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勇気を抱いて今日の諸問題に対処するものみの塔 1964 | 10月15日
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がポテパルの妻から逃れたように逃れなければなりません。(創世 39:10-12)親のしつけを受けると共に神のことばを自分で,また会衆において学んで実行しているならば,はじめから誘惑の場所に身をおくことはないでしょう。「そこで,あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして,きよい心をもって主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい」と,パウロは書きました。(テモテ後 2:22)親として,異性との正しい関係を子供に教えましたか。からだの器官とその驚異について神のことばから子供に教えましたか。行いとことば,態度において,立派な手本を示していますか。それは子供が毎日正しく生活するのを助けるいちばん良い方法です。それにしても人は自分の無力を感じることがあります。「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる」と述べた使徒のことばから,勇気を得て下さい。(ピリピ 4:13)ゆえにクリスチャンには老若を問わず,つきることのない力の泉があり,神のことばを学んで行なうことから常に勇気が得られます。
悪を行なう者を断固として排斥
23 エホバから是認され,祝福されるのはどんな人ですか。なぜそう答えますか。
23 エホバの恵みを得て新しい秩序の下に生命を得るのは,清い人だけです。真のクリスチャンはそのことを認識しています。パウロは次のように述べました,「それとも,正しくない者が神の国をつぐことはないのを,知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,男娼となる者,男色をする者,盗む者,貪欲な者,酒に酔う者,そしる者,略奪する者は,いずれも神の国をつぐことはないのである。あなたがたの中には,以前はそんな人もいた」― コリント前 6:9-11。
24 (イ)クリスチャン会衆から悪を除くことはどのように行なわれますか。(ロ)これは愛に欠ける処置ですか。
24 コリントのクリスチャン会衆に宛てた同じ手紙の中でパウロは次のように述べています,「その悪人を,あなたがたの中から除いてしまいなさい」。(コリント前 5:13)除くというのは排斥することです。献身した神のしもべでありながら罪の行いをつづけ,悔い改めないで心をかたくなにして悪を行なう者は排斥されます。「すべてキリストの教をとおり過ごして,それにとどまらない者は,神を持っていないのである。その教にとどまっている者は,父を持ち,また御子をも持つ。この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば,その人を家に入れることも,あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は,その悪い行いにあずかることになるからである」。(ヨハネ第二 9-11)これは必要以上に厳しい,愛のない行いですか。神の見方を理解して下さい。悪人を除くことを命じているのは神です。それは会衆を清く保つためであって,神が忠実な会衆を愛しているからにほかなりません。しかし会衆の清さをそこない,不道徳のパン種となって会衆全体に影響を及ぼし,神権社会の健全な道徳的風土を害する者を排斥するとなれば,クリスチャン会衆は勇気を示さなければなりません。悪を行なう者をようしゃせずに断固とした処置をとる神権社会の会衆の委員には,勇気が必要です。キリスト教国にはこの勇気がありません。―コリント前 5:5; 9:11。
25 キリスト教国にはその組織を清く保つだけの勇気がありますか。なぜそう答えられますか。
25 「教会員の粛正問題再燃す」と題する記事の中で,次のことが述べられていました。「教会は,キリストの教えと全く相容れない生活をしている会員を除名すべきか。この問題はいま教会関係者のあいだで真剣に検討されている。この問題が採りあげられたのは,一世代以上にわたる期間のあいだで初めてのことである。この問題を提起した教会指導者の一人シャゴ神学校のフランクリン・ラテル教授は,最近の教会会議の席上で,プロテスタントのおもな宗派は会員に要求すべき一定の線というものを放棄してしまっており,最も初歩的な内部の規律まで維持できない有様であると語った」。この記事のつづきを見ても,規律は忌避されているように見えます。「ケンタッキー州ルイスビル,南部バプテスト神学校のグレン・ヒンソン教授によれば,教会は姦淫,酔酒の如き大それた不品行に対してきびしい処置をとることさえしていない……」。
26 次の記事はどんな質問に答えるものですか。
26 このようにキリスト教国は,腐敗の影響をとり除いて自らの組織を清く保つ勇気に欠けています。それと異なり,エホバの証者の新世社会においては,道徳的また霊的な清さを保つために細心の注意が払われており,神のことば聖書が最高に重んぜられています。私たちはおそれと不安のみちた世に住み,またハルマゲドンの滅びを間近にしているゆえに,私たち自身の将来に深い関心を払っていなければなりません。私たちや家族の将来をたしかなものにするには,どうすればよいのですか。人々がおそれにみたされている時に,聖書はどんな希望を投げかけていますか。ひとたび聖書の知識を得て生命の道に導かれたならば,忍耐して忠実にその道に留まるため,どうすべきですか。これらの質問や,それに関連した他の質問の答は次の記事の中にあります。
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終わりの時に忠実に耐え忍ぶものみの塔 1964 | 10月15日
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終わりの時に忠実に耐え忍ぶ
1 勇気をもって今日の諸問題に対処する道を知ったならば,次には何を知ることが大切ですか。
神のことばを学んで得た知恵と分別を持ち,勇気をもって今日の問題に取りくむことの必要を知ったいま,最後まで固く立つためには,信仰と勇気の基礎の上にどう築くかを是非知らなければなりません。最後までと言ったのは何時のことですか。それは地球の終わりではありません。伝道之書 1章4節に,「世は去り,世はきたる。しかし地は永遠に変らない」とあるからです。最後が近づいているのは,現在の悪の組織制度です。イエスのことばによれば,
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