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良い交わりはどれほど重要ですかものみの塔 1967 | 12月15日
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を抱いています。一婦人は8人の子供がおり,主人は証人ではありません。その上3.2キロの道のりを歩かなければならないのに,会衆の集会に出席するのを欠かしたことはめったにありません。一夫婦は御国会館まで6.4キロ歩きます。各集会ののち,彼らは暗いジャングルのようなところを帰途につきますが家に到着するのは朝の1時か2時になることがよくあります。そうではあっても,彼らは励ましとなる仲間のクリスチャンとの交わりの一つも欠かそうとは夢想だにしません。
ほかの困難を克服
1日の労働の疲れのため,夜の集会の時でも家にいたいと思う人がいるかもしれません。英領ホンデュラスの幼い二人の子供を持つ父親はそうではありません。彼は明け方から暗くなるまで働き,7時まで働くときもあります。しかし彼はよく計画しているので,家族が毎週の集会から得る多くの益をのがすことはありません。妻は早くから子供たちの準備をしたり,小さな子供の足どりは遅くまた3.2キロほど歩くので,御国会館に向けて早めに出発します。彼女は出かける前に,夫が早く着がえ彼女のあとを急いで追いかけられるよう準備が万端ととのっているかを確かめます。
豪雨の時にはヘビが出て来るので,父親が一緒にいる必要がよくあります。それで父親は家族を守るため油断してはならないのです。しかし,信仰を持つ兄弟との交わりに参加するという目的はどんなことがあっても変わりません。こういった場合に心から満足のゆく霊的な宴にあずかれることを彼は認めているのです。
また,ベネズエラに住む一婦人の場合を考えてください。彼女は御国会館から19キロ以上も離れているところに住んでいます。雨が降ると道路は車が通れなくなり,川はあふれるので,彼女はわきの下まである水の中を何か所も歩いて渡らなければなりません。ほかの危険もあります。ある時,彼女は,灌木地帯を御国会館に向かって歩いていましたが,足に何かがささったように感じたのです。しかし,彼女はとがった小枝だけと思い,無頓着でした。間もなく,彼女は,しびれるような感覚に気づき始めたのです。彼女はその土地にある軍の診療所でヘビのかみきずの治療をしてもらいました。今,彼女はかなりよくなっており,少しも気落ちすることなく,集会に定期的に出席する計画を実行しています。
家族の人数が多いために会衆の毎週の集会に定期的に出席できない人もあります。しかしながら,中央アメリカや南米では,たくさんの大家族があってもこれが問題とはなりません。たとえば,ベネズエラの一つの町では6人の家族が住んでおり,最寄りの御国会館まで徒歩で1時間かかりますが,定期的に集会に出席します。別の家族は週に3回,クリスチャン会衆の集まりへ行くのに8キロ歩き,その半分はでこぼこ道です。
言語の障害があっても,神を愛する人々との交わりの価値の認識が弱められるということはありません。メキシコでは,スペイン語のわからないインディアンが集会に来ることもよくあります。それでも彼らは定期的に出席し,重要なプログラムが自分たちのことばに通訳されるまで,スペイン語の集会にずっとすわっています。彼らは話されていることの全部が理解できなくても,出席していることに明らかに満足しているのを見るのはうれしいことです。彼らは通訳の説明に熱心に耳を傾けます。
ドミニカ共和国においては,最近の政治的動乱の間,証人たちは大きな障害の下で交わり続けました。バリケードがあるので,御国会館まで行くのによほど回り道しなければならないことも時々ありました。反政府軍により首都が二分された時,多くの証人は御国会館の出入りをたたれてしまったのです。彼らは断念しましたか。断念しません。個人の家に集まって,励まし合う交わりを欠かすのを最小限にくいとめたのです。
クリスチャンが聖書を読んだりまたほかの人と聖書を研究するため集まることさえ禁じている国があります。そのようなことは,同じ信仰の仲間と交わることを思いとどまるほど彼らを圧倒し恐れさせますか。そのようなことはまったくありません。人間が集まりを禁じても彼らは霊の導きを受けたイエス・キリストの使徒の次の勧めのことばに従います。『あなたがたは集まりを怠ってはならない』(ヘブル 10:25)それにつづいて起こる事柄は彼らの立場が正しいことを証明しています。エホバが彼らを保護し祝福されており,不当な逮捕とか罰をうける時でも,彼らがこうむらなければならない精神的,身体的な苦しみに打ち勝つ不屈の精神と希望を与えられます。
彼らが定期的な集まりを認識していることはこれら仲間のクリスチャンの強い愛を証拠だてています。これらの手本を前にして,各人は,クリスチャン会衆の毎週の集会に対する自分の見方を,分析してみることは妥当ではありませんか。集会に出席できることをあたりまえのことと考えるのは危険です。
安逸に流れることは,不便をしのぶことを困難にさせたり,霊的な福祉よりも物質的な必要物に関心を抱かせるので危険です。わたくしたちは,この特権を十分に認識するよう鼓舞されるとき,仲間のクリスチャンと交わることの正しい行ないを無視しますか。もちろんそのようなことはしないでしょう。
私たちが心底から何かほしいと思うならば,それを得るために努めるのは明白です。病気の人,疲れた人,年とった人,そうです,足が悪かったり目の見えない人でもクリスチャン会衆の集会に定期的に出席します。障害があるにもかかわらず,そうするのはなぜですか。彼らは神のみこころについてたがいに語り会うことから得る,交わりと霊的な力の必要を認識しているからです。(ローマ 1:12)では,健全な交わりの良い習慣をぜひつちかってください。仲間のクリスチャンに祝福となってください。彼らはあなたに祝福となります。
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全人類が崇拝するための天の宮ものみの塔 1967 | 12月15日
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全人類が崇拝するための天の宮
1 (イ)世の宗教の寺院について述べなさい。(ロ)その多くはどうなりましたか。なぜですか。
いろいろな国また宗教の人々がそれぞれ神の住みかと考え,あるいは神の恵みを得るために神に近づき,神と交渉を持つことのできる場所として,寺院が世界中に建てられています。たいてい寺院は飾りたてられ,費用を要する建造物であって,その宗教の帰依者に重い負担を負わせています。このような寺院は黄金の像で満ち,宝石で飾られ,黄金でおおわれてさえいます。その多くは人々の霊的な必要を満たす
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