ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 分裂した家族の中で幸福を見いだせますか
    ものみの塔 1977 | 12月15日
    • イエスの子としても成長するように,自分の力の及ぶ限りあらゆる機会を子供に与えるのが母親の責任です。

      9 これは母親が子供たちを,主の民と交われるようクリスチャン会衆に連れてくることを意味します。家族の中に小さな子供が幾人かいてみな手がかかる場合,これは非常な重荷になるかもしれません。それでとても努力しきれないと考えてあきらめる傾向が出てくるかもしれません。しかし,エホバにより頼み,努力し,子供を訓練したいという願いを示すなら,多くを行なうことができます。妻の援助やささえなしに子供の世話をしなければならない夫についても同じことが言えます。会衆内にはたいてい助けを差し伸べることのできる人たちがいます。その人々は子供に対して責任を負うことはできませんが,援助することはできます。

      どこで援助を得るか

      10 (イ)そうした子供を援助するための可能な方法を幾つか挙げなさい。(ロ)ガラテア 6章2節に従って,その会衆の中でどんなことができますか。

      10 会衆内のだれかはあなたの子供をある程度助けることができるでしょう。例えば,あなたの息子または娘と親しくなった若い兄弟または姉妹がいて,その息子また娘と勉強や健全な交わりをし,またそのようにして彼らに義の道を歩むよう励ますことができるかもしれません。あるいは,別に重い責任もない夫婦がいて,ある程度の援助を差し伸べることができ,あなたの子供たちが,会衆や兄弟姉妹たちとより親しい関係を持つように助けられるかもしれません。―ガラテア 6:2。

      11 信者である親はどうすれば子供に対して立派な模範になれますか。

      11 しかしそのような状況の下にある親は,自分自身が会衆と交わりまた正しい私生活を送ることによって,子供たちに自ら良い模範を示すことに心掛けるべきです。こういう境遇にある婦人は,子供たちのためにいつも家を清潔にしておき,また自分が他の人々の立派な模範となるべく努力していることを示す,クリスチャンにふさわしい特質を養いたいものです。腹を立て自制心を失う理由になりそうなことが時には起こるかもしれませんが,エホバに助けを呼び求め,クリスチャンとしての自分の生き方が良くないもののような印象を与える言動を慎まねばなりません。もしこの面で問題があるなら,会衆内の長老たちに話すのはどうでしょうか。事情はそれぞれ異なるので,すべてのケースに一律に適用する助言を与えるのはむずかしいことです。時に子供たちは懲らしめのむちを必要としますが,別のときには,子供たちの正邪の観念に訴えて率直に話すだけで十分のこともあります。子供を育てる際の最大の敵の一つはざせつ感です。片親だけが,父親と母親の両方の働きをしている場合はとくにそうです。しかし,聖書に概説されている,心を落ち着かせ和らげる神の言葉は,すべての人にとって助けになるはずです。―箴 16:24。イザヤ 57:15。

      分裂した家庭のもう一つの問題

      12,13 (イ)分裂した家庭にはさらにどんな問題がありますか。(ロ)どうすればこの問題に対処できますか。

      12 配偶者に去られた,あるいは離婚された人々の中には,配偶者が一緒にいない寂しさを克服することについて,ものみの塔協会に手紙で助言を求めてくる人たちがいます。これは確かにその人々の生活の中では問題となるでしょう。結婚している人たちは一緒にいるべきである,というのが聖書の健全な助言です。(コリント第一 7:10-13)しかし,信者の側になんの落度もないのに,未信者の配偶者は出て行ってしまったかもしれません。生活上のこの問題にどう対処しますか。

      13 もとより,配偶者と別居していればその人は結婚している者が「当然受けるべきもの」を受けることはできません。これは不安と憂うつの原因となる可能性があります。事情によっては,悩んでいる配偶者は,「和解しなさい」というパウロの助言に従い,別居をやめることができます。(コリント第一 7:11)しかしこれが不可能な場合もあるでしょう。配偶者が和解を望まなかったり,真理を捨てるとか,結婚の床を汚す非クリスチャン的な行為をするといった,クリスチャンが受け入れることのできない条件だけに基づいて同意すると言ったりする場合はとくにそうです。―ヘブライ 13:4。

      14,15 こういうむずかしい状況の下にある信者にどんな提案がされていますか。

      14 したがって次のことが明らかになります。すなわちクリスチャンは,キリスト教の原則と一致した,そして同時に,憂うつな気持ちや寂しい気持ちと闘うのに役立つ道を追い求めるよう努力しなければならない,ということです。もしかしたら,神の王国について他の人々に告げることや,新たに関心を持つようになった人々と聖書を勉強することにもっと多くの時間を費やすように,自分の事柄を整備することができるかもしれません。(ルカ 2:36,37を参照)会衆内の困っている人々を助けることにもっと力を入れることも,寂しさを克服する別の方法です。―詩 105:1,2。ローマ 12:12,13。

      15 女性の場合なら,友達を必要としている,また一緒に勉強をしてくれる,あるいは何かの面で自分の世話をしてくれる人を必要としている年配の婦人が,会衆内にいるかもしれません。もしあなたが時間をもてあましているなら,それも余分の時間を有益に使う一つの方法でしょう。会衆内を見回して,その種の愛の援助をだれかにしてあげられそうなところが会衆内にないか探してみてはいかがですか。このようにして与えることには多くの幸福が見いだせます。(使徒 20:35)あるいは会衆内にはほかにも,夫に去られたとか,やもめになったとかしてあなたと同じような境遇にある婦人がいるかもしれないので,そういう人と王国奉仕のなんらかの面で一緒に時間を有益に過ごし,その交わりによって互いを霊的に築き上げるようにすることができます。

      16,17 人はどこに慰めを求めることができますか。ペテロのどんな良い助言を心に銘記しているべきですか。

      16 家庭の破壊が原因で生ずる寂しさ,心配,憂うつといった問題に立ち向かうのはむずかしいに違いありません。しかし,詩篇作者の,「あなたの重荷をエホバご自身に投げかけよ」という助言に従うなら,『彼自らあなたを支えてくださり』,人生におけるそうした挑戦にさえ首尾よく応じられるように助けてくださることが分かるでしょう。―詩 55:22,新。

      17 自分が現在の境遇にある理由を常に心に銘記していてください。主イエス・キリストの追随者であることを望んでいるゆえに現在の境遇にある以上,神の言葉は確かにあなたの行ないに対して多くの慰めをもたらすでしょう。(ペテロ第一 3:17)エホバのご意志を行なって忠実に歩むことに努めてください。そしてあなたの良い行ないが,わたしたちの偉大な創造者エホバ神の注目を逃れることなどないことを確信してください。―マタイ 10:36-39。

      共に交わりを楽しむ

      18 将来に対する喜ばしい希望をエホバのしもべに与えるものは何ですか。ヨハネ 13章35節によると何が助けになりますか。

      18 幸福な神エホバは,その真理のみ言葉の中に,幸福になるには何が必要か,どうすれば真の喜びと幸福が真のクリスチャンの分となるかを述べておられます。(テモテ第一 1:11。マタイ 5:3-5)世界中のエホバの民の会衆の中には,あらゆる職業の,あらゆる種類の人々がいます。彼らは一つの共通のもの,すなわちエホバに対する信仰を持っています。その信仰は将来に対する喜ばしい希望を彼らに与えます。一致した家族のように,エホバの民はみな霊的兄弟姉妹の福祉に関心を払っています。また払うべきです。みんなが真の思いやりと愛を示し合って共に働くべきです。結局,わたしたちの間に愛があれば人々はわたしたちがイエスの弟子であることを知るのだ,とイエスは言われました。(ヨハネ 13:35)愛は真のクリスチャンであることを明らかにするしるしです。

      19 (イ)ヨハネ 10章の中で示唆されているように,どうすれば真の幸福を見いだすことができますか。(ロ)どうすればすべての人が,家族の幸福を促進し維持することにあずかれますか。

      19 世界中で,エホバの民の兄弟は急速に増加しています。主イエス・キリストに導かれ牧されることを望んで,文字通り幾万もの人々が立派な羊飼いの囲いの中に群れをなして入ってきています。イエスが,「わたしはりっぱな羊飼いであり,自分の羊を知り,わたしの羊もわたしを知っています」と言われたのは極めて適切でした。(ヨハネ 10:14)わたしたちはその「羊の囲い」の中にとどまることによって,エホバのしもべの分である祝福や喜び,そして真の幸福を見いだします。結婚していようと独身であろうと,古い世の問題が原因で分裂している,あるいは破壊してしまった家庭に住んでいようと,わたしたちは皆共に王国の取り決めの下で永遠の命を得る見込みを有しています。日々の生活の中での行ないにより,また聖書中に述べられている正しい行動と懲らしめに従うことにより,わたしたちは,神のしもべが神とそのみ子のとこしえの王国の関心事に仕える本当に幸福な民である,という神の言葉の真理を証しする生きた証人となることができます。ですからわたしたちはひとりびとり,家族の幸福を促進し維持することにあずかって,エホバのみ名に栄光を帰すことができるのです。

  • 人生の真の目的を見いだす
    ものみの塔 1977 | 12月15日
    • 人生の真の目的を見いだす

      中村雅一の語った経験

      誠実で暖かい心の持ち主であった両親は,子供たちに人生の良い出発をさせたい,と考えていたようです。日本人が概してそうであるように,父も仏教徒でしたが,少年の頃の私に近所のプロテスタント教会へ行くように勧めました。こうして初めて私は“新約聖書”に接し,その音信に強くひかれました。また,学んだ事を黙っていることができず,それを級友に語ったほどです。事実,牧師になるのも悪くはないと考えたことがありました。しかし父はその考えを一時的な熱によるものと考えて反対しました。

      他の人たちに奉仕することを人生の目的にしたいという願いは強かったので,それなら医者になろうと決意しました。これは私の宗教活動にかなり食い込みました。大学の入学試験はかなりの準備が必要です。それでしばらくは,教会にかようのはやめなければなりませんでした。東京大学医学部に入学も決まり期待をもって教会に戻りました。

      その頃,私の内面に宗教に対する疑念が生じるようになっていました。教会では同じような事が繰り返し教えられていました。しかも,その頃祖父が死去し,葬式の手伝いをしているうちに,教会で教えられている地獄や死者の状態についての教えに強い疑問が起こりました。これがきっかけとなり,私は教会を離れました。

      大学では霊的に助けとなるものは何もありません。それで少しずつ無神論的な考えを持つようになってゆきました。孤独な気持ちを慰めるためにスポーツを始め,乗馬に熱中しました。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする