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    目ざめよ! 1974 | 10月8日
    • の輸出による外貨収入を20億㌦(約6,000億円)も上回り,これ以上諸外国からの借款を得ることはますます困難になっている。過去25年間に人口の倍増した同国は,今や米と小麦に窮乏している。一経済学者はこう語っている。「この国は今,週単位で活動している。……一週間以上先のことは考えないし,また実際に考えることもできない」。

      ユダヤ人の家族問題

      ◆ 1900年から1965年について見ると,アメリカ在住のユダヤ人で非ユダヤ人と結婚する者の数は,約100人に1人から,10人に1人へと増加した。そして現在では3人に1人がそのようにしている。英国のおもだったユダヤ教牧師は,ユダヤ人の絶滅を懸念して次のように述べた。「最悪のガンは,痛みを伴わないものである……異民族との結婚はいわばそのような病気である」。ニューヨークのユダヤ教牧師評議会は,異民族間の結婚式を執り行なうユダヤ教牧師の除名を議決した。同評議会の議長は,ユダヤ人社会を成長させてゆくためには,「ユダヤ人の家族において3人の子供は最低限必要である……しかし多ければ多いほどよい」と述べた。民族の生存に対するこの関心は宗教的なものであろうか。典型的な考え方を示すものとして,オーストラリア在住のあるユダヤ婦人は,無神論者である彼女の夫は,「自分の子どもがもしユダヤ人と結婚しなければひどく怒るでしょう。でも宗教的な感情は全く抜きにしてです」と語った。

      薬剤と腎臓病

      ◆ 麻薬も他の治療用薬剤も共に腎臓病を起こすことがある。ベイラー医科大学の内科学教授ガラベッド・エクノーヤン博士は,腎臓病の合併症がヘロインやコカインなどによる麻薬中毒からも起きることがあると米国医師会に最近報告した。一方,ペンシルバニア大学附属病院のトマス・G・モーレイ博士は,自分が研究したある型の腎臓病患者101人について見ると,その約20%は,アスピリンその他一般に販売されている痛み止めを含む,麻薬ではない鎮痛剤の大量使用によるものであったと述べた。

      ガンに関する比較

      ◆ ヴェストニーク・スタテスティキ誌によると,ソ連におけるガンの死亡者数は,世界の工業国中最低である。死亡率は徐々に増加しているが,1972年のガンによる死亡率は,10万人につき129.6人であり,アメリカのそれを22%下回っている。ソ連男性の死亡率の急激な増加は,喫煙からくる肺ガンに帰せられている。アメリカの場合と同様,男性の肺ガンによる死亡者数は,女性の5倍にもなると言われている。小児病の多くが克服された今,ガンは,アメリカにおいて1歳から14歳の子どもの死因の第一位を占めている。

  • 聖書の第48番めの本 ― ガラテア人への手紙
    目ざめよ! 1974 | 10月8日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      聖書の第48番めの本 ― ガラテア人への手紙

      筆者: パウロ

      書かれた場所: コリント,またはシリアのアンティオキア

      書き終えられた時期: 西暦50年から52年ごろ

      含まれている時代: 確定できない

      1 ガラテア人への書はどの会衆にあてられたものですか。それらの会衆はいつまたどのようにして組織されましたか。

      パウロがガラテア 1章2節で言及しているガラテアの諸会衆の中には,ピシデアのアンティオキア,イコニオム,ルステラ,デルベなどの会衆が含まれていたものと思われます。これらは多少異なった地域にある場所ですが,すべてはローマのガラテア州に属していました。使徒 13,14章は,パウロとバルナバのこの地域における最初の宣教旅行の模様を伝えています。その宣教旅行の結果としてガラテアの諸会衆が組織されました。それらは,フリギア人,ギリシャ人,ローマ人,ゴール人,それに少数のユダヤ人など,さまざまな国籍の人々で成り立っていました。これは,西暦46年ごろの,パウロのエルサレム訪問の少し後のことでした。―使徒 12:25。

      2 (イ)パウロの二回めのガラテア旅行にはどんな結果がありましたか。しかしその後にどんな事が起きましたか。(ロ)その間にパウロは旅行をどこまで進めていましたか。

      2 西暦49年,パウロとシラスは,ガラテア地方へのパウロの二度めの宣教旅行にたちました。これは,『諸会衆が信仰を堅くされ,日ごとに人数を増す』という結果になりました。(使徒 16:5; 15:40,41; 16:1,2)しかしながら,そのすぐ後を追うようにしてやって来たのは,ユダヤ教化を図る偽教師たちでした。彼らはガラテア諸会衆内のある人々に説き付け,真のキリスト教の基本的事項として割礼を受け,モーセの律法を守らねばならない,と信じさせました。その間に,パウロは旅行を続けてミシアを通り,マケドニアからギリシャに入っていました。やがてコリントに着き,そこで兄弟たちと共に18か月以上過ごしました。ついで西暦52年,彼はエフェソス経由でシリアのアンティオキアに向かいました。そこは彼の根拠地であり,同じ年の内にそこ

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