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  • 目ざめよ! 1978
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目ざめよ! 1978
目78 4/8 3–5ページ

痛みのない生活 ― それは本当に実現しますか

右手の人差し指の関節はひどくはれ上がっていました。南アフリカのこの著名な外科医は,「朝起きると,両手がひどく痛み,硬直していました。今では,手術中に痛みをこらえきれなくなって,助手に交替してもらうこともあります」と説明しました。

このような,またこれよりもひどい関節炎の痛みに見舞われている人は幾百幾千万人もいます。米国だけでも,関節炎の患者が約1,900万人もいます。それに加えて,毎日700万人に上るアメリカ人が腰痛のために床に就いています。また,米国だけでも頭痛を訴える人が常に1,200万人もいると言われています。

歯痛,耳の痛み,痔疾による痛みなどを経験する人はそのほかにも無数にいます。また,ガン,心臓や循環系の病気,および他の無数の病気やけがの引き起こす激痛に耐えている人も少なくありません。痛みについての研究では権威者であるジョン・J・ボニカ博士は,「慢性的な痛みこそ,保健上の経済問題の最たるものだと思われる」と語っています。

アメリカ人だけでも,痛みを和らげるために毎年幾十億㌦ものお金を費やします。米国では,背中の痛みを訴える人が毎年1,800万回も医師の診察室を訪れます。また,医師は,頭痛に悩む人を診察するために毎年推定1,200万時間を費やします。こうした厳然たる事実に向かうと,痛みのない生活を享受する可能性を示唆することさえ無分別に思えるかもしれません。

事実,そのような見方からすれば,痛みについて聖書が次のように述べているのは途方もないことに思えるでしょう。「[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり……嘆きも叫びも苦痛ももはやない」― 啓示 21:3,4。

『そんなことは不可能だ。だれでも痛みを味わう。それは生きている証拠だ』と言われるかもしれません。しかしそうでしょうか。現在でも痛みを感じることのない人々がいるのをご存じでしたか。

今日痛みを味わわない人々

あるニュース記事は一人の少女についてこう伝えています。「あるとき彼女はスイスでハイキングに出掛けた。『どうしてびっこを引いているの』と友人たちは彼女に尋ねた。

「『あら,気がつかなかったわ』とジョイスは笑って答えた。彼女の股関節が脱臼していたのである」。ところがこの少女は痛みを感じませんでした。それどころか,この少女は一生の間痛みを感じたことがなかったのです。―ザ・スター・ウィークリー・マガジン誌,1960年7月30日号。

こうした例はまれですが,痛みを味わうことなしに生活している人は実際に存在しているのです。ブリタニカ百科事典1976年版はこう述べています。「痛みを感じる能力の全く,あるいはほとんどない人の症例は65件まで報告されている」。

そのような人になりたいと思いますか。一生の間,痛みを感じることなく生活したいと思いますか。毎日,苦悶を与える痛みを味わっている人は,ためらわずに,「はい」と答えることでしょう。しかし,それが何を意味するか考えてみてください。

ハイキングや遊びの最中に水ぶくれができたとしても,あなたはその傷がひどく潰瘍化するまで気がつかないことでしょう。また,バーベキューをしたり,火のそばに行ったりするのは危険です。だれも気づかないうちに,火の粉で大やけどを負うかもしれないからです。痛みを感じられないなら,重大な,場合によっては致命的な結果を招きかねません。

そうです,痛みは体の発する重要な注意信号なのです。痛みは事実上,あなたをして自らを守るための行動を取らせます。では,「苦痛ももはやない」という前述の聖書の壮大な響きを持つ約束についてはどうですか。

『そんな約束の成就がなくても結構。痛みを感じられたほうがましです』と言う傾向がありますか。この約束を文字通りに,その限定された意味で解釈するとしたら,そのような反応があるのも無理からぬことです。しかし,この言葉はそうした意味に解釈するよう意図されたものですか。この言葉にそのような絶対的な解釈を加えるのは正当なことですか。

この約束の意味するところ

聖書の背景,または文脈をちょっと見てみましょう。この言葉のすぐ前で,神は「彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださ(る)」と約束されていることに注目してください。さて,次のように考えてみるとよいでしょう。この言葉は,目の涙腺の正常な機能を変えることが神の目的であるという意味ですか。神は涙腺がもはや液体を分泌しないよう,それをふさいでしまわれるのですか。そうなったとしたら,どんなことが起きるでしょうか。

涙腺は日夜,目を生き生きとさせ,清潔にするつゆのような水分を少しずつ分泌し,目をうるおしているのです。その結果,目は湿った状態に保たれ,目とまぶたの間に摩擦が生じないですみます。目の中に,ほこりやばい煙や塵などの異物が入ると,涙がそうしたものを洗い流します。また重要なこととして,涙の中にはリゾチームと呼ばれる殺菌物質が含まれており,目を消毒し,ゆゆしい感染から目を守ります。

ですから,涙は目の健康と保護に欠かせないことが分かります。ですから,神が完全な意味で人の目からすべての涙をぬぐい去ってしまうとすれば,それは災いになります。神がそのような事を約束されたのでないことは明らかです。では,「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださ(る)」という言葉にはどんな意味がありますか。

ぬぐい去られるのは,通常目をうるおし,保護している涙ではありません。むしろ神がぬぐい去ろうとしておられるのは悲しみの涙です。人間がそうした悲しみの涙を流すことは神の当初の目的ではありませんでした。しかし,最初の人間夫婦は神の支配に反逆し,人類全体に病気と困難をもたらしました。苦しみや悲しみの涙が流されるのはまさにそのためです。この聖句の文脈から,どのようにして救済がもたらされるかに注目してください。

痛みや涙がなくなることに関する約束のすぐ前のところで,聖書の筆者は次のように伝えています。「わたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地はすでに過ぎ去って(いた)」。(啓示 21:1)救済が,以前の天と地が過ぎ去り,それに代わる「新しい天と新しい地」が到来することと結びつけられている点に注目してください。

もちろん,聖書は文字通りの天と地が過ぎ去ることについて述べているわけではありません。「以前の天」という言葉は,現在権力を握っている不公正な支配者たちを指しています。その中には現在の不公正な政府とその背後にある邪悪な勢力が含まれています。「以前の地」という言葉は,今日の不敬虔な人間社会を指しています。一方,「新しい天」は義の新政府,つまりクリスチャンの祈り求めている神の王国です。(マタイ 6:9,10)そして,「新しい地」は,神の王国の従順な臣民となる人々から成る義の社会のことです。

ですから,以前の天と地が除かれ,その代わりに神の王国の支配する,清らかな人間社会が建てられるときに,痛みのない生活をまさにこの地球上で享受できるようになるのです。

では,『苦痛がなくなる』ときに事態はどのようになるのでしょうか。人々は悲しみや叫びの原因になる激しい痛みを,少なくとも時折り味わうのではありませんか。

[4ページの拡大文]

『痛みを感じる能力のない人の症例は65件まで報告されている』。

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