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……でも,すべての麻薬が危険ですか目ざめよ! 1978 | 2月8日
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全米麻薬乱用問題研究所がコカインに関して行なった,最近四年間の研究によると,コカインは無害なレクリエーションどころか,不安,不眠,偏執性妄想,そして死をも含む副作用の伴う,“乱用されている重大な麻薬”です。
それだけの価値があるか
中には,マリファナ同様,コカインも医療の目的で用いられることがある,と論じる人もいるでしょう。それゆえ,コカインは安全であると考えるのです。しかし,ある薬剤が病人の治療に用いられて効を奏しているからといって,それが危険でないわけではありません。ある薬物学の教授はこう書いています。「最も有益な薬剤にさえ,逆の作用があることは広く知られている。どんな薬剤についても言えるのは,一番良くて,有益な作用が大半の患者にとって,大抵の場合に有害な作用をしのぐということである」。
それで,より大きな害悪を治すために,どんな薬剤を服用する場合にも,計算された危険が伴います。患者かその主治医は,あえてその危険を冒すかどうかを決めねばなりません。しかし,薬剤を服用する医学的な理由もないのに,害になる薬剤を服用する必要がどこにあるでしょうか。単なる一時的な快楽のために,自分の体に毒を盛るような行為をしても良いでしょうか。「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め……ようではありませんか」というのが,聖書に見いだされる常識的な答えです。―コリント第二 7:1。
しかし,マリファナやコカインを用いることは,大抵の社会で容認されているアルコール飲料を飲むことと変わらない,と論じる人もいます。そういう人々は,「アルコール飲料を飲んでも構わないのに,どうしてマリファナやコカインはいけないのか」と言います。
まず第一に,アルコール飲料を飲む場合,大抵の人は元気を回復させ,くつろぐために飲むのであって,酩酊するために飲むのではありません。前にも述べたとおり,体はアルコールを食物と同じような仕方で処理し,比較的早くそれを同化してしまいます。しかし,思考がゆがんでしまうまでアルコールにふけるとなると別問題です。それは次のような現実の問題を引き起こします。自分の思考を変えることを主な目的として麻薬やアルコールを用いるとすれば,それはレクリエーションとして道徳的に健全であると言えますか。
この点に関して,聖書がアルコール分を含むぶどう酒を飲み物として認めてはいるものの,思考をゆがめるものとしてはそれを非として,『大酒飲みは神の王国を受け継がないのです』と述べているのは興味深いことです。―コリント第一 6:9,10。
マリファナやコカインにも同様の原則が当てはまります。マリファナやコカインは飲食物にはならず,主に人の精神状態を変えるために用いられています。これは幾つかの点で有害です。
麻薬やアルコールに酔うと,自分を完全に制御しているときの行動とはかなり異なった行動に走りやすくなります。例えば,そのように自分を制御できなくなると,性の乱交に走り,病気,私生,家庭の崩壊などの結果を招くことになるかもしれません。そのような問題を避けるために,聖書は次のように勧めています。「あなたがた各自は……異教徒のように肉欲に屈することなく……自分の体を支配することを学ばねばなりません」― テサロニケ第一 4:3-5,新英語聖書。
しかし,マリファナやコカインなどの影響下にある人は,「自分の体を[完全に]支配」していないのが普通です。それを支配しているのは麻薬です。しかし人々は,今日の圧力に対処し,病気や心痛をもたらしかねないまやかしの誘惑から身を守るのに,自分の能力すべてを必要としているのです。聖書は賢明にもこう指摘しています。『思考力があなたを見守り,識別力があなたを保護するであろう。それはあなたを悪い道から救い出すためである』― 箴 2:11-13,新。
麻薬による誘惑を受けた人は次のように自問できるでしょう。自分はどうして麻薬のもたらす,非現実的な事柄を求めているのだろうか。健康で,平衡の取れた人は,自分の脳の正常な機能を変えることに喜びを見いだす必要があるだろうか。麻薬によって経験する事柄すべては,自己中心的で,忠誠心を弱め,健康を害するものではないだろうか。
ハーディン・ジョーンズ博士の述べるとおり,麻薬の使用は,「実際には,健康で,精力的で,活動的な人として生活する喜びを損なう」ものです。次の記事に登場する若い夫婦は,このことがいかに真実であるかを経験し,さらに,どうすれば自分たちの生活を麻薬なしに,豊かで,満足のゆくものにできるかを学びました。
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麻薬の乱用 ― そのとりこになってから抜け出すまで目ざめよ! 1978 | 2月8日
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麻薬の乱用 ― そのとりこになってから抜け出すまで
もし私たちがあなたに出会ったら,あなたは私たちをどこにでもいるような若夫婦とみるでしょう。違っているところと言えば,私とナンシーが麻薬中毒者だったという点です。私たちの経験は,麻薬のとりこになっていながらも,その状態から脱出して,有益な生き方をしたいと願っている他の人々にとって助けとなるかもしれません。また,麻薬をもてあそんでいる若者たちの親にとっても役立つかもしれません。
麻薬を常用していた十代のときのことを思い出すと,私たちの存在をむしばんでいた恐ろしい事柄に身の毛のよだつ思いがします。実に私たちは,単なる存在としか呼べないような状態にあったのです。
私もナンシーも,いわゆる“恵まれない”子供だったわけではありません。私たちは郊外の“高級”住宅街に住み,典型的な労働者階級,中流のアメリカ人家庭でも上のほうに属するとされる家の出でした。親たちは私たちを“安全な”地域で育てていると考えていたことでしょう。しかし,ここで非常に重要な点をお知らせしておきましょう。
それは,子供たちが麻薬にさらされずにすむ,
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