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  • 「飲み過ぎ」を避けなさい
    ものみの塔 1969 | 11月15日
    • た。(ルカ 10:34)ですから,ぶどう酒は味を楽しめるだけでなく,薬にもなる飲み物というわけです。聖書は,悪い水を飲んでおなかをこわした場合の薬として,これを勧めています。ぶどう酒を飲んだ人は不潔な水から来るいろいろな病気にかからなかったことが観察されています。したがってパウロはテモテにこう勧めました。「今よりのち水のみを飲まず,胃のため,またしばしば病に罹ゆえに,少しく葡萄酒を用ひよ」。(テモテ前 5:23)これが医学上正しい助言であることを示すものとして,カリフォルニア大学医学部のサルバトール・P・ルーシャ博士はこう述べています。

      「ぶどう酒は古くからある食養生の飲み物であり,人類史を通じて常に,薬に代わる最も大切な物として用いられてきた。……実際,人間が入手した物で,ぶどう酒ほど,その効力のゆえに広く勧められた物はほとんどない」。

      腸のいろいろな病気に対して効力を持っていることについて,この権威者はつぎのように語っています。

      「ぶどう酒は消化器疾患の治療に広く使用されている。特に食欲減退や,胃炎とか衰弱による消化不良を伴わない減酸症に効果があることが知られている。軽い肝不全には生ぶどう酒がかなりよくきく。またぶどう酒にはタンニンや弱い防腐性物質が含まれており,それが腸の疝痛,粘液性大腸炎,けいれん性の便秘,下痢,および多くの胃腸系の伝染病に効果がある」。―「飲み物また薬としてのぶどう酒」,5,58ページ。

      エホバは人類のためにこの地上にいろいろな恵みを施されました。こゝに引用されたことばからわかるように,ぶどう酒は正にその祝福として人類に与えて下さったすばらしい贈り物の一つです。ぶどう酒は「神と人を喜ば」せ,こゝろを「喜ばしむる」ものです。(士師 9:13。詩 104:15。エステル 1:10。サムエル後 13:28。伝道 2:3; 10:19。ゼカリヤ 10:7)そうした理由で,ダニエルは悲しんでいる時にはぶどう酒を飲みませんでした。(ダニエル 10:2,3)聖書中にしばしばくり返されている「葡萄樹の下と無花果樹の下に住り」という表現中の「葡萄樹」ということばはぶどう酒が豊富にあることを表わしています。そのことは,エホバの正義の統治下における繁栄と安全を表わしているのです。(列王上 4:25。列王下 18:31。イザヤ 36:16。ミカ 4:4。ゼカリヤ 3:10)ぶどう酒はまたエホバの約束された『復興の祝福』の一つにもなっています。(ヨエル 3:18。アモス 9:13,14。ゼカリヤ 9:17)しかし,そうした祝福にあずかることができるのも,エホバに対する忠実さとその正義のご要求にかたく従うことに依存しています。不従順の招く結果はその逆に,災いや荒廃であり,それはぶどう酒がほとんど,あるいはまったくない状態です。―申命 28:39。イザヤ 24:7-11。アモス 5:11。ミカ 6:15。ゼパニヤ 1:13。ハガイ 1:11。

      酔わないように注意する

      すべての事柄において節度を守るのが聖書の原則です。蜂密でさえその例外ではありません。適度に食せば滋養になりますが,食べ過ぎると害になります。(箴言 25:27)これはエホバの贈り物であるぶどう酒や酒類についても言えることであり,わたしたちはそれらをエホバの指示通りに用いなければなりません。またこのような飲み物の用い方に関する聖書の原則を無視して自分勝手にすれば,エホバの不興を招き,堕落と死という結果になります。聖書はその教えや戒めの中でこの事を大いに強調しています。―箴言 23:29-31。

      聖書は,ぶどう酒とそれを正しく用いることをとがめているのではありません。酔酒を禁じまた自制心の欠如を非難しているのです。「わざはひなるかなかれらは朝つとにおきてこき酒をおひもとめ 夜のふくるまで止まりてのみ 酒にその身をやかるゝなり」(イザヤ 5:11)「わざはひある者は誰ぞうれへある者は誰ぞ あらそひをなす者は誰ぞ わづらひある者は誰ぞ ゆえなくして傷をうくる者は誰ぞ 赤目ある者は誰ぞ これすなはち酒に夜をふかすもの 往て混和せたる酒を味ふる者なり」(箴言 23:29,30)「酒にふけり肉をたしなむものと交」わってはなりません。なぜなら,過度のアルコールは「貧し」さと「睡眠」をもたらし,また「人の心をうば」います。さらに「嘲」ったり,遊び暮して「相集」まる結果となり,また人をして誇り高ぶった「声を上」げさせます。―箴言 23:20,21。ホセア 4:11; 7:5。ゼカリヤ 9:15。

      適量のぶどう酒は飲み物や薬として有益ですが,多量になるとそれにおぼれてしまって,身心を制することができないような泥酔状態に陥ります。(詩 60:3; 78:65。エレミア 23:9。ヨエル 1:5)賢人の書きしるしたものによれば,度が過ぎることは「蛇のごとくかみ蝮のごとく刺」して,肝硬変や振戦譫妄症といった精神異常を引き起こし,死に至らせることさえあります。(箴言 23:32)ぶどう酒を底なしに好む人は,働けなくなったり,信用も失ない,貧しくなってしまいます。―箴言 21:17。

      聖書はまたわたしたちに,警告となるぶどう酒や酒類の誤用の例をいくつかあげています。ノアは,明らかに,不注意にも泥酔し,そのため大変な無作法をする結果になりました。(創世 9:20-27)ぶどう酒に酔いつぶれたロトは,知らずして自分の二人の娘に子を生ませました。(創世 19:32-38)「酔るものなるエフライム人」については「黙示をみるときにもよろめき審判をおこなふときにもつまづけり」と述べられています。(イザヤ 28:1,7)ナバルは自制心のほとんどない「邪なる人」の一例でした。―サムエル前 25:25,36。

      クリスチャンは特に気をつけるべき

      泥酔者は,乱暴で慎しみがなく,そうぞうしくて,とほうもない行ないをしがちです。(詩 107:27。箴言 20:1。イザヤ 19:14)したがって常習的な泥酔者はクリスチャン会衆に受け入れられません。クリスチャン会衆へはいって来る人は,「酒に酔ふもの(は)……神の国を嗣ぐことなきなり」ということを十分にわきまえ,「酔酒,宴楽など」を含む「肉の行為」をやめます。(ガラテヤ 5:19-21。コリント前 6:10)使徒ペテロはクリスチャンにあてこう書いています。「なんぢら過ぎにし日は,異邦人の好む所をおこなひ,好色・欲情・酩酊・宴楽・暴飲……に歩みて,もはや足れり」。(ペテロ前 4:3)「酒に酔ふな,放蕩はその中にあり」というのが聖書の命じている事です。(エペソ 5:18)監督や補佐のしもべたち,また老若男女など会衆内のすべての人々に対して,節度のある健全な精神が求められています。―テモテ前 3:1-3,8。テトス 1:6,7; 2:2-4,6。

      アルコール飲料は神経を刺激するものという誤った考え方をする人がいますが,逆に,それは中枢神経を鎮静し機能を低下させるものです。それで苦しみを一層感じさせる刺激剤としてではなく,悩みを忘れさせるものとして,「こき酒を亡びんとする者にあたへ 酒を心の傷める者にあた」えよとしるされているのです。(箴言 31:6,7)神経を鈍らせて,処刑される時の痛みを軽くするために,罪人にぶどう酒を含ませるのが古代の習慣でした。ローマの兵士がイエスを杭に掛ける時にぶどう酒を与えたのはこの理由によります。―マルコ 15:23。

      アルコール飲料は身体機能を低下させるので,祭司とレビ人は幕屋や宮で奉仕している時には,ほんの一滴でも飲むことを許されていませんでした。それを犯した者は死刑にされたのです。(レビ 10:9。エゼキエル 44:21)奉仕をしていない時には,節度を保ちつつ自由に飲むことができました。(歴代上 9:29)また誓いを立てたナザレ人はアルコール類を飲んではならないという神の律法もありました。(民数 6:2-4,13-20。アモス 2:12)サムソンは生まれる時からナザレ人だったので,その母は妊娠中にぶどう酒その他の酒類に触れることすら許されませんでした。(士師 13:4,5,7,14)執務中に「酒を飲は王の為べきことにあらずこき酒を求むるは牧伯の為すべき事」ではありませんでした。それは彼らが「律法をわすれ,かつすべて悩まさるる者の審判をまげ」ることがないためでした。(箴言 31:4,5)同様に,すでに述べられたごとく,クリスチャンの会衆の補佐のしもべたちも「謹厳にして,……大酒」してはなりません。―テモテ前 3:8,9。

      酒類を完全に断つ必要があるか

      はい,時には必要です。アルコール中毒は一種の病気とされています。中毒者は絶えずアルコール飲料を飲みたいとの衝動にかられます。それはやめようという自分の意志よりはるかに強い衝動です。このような衝動に悩まされている人は,それによって自分が圧倒されないために完全に禁酒すべきです。ごく少量のアルコールを取ることも,健康上の理由からやめたほうがよい場合はほかにもあります。また,使徒パウロが述べているように,他の人々の良心への配慮と愛のゆえにその人たちをつまずかせることがないようにとこい酒類をやめる必要が起こることもあります。(ロマ 14:21)「汝の愛は酒よりもまさりぬ」という聖句を心に留めてください。(雅歌 1:2,4; 4:10)つまり,アルコール飲料は必需品ではないのです。40年のあいだイスラエル人はぶどう酒や強い酒を飲みませんでした。(申命 29:5,6)レカブ人は酒を断ってから300年ほど経た時に,その忠実さをほめられました。(エレミア 35:2-19)ナザレ人の生活を送った強いサムソンや,がん丈な体格を持ったバプテスマのヨハネも禁酒のゆえに健康や体力をそこなうことはありませんでした。―民数 6:1-4。士師 16:17。マタイ 11:18。ルカ 1:15; 7:33。

      ですから,もしあなたが禁酒に成功しているなら,それはよいことです。しかし,もしエホバからのこの贈り物を楽しんでおられるなら,時と場所とをわきまえて,節度を保つという神の律法に従いつつ楽しんでください。

  • アッシリアによるイスラエル征服
    ものみの塔 1969 | 11月15日
    • アッシリアによるイスラエル征服

      聖書はアッシリアによるイスラエル征服をしるしています。普通,テグラテピレセルの名で呼ばれているアッシリアのプル王は,イスラエルがアッシリアによってついに征服された紀元前740年の幾年か前,少なくとも2回イスラエルを攻撃しました。聖書はその第1回目の侵略を次のように述べています。

      「アッスリヤの王プル[テグラテピレセル]その地に攻きたりければメナヘム[イスラエルの王]銀1千タラントをプルにあたへたり……ここをもてアッスリヤの王は帰りゆきて国に止ることをせざりき」― 列王下 15:19,30。

      二,三年後,ペカはメナヘムのあとをついで王となっていた彼の子を殺して,彼はイスラエルの王になりました。聖書はさらに,ペカ王時代におけるアッシリアの同じ王による2回目の侵略について述べています。「アッスリヤの王テグラテピレセル来りてイヨン,アベルベテマアカ,ヤノア,ケデシ,ハゾルおよびギレアデならびにナフタリの全地ガリラヤを取りその人々をアッスリヤに擄へうつせり,ここにエラの子ホセア 党をむすびてレマリアの子ペカに敵しこれをうちて殺しこれにかはりて王となれり」― 列王下 15:29,30。

      興味深いことに,考古学者が発見した,アッスリア王テグラテピレセルの文書は,聖書に記録されているこれらの出来事について述べています。たとえば,彼はある書類で,「我はコマジンのクシュタシュピ,ダマスコのレジン,サマリヤのメナヘムより貢を受けた」,また別の文書の中で,「民はペカ王を廃し,我はホセアを彼らの王とした」と述べています。

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