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人々が麻薬類に頼るのはなぜか目ざめよ! 1974 | 2月22日
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という点にあります。しかし,麻薬の問題には解決がないのではありません。解決のための土台となるのは,生きることに対して全く異なった見方をいだかせ,今日の社会で一般にもてはやされているものとは全く異なった目標を追い求めさせるような教育です。
若い麻薬中毒者の中には,解決の道を見いだし,今や生活に真の満足を得ている人が多くいます。そうした人々は,その社会における有用な成員となり,意義ある生活を見いだすようさらに他の人々を助けています。そうした人のひとりに,どのようにして麻薬中毒の深みにはまったか,しかし,麻薬問題と成功裏に取り組む道をどのようにして見いだしたかを語ってもらいましょう。
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わたしは麻薬の習慣をどのようにして断ち切ったか目ざめよ! 1974 | 2月22日
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わたしは麻薬の習慣をどのようにして断ち切ったか
「リバティー警察,LSDを販売中の18歳の若者を逮捕」。1968年12月6日付,オハイオ州ヤングズタウンのビンディケーター紙は,その第一面いっぱいにこのような見出しを掲げました。
その若者とは私のことでした。裁判所は,私に,トランブル郡刑務所における十か月の服役刑を宣告しました。しかし,30日後,わたしはそこから出ることができました。そして,わたしはすぐ,麻薬を“押す”(売る)仕事に戻っていました。自分自身の麻薬の習慣を続けるために資金が必要だったのです。わたしの使用した麻薬はいろいろな種類に及びましたが,中でも特にLSDを用いていました。
しかしわたしは,ヘロインの中毒が人を沈ませる深みに達するまでさらにずっと進んで行きました。留置場や刑務所に入れられたことは全部で二十数回に及びます。精神病院には三回入れられました。裸にされ,壁や床に当てものをした小室に監禁され,麻薬の禁断による激しい苦痛のままに放置されたことも一度ならずあります。それは,“忍ばねばならない厳しい現実”としてあてがわれたものでした。最後の場合には,生命が非常に危険な状態になり,監禁されていた小室から病院に移されました。臨終の儀式さえ行なわれました。しかし,わたしはなんとか持ち直し,やがて夜盗罪で有罪の宣告を受け,最後には,オハイオ州立刑務所のマンスフィールド分場に送られました。
しかし今,このすべては全く過去のこととなっています。わたしは麻薬の習慣を克服しました。最後に麻薬を手にしてからすでに3年半以上になり,自分が今後二度とそれを使用しないことを確信しています。これは,麻薬の問題に対する真の解決を見つけたからです。
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