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ひすい ― 王たちの宝石目ざめよ! 1978 | 5月22日
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折々に小石や岩石が発見されたに過ぎませんでした。ところが今や採掘可能な源が発見されたのです。モンスーンの影響で石切場で働けるのは一年のうちせいぜい二,三か月でした。ビルマの土地から切り出される石(実際には丸石)のうち本当に良質のものは一万個に一個あるかないかぐらいのものです。
ひすいは中国の皇帝たちだけでなく,他の国の王たちにとっても「王たちの宝石」でした。全ロシアの最後から二番目の皇帝,アレキサンダー三世は黒い斑紋のついたほうれん草色のひすいの石棺の中に横たわっています。ほうれん草色のひすいでは,深い緑色の海の中にわたしたちの筆記用鉛筆のしん,つまり黒鉛の小さな点が規則的に並んでいます。
時代と国は違いますが一人の支配者は,ひすいよりも金の方を好んだスペイン人のヘルナンド・コルテスを全く信じられないという目つきで見ました。その支配者つまり有名なアステカ族のモンテスマは,もし尋ねられれば金よりもひすいやトルコ石やケツァルの緑色の羽毛の方を高く評価したことでしょう。彼のひすいは硬玉だったので,複合のケイ酸塩である透輝石がわずかまじっている点だけがビルマの硬玉と区別できる点でした。現在その浮園で有名なメキシコのソウチミルコ市はアステカの石細工の主要な中心地といわれていました。
アステカの王たちはひすいの中にすばらしい鳥,ケツァルの色を絶えず思い起こしています。地球の裏側では中国の皇帝たちもひすいのことを,別の鳥,かわせみに付けられたフェイ・ツィという名で呼びました。
中国人は18世紀に硬玉をビルマから輸入するまで,自分たちの軟玉をどこで手に入れたのでしょうか。二千年以上もの間,伝説的な「龍の涙」は中国トルキスタン地方のタクラマカン砂漠にあるコータン・ヤルカンドから4㍍の石板の形で運ばれました。ですからマルコ・ポーロが1272年にコータンで見て,それから「碧玉また玉髄」と描写したものはひすい(軟玉)だったに違いありません。軟玉の中には,現在でもその産出源になっているシベリアのバイカル湖からやってきたものもあります。
そうです,ひすい,つまり「緑色岩」― マオリ語ではポウナモウ,ビルマ語でキャウクサイン,死語となっているアステカ語ではキャルチフィトルまたはケツァル・キャルチフィトルは中国の王たちの宝石でした。古代中国のひすいに相当する象形文字は三本の水平な線と一本の垂直な線から成っていますが,それは一本の糸で通された三枚のひすいの板を表わしています。現代でも“点”だけを別にすればひすい(玉)という漢字と王という字は同じです。その“点”は永続的な宝石(玉)と死すべき君主(王)とを区別するものとなっています。
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孤独は命とり目ざめよ! 1978 | 5月22日
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孤独は命とり
未婚者の死亡率は同じ年齢層の既婚者とくらべて著しく高いと,メリーランド大学のジェイムス・リンク博士は語っています。死因はさまざまにせよ,米国における死亡統計の研究は,未亡人と離婚者の死亡率が特に高いことを示しています。
例えば,心臓病で死ぬ人は未婚者のほうが2倍から5倍も多いのです。自殺また精神病院や刑務所で過ごす時間も,未婚者の場合ずっと多くなっています。精神病院に入る確率が,独身の男性は既婚の男性の23倍,未婚の女性は既婚の女性の10倍をそれぞれ上回ることを示す研究もあります。刑務所に拘禁される率も,離婚した男性が既婚の男性の20倍,別居中の男性は18倍,妻を亡くした男性は7倍もそれぞれ高くなっています。
将来に明るい希望もなく,助け合い,愛し合う伴侶もいない孤独が精神また情緒の苦悩を招き,死を早めることは明らかです。
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