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    ものみの塔 1957 | 1月1日
    • ものでもありません。この世の離婚裁判所は,姦淫以外の理由で離婚を判決します。しかしそれは神の結びたもうたものを切り離していません。離婚した者は,なおひとつの肉であつて,夫と妻です。それで,どちらも再婚する自由はありません。再婚することは,姦淫を犯すことを意味します。姦淫以外の理由で自分の妻を離縁する者は,再婚するその妻に姦淫を行わせることになります。また,自分自身も同じように姦淫を犯すことになります。離婚の理由が姦淫 ― 女の犯したものでも,又はその夫の犯したものでも ― でない女と結婚する男は,その女と姦淫を犯します。そして,その者は,他の男に属している肉体と結合します。

      17 (イ)やもめや,男やもめは,なぜ再婚することができますか。(ロ)合法的にやもめ,男やもめと認められる者は,何をすることができますか。しかし,彼らはどんな責任を受けいれねばなりませんか。

      17 死は結婚を解消します。それで,男やもめや,やもめは再婚することができます。『夫のある女は,夫が生きている間は,律法によつて彼につながれている。しかし,夫が死ねば,夫の律法から解放される。であるから,夫の生存中に他の男に行けば,その女は淫婦と呼ばれるが,もし夫が死ねば,その律法から解かれるので,他の男に行つても,淫婦とはならない。』(ロマ 7:2,3。新口)夫や妻が,戦争とか災難のために死んだと報ぜられても,死亡した者と登記することができず,またその死を証明する記録のない場合があります。または,結婚配偶者が長い期間行方不明になつてしまうため,国家の法律はその者を死亡者と認めるかもしれません。このときになつて,人は合法的に男やもめ,又はやもめとなります。そのような人は,良心の咎めなしに再婚することができます。再婚するならば,その結果に対する責任を負わねばならず,また新しい義務に全く従う生活をしなければなりません。神は事実を知つておられ,事実に従つて裁かれます。そして,再婚した人が新しい世の生命を受けるにふさわしいか否かを決定します。死亡した者と合法的に認められた者が再び現われて,自分の合法の配偶者を引戻したい,と欲するときは,その事柄は法律的に解決されねばなりません。そういう状況から見ると,合法的に男やもめ又はやもめと認められる人と結婚する者は,危険を冒すことになります。そしていかなる事態にも敢然として直面しなければなりません。

      性的不能,汚れ,精神異常,宗教の変更

      18 (イ)離婚の理由としての性的不能について,神の律法と人間の法律はどのように違いますか。(ロ)人工受精については?

      18 ユダヤ人の講法博士<ラビ>法典は,夫婦の交りについての義務を強調しました。その法典によると,夫が身体上の欠陥のために,6ヶ月のあいだ妻に結婚の分を与えることができないなら,その妻は夫を離婚することができました。同じく,妻が子供を産まないなら,夫はその妻を離婚することができたのです。しかし,イエスは夫の性的不能を離婚の理由に認めていません。証者たちの前で合法的に執り行われた結婚の手続は,エデンの中のアダムとエバの場合と同じくその結婚を正当なものにし,効力のあるものにしました。夫が性的不能な場合,子供を欲している夫婦は,妻に人工受精させて別の男の精子を取らせることを合意するかもしれません。或る法廷は,人工受精は姦淫であり,そのような方法で産まれる子供たちは私生児である,とすでに裁定しています。最近,結婚と離婚審議英国王室委員会は,夫の同意なしに妻が人工受精して他人の精子を受けることは離婚の理由であると勧告していました。そのような離婚は,聖書的にも正しいことです。しかし,夫がそれに同意するなら,その夫婦は両方とも排斥されるでしよう。なぜ? なぜなら,それは実際には姦淫を犯すことであり,夫と妻の両人は不道徳な行に賛成したからです。事実上,夫は妻を別の男に与えて,交接の精子を受けさせ,また妻は,夫でない男に身を任せて,自分と一つの肉になつていない,その者の子供を産むからです。それは,姦淫の行です。そして,夫がその子供を養子にしたところで,妻の姦淫行為に同意した,という事実はなくなりません。―レビ 15:16-18,32,33; 19:20。民数記略 5:12,13。

      19 どんな聖書的な例は,不妊が離婚の理由にならないと示していますか。

      19 妻の不妊も,離婚の理由にはなりません。25年以上もの長いあいだサラは不妊でしたが,アブラハムは彼女を離婚しなかつたのです。イサクもリベカを,ヤコブもラケルを,祭司ゼカリアもエリザベツを離婚しませんでした。a ノアの息子たちも,方舟が建設されている期間と,洪水後2年経つまでの期間中,不妊であるという理由で自分の妻たちを離婚しませんでした。(創世 6:18; 11:10)ヱホバも,自分の『女』である宇宙的な制度が,4000年以上ものあいだ不妊でメシヤを産み出さなかつた,という理由で彼女を離婚しなかつたのです。―イザヤ 54:1-13。

      20 (イ)不自然でしかも汚れた性行為について,神の言葉はどのように見なしていますか。(ロ)しかし,これらは,なぜ再婚のできる離婚の正しい理由になりませんか。

      20 男色(男子が女子に対するごとく,別の男子と不自然な交接をすること)や,女性相姦(女子同志の性関係)や,獣姦(男子または女子が,動物と不自然な性関係を結ぶこと)は,離婚をする聖書的な理由ではありません。それらの者たちは,きたない者たち,汚れた者たちであつて,イスラエルに与えられた神の律法は,そのような悪行をする者たちを死刑に処罰しました。そして,神の会衆から直ちに取除いたのです。しかし,そのような行は,異性との姦淫ではありません。それで,その汚れた者が異性のひとりと一つの肉になつたわけでないのです。(ロマ 1:26-32)だが,そのような行をするなら排斥という罰をうけます。そのような行をするクリスチャンは,天の御国に入れず,又神の新しい世にも入れません。そして,獣と同じように,将来の生命を全く断ち切られてしまうでしよう。『肉の思いは死である。』それは『神に敵するからである。すなわち,それは神の律法に従わず,否,従い得ないのである。また,肉にある者は,神を喜ばせることができない。』彼らは,神から永遠の命という賞を頂くことができません。(ロマ,8:6-8,新口。コリント前 6:9,10。ガラテヤ 5:19-21)配偶者がそのような汚れた事柄をするなら,その者と結婚している清い者は,一緒の生活をとうてい耐えて行けない,と感ずることでしよう。或る法廷では,そのような理由に基く離婚を認可するかもしれませんが,しかしそのような行は別居の理由になるだけです。このように別居しても,人は自由に再婚することができません。それは姦淫を犯すことになります。パウロは,こう書いています,『結婚している者たちに命ずる。命じるのは,私ではなく,主であるが,妻は夫から別れてはいけない。しかし,万一別れているなら,結婚しないでいるか,それとも夫と和解するかしなさい。また,夫も妻を棄ててはならない。』(コリント前 7:10,11,新世)別居している夫婦のひとりが,別居生活に耐えかねて姦淫を犯すなら,無実な者は離婚して再婚し得る聖書的な裏づけを持つことができます。

      21 (イ)精神病にかかつても,又は不治の不愉快な肉体の病気にかかつても,なぜ離婚の理由になりませんか。(ロ)かえつて,そのような状況は,何をする機会となりますか。

      21 結婚配偶者が,時経つ中に気狂いになつたり,不治の病気や,不愉快な病気にかかつたとしても,それらは離婚を得る正しい理由になりません。このような場合には,自分の体の傷ついた肢体に対するように,または自分の子供に対するように,不仕合わせな配偶者を取扱わねばなりません。その配偶者には手厚い看護をすべきであつて,合法の離婚をして夫婦の縁を切る,などをしてはなりません。病気にかかつている配偶者は,たとえ病に冒されようとも,健康な配偶者とひとつの肉であり,自分自身の肉として,すべての世話と誠実を受けるだけの権利を持つているのです。これは,自分の肉身に対する愛を表わし,つらい事態を悪化せずに,むしろ軽くするのに役立つのです。『夫は自分の体のごとく妻を愛すべきである。妻を愛する者は,自分自身を愛する。自分自身の体を憎んだ者はひとりも居らず,キリストが会衆になしたと同じく,自分の体を養い,大事にする。私たちはキリストの体の成員である。「それで,人はその父母を離れて妻につき,二人は一つの肉になる。」』(エペソ 5:28-31,新世)片方が,精神病にかかろうとも,又は体の病気にかかろうとも,忠実な配偶者は,その者を見棄てないでしよう。神の律法によると,健康な配偶者はそのような者を見棄ててはなりません。ナアマンの妻は,夫が癩病患者だからという理由で夫婦のきずなから解かれませんでした。ナアマンの不愉快な病気は,全能の神の奇跡によつて,はじめて癒されたのです。(列王紀略下 5:1-4,8-14)たいていの結婚式のときに,夫婦は苦楽を共にしよう,と互に誓います。

      22-24 (イ)宗教が変るとか,違うからということは,なぜ別居したり離婚したりする理由になりませんか。(ロ)そのような状況下にいる配偶者に対して,パウロはどんな助言を与えていますか。クリスチャンが不信者の配偶者から去るべきか否かは,何によつて決定すべきですか。

      22 或る法廷では,配偶者の宗教の変更を,離婚の理由に取上げています。神とキリストに従えば,これは正しくありません。この裁判訴訟は,次のことを推定しています,すなわち結婚する時に夫と妻の両方は同じ宗教制度の会員であつたため,後になつて片方が宗教を変更するなら,最も大切な点で家庭問題をひき起す,というのです。片方が新しい宗教に改宗するなら,その者は配偶者の宗教から見るとき不信者となります。以前の宗教を行つている配偶者にとつて,これは辛いことかもしれませんが,しかしこれだけでは,合法の処置によつても,又はお互の合意によつても,別居する理由にはならないのです。このことにつき,パウロは次のように書いています。

      23 『ある兄弟に不信者の妻があり,そして共にいることを喜んでいる場合には,去つてはいけない。また,ある婦人の夫が不信者であり,そして共にいることを喜んでいる場合には,去つてはいけない。なぜなら,不信者の夫は妻によつて清められており,また,不信者の妻も夫によつて清められているからである。もしそうでなければ,あなた方の子は汚れていることになるが,実際はきよいではないか。しかし,もし不信者の方が離れて行くのなら,離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も,こうした場合には,束縛されてはいない。神は,あなたがたを平和に暮させるために召されたのである。なぜなら,妻よ,あなたが夫を救い得るかどうか,どうして分るか。また,夫よ,あなたも妻を救い得るかどうか,どうしてわかるか。』― コリント前 7:12-16,新口。

      24 それですから,結婚する前でも,又は結婚した後であつても,宗教が違うということは,夫婦の別居する理由にはなりません。それは,他の者との結婚を許す離婚の理由にはなりません。夫が妻よりも先に神の真理を信じて,神の真理に入り,夫が宗教を変えても妻が不服を唱えないなら,またたとえ妻が反対しても,夫は妻の許を去るべきでありません。要点はこうです,はたして,妻は,このような環境下でも夫と共に生活して行くのを欲しているでしようか。夫が真理を受けいれることによつて,環境は更に良くなるはずです。もし,妻が共に生活するのを欲するなら,夫は妻を去つてはなりません。妻といつしよにいるならば,妻に真理を語ることができます。また,すくなくとも妻の前で真理の生活をすることができます。このようにするなら,妻にも真理をうけいれさせ,神の新しい世における生命の救を得させることができます。このことは,真理を信じながら,夫と共に生活する妻にも当てはまるものです。

      25 神は,そのような結婚で生まれた子供たちを,どのように考えますか。信者である配偶者は,不信者である配偶者をどのように遇すべきですか。

      25 不信者は,信者と『ひとつの肉』である故に,この理由だけからも不信者はヱホバ神から,或る程度の認めを受けます。神は,その夫婦の子供たちを汚れた者と見なさず,きよい者と見なします。そして,信者は子供たちが真実にきよくなるよう育てるでしよう。そうするなら,子供たちは分別のつく年頃になると,自ら進んでキリストを通して神に献身するでしよう。不信者は自働的に神の聖徒になるわけではありませんが,信者である配偶者はすべてのものを神に捧げました。そして,その見地から不信者を遇します。従つて,潔められた信者は,神の御旨に適うように不信者を遇します。それによつて,不信者も真理を認めて受け入れ,神との関係に入るようになるでしよう。

      26 (イ)何が不適当な取扱を必要としますか。しかし,なぜこれは再婚の権利を有する離婚の理由ではありませんか。(ロ)ラバンの言葉からも示されるとおり,別居した配偶者の態度はどんなものでなければなりませんか。

      26 もし不信者が,この潔められた処置に答え応じなくても,それは不信者を去る理由ではなりません。別居ということは,不信者の方からするようにしなければならないのです。或る場合には,信者に対する不信者の態度が非常に悪く,とうてい一緒に生活することが耐えられないために別居することもあります。しかし,信者同志が或る合意できない事柄のために別居する場合と同じく,信者は,離れた不信者が不道徳な行を為して正当な離婚の理由を得るまでは,独身でいなければなりません。(コリント前 7:10,11)ラバンは結婚条約の違反を阻止するため,ヤコブに向い『我らが互に別るるに及べる時,ねがわくはヱホバ我と汝の間を監みたまえ』と言いましたが,信者は別居した配偶者に対して丁度そのラバンの言葉に示されている態度を取ります。(創世 31:49)ヱホバ神は,結婚契約が破られるならば,それを必らず見られます。そして,誰が有罪の配偶者であるかを,見ると共に,はたして離婚をする聖書的な理由があるか,又再婚する自由があるか否かを決定されます。これは,よく言われている『霊的な姦淫』でなく,身体上の姦淫でなければなりません。

      27 霊的な姦淫は,なぜ聖書的な離婚の理由になりませんか。信者が不信者といつしよに生活を続けることは,なぜ良いことですか。

      27 霊感をうけたヤコブは,たしかに次の言葉を書きました『不貞のやからよ。世を友とするのは,神への敵対であることを知らないか。おおよそ,世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである。』(ヤコブ 4:4,新口)この世の友になつて,霊的な姦淫を行つても,それは離婚の理由にはなりません。なぜですか。なぜなら,この世の友になることだけでは,異性のひとりと姦淫を行つて『ひとつの肉』にならないからです。たしかに,不信者はこの世の友です。しかし,このことでもつて信者には,信仰を持たぬ配偶者を去る権利と良い理由がある,と使徒パウロは論じていません。それとは逆に,もし不信者が共に生活するのを厭わないならば,夫婦が一緒の生活を為すことは全く正しいことであり,道徳に反するものではありません。夫婦が一緒の生活をするならば,不信者は援助をうけて新しい世に救い入れられるかもしれません。しかし,若し二人の生活が正しくなく,信者がこの世の人のなす霊的な姦淫を黙認するということであるなら,不信者を助けることはできないでしよう。

      配偶者の恵み深い処置

      28 (イ)離婚の理由を姦淫に制限しても,配偶者に何をしてはなりませんか。(ロ)神の律法と比較するとき,人間の或る法律はどのように不公平ですか。

      28 キリストは,再婚のできる離婚の理由は姦淫だけである,と制限せられました。それだからといつて,結婚の配偶者を手荒く遇したり,またおろそかにしても良い,ということにはなりません。姦淫だけに制限せられていることは,夫婦がひとつの肉であつて,どんな事態が起きようと互にいたわり合い,決して離れてはならない,という神の取極を強調するものです。最高の結婚法廷の絶対に正しい裁き主は,そのように定めました。或る国々の法律によると,夫が姦淫の行をしても,妻が夫を離婚する合法の理由になりません。ただ,妻が不道徳をする時のみ,姦淫の理由でその妻を離婚することができます。しかし,キリストを通して述べられた神の規則によると,もし夫が不道徳な行をするなら,妻は合法的に夫を離婚して,自由に再婚することができます。しかも,この行をしても淫婦にはなりません。そのわけで,イエスは次のように言われたのです,『だれでも,自分の妻を(非聖書的に)出して他の女をめとる者は,その妻に対して姦淫を行うのである。また妻が,その夫と別れて他の男にとつぐならば,姦淫を行うのである。』(マルコ 10:11,12,新口)山上の教えの中で言われた言葉によつても,イエスは夫に対する標準と妻に対する標準を区別しませんでした,『「妻を出す者は離縁状を渡せ」と言われている。しかし,私はあなた方に言う。だれでも,不品行以外の理由で自分の妻を出す者は,姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も,姦淫を行うのである。』(マタイ 5:31,32,新口)神は不公平な方でありません。神から見るとき,夫のする姦淫は,妻のする姦淫と同じく悪いものです。

      29 男は,関係を持ちたいなどという欲望を抱いて,なぜ妻以外の女を見てはいけませんか。

      29 その故に,夫は他人の妻に邪欲を抱いてはなりません。また,関係を持ちたいなどという欲望を抱いて,他の女を見てはなりません。夫は自分の妻だけとその関係を結ぶべきです。よくある話ですが,妻帯している実業家の重役や事務職員は婦人の秘書 ― 結婚している者でも又は独身の者でも ― と恋愛して,肉体関係に入るなどのことがないように注意しなければなりません。イエスは次のように言われました,『「姦淫するな」と言われていたことは,あなた方の聞いているところである。しかし,私はあなたがたに言う。だれでも,情欲をいだいて女を見る者は,心の中ですでに姦淫をしたのである。』(マタイ 5:27,28,新口)心を読まれる神の御前にあつては,その者はすでに罪を犯した者です。その男の心の中では,姦淫が行われたにしても,この理由でもつて,妻から離婚されることはありません。しかし自分の結婚配偶者以外の者に対するよこしまな欲望は,もし押えないなら,肉体上の姦淫を行うようになるでしよう。

      30,31 (イ)罪の無い者は,何時罪を犯した者を許すことができますか。(ロ)許しが与えられる場合は,会衆はどんな手段を取りますか。許しが拒絶せられる場合は?

      30 配偶者の片方が姦淫を犯しても,もし罪を犯したその者が正しく悔改めたことを表して,罪の許しを熱心に求め,そして二度と誤ちを犯さず,結婚の誓を守る,と約束するならば,他方の配偶者はその者を許して離婚訴訟を起さない権利を持つています。罪の無い者が,罪を犯した配偶者を許さないならば,その罪を犯した者は会衆から排斥されねばなりません。そして,罪の無い配偶者は,可能ならば,あるいは望むなら,合法の離婚を得ることができます。それは,聖書からも認められます。このことは,個人的な事柄です。例えば,夫が妻を許すなら,夫は妻に結婚の分を与え続けます。そして,神に依り頼みつつ妻を許します。そういうことになれば,自分の『ひとつの肉』と遇している妻を,クリスチャン会衆から排斥する,というような罰を受けさせて表向のことにする理由はありません。もし,そのようなことをするなら,夫の憐れ深い許しによつて得られた和解も,駄目になります。『怨恨は争を起し,愛はすべての愆を掩う。』(シンゲン 10:12)『互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。』(ペテロ前 4:8,新口)『私の兄弟たちよ,あなたがたのうち,真理の道から踏み迷う者があり,だれかが彼を引きもどすなら,かように罪人を迷いの道から引きもどす人は,その魂を死から救い出し,かつ多くの罪をおおうものであることを,知るべきである。』(ヤコブ 5:19,20,新口)『もし,あなたの兄弟が罪を犯すなら,行つて,彼と二人だけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら(そして,自分の罪を認めて,衷心から悔い改めたことを表わし,そして許しを願うなら),あなたの兄弟を得たことになる。』罪人が,自分の属しているクリスチャン会衆を監督する委員の言葉にも耳を傾けないなら,その者を排斥しなければならぬ,とイエスは言いました。―マタイ 18:15-17,21,22,新口。

      31 それで,夫が神にならい,またキリストに従つて,悔改めた妻を許し,そして合法的な罰を加えるのを差し控えるなら,会衆にはその妻を罰して排斥し,妻の改善を援助している夫と妻とのあいだに霊的な障壁を置く権利はありません。会衆は,その改善の努力に協力すべきです。しかし,夫が妻を許すと決定する以前に,会衆が妻を排斥するなら,どういうことになりますか。後になつて,夫が聖書的な理由にもとづいて妻を許すとしても,会衆からの妻の排斥が自働的になくなることにはなりません。なぜなら,事態はいまや会衆の手中にあるからです。その妻は,会衆の監督を司る委員と直接に話合い,会衆に復帰するために必要な段階を踏むことにより委員の要求を果さねばなりません。(41節の最後の14行を参照しなさい)また,夫から強制されるとか,しつつこく言われるとか,或は脅迫されるために夫を許すのでなく,夫が本当に悔改めている故,夫が霊的に回復するのを手伝いたい,という愛の気持から夫を許す貞節な妻も,事態を同じように取扱います。『妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である』(コリント前 7:4,新口)それですから,夫が真心から侮改めて,改善しようと努めているかどうかを調べている期間中は,妻は夫の行状に目を配り,夫を助けて道徳的にも霊的にも清さを保たせ,そしてクリスチャン会衆と交わるのにふさわしい者であるようにしなければなりません。

      32 (イ)許しを与える夫はもし会衆の処置を欲しないなら,どんな手段を取らねばなりませんか。(ロ)姦淫をなした者に対しては,会衆はどんな処置を取らねばなりませんか。

      32 貞節な夫の場合には,その夫は妻をかならず試験にかけるでしよう。そして,妻の挙動を厳重に見張り,罪を繰り返して行わせないように妻を援助します。会衆も,そのことをする夫を信頼するでしよう。もし,夫がそうしないなら,夫は自分の家を正しく治めていない,と会衆は見なします。その者には,会衆の霊的の監督をする責任の地位に即く資格がありません。その場合にも,会衆はこの問題を採り上げて,夫と妻に対して処置を取ります。なぜなら,その夫は自分の家の事柄をクリスチャン的な仕方で行つていないからです。姦淫を行つた者が,会衆の一員かもしれません。もしそうなら,その者を排斥して,奉仕の特権と地位を取上げ,クリスチャンの交りを止めさせねばなりません。排斥された後に,その者が悔改めたことを示し,会衆内に戻るのを欲するなら,その者を復帰させて,長い試験 ― すくなくとも1年間 ― にかけることができます。その後,良い行状をしたということが判明するなら,その者に課せられた制限は正式に取り除かれ,その者は会衆に戻ることができます。―コリント前 5:1-5,13。コリント後 2:5-11。

      33 罪の無い者が有罪な配偶者を許したにしても,会衆はどんな適当な処置を取ることができますか。

      33 罪の無い配偶者が有罪な配偶者を許したために,会衆が排斥という処置をとらない時があります。しかし,これは,その有罪な配偶者から,会衆内の特別な責任すなわち奉仕の特権を取り上げてはならない,という意味ではありません。この場合,排斥ということではありませんが,特別な奉仕の地位に対する資格というものが関係しているのです。姦淫を行つた有罪な配偶者は,会衆の悪しき代表者になりました。そして資格を無くしたため,代表的な責任ある地位に即くべきでありません。罪の無い配偶者が罪のある配偶者を許したにせよ,会衆はその罪のある失格の配偶者を取除き,そして非難を受けず,また他の人の躓きにならない人を奉仕の地位に即けさせることができるのです。

      34 夫が有罪な妻を許したイスラエル人の幾らかの例とは何ですか。

      34 有罪の配偶者を許す,ということから予言者ホセアのことを思い起します。ヱホバは,姦淫を行つた妻を娶れ,とホセアに命じましたが,彼は従順にその命に従いました。(ホセア 1:3-6; 3:1,2)それよりもずつと以前のイスラエルの審き人の時代に,一人の氏名不詳のレビ人は遠い距離を旅行して,淫行の妾を取戻しました。それは,その女に売淫させるためでなかつたのです。ベニヤミン人の住むギベアの邑で,そのレビ人の宿屋を襲つた群衆に,彼は妾を差出しました。妾を群衆の思いのままにさせましたが,それは妾を愛さなかつたからではありません。無理強いの男色で,レビ人としての自分の聖なる職務を汚されないようにするためだつたのです。彼は,群衆が自分の妻なる妾を犯したことを是認しませんでした。激怒した彼は,この事柄を大問題としてイスラエル全国民の前に提出しました。このため,唖然となつたイスラエルの11の支族は,戦争を行つてその有罪の邑とベニヤミンの支族を罰しました。この戦争の結果,罪を持つこの支族はほとんど絶滅しかかつたのです。このことは,他の11の兄弟支族が,国民の清さを保つ者たちなることを立証しました。―シシ記 19章と20章。

      35 父親の妻と淫行をなしたコリント人の兄弟の場合では,パウロは恐らく何を考慮した結果,有罪な男だけを排斥せよ,と命じたのですか。

      35 コリント前書 5章1-13節で,使徒パウロの取扱つている姦淫の場合では,パウロは,淫行の罪を持つ男のみ有毒のパン種のようであるから会衆より除去しなければならぬ,と命じました。もし,その女が会衆の一員であつたなら,使徒の権威を持つパウロは,なぜ同等の罪を持つこの女をも会衆より排斥せよ,と命じなかつたのですか。彼女は,有罪者の父親の妻でした。使徒パウロは,有罪の妻に対して為した夫の取扱いを尊重したのでしよう。それですから,後日パウロが会衆内に復帰させてサタンの謀略から救いなさい,とすすめた人は,悔改めたその男だけだつたのです。

      36 姦淫を行つたことに対して,なぜ金銭的な毀損料金を取つてはなりませんか。

      36 悔改める結婚配偶者をこのように許す,ということは,妻に姦淫を行わせて,それから妻を犯した者に『女子毀損料』というようなものを払わせて金を自分の懐に入れること,とは全く違います。一夫多妻主義者の或る人々は,多くの妾を扶養していますが,それは妾に売淫させる,つまり同じ妾によつて何度も『女子毀損料』を得るためです。これは,自分の娘に売淫させることよりもずつと悪いものです。(レビ 19:29)もし,誤ちを犯した配偶者を許して迎え入れるなら,そのような毀損料を徴収すべきでありません。毀損料金を取ることは,姦淫を許し,姦淫を商売にすることです。有罪者を許し,そして毀損料金を求めないならば,罪の無い者は身の潔白を保つことができます。こうするなら,妻に悪い売淫を行わせて得る商業的な利益などに目がくらまされず,かえつて汚れた行の罪深さというものを更に良く悟ることができます。

      37 真理をうけいれる以前に,非聖書的な離婚をして再婚している人々は,何をすることができますか。そして,なぜですか。

      37 神の真理と要求を知る前に,人は非聖書的な理由に基いて自分の妻を合法的に離婚し,そして再婚していることがあるかもしれません。もしこの人が今では新しい結婚を行つていて,御国の音信を受け入れるなら,クリスチャン会衆はその人の結婚状態を変えることはできません。神の音信が達したその時の状態で,その人を受け入れねばなりません。そして,正しいことを知る以前に為した悪行や,無知のために為した罪は,神が許し給うものと信じます。しかし,その人が2番目の合法の結婚における自分の義務を正しく守ることは必要です。クリスチャン会衆はそのことを要求しなければなりません。もしそうでないなら,その人の神への献身は受け入れられず,また水による洗礼は施されないでしよう。

      38 クリスチャンが,献身した不貞な配偶者を離婚したい,と欲するなら,会衆は先づ何を為すべきですか。

      38 結婚しているクリスチャンが姦淫を犯すなら,クリスチャンの配偶者は離婚したいと欲することでしよう。しかし,証者のひとりのなす汚れた不貞の行によつて,ヱホバの民に無必要なそしりを招いてはなりません。それを防ぐため,クリスチャン会衆は先ず不貞の者を排斥します。それから,清い無実な者は,不貞の者に対する一般裁判訴訟をいたします。しかし,その不貞な者は,今では会衆の一員でなく,ヱホバの証者のひとりでもありません。このようにして,神権制度は外部からのそしりを避けることができます。

      39,40 (イ)非聖書的な離婚がなされるならば会衆は離婚した者たちについて何を注視しなければなませんか。そして,何時処置を取らねばなりませんか。(ロ)非聖書的な離婚をした後に悔改めたところで,なぜ人は自由に再婚することができませんか。

      39 要するに,クリスチャン会衆は,会衆の一員または夫婦のなす離婚についての根本的な理由を知らねばなりません。それはクリスチャン会衆の義務です。もし,その理由が非聖書的のものであるなら,会衆は離婚された者の以後の行を良く注意して見なければなりません。離婚の原因が不道徳であるとは,離婚請願書または判決書に必らずしも記されないでしよう。或る国では,離婚許可の理由はインジュレス・グラウエス・エー・ブビリケス(『重大なる公共の害』)と記されるかもしれません。このほとんどは姦淫を意味しますが,しかし無実な人々をそしりや公共の反響で影響されないようにするため,離婚の理由はそのように述べられるのです。会衆は,その特定な理由を知つておかねばなりません。会衆内の一人が,非聖書的な理由で離婚をした,というだけで,その人を排斥することはできません。しかし,離婚された配偶者が死亡するか又は不道徳を行う以前に,その人が再婚するなら,会衆は姦淫の再婚を行つたこの人を排斥します。

      40 クリスチャンが,自分の配偶者を非聖書的に離婚したことにたいして,神のゆるしを願つたにしても,そのクリスチャンには再婚の自由がないのです。一般的にその罪が許されるにしても,非聖書的な理由で解消された合法の結婚は廃棄されず,又無効になりません。それは,結婚の状態を変えないのです。仮にそうなら,非聖書的な理由で配偶者を離婚する者は,再婚しても姦淫を犯すことにならないでしよう。次のことを憶えて下さい,神に献身する以前でも,または献身した以後でも,非聖書的な離婚で解消される結婚は,罪のゆるしを願うだけでは神の御前で真実に解消しているのでありません。丁度,刑務所内の囚人の罪を神が許されたにしても,その囚人の懲役期間が廃止されて,囚人が刑務所から自由に出て行けるわけでない,のと同じです。それで,聖書的な許可または認可なしに再婚することは,姦淫の行であり,会衆はその有罪者を排斥します。同じく,非聖書的な理由で離婚されたこの世の人とクリスチャンが結婚するなら,そのクリスチャンは淫行を犯していることになり,排斥しなければなりません。―ロマ 7:2-4。コリント前 7:39。

      41 (イ)正しくない再婚が行われるとき,独身でいる罪の無い配偶者は何をすることができますか。(ロ)正しくない再婚をする配偶者には,どんな処置が取られねばなりませんか。その者には,何が永久に許されませんか。

      41 正しくない再婚は,離婚を有効なものとし,罪の無い配偶者は,会衆内に続けて居ることができ,望むなら再婚することができます。しかし,正しくない再婚をする者は,姦淫を行う者として排斥されねばなりません。その人は,永遠の生命が得られない危険な状態に入ります。『女と姦淫を行う者は知恵なきなり。これを行う者は,己の魂を亡し。』(シンゲン 6:32)復帰することによつてのみ,その人は救われます。しかし,非聖書的に再婚する人は,ただ悔い改めるだけで会衆に全く戻り得るわけではありません。その人には,復帰した後でも,十分に長い試験期間 ― すくなくとも1年 ― を掛けねばならないのです。そして,その人は,真心から悔改めたことを示し,また結婚に対する正しい尊敬を示さねばなりません。その合法的な再婚は,国家の法律から見るときに有効です。それですから,法廷において解消する為には正しい合法の理由がなければなりません。たとえ,非聖書的に離婚した先妻が死んだにしても,又は夫の再婚した後に再婚したにしても,その人は自働的に復帰できるのではありません。その人は悔改めて,告白し,復帰願を出し,そして試験期間に従わねばなりません。たとえ,心から悔改めて,要求されている通りに新しい合法的な結婚における自分の義務を正しく果す場合でも,また会衆に全く復帰する場合でも,その後その人には会衆内の公式な,模範となる責任の職務,すなわち特権にあずかる資格はありません。真理にいたその人の個人的な過去の行は,良い模範でないのです。

      42 神の課し給うた結婚の義務を擁護する者たちは,なぜ幸福ですか。

      42 真実の清い結婚は,ヱホバ神から与えられる特権です。ヱホバ神御自身が結婚を取極めました。そして,『ヱホバには不義なし。』(詩 92:15)神の課し給うた結婚の義務を忠実に果すクリスチャンは幸福です。そのクリスチャンは,この神の定めた真実の高貴さと尊貴さを擁護しています。そして,クリスチャンに与えられた次のいましめを銘記します,『すべての人は,結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は,不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。』(ヘブル 13:4,新口)彼らは,主として肉的な関係の楽しみをよろこぶのでなく,むしろ両性のこの密接な結合によつて得られる霊的な機会を楽しむのです。かくして,結婚の理想は達成し,神の是認と祝福を得ます。この結婚は救を得ることと,最高の神に仕えることの助けになります。そして,人間のよろこびのためと神の目的を成就するために,愛の御心からこの御準備を設けられたヱホバ神を立証いたします。

  • 結婚しない者の行は更に善し
    ものみの塔 1957 | 1月1日
    • 結婚しない者の行は更に善し

      1 (イ)結婚しない人は,半人前の人であるという論の間ちがいは,何によつて証明されますか。(ロ)イエス・キリストは,どんな種類の花嫁だけを永遠に持ちますか。

      結婚には,神の目的によつて定められたごとく,よろこびと祝福があります。神は両性が引き合うように定め置かれたため,男と女が結婚するのは正常なことです。そして,人間であるクリスチャンも例外ではありません。しかし,クリスチャンに対する神の言葉は,結婚しないならば人は全く成熟したことにならない,つまり結婚しないなら,半人前の人である,というような或る種族や人々の見方を取りません。この見方を取ることは,イエス・キリストの地位を落すことになります。彼は33歳半のとき,童貞のまま独身で死んだからです。イエスは天の御父の御意に従い,結婚しないで死にました。しかし,この節制と従順の行の故に,彼は14万4000人の忠実な弟子で成立つ霊的な『花嫁』なる会衆を得ます。14万4000人の弟子たちは,男が女に対する愛よりも,また夫が妻に対する愛よりも,はるかにまさる愛で,イエスを愛します。御父は,この霊的な花嫁を輝くばかりの天的な美に飾つて御

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