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神のお名前をほんとうに高めた大会ものみの塔 1972 | 1月15日
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老若男女の表情を見渡たすと,家族の一致 ― この宗教団体の慣行の要石の一つ ― がありありと伺える。こうしたきずなが信者全体に及んでいるのである」。(傍線は発行者が付した)
この大会の講演者のひとりは述べました。『組織的に教える計画は若い人たちだけで終わるわけではありません。わたしたちはみな卒業のない学校にはいっています。わたしたちすべては無尽蔵の神の宝庫から学び続けねばなりません。わたしたちがエホバの道について学ぶほど,神のお名前はいよいよさん然と輝きます』。次いで講演者は「神権宣教学校案内書」と題する本を大会の聴衆に発表しました。これはエホバの証人の各会衆で老若の別なくすべての人のために毎週開かれている宣教学校で用いる本です。
「聖書を理解する助け」と題するさらに進んだ聖書の知識を得るための1,700ページの本が発表されました。聖書辞典と同様のスタイルのこの本は7年に及ぶ研究を集大成したものです。
道徳
大会のプログラム全体を通して大いに注視されたのは道徳問題です。演壇で若い男女とのインタビューが行なわれ,昨今学校で起きている麻薬の問題が話し合われました。ある両親は十代の子どもたちとその問題を話し合い,麻薬の危険に注意させ,なぜ,また,どのように麻薬の使用を避けるべきかに関する助言を与えました。問題の理にかなった理解のある取り上げ方は親たちにとって手本となりました。子どもを救いたいと思うなら,親は子どものしていることを知り,麻薬の脅威に対して子どもに油断なく備えさせなければなりません。
以前麻薬常用者でしたが聖書の原則を学んで適用することにより麻薬から解放された人幾人かとのインタビューが,演壇で行なわれました。大会の開かれた幾つかの都市では,後にラジオやテレビでそうした若者との詳しいインタビューが行なわれました。あるインタビューののち,アトランタ・ラジオ放送局のニュース演出者はこう結びました。「あなたがたの中の若者たちは聖書に関する答えばかりか,麻薬問題に関する答えをも知っています」。
古代のイスラエル民族が約束の地にはいる直前,偶像を崇拝する不道徳なモアブ人と交わったために陥ったわなを描写した,「エホバは忠節な者たちを祝福される」と題する劇は多くの人を感動させました。(民数記略 22–25章)そして,性的に汚れたみだらな行為はすべて,淫行や偶像崇拝同様に罪であることが明らかにされました。現在のこの事物の体制の滅びと,神の民が神の建てられる義の新秩序にはいる時の非常に迫った今の時代において,悪い交わりがどんなに危険かをその劇は観衆すべてに銘記させました。
心に注目する
プログラムを通して提供されたすぐれた資料に対して多くの人は感謝の意を表しました。しかし,提供された情報そのものと同様に感謝されたのは,プログラムが心に焦点を合わせたためにかもし出された精神でした。真理のこの「道」を19年間歩んできた出席者のひとりはそうした感想をこう述べました。「プログラムはたいへん個人的な問題を取り上げたものだっただけに,自分自身と自分の家族の心の状態を吟味し,聖書に基づく愛ある必要な助けを与えるよう促されました。このプログラムのおかげで,会衆にいっそうの援助を差し伸べる責務を痛感させられました」。プログラム全体の要点とされるのは何かとの問いに別の人はこう答えました。「それは神への愛であって,数字へのそれではありません。私たちは神のお名前が立証されることを望みます」。
出席者すべての関心を奪わずにおかなかったのは,「あなたの心の中には何がありますか」と題する特別なプログラムでした。この劇の参加者は,クリスチャンがよく直面する,心を探る事態を経験しました。演壇に置かれた,頭脳と心臓の大きな模型は,道徳上のむずかしい決定をめぐって内面的な戦いをする個人の内部でおのおの“話す”たびに明かりがつきました。ナオミの神に対するモアブの女ルツの献身を描いた「あなたの生きかたをエホバの目的にかなったものとしなさい」と題する劇はすべての観衆の心を動かしました。
「あなたの行かれる所へ私も行き…あなたの民は私の民,あなたの神は私の神です」と語ったルツのことばは,真の神エホバの崇拝を押し進めるためにみずからを十分に役だてて奉仕しているかどうか自分自身の心を探るよう聴衆を動かさずにはおきませんでした。
「劇」の形式で資料を提供する方法が有効かどうかに関して,オレゴン州ポートランド大会のある出席者はこう述べました。「話と劇は,悪い考えを閉め出すための行動をじん速に起こさせる『私たちの心を守る』必要を大いに強調できました」。ワシントン州の別の人は述べました。「この大会で強調されたのは愛であり,私たちすべては自分の心を探って,エホバとキリスト・イエスに対する忠節と献身の深さを吟味するよう助けられました」。
実際,「命の源が[心]に発している」のです。ニューヨーク州ポキプシー会衆からのある出席者が結論として語ったとおりです。「大多数の講演者によって語り継がれた考えの脈絡とみなされるのは,正しい動機づけ ― 何をするかだけでなく,なぜそうするか ― の問題です。エホバは,人の行なうわざや当人の外見ではなく,人の心をさばかれるからです」。―箴言 4:23,新; 21:2。
こうして,「神のお名前」大会は神ご自身の民の前にエホバというお名前をほんとうに高めるとともに,彼らの秩序正しさ,清潔さ,礼儀正しさ,そして幸福の霊は,エホバの証人の仕える神のお名前を傍観者すべての眼前でたたえるものとなりました。シュレブポート・ジャーナル誌の一編集者は大会に関する特集記事に「彼らは幸福な神の証をする」という題を付したほどです。
真の神エホバの崇拝がもたらす心底からの誠実な態度に注目した,ノースカロライナのグリーンズバロ・デーリー・ニュース紙の記者は,「他のおおかたの宗教団体以上に人種的融合の比率が高い」ことを指摘して,「『兄弟姉妹』という関係は見せかけではない」と述べました。
エホバの証人は自分たちの活動が神のお名前を高める結果になっていることをうれしく思っています。しかし,神に対する奉仕の務めを絶えず改善して,『王国と神の義を求めつづけ』ねばならないことをも認識しています。この広範にわたる問題も大会のプログラムの中で考慮されましたので,それを次の記事で取り上げることにしましょう。
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前途のわざに備えて奉仕を強化するものみの塔 1972 | 1月15日
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前途のわざに備えて奉仕を強化する
今日の,あらゆる圧迫や困難に直面するとき,実世間で清い正直な生活をするよう神のしもべたちに力を与えるのはなんでしょうか。さらにまた,自分の住む地域社会の人々の家に出かけて行って,自分の信仰を他の人に勧め,かつ教える力を神のしもべたちに与えるのはなんでしょうか。
それは,神のみことばである聖書を勉強し,その原則を実践することによって得られる神の霊です。クリスチャンの奉仕は,こうした事がらすべてを行なうことを意味します。この奉仕には不断の注意が払われねばなりません。エホバの証人が,聖書を討議する集会に集まって交わることに非常に熱心なのはそのためです。また,エホバの証人が年に
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