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台風とともに生きる目ざめよ! 1971 | 9月8日
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諸島のずっと北にあるバタン諸島は,そういう地域のひとつである。ここでは米のかわりに,米ほどひどい影響を受けないカモテつまりサツマイモなどの根菜類が栽培される。これは台風による被害がいつも大きい他の多くの地域でも臨時作物として栽培できるはずである。
台風の益
台風の危険についてこれまで述べてきたことを考えると,人々が台風というものにはそうした害を償う利点はひとつもないという印象をうけても不思議ではない。しかしそれは物事の真相ではない。台風はまた多くの良い結果をもたらすのである。たとえば,台風はその働きによって何百万リットルもの塩水を淡水に変え,かわききった土地に広く散布する。人間がそれほど莫大な量の塩水を除塩するには,高価な設備と長い年月を要するだろう。
台風の強い風が,人間と人間の住む家に与える益がほかにもあるだろうか。この点でも人間はまだすべての答えをもち合わせていないというのが実情である。人間は実情を知らないばっかりに台風の悪影響を受けているため,人はそうした悪い面を大問題として考えてしまうのである。台風が,人間や,人間の呼吸する空気,また人間の食物を生み出す土壌などにもたらす益のすべてに関する研究は,まだ初歩の段階にあるのである。
きたるべき新しい事物の体制のもとでは,わたしたちの創造者エホバ神は,現在のように台風が荒廃や破壊をもたらし,人命を奪うようなことを許されないのはたしかである。神は,エゼキエル書 34章27節にある,地上の従順な人間に対する,寛大な思いやりのある約束を実行されるであろう。「野の樹はその実を結び地はその産物を出さん彼等は安然にその国にあるべし」。そこでは,台風しだいというような不安な生活をする代わりに,風や大洋その他すべてのものを造られたかたの防御および保護の力に信頼を置いて生活できるであろう。
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医師に謙虚さが必要な理由目ざめよ! 1971 | 9月8日
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医師に謙虚さが必要な理由
医師のなかには,かなり独断的に自分の意見を主張する傾向の強い人がいる。多くの場合,そのような医師は,自分の判断は絶対に正しく,『しろうと』などからとやかく言われる必要はない,という態度をとる。しかし事実はどうであろうか。
患者を診断するさいの医師の誤診を大きく取り上げた記事が,1967年8月1日号「ニューヨーク州医学ジャーナル」誌に掲載された。それは「死前および死後診断の相関関係の欠如」と題する記事であった。つまりこの記事は,検屍と患者がまだ生きていたときの医師の診断とに矛盾があることを示している。「死前診断と死後診断との食い違いを示す例は書物にいくらでも見られる」と述べたあと,同記事は,11種の病状にかんするいくつかの統計をかかげている。
その報告によると,なかでも,肺の循環組織の中の凝血塊のような肺栓塞の場合,正しく診断された症例は50%弱で,誤診の比率は症例によって異なるが,10%から89%におよぶ。胃腸内出血,すなわち,胃または腹の出血の診断は,診断回数の33%がまちがいであった。肝臓の梗塞(肝臓組織の壊死部分)の場合,そのほとんどが患者の死亡以前には認められていない。心筋炎,すなわち心臓の筋肉壁の炎症の場合も,その大部分について同じことが言われている。
フランスでは,1,000件の検屍のうち,死前診断が正しかったのは,55.4%にすぎず,死後はじめてひどい続発症の発見された例が23.5%もあった。
その一例。食事中に吐き気を催すくせのある女性が,レストランで食事をしているときに窒息して死んだ。二人の医師はそれをひどい心臓発作と診断した。ところが検屍の結果,ステーキの小片がのどにつまって窒息したことがわかった。正しい診断が下されていたなら,彼女の一命をとりとめていたかもしれない。
この医学記事は,さらに次のように述べている。「検屍がしばしば診断を訂正するということは……医学の分野でまだいかに多くを学ばねばならないかを指摘する客観的な論評と言うことができる」。
そうである以上,謙虚さは,医業に携わる人々が培うべき美徳ではなかろうか。
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