ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 裁くためにはそれに適した特質が必要
    ものみの塔 1977 | 6月15日
    • な場合,問題を審理する者としての資格をもって奉仕している長老たちは,ある要素が状況の違いを見分けるのに役立つときもあることをわきまえて,問題を慎重に考量しなければなりません。厳密な規則を導きとして頼る代わりに,問題を原則の点から考え,各ケースをそれ自身の功罪に基づいて裁く必要があります。

      12 義をもって問題を裁く際に審理委員が行なう事柄を幾つか挙げなさい。

      12 審理委員は,神の義の規準が要求するところを知っているのですから,決定を下す前にすべての事実を知る責任があります。(箴 18:13)もし悪行者,つまり訴えられた人が,重大な罪を隠し立てて告白しないなら,その問題の真否を確証するため,証人たちから事情を聞かねばなりません。(申命 19:15。テモテ第一 5:19)長老たちはまた問題の周囲の状況もよく調べます。以前与えた助言が無視されてはいなかったか。証拠は,問題の行為が意識的になされたものであること,または常習的な罪が関係していることを示してはいないか。これらの要素は問題の扱い方に関係してきます。祈りを込めてすべての事実と状況を考慮し,神の律法をよく考えるなら,長老たちは大抵の場合しっかりした決定を下せます。

      13 (イ)審理委員は何を目的として努力すべきですか。マタイ 18章17節は,悪行者の反応が彼の問題の成り行きに関係を持つことを,どのように示していますか。(ロ)時々,排斥措置を取る必要が生ずるのはなぜですか。

      13 長老たちは,たとえ悪行者が重大な罪を犯していても,自分たちの目標は,悪い道に陥った人を可能な面で助けることにある,ということを自覚しています。もし当人が,真に悔い改めたことを示して「彼らの述べることを聴くなら」,彼を兄弟として『得る』結果になって排斥しなくて済むかもしれません。(マタイ 18:15-17)さもなければ,長老たちはいつまでもあわれみをもってその人を扱うわけにはいきません。なぜなら,もしそれをすれば,神の義の規準と神聖さを無視することになるからです。そういう悔い改めない悪行者が神の民の中にとどまることを許されると,会衆の精神に悪い影響が及ぶでしょう。(コリント第一 5:3-6)そういう場合には排斥措置が非難を一掃し,クリスチャン会衆の清さを保ちます。

      14 箴言 13章10節が裏付けているように,時には,資格のある他の長老たちに相談するのは賢明ですが,なぜですか。

      14 とはいっても,時には問題の幾つかの面をはっきりさせる必要のあることもあるでしょう。性急に断定を下すのではなく,確かに正しい決定を下すためには,どうすればよいでしょうか。会衆内の資格ある他の長老たちに相談することも,妥当な結論に到達する助けになるでしょう。問題を扱っている長老たちが経験の浅い人たちであるなら特にそうです。(箴 13:10)もしそれでも問題が解決しないなら,その地域内の経験の深い長老たちか,または旅行をする監督が訪問中であるならばその監督に援助を求め,彼らの意見を聞かせてもらうこともできます。そういう人たちは,同じような問題を扱ったことがあるかもしれないので,大いに役立つ助言を与えてくれるでしょう。

      15 一時期排斥さていた人たちがこの節に参照されている聖句にある通り,現在またエホバの民との良い関係を取り戻しているのはどうしてですか。

      15 ある時期に排斥されていた人々のうち多くは現在復帰していて,エホバの民との良い関係を取り戻しています。彼らは過ちを悔い改めた人としてあわれみを受け,生き方を正してエホバに帰りました。(イザヤ 55:7)エホバの取られた措置を,心を謙そんにして受け入れた人々の場合には,神の祝福がはっきり見られます。会衆が司法的措置を取ったために排斥された状態にある他の人たちも,今は迷いからさめ,エホバに帰ることを切望しているかもしれません。―ルカ 15:17,18。

      16 排斥された人が復帰を願う場合,審理委員はどんな事柄を念頭に置いてどんな点に注意を向けますか。

      16 復帰の願いを聴くに際しては長老たちは平衡を保つことが必要です。それはただ当人が願うから復帰させるというだけの問題ではありません。間違いをしてエホバのみ名と会衆に非難をもたらしたような人を復帰させるためには,聖書的根拠がなければなりません。したがって長老たちは決定する前に,悪行をした人が真に悔い改めたかどうかを見定めなければなりません。その人は悔い改めにふさわしい業をしているでしょうか。(使徒 26:20)言うまでもなくそのことのほうが言葉よりも重要です。行ないがはっきり見られなければなりません。その人の振る舞いはどうだったでしょうか。それはいつごろからですか。その人の精神態度は何を物語っていますか。神の言葉を勤勉に学び,それに従って自分の生き方を正す努力をしてきましたか。(エレミヤ 10:23,24)自分は,エホバに対して,罪を犯したのだ,ということを本当に認めていますか。それと分かるほどに良い方へ変化し,悪行が露見したのをただ残念に思うというのではなく,敬神の念から生まれた悲しみによって心を変えたことを示していますか。こうした点を念頭に置いて長老たちは当人と話します。そうすれば長老たちは,その時点で復帰を許せる根拠があるかどうかを,ずっと容易に決定することができます。

      17 (イ)公正と知恵とあわれみをもって裁くために,長老たちはどのように行動しますか。(ロ)それは長老自身にどのように益となりますか。

      17 場合によっては,ある人に関する訴えが最初になされるとき,証言にいくらか食い違いがあるかもしれません。そういうときに長老たちは,それほど明確には証明されていないかもしれない罪を一つ一つ認めさせようとする極端に走らないよう,注意が必要です。実際に犯した,そしてはっきりした証拠のある罪をその人が悔い改めているかどうか,全般的傾向を考慮します。商売上の取り引きが関係しているとか,負債が未払いになっている場合など,復帰のための先要条件として負債の返済をどのケースにおいても,例えばある程度の詐欺が関係しているようなときに,強調することは必要ではないかもしれません。もし全員が賛成するなら,長老たちは,問題の解決に有効な適当な方法を考え出す点で助力するとよいでしょう。正しい判断と正義感とは,あわれみとよくつり合いが取れていなければなりません。(ヤコブ 2:13)そうすれば長老たちは,将来いつか裁かれるようなことがあっても,あわれみが差し伸べられることを期待できます。

      現在と将来における益

      18 神のもうけられた義の規準を守るときわたしたちは皆どうすることができますか。そのことは現在および将来において,わたしたちにどのように益となりますか。

      18 この終わりの時代にエホバがご自分の民の中に復興された取り決めに対し,わたしたちすべてが感謝する十分の理由があります。裁く者また助言者としての長老は,神の義の規準にわたしたちが従うのを助ける責任を割り当てられています。代わってわたしたちには,神聖な特質をもって裁くそれらの人々にふさわしい敬意を示す義務があります。どうすればそれを最もよく行なうことができるでしょうか。それは,聖書の助言に喜んで答え応じ,神権的秩序に進んで従うときにできます。(ヘブライ 13:17)そうすることは,不法のはびこっている世のただ中にある現在のわたしたちの保護となり,福祉を増進するものとなります。それはまた,わたしたちが神の是認を受けることを求め新秩序における生活に備えて,神のご要求にかなうようになりたいという心からの望みを実証するものでもあります。

  • 『完全さの終わり』
    ものみの塔 1977 | 6月15日
    • 『完全さの終わり』

      ● 詩篇作者は,「すべての完全さにも,わたしは終わりを見ました。あなたのおきては非常に広いのです」と語りました。(詩 119:96,新)人間の見地から見て完全と思えるいかなるものにも,やはり限界があります。しかし,エホバのおきてにはそのような限界はなく,そのおきては生活のあらゆる分野に対する健全な導きを与えています。口語訳聖書は,詩篇作者のこの言葉を次のように訳出しています。「わたしはすべての全きことに限りのあることを見ました。しかしあなたの戒めは限りなく広いのです」。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする