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悪化する世界的麻薬禍目ざめよ! 1978 | 2月8日
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悪化する世界的麻薬禍
米国は大分以前から,工業国の中で最悪の麻薬問題を抱えた国,というレッテルをはられています。しかし,この問題を抱えているのはもはや米国だけではありません。ベルギーのニュース雑誌,「的確な国際情勢」は,「警察によると,今やヨーロッパがヘロインの流行という問題に直面している」と伝えています。―1977年3月21日号。
一昨年,ヨーロッパ諸国の警察は,米国の警察官が押収したよりも多量のヘロインを押収しました。欧州共同市場に加盟している国々で,明らかになっている中毒者の数は今や10万人に上ると言われており,それが原因で一昨年は2,000人が命を失ったということです。
ポルトガルでは,麻薬禍が『国家的災いといえるほどの重大問題』となっていることを当局者は認めています。同国は,一人当たりの麻薬消費量がヨーロッパでも最も多い国の一つです。
フランスのある麻薬診療所の経営者はこう語っています。「我々の戦いは旗色が悪い。一歩前進したと思うと,百歩後退させられるような事が起きる」。
麻薬に起因する死亡例は,ヨーロッパにおける麻薬の乱用の急増を反映しています。例えば,麻薬が原因で死亡した人の数は,フランスで1973年に13人だったのが1976年に59人になり,ドイツで1973年に104人だったのが1976年の上半期だけで156人になり,イタリアで1973年に1人だったのが1976年の前半六か月に30人になりました。
しかし,麻薬禍の悪化に気づいているのはヨーロッパだけではありません。「極東経済レビュー」誌は次のように伝えています。
「強い麻薬の不正取引と中毒は,東南アジアで驚くべきレベルに達している。信頼できる推定によれば,香港では43人に1人がアヘンかヘロイン中毒にかかっている。タイでは,麻薬など“ヨーロッパ人の問題”と伝統的に考えられてきたが,ヘロイン中毒者の数が増加し,30万ないし60万に上っている,と考えられている。シンガポールとマレーシアからも同じく驚くべき報告が寄せられている」。―1976年4月30日号
厳罰に処せられるにもかかわらず,シンガポールでは,はっきりした中毒者の数が1975年には1974年の八倍に増加し,逮捕された麻薬密売人の数は三倍に増加しました。日本の麻薬関係の逮捕者数は,1971年から1975年までの間に四倍になりました。また,オーストラリアのメルボルン地区では,マリファナ関係の逮捕者数が1975年に,1974年よりも60%増加しました。メルボルンのエイジ紙は,「それはオーストラリア社会のあらゆる階層の間で広く用いられている」と論評しています。
アフリカ大陸も麻薬禍に巻き込まれています。国連麻薬委員会は,最近,サハラ以南の麻薬状況を“容易ならぬもの”と述べました。
アメリカの麻薬問題も消えたわけではありません。米国防省の最近の研究は,米軍の下士官兵のほとんど半数が麻薬を常用していることを明らかにしています。この割合は,五年前に実施された同様の調査で示された割合のほぼ二倍に相当します。しかし,この問題の最も悲劇的な面は,若者たちの間の麻薬の使用です。
若者の間で増えている
政府の調査が明らかにしたところによると,1976年に,米国の高校の最上級生の半数以上はマリファナを吸った経験があり,調査当時この麻薬を使っていることを認めた者はほぼ三分の一に上りました。しかも12人に1人は毎日マリファナを吸っていたのです。マリファナや他のもっと有害な麻薬に走る傾向を反映している国はほかにもあります。
「どの高校,大学,そして青少年センターにもヘロイン使用者が見られる。事態は破局を迎えている」と西ドイツの麻薬カウンセラーは心配しています。
「極東経済レビュー」誌は,「若者の麻薬中毒は,香港でも大きな問題となりつつある」と述べています。また,イタリアの一当局者は,自国において,「犠牲者の年齢は日に日に若くなっているように思える」と語りました。
膨大な利益を得る見込みがあったので,麻薬密売組織は,学校で若者たちがすぐに麻薬を入手できるようにしてきました。「学校で麻薬を入手するのは,ノートの紙を買うのと同じほど容易である」と米国議会の一委員会は報じています。
同委員会はまた,麻薬を飲んだ生徒は,学校当局から注意されることもなく,いつも自分の席で寝ているということも述べています。どうしてそのような状態が見られるのでしょうか。報告には,「教師たちは,麻薬に関してはどんな処置を取ることも怖くてできないと言う。学校当局も父兄たちも,そうした措置を支持しないからである」とあります。向学心のある若者も,このような堕落した,不健全な環境に絶えず取り囲まれていなければならないのです。
当局もお手上げ
ニューヨーク市長をはじめ幾人かの市当局者が偽装した警察の車に隠れて麻薬の売買現場を観察したことがありますが,その際市長は「自分の目撃した事柄に戦りつを覚えた」と同市長の報道担当官は語りました。「取引があまりにも公然と行なわれているのに驚き,現在の体制がこの問題に対処するのにいかに無力であるかを思い知らされ」ました。
「的確な国際情勢」誌はこう説明しています。「問題は悪化の一途をたどるのみであろう。なぜなら需要は尽きることがなく,供給源は世界でも最も無慈悲な農夫,加工業者,そして販売人たちだからである」。
米国の一政府期間は最近,麻薬に対する“戦争”を遂行するため軍隊を用いるよう提案しました。米上院長期捜査小委員会は,「麻薬売買者を追跡しそれに追いつくだけの陸空の乗物」を有しているのは軍隊だけだと述べました。
しかし,取締りを厳しくしても真の解決策にはなりません。フランスの麻薬取締り班の責任者,フランソワ・ルモールが観察しているとおり,麻薬禍は,「一般文明の問題のように思え」ます。今日の「文明」の生活様式,哲学そして目標は,空しさを残しました。多くの人はその空しさを麻薬によって埋め合わせようとしているのです。
そうした人々は,「そうするのがなぜいけないのか。麻薬を服用する害さえ,権威者たちによって吹き払われている。酒を飲むのと同じほど無害な麻薬だってある」と考えます。それは本当でしょうか。次の記事が示す答えに注目してください。
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……でも,すべての麻薬が危険ですか目ざめよ! 1978 | 2月8日
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……でも,すべての麻薬が危険ですか
「私は17歳になる,高校の最上級生で,ここ一年ほどマリファナを吸っています」。これはある若者が,ニューヨーク・ポスト紙の医療相談コラムニストに送った手紙です。彼は続けてこう書いています。「友人の多くは麻薬を使っており,強い麻薬にさえ手を出さなければ,マリファナは大丈夫だと言います。あなたのご意見をお聞かせください」。
マリファナは無害だという見方は,しだいに一般的になってきています。その原因の一つは,科学者たちの間で矛盾する証言が数多くなされていることにあります。この麻薬の害を示す研究が公にされると,必ずといって良いほどその使用を大目に見る別の研究が発表されるようです。
この麻薬の支持者たちは,ある種の有益な医学的特性をさえ指摘します。マリファナは,緑内障やぜんそくの症状を緩和し,ガンの化学療法に伴う吐き気や嘔吐などを和らげると言われています。マリファナが,てんかん,睡眠,食欲などに及ぼす影響に関する研究も進められています。
このような好意的な意見を盾に取り,マリファナはアルコール飲料やたばこより危険ではない,あるいは危険が少ないかもしれない,と考える人は少なくありません。そうした人々は,この麻薬の使用を禁じる政府は,国民から楽しみを奪っていると考えています。そのため,マリファナを“非犯罪化”するようにとの強い圧力が存在する国もあります。
ある種の麻薬を合法化すべきかどうかについて論評することは,当「目ざめよ!」誌の意図するところではありません。歴史は,多くの人々が自分の望む者を,合法的であると否とにかかわらず手に入れることを示しています。自分の行動が医学的にどんな結果を招くか,ほとんど意に介さない人も少なくありません。これは,たばこの危険性に関して圧倒的な証拠が挙げられているにもかかわらず,たばこを吸う人が数多くいることからも分かります。
しかし,医学的および道徳的な問題を気遣う人には,良識ある決定を下す基礎として十分の情報が与えられねばなりません。以下の事柄はこのことを目的として記されています。
マリファナに対する非難は不当か
マリファナの影響に関する判定が様々に違うので,ミルウォーキー・ジャーナル紙の一記者は最近,一人の科学者に,「マリファナが有害か無害か,どうしてあなたがた科学者は意見を一つにまとめることができないのですか」と尋ねてみました。カリフォルニア大学の医療物理学教授,ハーディン・ジョーンズは次のように答えています。
「我々の得る答えが違うのは,問題とする点が異なっているからである。例えば,マリファナ使用の初期,あるいは不定期な使用の例だけを見れば,害はほとんど目に留まらないかもしれない。しかし,私は長期的な影響を見るよう訓練されている。そして,私はその種の証拠をたくさん見いだした」― 1977年5月29日付,28ページ。
そのような“長期的影響”の背後にある一つの要因は,マリファナの活性成分であるTHC(テトラヒドロカンナビノール)です。THCは,脳のノイロン,および睾丸や卵巣の生殖細胞のような,体の中の脂肪質の組織に蓄積されます。こうした特性はアルコールとは対照的です。アルコールは水溶性で,数時間のうちに体内で水と炭酸ガスへと完全に変化してしまいます。THCは,それを体内に取り入れてから幾週間しても,依然として検出されます。
このTHCの蓄積が一体どれほど有害であるかに関しては様々な意見がありますが,思考に及ぼす影響は広く伝えられており,考慮に値します。ジョーンズ博士の主張によると,一つの点として,「親や教師たちは,若い使用者に現われる大きな性格の変化に気づいているはず」です。同博士はさらに,「そのような若者たちの顔や目に鋭い輝きを見たことがない」と述べています。
また,ジャマイカのキングストン病院の薬学部長,ジョン・A・S・ホール博士は,「ガンジャ[マリファナ]吸煙者の間に人格の変化が見られることは……ジャマイカでは一般に観察される」と述べています。無関心,現実からの逃避,長時間注意を集中させておく能力,またはそうしようとする意欲の喪失なども,同博士の挙げる症状の一つです。
マリファナが思考に影響を及ぼすことを示す一つの強力な証拠は,米国の国立精神病院に人々が入院する原因の中で,この麻薬によるものがヘロインに次いで第二位を占めている事実です。同様に,ピエール・C・ハベル博士はニューヨーク誌に寄せた手紙の中で,「モロッコのサレにある精神病院を訪れた際,大麻を長期間吸った結果として収容された患者たちが一つの病棟全部を占めているのを見た」と書いています。
もし上記の疑いが真実であるとすれば,精神的な害が他の人々との社会的な関係にも現われて来るものと考えられます。そうしたことを示す証拠がありますか。
人間関係に対する影響
アメリカ医学ニューズ誌によると,全米麻薬乱用問題研究所のために実施された,最近の三年間の調査は,マリファナのもたらす身体面の害を軽視してはいるものの,「[マリファナ]使用者と非使用者の家族構成が著しく異なっていること」を明らかにしました。その調査はこう述べています。「我々の調査において,マリファナの吸いすぎは,家庭生活の崩壊と相関関係にあった」。
その家庭崩壊の極端な例が,最近,米国テキサス州で起こりました。ある父親は20歳になる息子を殺したかどで裁判にかけられました。その父親は,息子を殺すに至ったいきさつを詳しく述べ,こう語りました。「息子は私の誇りであり,喜びの源でもありました。私たちはなんでも一緒にしました。しかし,それも三年前にこういうことが起きるまでのことでした」。
息子はバリアム[精神安定剤]とマリファナを使いだしたのです。父親は苦しそうな表情で語りました。「息子は変わってしまいました。完全に変わってしまったのです。私たちは息子を矯正したと思いました。しかしまた始めているのです。職に就いてはやめて,あのマリファナに金をつぎ込むのです。息子は,自分は正常だと言い続けました」。
もちろん,家族に及ぼすマリファナの影響がこれほど極端になることはまれです。しかし,一時的な快楽は,自分に最も近い者との関係を危険にさらすだけの価値があるでしょうか。
他の関係も影響を受けるおそれがあります。高校の一教師は,「今日の心理学」誌に投稿し,「この麻薬[マリファナ]の作用に関する神話を打破」するものとして同誌の一記事を賞賛しました。その記事は全般的に,医学的な見地から,マリファナに対して好意的でした。しかし,この教師は次のように付け加えています。
「私は,自分の教室の中に,麻薬に“陶酔”している生徒がいることに警戒するようになった。麻薬を使用する結果として彼らのうちのだれかの知力が幾らかでも低下したなどと断言するつもりは毛頭ないが,グループの中にいる際に,陶酔している生徒は正常な生徒にごく簡単な考えさえ言葉で伝えるのに困難を覚えるらしいことに気づいた。またその逆のことも言えるのである。……この“無害な”酩酊はどういうわけかある障壁を作っている」― 1977年3月号,8ページ。
この麻薬の吸煙者が吸煙中に受ける影響もそうですが,吸煙者がしばしばふさわしくない時にそれを吸うという事実も,明らかにこの麻薬についてある事柄を示唆しています。すなわち,マリファナに対する渇望は人の正常な判断力を損なってしまうことがあるということです。マリファナの使用は個人的な“レクリエーション”の域にとどまらず,多くの場合,生活にとって必要とされる活動に支障をきたします。使用者は自分の快楽を中心として生活するようになる傾向があり,他人に対して全般的に無関心になりがちです。判断力が鈍る結果,マリファナを吸わない人々にとって潜在的に危険な存在ともなりかねません。どうしてそう言えますか。
他の人々に対する危険
全米麻薬乱用問題研究所の所長,ロバート・L・デュポン博士は,「この麻薬について私が一番心配しているのは,わが国における交通事故への潜在的な影響である」と語りました。
メディカル・レター誌は,この危険について幾つかの詳細な点を示し,次のように伝えています。
「低服用量(紙巻き一本につきTHC4.90㍉㌘)のマリファナを使った人の42%,高服用量(紙巻き一本につきTHC8.40㍉㌘)のマリファナを使った人の63%が,紙巻きマリファナ一本を吸った後,運転能力の低下を示した。異常な行動の中には,『信号や止まれの標識の見落とし……歩行者や停車中の車に気づかなかったり,気づいても十分な注意を払わなかったりすること』などが含まれる」。
“陶酔”したままで教室へ入って来るほど判断力の鈍っている人が,自動車を運転する段になったら自制すると思いますか。ですから,この麻薬の使用は,“個人的な”問題と言えるようなものではありません。家族,学友,職場の同僚,そして全く見ず知らずの人まで影響を受け,傷つくかもしれないのです。
また,最近の科学的な論争がマリファナの医学上の危険性を覆い隠しているとはいえ,異論のない特定の危険が存在していないわけではありません。
証明されている医学的な危険
脳障害,細胞成長の抑制,精子の生産の減少,遺伝子に及ぼす害など,依然として論争の的となっている危険を別にしても,ほとんど異論のない,特定な医学上の危険は残ります。
その一つは肺に及ぼす害です。全米アルコール中毒問題協議会のニューヨーク支部の支部長,ニコラス・A・ペース博士は次のように語っています。「マリファナは,たばこよりもずっと強い刺激を呼吸器に与える。一年間毎日マリファナを吸った結果としてできる,重い洞炎,咽頭炎,気管支炎,および肺気腫などをたばこで生じさせるには,20年間たばこを大量に吸い続けねばならない」。
さらに,メディカル・レター誌は,「紙巻きマリファナの煙が紙巻きたばこの煙と同じく,組織培養中の肺細胞に悪性の変化をもたらした」ことを示す研究結果を掲載しています。ハーディン・ジョーンズ博士もこのガンの危険に関する医学的な証拠を引き合いに出してこう語っています。「一か月に25ないし30㌘のハシッシュ(同じ植物から取られるが,THCの含有量がマリファナより多い)を数か月間吸った,ドイツ駐留の米兵30人の気管支の組織片を調べたところ,そのうちの24人に前ガン状態の病巣が見られた」。
ですから,マリファナの使用が健康に及ぼす危険すべてを,まだ論争中の余地ありとして片付けてしまうわけにはゆきません。
コカインはどうか
多くの人が比較的“安全”であると考えている別の麻薬はコカインです。コカインは,金持ちや有名人,それを買うだけの余裕のある人,それを手に入れるに足るお金を盗む人のおもちゃになっています。百年ほど昔には,四人のヨーロッパの王,米国とフランスの大統領,フランスの大ラビ,法王ピオ10世とレオ13世の賞味したワイン製品にコカインが混入されていました。レオ13世は,その製造業者に金メダルを贈りました。1903年ごろにカフェインが,この刺激物に取って代わるまでの最初の17年間は,コカ・コーラという清涼飲料にもコカインが添加されていました。
コカインの与える感じを描写して,一人の作家はこう述べています。「あれは頭を直撃して,快感の連結線を活動的にする。……コカインに酔った頭は,電気的な興奮の絶頂に達して青やピンクのランプが点滅する狂ったピンボールの機械のようなものだ」。別の人は,「コカインの効いているときは,王様のように感じる」と語っています。
しかし,現実からのこのつかのまの逃避のために,どんな代償を支払わねばならないでしょうか。ハーバード大学の学者アンドリュー・ウェイル博士はこう説明しています。「コカインは体に奇跡的にエネルギーを与えるのではない。それはただ,神経系統の特定の部分にすでに化学的に蓄えられていたエネルギーを発散させているにすぎない。結果として,この麻薬の直接の影響が消えると,打ちのめされたように,普通よりも力がないように感じる」。
ある使用者は,「天国の高みから地獄の深みに落ち込むようだ」と述べています。別の使用者は,「私は批判がましい言葉に対して過敏になる。私がコカインに酔っているときには,近寄らないほうが良い」と語っています。
全米麻薬乱用問題研究所がコカインに関して行なった,最近四年間の研究によると,コカインは無害なレクリエーションどころか,不安,不眠,偏執性妄想,そして死をも含む副作用の伴う,“乱用されている重大な麻薬”です。
それだけの価値があるか
中には,マリファナ同様,コカインも医療の目的で用いられることがある,と論じる人もいるでしょう。それゆえ,コカインは安全であると考えるのです。しかし,ある薬剤が病人の治療に用いられて効を奏しているからといって,それが危険でないわけではありません。ある薬物学の教授はこう書いています。「最も有益な薬剤にさえ,逆の作用があることは広く知られている。どんな薬剤についても言えるのは,一番良くて,有益な作用が大半の患者にとって,大抵の場合に有害な作用をしのぐということである」。
それで,より大きな害悪を治すために,どんな薬剤を服用する場合にも,計算された危険が伴います。患者かその主治医は,あえてその危険を冒すかどうかを決めねばなりません。しかし,薬剤を服用する医学的な理由もないのに,害になる薬剤を服用する必要がどこにあるでしょうか。単なる一時的な快楽のために,自分の体に毒を盛るような行為をしても良いでしょうか。「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め……ようではありませんか」というのが,聖書に見いだされる常識的な答えです。―コリント第二 7:1。
しかし,マリファナやコカインを用いることは,大抵の社会で容認されているアルコール飲料を飲むことと変わらない,と論じる人もいます。そういう人々は,「アルコール飲料を飲んでも構わないのに,どうしてマリファナやコカインはいけないのか」と言います。
まず第一に,アルコール飲料を飲む場合,大抵の人は元気を回復させ,くつろぐために飲むのであって,酩酊するために飲むのではありません。前にも述べたとおり,体はアルコールを食物と同じような仕方で処理し,比較的早くそれを同化してしまいます。しかし,思考がゆがんでしまうまでアルコールにふけるとなると別問題です。それは次のような現実の問題を引き起こします。自分の思考を変えることを主な目的として麻薬やアルコールを用いるとすれば,それはレクリエーションとして道徳的に健全であると言えますか。
この点に関して,聖書がアルコール分を含むぶどう酒を飲み物として認めてはいるものの,思考をゆがめるものとしてはそれを非として,『大酒飲みは神の王国を受け継がないのです』と述べているのは興味深いことです。―コリント第一 6:9,10。
マリファナやコカインにも同様の原則が当てはまります。マリファナやコカインは飲食物にはならず,主に人の精神状態を変えるために用いられています。これは幾つかの点で有害です。
麻薬やアルコールに酔うと,自分を完全に制御しているときの行動とはかなり異なった行動に走りやすくなります。例えば,そのように自分を制御できなくなると,性の乱交に走り,病気,私生,家庭の崩壊などの結果を招くことになるかもしれません。そのような問題を避けるために,聖書は次のように勧めています。「あなたがた各自は……異教徒のように肉欲に屈することなく……自分の体を支配することを学ばねばなりません」― テサロニケ第一 4:3-5,新英語聖書。
しかし,マリファナやコカインなどの影響下にある人は,「自分の体を[完全に]支配」していないのが普通です。それを支配しているのは麻薬です。しかし人々は,今日の圧力に対処し,病気や心痛をもたらしかねないまやかしの誘惑から身を守るのに,自分の能力すべてを必要としているのです。聖書は賢明にもこう指摘しています。『思考力があなたを見守り,識別力があなたを保護するであろう。それはあなたを悪い道から救い出すためである』― 箴 2:11-13,新。
麻薬による誘惑を受けた人は次のように自問できるでしょう。自分はどうして麻薬のもたらす,非現実的な事柄を求めているのだろうか。健康で,平衡の取れた人は,自分の脳の正常な機能を変えることに喜びを見いだす必要があるだろうか。麻薬によって経験する事柄すべては,自己中心的で,忠誠心を弱め,健康を害するものではないだろうか。
ハーディン・ジョーンズ博士の述べるとおり,麻薬の使用は,「実際には,健康で,精力的で,活動的な人として生活する喜びを損なう」ものです。次の記事に登場する若い夫婦は,このことがいかに真実であるかを経験し,さらに,どうすれば自分たちの生活を麻薬なしに,豊かで,満足のゆくものにできるかを学びました。
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「我々の調査において,マリファナの吸いすぎは,家庭生活の崩壊と相関関係にあった」。―全米麻薬乱用問題研究所の研究。
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「一年間毎日マリファナを吸った結果としてできる,重い洞炎,咽頭炎,気管支炎,および肺気腫などをたばこで生じさせるには,20年間たばこを大量に吸い続けねばならない」。―ニコラス・A・ペース博士。
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“コーク”(コカイン)を鼻から吸い込んでいる男
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麻薬の乱用 ― そのとりこになってから抜け出すまで目ざめよ! 1978 | 2月8日
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麻薬の乱用 ― そのとりこになってから抜け出すまで
もし私たちがあなたに出会ったら,あなたは私たちをどこにでもいるような若夫婦とみるでしょう。違っているところと言えば,私とナンシーが麻薬中毒者だったという点です。私たちの経験は,麻薬のとりこになっていながらも,その状態から脱出して,有益な生き方をしたいと願っている他の人々にとって助けとなるかもしれません。また,麻薬をもてあそんでいる若者たちの親にとっても役立つかもしれません。
麻薬を常用していた十代のときのことを思い出すと,私たちの存在をむしばんでいた恐ろしい事柄に身の毛のよだつ思いがします。実に私たちは,単なる存在としか呼べないような状態にあったのです。
私もナンシーも,いわゆる“恵まれない”子供だったわけではありません。私たちは郊外の“高級”住宅街に住み,典型的な労働者階級,中流のアメリカ人家庭でも上のほうに属するとされる家の出でした。親たちは私たちを“安全な”地域で育てていると考えていたことでしょう。しかし,ここで非常に重要な点をお知らせしておきましょう。
それは,子供たちが麻薬にさらされずにすむ,地理的に安全な地域などはない,ということです。余りにも多くの場合に,親は,麻薬など恵まれない人々の生活環境と結びついているのだというまやかしで,自分たちの気持ちをなだめようとする傾向があります。実際には全くそうではないのです。あらゆる種類の麻薬は,事実上すべての地域社会に浸透しています。人が麻薬を手に入れたいと思えば,それは手に入ります。それは住んでいる場所の問題ではなく,動機の問題なのです。
例えば私は,献身的で勤勉な両親の手で育てられ,幸福な幼年時代を過ごし,正常で活動的な生活を送っていました。働くことの価値を教えられていたので,家庭の中で与えられた責任をよく果たしました。学校の成績は良く,科学と数学に興味を持っていました。私は飛行機のパイロットか宇宙飛行士になることを心から望んでいました。少年時代は,ジョン・グレンに“あこがれ”ていたのです。
しかし,実を言うと,十代に入ってから,生きているのが退屈になってきました。私は“興奮”を求め,“面白いからというだけの理由で”,小さな犯罪に手を出すようになりました。ちょうどそのころ,1964年に,私の家族はニューヨークの裕福な人々の住むある郊外の町へ引っ越しました。
新しい家へ向かう車の中で,生き方を変えようと心に決めたのをはっきりと思い出します。私は行状の良い若者たちを,“聖人君子”と呼んでいましたが,そうした人々と付き合わないことにしたのです。私は同じような考えを持つ仲間を捜すようになりました。私たちは先を争って,あらゆる挑戦に応じました。私は仲間たちの中で“大物”になりたかったのです。ですから,必然的に麻薬にも手を出すことになりました。両親は,私の考え方や行動のこうした変化に全く気づいていませんでした。
初めはごく簡単で,紙巻きマリファナの“無邪気な”一服から始まりました。そして,次から次へと別の麻薬を試し,すぐにLSD,ヘロイン,バルビツール剤,洗浄剤の吸引などへと移ってゆきました。こうして私はありとあらゆる麻薬を試みました。
麻薬の及ぼす影響
ある日,私と一人の友人は,ぜんそく用粉末剤を手に入れました。私たちは,それを食べたり,飲んだり,たばこのように吸ったり,吸引したりしてみました。そしてついに,麻薬による知覚麻ひに陥ってしまいました。どうにか家にたどり着きました。丁度夕食時で,かろうじて食卓には着いたものの,テーブルや食べ物が床に転げ落ちるような感じがして仕方がありませんでした。全部の物が動いているように思えました。私はよろめきながら食卓を離れ,手探りで二階へ上ってゆきました。それから先のことは全く覚えていません。母は,私が妹の押入れの中で,明りもつけず,裸になって人形をもって遊んでいるのを見つけました。母が電灯をつけると,私は飛び上がり,廊下を走って行き,階段から転げ落ちました。父は,救急車が来るまで,私を力づくで押さえていました。私はぎりぎりのところで医師の手に渡され,解毒剤を与えられておそまつな一命を取り留めました。
こうして九死に一生を得た後でさえ,私は後悔しませんでした。そして,それから後も同じような経験を数多くすることになりました。それでも,頭の中のどこかには,ある種の罪悪感がありました。
ナンシーとの出会い
後に私の妻になったナンシーは,中流階級でも上のほうに属する家の出でした。両親から十分のものを与えられており,あらゆる洗練された仕草を教え込まれ,自分は特別であると思い込まされていました。彼女の予想し得た見込みは,学生生活を楽しみ,それから満足のゆく結婚をすることでした。つまり,自分が慣れている生活様式と同じ程度の暮らしをさせてくれる,社会的にも釣り合った,若い男性と結婚することでした。
ナンシーの家族は,彼女が高校に入学するころ,私たちの町へ引っ越してきました。ある日,ナンシーに一緒に外出することを申し込んだところ,ナンシーはその申し出をはねつけました。私は若い人々の間で,麻薬常用者として悪名が高かったからです。しかし,麻薬の人気が広まるにつれ,私たちの町で麻薬を使う若者の数も増えてゆきました。そうした人の中にはナンシーも含まれていました。
ナンシーもまずマリファナに手を出しました。彼女は逃避したかったのでしょうか。それとも興奮を求めたのでしょうか。いいえ,ナンシーはただ好奇心に駆られたにすぎませんでした。間もなく私たちはひんぱんにデートをして,麻薬に対する渇望を一緒になって満たすようになりました。“良い”家庭に育ち,“良い”環境の中で生活していた,二人の正常な子供が,麻薬の奴隷,そして麻薬の使用に伴う様々な事柄を行なう者になってしまったのです。
欺きと言いのがれ
私もナンシーも,親と自分の麻薬の使用について話し合ったことはありませんでした。事実,私たちはかなりの間,親を欺いていました。親たちは疑いを抱いたかもしれませんが,決してそれを口に出しませんでした。知っていたとしても,自分を欺いて,別の考え方をしたかったのでしょう。母はいまだに私のことを,“アメリカを代表する子,ジョニー”とみているに違いありません。
麻薬を使った後,それをごまかすためによく使った手は,家に帰る直前に,かんビールを一本飲むことでした。私は,階段を登るのもおぼつかないような状態で帰宅しますが,両親は,「おやおや,ちょっと飲み過ぎたようだな」と言って片づけてしまったものです。両親は息子が麻薬を使った可能性のあることを認めたくない余り,同じほど有害ではあっても,社会的にはもっと受けの良い別の中毒,アルコールの飲み過ぎのせいにすることを好みました。
町の警察は私が麻薬を使っているとにらんでいましたが,私が麻薬を所持しているところを捕まえることができませんでした。私は幾度も呼び止められて,身体検査を受けました。17歳のとき,私は警察のバラックへ連行され,一片の肉のように逆さまにつるされました。州警察の警官たちは,私の腹や体を足やひざでけり上げ,私を脅して,口を割らせようとしました。警官が私に対して嫌悪感を抱いていたことも理解できないわけではありません。私は町の中の悪を象徴していたのです。しかし,警官の脅しは私に何の効き目もありませんでした。
変化を求める
十代も後半になるに従って,ナンシーと私は自分たちの前途と,麻薬の常用が自分たちに及ぼす影響について少し考えるようになりました。そして,自分たちの共通の悪習について心配し,恐れを抱くようになりました。その有害な影響を否定することはできなかったからです。
しばらく麻薬を使っていると,他の人々に話したり,自己を表現したり,はっきりと物を考えたりするのが困難になります。自分が孤立しており,とりわけ麻薬を使用していない人に意志を伝達することができないように感じます。ひどい抑うつ状態,禁断症状,さらには攻撃的な態度まで出てきます。頭がはっきりしているときには,麻薬をやめねばならないことに気づきますが,時がたつにつれてそのような状態になることも少なくなりました。命を失いたくないのであれば,麻薬に取り囲まれた環境から脱出しなければなりません。しかし,どうしたら脱出できるのでしょうか。
私は,自分の人生を根本から変化させることに決めました。そうすれば,ナンシーを助けることができるかもしれません。私は米国海兵隊に入隊しました。しかし,そこでも麻薬から逃れることはできませんでした。基礎訓練基地に着いてから数週間以内に,私は麻薬常用者たちを見つけ,やがて自分の習慣を続けるようになっていました。麻薬から足を洗うことはどうしてもできなかったのです。
最後に私は,軍隊の休暇の際にナンシーに求婚しました。私たちは互いに愛し合っていたので,きっと二人が一緒になったほうがうまくやってゆけると考えたのです。ナンシーは承諾してくれました。私たちは次の休暇の際に結婚し,ナンシーは海兵隊の基地の近くへ引っ越し,私たちはそこに一家を構えました。麻薬の習慣は相変わらず続いていました。
私たちは,世界情勢や,あらゆる事柄が絶望的に見えること,そして自分たちの特別な問題をどうすべきかなどについて話すことが多くなりました。将来の見込みを持つには,麻薬癖を捨て去らねばならないことは分かっていました。しかし,自分たちにはそうするだけの力がないことも感じていました。麻薬を常用していて,その気になれば自分はいつでもやめられる,と言っている人は,そうしようと決意したとき,自分が誤っていたことに突然気づきます。
しかし,思い起こしてみると,自分たちにとって非常に大きな変化が起きていたことに気づきます。私たちの動機は変わっていました。もはや興奮も,好奇心を満たすことも,仲間と交際して受け入れられることも求めてはいませんでした。それでもなお,私たちはおびえ,希望を失い,絶望し,泥沼からはい上がる道を捜していたのです。
必要な力を得る
ナンシーは近くのレストランでウエートレスとして働くようになりました。これは,私たちの身の上に起きた中で,最もすばらしい事柄の先ぶれとなりました。ある日,ナンシーは別のウエートレスと,こともあろうに,お化け屋敷の話をしていました。そのウエートレスは,霊に関して最近非常に興味深い事を学んだと話し,だれかがあなたの移動住宅に行ってこの問題について話すことを望みますか,とナンシーに尋ねました。ナンシーは是非そうしてもらいたいと答えました。数日後,訪ねてきた若い夫婦はエホバの証人でした。
私たちは,「とこしえの命に導く真理」と題する本の助けを借りて,初めて聖書の内容に接しました。その時話し合ったのは,「邪悪な霊者が存在しますか」という章でした。その話し合いは,一つの点だけでなく,様々の点で目を見張らせるものがありました。邪悪な霊者に関する質問の答えが与えられただけでなく,聖書が現代と将来について述べる事柄を,信仰を築き上げるような仕方で調べることができました。率直に言って,私たちは二人とも,たった一晩で聖書から非常に多くの事柄を学んだことに感動し,息をのむほどでした。私たちは,エホバの証人が週ごとの無償の家庭聖書研究を勧めてくれたとき,その申し出を感謝して受け入れました。突如として,将来にかすかな光が見えてきました。
私とナンシーには,続く数週間に学んだ聖書の真理を受け入れる備えができていました。すべてが実に道理にかなっていました。私たちはついに,地球上の諸問題の確かな解決策を悟り,また麻薬の乗用という私たち個人の惨状からはい上がる確かな,そして可能な方法を見いだしました。さらに,続く数週間で,エホバを崇拝し,命に関する神の原則を尊重すべき理由を学びました。また,真のクリスチャン愛の意味を悟り,そのような愛が確かにエホバの証人の間に存在することを認めました。私たちは,キリストの下に樹立された神の王国,および人類のために蓄え置かれている祝福について学びました。そして何にも増してすばらしいことに,そうした祝福が,間もなく,私たちの生きているうちに実現することを学んだのです。私たちの信仰は日に日に強まりました。そして,自分たちの学んでいる事柄を,一層多くの人々に,毎日分かち合いたいと思いました。
海兵隊での現役勤務が終わり,私とナンシーは,私たちが聖書の真理を学ぶのを大いに助けてくれた,すばらしい人々に別れを告げ,故郷の町に帰りました。しかし,私たちは昔の仲間たちのところへは戻りませんでした。その代わり,さらに聖書研究を続け,エホバの証人との交わりで,日々を満たしました。
決して容易であったとは言えませんが,私たちは二人とも自分たちの生活の中に麻薬の占める位置がなくなるという,あのすばらしい日を迎えることができました。今では,麻薬よりもずっと,ずっと価値があり力があるもの。すなわち神の言葉の真理とエホバに永遠に仕えたいという願いが,私たちの生活を満たすようになりました。うれしいことに,私たちは共に,生まれ変わった自分たちの命をエホバにささげ,バプテスマを受けたいという結論に達しました。そして,1972年12月2日にバプテスマを受けました。
麻薬による苦い経験は今では過去のものとなりました。私は土地のエホバの証人の会衆で奉仕のしもべとして仕える特権にあずかっており,ナンシーは証言活動にとても活発です。そして,私たちは共に,生まれたばかりのかわいい娘,リベカの養育に忙しく携わっています。今私たちは,これまでに考えられなかったほど幸福です。私たちは,今日の地上における,唯一の永続する,有意義な業の中に,麻薬から解放された,有益な生活を見いだしました。それは,エホバのとこしえの目的について,また神の保護と祝福の下に来る方法について学ぶよう他の人々を助ける業です。―寄稿。
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「母は,私が妹の押入れの中で,明りもつけず,裸になって人形をもって遊んでいるのを見つけました」。
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「麻薬を使った後,それをごまかすためによく使った手は,家に帰る直前に,かんビールを一本飲むことでした」。
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「こともあろうに,お化け屋敷の話をしていました」。
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目撃者の報告: ジョンズタウンの三番目の洪水目ざめよ! 1978 | 2月8日
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目撃者の報告: ジョンズタウンの三番目の洪水
米国ペンシルバニア州ジョンズタウン ― 洪水の町。この名称は,蒸気機関車が横倒しにされ,人々が屋根の上に追いやられた昔の災害の有様を思い出させました。しかし,そうした災害の起きたのは以前のことでした。“洪水の町”というあだ名は町のイメージを損なうということで,ジョンズタウンの若い指導者たちは,“友情の町”という名前に変えることを取り決めました。しかし,古い記憶はそうたやすくなくなるものではありません。年を取った賢い住民たちはそうした決定に従いましたが,洪水を予期していました。
1977年7月20日午後9時30分ころ,小雨が降り始めました。ある男の人は,防水してあるかどうかを調べるために,家族と共に苦労してテントを張りました。午後10時,雨は本降りになりました。
町の低地帯の一部では真夜中までに増水が問題になりはじめていました。普段は流れの静かなソロモン川の水位が上がり始め,険しい山の斜面を水が多くの小さな流れになって落ちだしました。アーサー通りでは,一人の男の人が,隣に住むエホバの証人を二階のアパートから呼び出し,芝生に水が流れ込むので,板でせき止めるのを手伝ってくださいと頼んでいました。
それでも人々は,まだ余り心配していませんでした。ジョンズタウンには,1930年代後半に洪水調節計画の一端として米陸軍工兵隊によって設置された強力な洪水防御装置がありました。この事業が行なわれたのは,町が二度の大洪水に見舞われた後のことでした。
最初の有名な洪水が起きたのは1889年のことで,町の北部にあるダムが決壊し2,209人の人が死亡しました。1936年の二番目の洪水では,それより
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