたしたちはエホバのものなのです」。(ロマ 14:7,8,新)さらに,コリント人に対してはこう述べました。「キリストの持つ愛がわたしたちに迫るのです。わたしたちはこう判断しているからです。つまり,ひとりの人がすべての人のために死んだ,だからすべての人はそれ以前に死んでいたのである,そして,彼がすべての人のために死んだのは,生きている者たちがもはや自分のために生きず,自分たちのために死んでよみがえらされたかたのために生きるためである,と」― コリント後 5:14,15,新。(また,ルカ伝 17章7-10節をも見てください。)

      16 バプテスマの行為は,神に関する人の立場の変化をどのようによく表わしていますか。

      16 ですから,バプテスマを受けるとき,人はあたかも水中に葬られた者のようになって,自分のそれまでの歩みをやめ,その所有者の意志を専心行なう人としてよみがえらされるのです。

      だれか弟子になれるか

      17 ルカ伝 14章25-33節でイエスは何を強調されましたか。

      17 時々大勢の人がイエスに引きつけられたので,イエスは,弟子になることには何が関係しているかを人びとに知らせました。「わたしのもとに来て,自分の父,母,妻,子ども,兄弟,姉妹,さらには,自分の魂をさえ憎まないなら,その人はわたしの弟子になることはできません。だれでも,自分の苦しみの杭を運びながらわたしのあとについて来ない者は,わたしの弟子になることができないのです。たとえば,あなたがたのうちのだれが,塔を建てようと思う場合,まず座って費用を計算し,自分がそれを完成するだけのものを持っているかどうかを調べないでしょうか。そうしないなら,その人は土台を据えてもそれを仕上げることができないかもしれず,それを見ている人たちはみな彼をあざけって,『この人は建て始めはしたものの,仕上げることができなかった』と言い始めるかもしれません。…このように,確かにあなたがたは,自分の持ち物すべてに別れを告げないかぎり,だれもわたしの弟子になることができません」。(ルカ 14:25-33,新)イエスは人びとに何を強調しておられたのでしょうか。だれでも,キリストの弟子になりたい人は,その弟子である事を喜んで第一にする,つまり生活上の他の価値ある事がらすべてに優先させることができ,またその特権に伴うどんな苦しみや試練でも喜んで耐えなければならないということです。最初に人はその特権に伴う事がらすべてを受け入れることができるべきであり,また弟子としての歩みを全うできるかどうかを評価すべきです。それは塔を建てたいと考えて,その建設を完了する人の場合と全く同様です。

      18 (イ)ですから,バプテスマに先だって何を教えるのは実際的なことですか。(ロ)偽りの宗教との関係はいっさい断たねばなりません。なぜですか。

      18 バプテスマに先立って教えるわざがなされるのはそのためです。エホバの奴隷となる見込みのある人は,関係している事がらすべてを学んで理解し,必要な変化を喜んで経て,自分の新しい所有者にとって好ましくない事がらはすべて退けなければなりません。献身して心から自分を与えることができて初めて,バプテスマを受ける段階を経るべきです。ピリピ書 3章4-8節(新)で使徒パウロは,弟子としてのクリスチャンの務めを負った時に放棄した,ユダヤ教における自分の有利な立場を説明し,次いでこうつけ加えました。「彼のゆえにわたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのあくたのように考えています。それは,自分がキリストをかち得(るためです)」。(また,使徒行伝 22章3節,ガラテヤ書 1章14節をも見てください。)偽りの宗教との関係はいっさい断たなければなりません。―コリント後 6:17,18。黙示 18:4。

      19 人はバプテスマを受ける以前に悪いならわしから身を清めなければならないことを聖書は示していますが,そうした悪いならわしの幾つかを挙げなさい。

      19 学ぶ人は,悔い改めの必要性を認め,またそれまでのいっさいの悪いならわしから離れなければなりません。「ですから,淫行,汚れ,性欲,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなたがたの肢体を死んだものとしなさい。こうした事がらのゆえに神の憤りは臨もうとしているのです。かつてそうした中で生活していた時には,あなたがたもまさにそうした事のうちを歩んだのです。しかし今は,そうしたものを,憤り,怒り,悪,ののしりのことば,またあなたがたの口から出る卑わいなことばを,ことごとく捨て去りなさい。互いに偽りを語ってはなりません。古い人格をそのならわしとともに脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造したかたの像にしたがって新たにされてゆくので(す)」。(コロサイ 3:5-10,新)神の要求について学んでいる多くの人びとは,そうした事がらすべてが神の目から見て悪いものであることを自覚してはいませんでした。が,そうした知識を得,また正しい心の状態を得ると,彼らは直ちに悪いならわしをやめ,キリスト・イエスの犠牲によって洗い清めてもらう取り決めを利用します。(コリント前 6:9-11。ガラテヤ 1:4)この行動はバプテスマに先行しなければなりません。

      20 「世のものではない」とはどういう意味ですか。

      20 また,世の政治上の事がらとの関係も打ち切らねばなりません。というのは,神への祈りの中でイエスはご自分の弟子たちについてこう言われたからです。「わたしはあなたのみことばを彼らに与えましたが,世は彼らを憎みました。わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではないからです」。(ヨハネ 17:14,新)また,ピラトの前でイエスは言われました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないように戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」― ヨハネ 18:36,新。また,イザヤ書 2章4節をも見てください。

      21 (イ)神への奉仕を始める場合,わたしたちは自分の知っている人すべてに喜ばれるだろうと期待すべきでしょうか。(ロ)マタイ伝 10章でイエスは,肉親から反対がもたらされる場合のあることをどのように示されましたか。しかし,そうした反対に関して何を行なうべきですか。

      21 人は自分の行なっている新たな崇拝あるいは改められた自分の生き方が以前の仲間に好まれるものでないことを予期しなければなりません。というのは,ペテロはこう述べたからです。「彼らは,あなたがたがこうした道を自分たちとともに放とうの同じ下劣なよどみにまで走りつづけないので,当惑してあなたがたのことをいよいよあしざまに言います」。(ペテロ前 4:4,新)しかし,勝利を得たイエスの歩みはこの点に関してわたしたちにとって慰めをもたらすものです。「そうです,罪人たちの,自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだかたのことを深く考えなさい。それは,あなたがたが疲れて,あなたがたの魂が弱り果ててしまうことのないためです」。(ヘブル 12:3,新)反対は,ほかならぬ家族内からもたらされるかもしれません。(マタイ 10:35,36)これは弟子である事に要する費用を計算することについてイエスが述べた事がらと調和します。

      22 何らかの迫害が生ずる場合でも,なぜ驚くべきではありませんか。わたしたちは迫害をどう見るべきですか。

      22 学ぶ人はまた,迫害はほんとうに来るものであることを知らねばなりません。イエスは説明しました。「あなたがたが世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです。奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなたがたをも迫害するでしょう。彼らがわたしのことばを守ったのであれば,あなたがたのことばをも守るでしょう。しかし彼らは,わたしの名のゆえにこれらすべてのことをあなたがたに敵して行なうでしょう。わたしを遣わしたかたを知らないからです」。(ヨハネ 15:19-21; 16:1,新)使徒たちは問題を理解していたので,迫害されたとき,「彼の名のために辱しめられるに足る者とされた」ゆえに喜びました。(使行 5:41,新)そういう事がらについて知れば,クリスチャンになる見込のある人は,弟子になるのに要する費用を計算して,『自分がそれを完成するだけのものを持っているかどうかを調べる』よう助けられるでしょう。そして,単に弟子を作るわざを行なうだけでなく,この世から何らかの圧力を受けた場合でも義を擁護して,イエスとその忠実な使徒たちの採った道を追い求める覚悟ができているかどうかを自問してみなければなりません。

      23 神への奉仕を始める人たちにとってはどんな助けが保証されていますか。

      23 学ぶ人が献身してバプテスマを受けるとき,その人は忠実性を首尾よく実証する上でエホバとキリスト・イエスに頼って助けを求めることができます。神のみことばは,神が愛ある世話を施してくださることを次のように保証しています。「しかし,あなたがたがしばらくのあいだ苦しみに遭ったのち,キリストとの結びつきにおいてあなたがたをご自分の永遠の栄光に召された,あらゆる過分のご親切の神は,自らあなたがたの訓練を終え,あなたがたを確固とした者,強い者としてくださるでしょう」。(ペテロ前 5:10,新)祈りは肝要です。「たゆまず祈りなさい」と言ってパウロが強調したとおりです。彼はまたこう述べました。「わたしたちのために祈りつづけてください。エホバのことばが,ちょうどあなたがたの場合と同じように速やかに進展し,栄光を受けてゆくようにと。また,わたしたちが,害を加えようとする邪悪な人びとから救い出されるようにと。信仰はすべての人が持っているわけではないのです。しかし,主は忠実なかたですから,あなたがたを確固たる者とし,邪悪な者から守ってくださるでしょう」。―ロマ 12:12,新。テサロニケ後 3:1-3,新。

      24 学ぶ人は,バプテスマを受ける以前にどんな知識を持っているべきですか。

      24 学ぶことはバプテスマをもって終わるわけではありません。ですから,弟子は献身して水による浸礼を受ける前に万事を知らねばならないという意味ではないことがわかります。使徒たちはイエス・キリストの追随者になってから,さらに多くを学びましたし,イエスはこう約束しました。「父がわたしの名において遣わしてくださる助け手,つまり聖霊のことですが,その者はあなたがたにすべてのことを教え,わたしが告げたすべての事がらを思い起こさせるでしょう」。(ヨハネ 14:26,新。また,箴言 4章18節をもご覧ください。)ですから,大切なのは次のことです。つまり,弟子は何が神のご意志かを理解するに足る十分の知識を得,信仰を働かせ,自分の過去の歩みを悔い改めたことを示し,キリスト・イエスの献身した追随者になることを心の中で決め,それから水による浸礼を受けるべきであるということです。それ以後は,あらゆる事がらにおいてイエスが持っておられたのと同じ態度をいだいて奉仕することが神から要求されています。ですから,イエスはこう言われました。「わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように」― ルカ 22:42,新。

      25 (イ)エホバはわたしたちがエホバに近づき,エホバに献身することを欲しておられますが,どうしてそう言えますか。(ロ)バプテスマを考慮している人はどんな基本的な質問を考慮できますか。(ハ)バプテスマを受けたいと願う人は,何をすべきですか。

      25 以上の事がらを考慮した後,もしあなたがイエス・キリストのおきてをこれまで学んできて,それを守ってゆきたいと願っておられるなら,何をすべきでしょうか。ペテロの次のことばは,あなたのために道が開かれていることを思い起こさせるものです。エホバはご自分との一致した関係にあなたがはいるのを望んでおられます。「エホバは…ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなたがたに対してしんぼうしておられるのです」。(ペテロ後 3:9,新。また,コリント後書 5章18節–6章2節,黙示録 22章17節をもご覧ください。)ピリポから学んだエチオピア人はこう尋ねました。「わたしがバプテスマを受けることになんの妨げがあるでしょうか」。(使行 8:36,新)もしあなたが,エホバ神に仕えることとキリストのくびきを負うこととに関して同様に感じておられるなら,バプテスマの希望者に対して尋ねられる次のような二つの質問を考慮するよう,お勧めします。

      (1)あなたは自分の罪を悔い改めて転向し,エホバ神のみ前で,自分が有罪の宣告を受けた,救いを必要とする罪人であることを認め,またその救いはみ子イエス・キリストを通して,父なるエホバからもたらされるものであることを認めていますか。

      (2)神と,救いのための神の備えとに対するそうした信仰に基づき,神がイエス・キリストを通して,また啓発を与える聖霊の力のもとで聖書を通してあなたに啓示してくださるところに従って,これからは神の意志を行なうべく,神に無条件で献身しましたか。

      もしあなたがこれらの質問に「はい」と答えられるということに気づいておられるなら,バプテスマを受ける目的で,あなたの交わっているエホバの証人の会衆内の主宰監督にその旨相談するのは適切なことです。そうすれば,バプテスマに続いて,あなたも,「事物の体制の終結の時まで」追随者たちとともにいることを約束されたキリスト・イエスの祝福を受けつつ,人びとを弟子とする世界的なわざにあずかることを期待できるでしょう。―マタイ 28:18-20,新。

  • 国際的な一致は可能ですか
    ものみの塔 1973 | 8月1日
    • 国際的な一致は可能ですか

      1-3 (イ)国際的な一致をはばんでいるのは物質上のもの,あるいは技術上の知識の欠如ですか。(ロ)問題はどこにありますか。

      諸国民の間の一致は今日大いに願い求めて然るべき事がらです。核兵器の出現はそうした一致を願わしい事がら以上のものにしています。事実,科学者や政治家たちは一致を目ざすいっそう強力な努力を要請しており,そうした努力をしなければ,わたしたちの知っている文明は地上から消滅してしまうかも知れないとして恐れています。

      2 問題があるのは,世界がその必要とするものを技術的あるいは産業的手段でまかなえるほど十分に進歩していないためでしょうか。そうではありません。現代の科学的また技術的知識をもってすれば,食糧を生産し,分配してすべての人を養うことはできないわけではありません。とりわけ,今日戦争や軍事に費やされている努力や資源のすべてを建設的な用途に振り向けるなら,家や衣服その他の必要なものをすべて供給できるでしょう。

      3 では,どんな問題のために,世界の一致は幻想的目標,つまりいつもそれについてうんぬんしながら,決して達成できないものとされてきたのでしょうか。それは人びと ― 人びとの互いに対する態度ではありませんか。諸国民は互いに対抗し合っています。しかし,さらに重大なこととして,ほかならぬそうした諸国民相互の関係から隣人相互のレベルに至るまで,人種や国籍を異にする

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