ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 「福音」の挑むもの
    ものみの塔 1963 | 5月1日
    • 正直と公正の大切なことを強調しています。

      11 神は血に関するどんな律法をイスラエルに与えましたか。この律法はそれ以前のどんな戒めに基づいていましたか。

      11 これらの律法の中には,むかし与えられた律法あるいは原則を敷衍したに過ぎないものもあって,モーセ以前のそれらの律法はアダムとノアの子孫である全人類に与えられた,そして現在でも効力を持つものです。たとえばイスラエルに与えられた律法の中に血の神聖さに関する律法がありますが,これは創世紀 9章にある通り,洪水の直後,神がノアに与えた戒めに基づいています。「すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように,わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を,その命である血のままで,食べてはならない。あなたがたの命の血を流すものには,わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも,わたしは人の命のために,報復するであろう。人の血を流すものは,人に血を流される,神が自分のかたちに人を造られたゆえに」。(創世 9:3-6,新口)血の取扱に関してこのような尊敬を示すのは,血が生命すなわち魂を表わすからです。また生命は神の賜物である以上,神は人間に対し,男女を問わず他の人々また動物の生命を尊重することを当然に要求できます。食用に供するために動物を殺すことは許されましたが,単なるなぐさめのために動物をむやみに殺すべきではありません。それでイスラエル人に与えられた神の律法は,生命を表わす血を尊重することも含め,生命を尊ぶことを強調していました。これはエホバの命じた言葉です,「イスラエルの家の者,またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも,血を食べるならば,わたしはその血を食べる人に敵して,わたしの顔を向け,これをその民のうちから断つであろう。肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で,あがないをするため,わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに,あがなうことができるからである。このゆえに,わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち,だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない。イスラエルの人々のうち,またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち,だれでも,食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は,その血を注ぎ出し,土でこれをおおわなければならない。すべて肉の命は,その血と一つだからである。それで,わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは,どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう」。十戒の第6番目すなわち「あなたは殺してはならない」もまた,生命の尊いことを強調しています。―レビ 17:10-14。出エジプト 20:13,新口。

      12 エホバが石の板に書かれた十戒には,何が述べられていましたか。

      12 十戒はイスラエル人を治める十の根本的な律法です。シナイ山でモーセに与えられた2枚の石の板の上に,それは神ご自身により,神の聖霊の力によって刻まれました。たとえ小部分とはいえ,イスラエルに与えられた律法の中で,それは重要な地位を占めていました。それは根本的な律法あるいは原則であって,まずイスラエル人の神に対する関係を定め,ついで親子のあいだ,また他人とのつき合いにおいてどんな行為をすべきかを定めています。最初の四つはエホバを神として専心の崇拝をささげ,その戒めを守るべきことを教え,第5番目は子供が父母を敬うこと,すなわち家族の一致の必要を示し,残りの五つは人間同志の関係すなわち殺してはいけない,姦淫してはいけない,盗んではいけない,偽証してはいけない,貪る,つまり他人の所有物を得ようと望んではならないことを命じています。―出エジプト 20:1-17。

      イスラエル民族は警告の例

      13,14 (イ)神の律法を守り行なうとき,イスラエルは何を得ますか。(ロ)イスラエルはどんな祝福をたしかに受けましたか。なぜそれはながつづきしませんでしたか。

      13 エホバの律法を守ることは,イスラエル人にとってはかり知れぬ祝福となります。神の戒めは,国民の一致,健康,幸福を増進する健全な生活に人々を導くでしょう。しかしいちばん大切なのは,神の戒めによって正しい崇拝,自分たちの神エホバの目に正しく,その恵みを得る正しい行いに導かれることです。神の律法を守るならば,偽りの宗教と不品行から身を守ることができました。従って罪と反逆に陥って神から捨てられるのを避けることができました。

      14 約束にたがわず,神はイスラエル人を乳と蜜の流れる土地に導きました。(出エジプト 3:8。民数 13:27)幾多の経験を経てのち,この国民は約束の土地カナンつまりパレスチナに定着し,ソロモン王の治世には,「周囲至る所に平安を得た。ソロモンの一生の間,ユダとイスラエルはダンからベエルシバに至るまで,安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と,いちじくの木の下に住んだ」と記録されています。(列王上 4:24,25,新口)しかしこのような祝福は長つづきしませんでした。神の律法を守らず,不従順な行いを重ねたため,遂には神の恵みを失って神の民ではなくなったからです。神が預言された通り,このような不従順は祝福のかわりにのろいをもたらしました。

      15 (イ)イスラエルとエホバとの関係は,どんな二つの基本的な戒めに基づいていましたか。(ロ)エホバはなぜ偽善的な崇拝に欺かれませんか。

      15 律法契約の根底は十戒でしたが,この国民が神と結んだ関係は実際に二つの基本的な原則 ― 神に対する愛と隣人愛に基づいていました。(申命 6:5-9。レビ 19:18)神の恵みを失わないためには,この二つの原則に忠実なことが肝要です。不完全な人間の弱さゆえならば,時には道からはずれても,矯正やこらしめを受けて,なお許しを得ることができます。しかし神を愛することをやめ,全き心で神に仕えることをやめた国民の前途にあるのは災いのみです。(歴代上 28:9。箴言 4:23)見せかけの崇拝で神を欺くことはできません。エホバは「心を見」,「心を探る」神だからです。イスラエルの人々の多くは,神と隣人を愛する心を失い,エホバはそれをごらんになりました。はじめはひそかに,やがて人々の心が悪行になれるに及んで公然と行なわれるようになった悪行を,神はことごとくご存知でした。―サムエル前 16:7。エレミヤ 17:10,新口。

      16 (イ)なぜ災いがこの民に臨みましたか。(ロ)預言者エレミヤはこの理由をどう説明しましたか。

      16 イスラエル人が約束の地にはいったのはキリスト前1473年のことで,土地が全く平定されたのはダビデ王の時です。40年にわたるダビデの治世はキリスト前1037年に終りました。更に40年の後,ねたみと争いのため国は二つに分かれました。すなわちキリスト前997年にソロモン王が死ぬと,イスラエルのもとの国は,サマリヤを都とする北の十支族の国イスラエルとエルサレムを都とする南の二支族の国ユダとにわかれました。十支族の北の国はキリスト前740年,アッシリヤ人の手によって滅ぼされ,ついでキリスト前607年,ユダの国もまたバビロン人に滅ぼされました。ユダの国の滅びも遠くないとき,エレミヤは次の言葉を人々に告げました,「われ汝らの列祖をエジプトの地より導き出せし日より今日にいたるまで切に彼らを戒め頻に戒めて汝ら我声にしたがへといへり然ど彼らはしたがはずその耳を傾けずおのおの其悪しき心のかたくななるに従ひて歩めり,故にわれ此契約の言を彼等にきたらす,こはわがかれらに之を行へと命ぜしかども彼等がおこなはざりし者なりまたエホバ我にいひたまひけるはユダの人々とエルサレムに住る者の中に反逆の事あり彼らは我言をきくことを好まざりしところのその先祖の罪にかへり亦他の神に従ひて之につかへたり,イスラエルの家とユダの家はわが先祖たちとむすびたる契約を破れりこの故にエホバかくいひ給ふ視よわれ災禍をかれらに下さん,彼ら之を免かるることをえざるべし彼ら我をよぶとも我聴かじ」― エレミヤ 11:7-11。申命 6:12-15と28:15,45-47とを比較して下さい。

      17 イスラエル人はどのように一時のあいだ復帰しましたか。

      17 70年の荒廃の後,エホバは深いあわれみを示し,またご自身の約束と目的に従ってこの国民の残れる者をバビロンから約束の地に連れ返しました。捕われの民イスラエルに,再び解放を告げる良いたよりがもたらされたのです。生来のイスラエルの残れる者は,独立した国民としてひとつの国を回復することはなくても,エホバの崇拝を復興するため,パレスチナに復帰しました。

      18 イスラエル民族は,伝えられた「福音にふさわし」いことを証明しましたか。

      18 昔のイスラエル国民は,エジプトでモーセにより伝えられた「福音にふさわし」いことを結局のところ証明しましたか。エホバの命ずることをすべて行なって真に神の民になると言明した先祖の約束を守りましたか。霊感によって書かれた記録を見ると,そうではありません。この国民がふさわしくないことは,約束されたメシヤ,イエスに対する態度を見ても明らかです。人々はイエスを受け入れず,イエスの杭上の死をはかりました。イエスは死の直前,この国民に裁きを宣告し,こう述べました,「ああ,エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど,めんどりが翼の下にそのひなを集めるように,わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに,おまえたちは応じようとしなかった。見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう」― マタイ 23:37,38,新口。ルカ 23:18-25。使行 2:23。

      19 (イ)忠実だった時のイスラエル人は,どんなに大きな特権を享受しましたか。(ロ)神が遂にこの民族をしりぞけたとき,神と人との交わりは終りましたか。

      19 イスラエル人は,エホバの証者の国民となる特権に恵まれていました。(イザヤ 43:10-12)地上の他の国々にエホバのことを宣べ伝えるように命ぜられていたのではありません。しかしエホバに専心の奉仕と崇拝をささげるために選ばれた民でした。忠実だったとき,イスラエルのした真の崇拝と,イスラエルのためにエホバの行なわれた大いなるみわざによって,エホバのみ名は大いにあがめられました。しかしエホバの証者であるからには,真の崇拝を実践し,神との契約を守り,神の戒めを守らなければなりません。イスラエルの人々はこの事をしませんでした。そのために生来のイスラエルはエホバの恵みを失いました。律法は刑柱に釘づけにされ,律法契約はイエスに成就して終りとなりました。(コロサイ 2:14)しかしそれ以後,人間に対して神がなんのかかわりも持たないというわけではありません。キリスト・イエスを仲保者とする新しい契約が,生来のイスラエルとではなく,ふさわしい実を結び,キリストを王とする天の神の国にふさわしい行いをする国民との間に成立したからです。―ヘブル 8:6。マタイ 21:43。

  • 「福音」はエホバの御名を負う民を分ける
    ものみの塔 1963 | 5月1日
    • 「福音」はエホバの御名を負う民を分ける

      1,2 (イ)マタイ伝 21章43節において,イエスが言われたのはどの国ですか。(ロ)この国の王はどなたですか。何時全権力をもって支配し始めましたか。(ハ)この国は特定の民族に与えられますか。

      「その果を結ぶ国人は,これ〔神の国〕を与えらるべし」。マタイ伝 21章43節にあるイエスの言葉に国人とあるのは,どの国民のことですか。また神の国とは何ですか。祝福されたこの国民は,特定の民族あるいは人種,また人間の建てた国の下に結合した人々ではありません。エホバ神はすべての国民の中から人々を選んで世とわかたれたひとつの民,「御名

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする