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  • 楽園 ― 願わしい住みか
    目ざめよ! 1976 | 4月22日
    • 楽園 ― 願わしい住みか

      地上の楽園というと,どんな情景が頭に浮かびますか。それはどんなものだと思われますか。

      きっと美しい公園,自然の美のあふれる静かな場所を心に描かれることでしょう。多種多様な樹木や花,楽しい遊び相手になる数多くの鳥や動物を想像されるかもしれません。そのような情景を思い浮かべるのももっともです。というのは,多くの言語で,“楽園<パラダイス>”という語は木立ちのある公園,あるいは公園のような庭を意味する古語から派生しているからです。

      しかし,境界の定められた公園ではなく,全地が楽園となるとすればどうでしょうか。それは,あなたにとってどんなところとなるでしょうか。

      まず,楽園となった地には,数え切れないほど様々な動植物が見られ,人間が,多くの生物を広範な地域にわたって絶やしてしまった今日の状態とは全く異なっているでしょう。

      地勢も変化に富んだ楽しいものとなります。ごみや工業廃棄物で汚されていない磯浜や砂浜を訪れる喜びも味わえるでしょう。そこでは,波の音を聞きながら,優雅に舞うかもめや他の海の生物をながめて楽しむことができます。内陸部に入れば,変化に富んだ森林が見られます。それぞれの森には,特色のある動植物があふれ,荒廃をもたらす人間の開発の影響は全くありません。

      もちろん,高くそびえ立つ,雪に覆われた山やなだらかな斜面を持つ山などもあり,ビールの空きかんなどのごみにつまづくことなくハイキングを楽しめるでしょう。そうした山々のかなたには,乾燥した平原があることでしょう。そこは,人間が作り出す,土砂あらしの吹きまくるところなどではなく,その地域特有の野生植物の生い茂る地,大小様々な野生動物や家畜のたくさんいるところとなるでしょう。その他の場所には,低木や薄い色のかん木の生える野原があるでしょう。

      そうした全地球的な楽園を怠りなく手入れして耕すためには,ある程度働くことが求められます。しかし,厳しい上司にいらいらさせられたり,虐げられたりするのでなければ,あなたはそうした労働をいとわないはずです。共に協力することによって,あなたご自身とご家族そして人類全体に益となるような仕方で,努力を傾け,自らの能力を発揮できるでしょう。楽園を作ることに貢献するのは喜ばしいことであるに違いありません。

      楽園では自らの分にあずかれるのですから,自分の仕事,および休息したり,旅行したり,この地球上に見られる驚異についてさらに学んだりする多くの機会から,永続する喜びを享受できるでしょう。

      このすべては,非現実的な夢にすぎないと思われますか。全地が美しい場所となることなど不可能であるとお考えでしょうか。これまで見たり読んだりしてきた事柄から,地は正反対の方向,つまり汚染や荒廃や破滅の危険の増大する方向に向かって進んでいると信じておられますか。

      率直に言って,地球の将来が陰気なものに思えるにもかかわらず,この惑星全体が楽園となることを期待し得る確かな根拠があるのです。

  • 全地球的な楽園 ― なぜ可能ですか
    目ざめよ! 1976 | 4月22日
    • 全地球的な楽園 ― なぜ可能ですか

      今日,次のような見解を持つ知識人は少なくありません。『全地球的な楽園というと,すばらしいもののように聞こえるが,それは実現不可能である。地球全体を楽園に変えるようなことは決してできない』。あなたも大体同じような意見をお持ちですか。

      人間がこの地球を荒廃させ,楽園の希望を一見台なしにしてしまったことに,あなたはある程度気付いておられるでしょう。

      例えば,人間は,ばい煙や有毒ガスで大気を汚染してきました。そうした空気を吸ってこられたのではありませんか。それは,わたしたちの健康に害を及ぼしているだけでなく,地球全体を損なっています。どうしてそう言えますか。一権威者は,『人間は,大気中にちり,煙,その他の汚染物質を排出することにより,気象状況を悪化させている』と報告しています。こうした大気汚染は気候を変え,最近アフリカで起きたように,砂ばくを広げ,飢きんの一因となるような気象の変化をもたらすと言われています。

      地球を楽園とはおよそ縁遠いものにしている他の種類の有害な汚染も見逃せません。海洋生物は,廃油によって命を奪われています。大抵の川は,化学物質が流れ込むため,安全ではなく,無数の魚が浮き上がる場合もあります。人間や動物の食べ物は,水銀,銅,鉛,DDTなどで汚染されています。

      人間の引き起こした,土壌の浸食によってすでに生じている荒廃状態を見ると,全地球的な楽園の実現は不可能に思えるかもしれません。人間が,森林を伐採し,防護植物をはぎ取り,過度に放牧をしたため,幾百万ヘクタールもの土地は不毛の地と化してしまいました。その結果どうなりましたか。バイオサイエンス誌は次のような結論を下しています。「人類史上初めてのこととして,人間は,故意にあるいは過失によって,地球の生物体系を破壊する可能性を有する段階にまで達した」。

      回復は可能か

      地球は,元の状態に戻ることや楽園となることが不可能なほど損なわれていますか。ロックフェラー大学の名誉教授ルネ・J・デュボスは,その点に関してこう述べています。「我々の前には大問題が山積しており,その多くは悪化している……しかしわたしは,こうした悪い状態を逆転させ得ると確信するようになった」。

      地球の回復能力についてお考えになったことがありますか。自然界にもたらされた乱開発などによる害を,地球自体が徐々に克服してゆく様を見るのは驚嘆に値します。最近出版された,「人間とその環境: 法則」と題する本は,次のような所見を述べています。

      「自己再生能力を持つ,生きた世界は,どんな宝の蔵よりも,実際にはずっと豊かである。自然界は,生命を維持するものから切り断たれ,土地が細分され開発されない限り,常に新陳代謝を繰り返している……自然界に見られる,強力で活動的な再生能力は,営みを続けており,人間の作った最も豊かな宝庫も全く比較にならない」。

      地球の自己回復能力を裏付ける証拠は数多くあります。例えば,ジャワの近くにあるクラカトア島についてお聞きになったことがありますか。同島は,一万メガトンの水爆に匹敵する火山の爆発で吹き飛ばされました。あとに残ったのは,火山灰と軽石で覆われた不毛の土地だけでした。しかし,クラカトア島は,生物のない灰の山のままになるでしょうか。生物学者たちはその成り行きを観察しました。三年以内に,26種類の植物が再び根を下ろし,さらに十年が経過するとココやしの木,野生の砂糖キビ,ランなどが見られるようになりました。それから十二年後には,263種の動物が同島で見いだされました。同島は,人間の助けを借りることなくして,再び,かわいい小鳥の住む,熱帯植物の生い茂る楽園になりました。

      この回復力の進行状態やその結果を見るために,遠くの島までわざわざ出掛けて行く必要はありません。あなたの住んでおられる国にも,汚染,洪水,戦争,有害な農法,あるいは浸食などのために大きな変化をみた地域があることでしょう。しかし,その地域は,そうした変化からすでに立ち直っているか,まさに立ち直ろうとしているのかもしれません。

      例えば,米国のニュー・イングランド地方の多くの土地は,一世紀ほど前,農地に変えられました。処女林は切り倒され,植物は取り除かれ,畑の縁には石が積まれました。しかし,主な農作地帯が西部に移動すると,それらの畑は捨てられました。耕作されない畑には,やがて雑草,草,アキノキリンソウ,そして漿果のなる若木などが生えるようになりました。数年後には,しらかばが見られるようになり,風で運ばれてきたストロブ松の木の種が成長して小さな木になっていました。その後,幾本かの松の木の周りに,鳥の落した種からアメリカ桜の若木が芽を出しました。しばらくの間,松が林の大部分を占めていましたが,それは過渡期の段階にすぎませんでした。というのは,樹木でびっしり覆われた日陰では,松の若木がほとんど根を下ろせなかったからです。しかし,樫の木やかえでは根を張り,やがて松の木に取って代わりました。見上げるような広葉樹の下には,後日アメリカつが,ぶな,しなのきなどが生えてきました。こうした変化と共に,そこに住む野生動物の種類も移り変わり,変わりゆく森林に適した動物が住み着きました。

      今,この気持ちのよい丘陵地帯を散歩し,甘い森の香りを吸い込み,各種の野生動物によく注意を払い耳を澄ませてみることにしましょう。時折り,くずれかけた石のへいが見られますが,それは,しばらく前までこの土地がどんな所であったかを暗黙のうちに物語っています。今や,再び森林がよみがえったのです。

      しかし,人間が,単に一時期森林を農地に変えるだけでなく,地球をひどく汚染したり,損なったりするならどうですか。それでも地球は元通りになりますか。地球が楽園になるという可能性は今なお残っていますか。

      一度荒廃した所が元通りになる

      「楽園の中の汚染」,これは,米国オレゴン州のひどく汚染されたウイラミット川に関するテレビのドキュメンタリー番組の題でした。その川は,人間によって開発され,損なわれてきました。しかし,それはいつまでも汚染されたままでしたか。立法措置によって,ひどい汚染に歯止めがかけられると,川は自浄作用によって元に戻りました。その川は遊泳可能になり,再びさけがさかのぼってくるようになりました。同様に,1975年の報道は,英国のテムズ川の浄化状況をこう伝えています。「一年前,141年ぶりにテムズ川で一匹のさけがとれたが,今年の夏には,二匹目が見付かった」。

      湖や河川だけでなく,人間が荒廃させた土地もやはり元通りになります。フランス,ベルギー,ドイツ国内にある,世界大戦中に破壊され焼け野原になった地方を訪れるなら,今ではそこが青々とした畑やうっそうとした森林になっているのが見られるでしょう。

      時には,人間が地球の回復作用を促し,その効果を上げることができます。ニュージーランドの初期植民者たちは,牧草地を作るために大森林を伐採したり焼いたりしました。しかし,多くの場合,植民者たちは,その牧草地で養えないほど多くの家畜を放牧しました。それに加えて,人間がニュージーランドに連れて来たウサギは,土壌の浸食を防ぐのに必要な植物を食い荒らしました。その結果どうなりましたか。広範にわたる浸食が起こり,土地は荒れ果ててしまいました。しかし後日,土壌保護論者たちは,タラ丘陵の浸食を食い止めることに努め,浸食作用を逆転させることもしました。また,肥料をやったり,牧草用の豆類を植えたりして,土地の生産力を回復させ,さらにはウサギの数を制限することにも力を注ぎました。やがてその丘陵地帯は再び有用で快適な牧草地になりました。

      人間が幾世紀にもわたって荒らしてきた土地についてはどうですか。そうした土地も,元通りになって,全地に及ぶ楽園の一部となりますか。

      ここで参考となるのは,中近東や北アフリカの例です。この地域について考えると,近年そこに見られるもの,つまり『砂丘,マラリア蚊の発生する沼,露出した石灰の丘』などを思い浮かべられるかもしれません。しかし,サイエンティフィック・アメリカン誌に記事を書いた農学者ウオルター・C・ローダーミルクは,「この地は昔牧歌的な楽園であった」が,「千年以上にわたって過度に放牧され荒らされてきた」ことを示す証拠があると説明しています。考えてみてください。そこは,「牧歌的な楽園」だったのです。では,それほど長い期間にわたって荒らされてきたため,“回復できないところ”まで来ていますか。

      ローダーミルク氏は,国連食糧農業機関を代表して,イスラエルで行なわれていることを調査しました。その結果,同氏は次のような結論に達しました。「イスラエルは,千年間に及ぶ誤用で損なわれてきた土地を,耕作できる状態にまで戻した」。そうです,人間の助けと協力があれば,地球は幾世紀もの間誤用されてきた状態からも回復され得るのです。地球は元の状態に戻り得るのです。

      「中近東や北アフリカ」が,以前は「牧歌的な楽園」であり,そうした状態が再び回復され得るなどと考えたことがおありですか。聖書の見地に立って物事を見るなら,それは驚くべきことではありません。

      聖書は,人類史の初まりに際して,創造者が最初の人間夫婦のために楽園,つまり庭園を備えられたことを説明しています。それは,現在中東と呼ばれている地域にあったと思われます。その点に関する歴史の記録はこう述べています。

      「主なる神は東のかた,エデンに一つの園[よろこびの楽園,ドウェー訳]を設けて,その造った人をそこに置かれた。」また主なる神は,見て美しく,食べるに良いすべての木を土からはえさせ……また一つの川がエデン[よろこびの場所,ド]から流れ出て園[楽園,ド]を潤し(た)」― 創世 2:8-10,口。

      わたしたちの先祖アダムとエバには,その庭園あるいは公園を管理し,全地が楽園になるまで,それを広げてゆく責任がありました。―創世 1:28; 2:15。

      しかし,最初の人間は反逆し,当初の楽園から追放されました。神は人間にこう告げました。「土地は,あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは,命の日のかぎり,苦しんでその産物を食べるであろう。土地は,あなたのために,いばらとあざみを生えさせ……あなたは,顔に汗してパンを食べ(る)」― 創世 3:17-19,新。

      土地はこの言葉通りのろわれましたか。確かにのろわれました。幾世紀も後,レメクは,「エホバがのろわれた土地に起因する,わたしたちの手の痛みから」の救出の必要性について語っています。(創世 5:29,新)レメクは,そののろいからの救出がノアの日に到来することを預言しましたが,確かにその通りになりました。神は,洪水によって悪をぬぐい去られたのです。その後エホバ神は,ご自分が土地に対するのろいをも取り去ったことを示されました。―創世 8:21。

      それゆえに,後日,地上のある部分を,「主の園[楽園,ド]のように……すみずみまでよく潤っていた」と描写できたのです。(創世 13:10,口)また,約束の地は,産出力の豊かな,まさに「乳と蜜の流れている地」でした。(民数 13:23-27,口。申命 8:7-9; 11:10-17)聖書のこの記述の正確さは,その地域の大部分が『昔は牧歌的な楽園であった』とする農学者ローダーミルクの結論によって裏付けられるのではありませんか。また現在でも,その美しさや産出力のゆえに,楽園のような地域が地球上にあるのを,あなたご自身ご存じなのではありませんか。a

      何が欠けているのか

      しかし,世界各地の情景を正直に評価すると,美しい公園や農場が今でも楽園のようであるとはいえ,それらは例外にすぎないとの結論に達します。人間は,地球をいよいよ荒らしてゆきます。そうです,その責任は人間にあるのです。確かに,洪水や干ばつなどの「天災」が地を損なうこともあります。しかし,根本的な問題は,人間のしてきたこと,そして人間のしていることにあります。ウオルター・ローダーミルクは次のように指摘しています。

      「こうした状態[現在,中東で一般に見られる状態]は荒涼としたものであるが,気候はローマ時代以来,著しく悪化してはいない……以前は肥よくだった土地が“砂ばく”になってしまったのは,自然ではなく,人間の仕業である」。

      同様に,「生態学」と題する本はこう述べています。

      「人間には,創世記の中で与えられている,『全地を統治する』ようにとの定めを遂行する力と責任があった。しかし,その統治期間中,人間は,ほとんどあらゆる生態学上の原則を破った」― 165ページ。

      しかし,この地球を汚染し荒廃させてきた,人間の技術面での業績そのものを今度は,元の状態を取り戻すために利用できます。大英百科事典(1974年版)は,次の点を認めています。「現在利用できる科学および技術上の知識は,世界の主な環境問題の大半を解決するのに十分すぎるほどである」。地球が生命にとって最適の場所であり,損なわれた状態から回復する十分の能力を備えていることを念頭に置いて,そうした知識を総合的に,また一貫して地に適用するなら,どんなことが成し遂げられるかを考えてみてください。地球は再び,人類にとって清潔で,健全かつ健康的な住みかとなり得るのです。それこそ人間が必要としているものです。

      事実,ルネ・デュボス博士は,今日の主要な問題が次のような点にあることを指摘しています。

      「どういう訳か,今の生活の仕方は,人間が必要としている非常に深遠な何ものかを満たしていない。生きていることの基本的な感動 ― つまり手の加えられていない自然に接して,自然の様々な快い音を聴き,そのさわやかな香りをかぐことなど ― を経験する機会がほとんどなくなると,人々はそうした感動を渇望し,それに代わるものを求めるようになる。麻薬は,一時的にその人自身の世界を造り出す機会を与える。それは,現実の世界がもはや与えてはくれないと,麻薬中毒者たちの考える種類の満足感である」。

      確かに,林の中に逃避する以上のことが必要です。荒野に逃げ出した人々も,相変わらず麻薬にスリルや逃避を求めているからです。しかし,そうではあっても,地球全体が楽園となった時に,『手の加えられていない自然に接する』ことから,わたしたちすべてが平安と満足感を得られるという事実が変わる訳ではありません。

      全地球的な楽園の可能性が確かにあるにもかかわらず,それが実現していないのはなぜですか。何が欠けているのですか。そして,あなたが,生きて全地球的なパラダイスを目撃し,そこでの命を享受する可能性が十分にあると確信をもって言えるのはなぜですか。

      [脚注]

      a ニューズウィーク誌1975年9月1日号は次のように伝えています。『人間の往来は,今や,公園が保護するはずの動植物を危険にさらしている』。ですからユネスコは,まだ人に踏み荒らされていない地域を保存するよう努めています。こう書かれています。「自然に対する人間の影響を弱めるため,同機関は,“生物圏指定地”と呼ばれるエデンのような生態系を持つ土地を世界各地に設立している」― 64ページ。

      [4ページの図版]

      一時は人間の手で切り開かれ,後ほど捨てられた土地が,再び森林となった

      [5ページの図版]

      クラカトア島は火山の爆発によって不毛の地になったが,人間の手を借りることなくして,再び熱帯の楽園となった

  • あなたは全地が楽園となるのを目撃しますか
    目ざめよ! 1976 | 4月22日
    • あなたは全地が楽園となるのを目撃しますか

      疑問の余地はありません。地球はそれ自体の中に,機会さえ与えられれば元の状態に戻れるだけの,膨大な,そしてほとんど無尽蔵といえる力を秘めています。また,生態学上の平衡を取り戻し,それを維持する地球の力に,人間がその科学や技術をもって,協力できるという点についてもほとんど疑う余地はありません。それでは,生物学者や生態学者のような科学者たちは,将来に対して楽観的な見方を持っていますか。決してそうではありません。

      米国の指導的な生物学者の一人ゼント-ジオルジ博士は,人間がこれから二つの道のどちらかを選べる,とこう述べています。「輝かしい将来への道か,さもなくば自滅への道である。現在のところ,我々は自滅への道を歩んでいる」。そうです,同博士によれば,将来の見通しは「非常に暗い」ものです。しかも同博士は,50年以上の経験を持つ著名な科学者として語っているのです。さらに,生物理学者ジョン・プラット博士も同様の考えを表明しています。プラット博士は,環境を保護するために,自然および社会科学者,医師,技師,教師,そして創意の才を備えた人などあらゆる学者たちの協力を得なければならない,と主張しています。しかし,そうした助力すべてをもってしても,「我々が何をしようとも,こうした問題が解決され得る,あるいは遅すぎないうちに解決されるという保証はない」と同博士は警告しています。

      これらの人々はなぜそれほど悲観的なのでしょうか。それは,人間が汚染をとどめることに失敗しているからです。いよいよ多くの有毒物質が海洋に投棄されており,廃油による海洋汚染も広がっています。大気汚染の原因一つを減らそうとする努力が,別の,しかもいっそう深刻な汚染を引き起こす結果になった場合もあります。その一例は,米国カリフォルニア州の大気汚染対策です。同州の条例は全米で最も厳しいものであるにもかかわらず,新聞の報道はこう述べています。同州は,「汚染対策のあらゆる面で失敗しており」,その地方の「大気汚染がこれまで以上に悪化しているのは悲しい現実である」。

      なぜか

      全体的な見通しがそれほど暗いのはなぜですか。その原因となっているのは何でしょうか。人間の環境を居住可能な状態に保っておくことが単に一国だけの問題ではなく,国際的な利害にかかわる問題である,という点がその見通しを暗くしている一因を成しているに違いありません。「かけがえのない地球」と題する本の共著者ワードとデュボスは,こう説明しています。「世界的な大気汚染の問題は,個々の政府が自らの力で効果的な対策を講ずる域を超えている」。ワードおよびデュボスによると,「人間の全地球的な相互依存は……全地球的な問題に関する決定を下し,全地を管理するための新たな可能性を求めるようになった」。つまり,「それには,全地球的な責任に対する新しい誓約が求められる」のです。しかし,そのように全地球的な責任を担い,全地球的な規模で協力するどんな見込みがありますか。過去の記録から判断すれば,実際,そうした見込みはほとんどありません。

      大英百科事典(1974年版)は,なぜそうした見込みがないかを明らかにしています。同事典は,地球の荒廃を防ぐ技術面での知識を人間が持っていることを述べた後,さらに次の点を示しています。1970年代の諸問題は,「科学や技術の問題ではなく,人間の制度の取決めや機能,および個々の人々の態度の問題である」。

      「環境の倫理」と題する本の中で,J・F・カッセルは,その点をいっそう率直に言い表わしています。「現代の人間環境の根本的な問題は,利己心である。しかも,利己心は浸透している。罪の支払う値は死である。生活圏としての地球は死につつある」。それは,何と先見の明のない利己心なのでしょう。科学者ゼント-ジオルジは,「世界を治め,究極の破滅に向かって容赦なく狂ったように突き進んでいる気違いたちの,恐るべき圧力の下に」人々が置かれていることに問題があると結論づけています。

      あなたは,これまで観察してこられた事柄から,問題を憂慮した著名な米国の一官僚の述べた次の言葉に同意されるでしょう。「地域社会に害をもたらすとしても,ある利己的な行為によって自分が利益を得られるなら,人は大抵それを実行するであろう」。その事実を例証しているのは,汚染防止装置を取り付けるようにとの政府の命令に,公益事業会社がなかなか応じようとしない理由を明らかにする報告です。100万㌦(約3億円)相当のそうした装置の取り付けを一年間遅らせることによって,そうした会社は年に25万㌦(約7,500万円)を節約できるのです。このことからも,米国の公益事業会社が,自分たちに責任のある公害問題の対策費の八倍もの予算を,宣伝費に充てている理由が分かります。「汚染は,無知と強欲で固まった犯罪である」とは,リッチー-カルダー卿もよく言ったものです。a

      『窮すれば神の助けあり』

      それでは,将来に対する希望は全くないのですか。根深い利己心のゆえに,人間の科学や技術すべてをもってしても問題を解決できないのであれば,どこから救いの手が差し伸べられるのでしょうか。偉大な創造者エホバ神は,救うことができるだけでなく,実際にそうされます。神? そのとおりです。というのは,神のみことば聖書が,地球に対する神の関心事と目的をはっきりと示しているからです。何と言っても,神は地球を創造された方です。古代の詩篇作者ダビデ王が歌ったとおり,地球は神に属しています。「地とそれに満ちるもの,産出的な地とそこに住む者とはエホバのものである」― 詩 24:1,新。

      神のみ子イエス・キリストは,地上にいたとき,み父が地上の被造物に関心を持っておられることを繰り返し保証しました。そして,神が野のゆりをも美しく装い,天の鳥を養っておられ,神の知ることなくしては一羽のすずめも地に落ちない,と述べたイエスはさらに,神が善良な者の上にも邪悪な者の上にも,等しく太陽を輝かせ,雨を降らせておられることを示しました。(マタイ 5:45; 6:26-30)詩篇 104篇の中で,神のしもべの一人は,エホバ神が野の木立ちを豊かに潤し,また人間を含む地上のあらゆる種類の生物のために非常に豊かな備えをしてくださったゆえに,神を賞揚しています。

      さらに神のみ言葉は,エホバが「地を形造った方で,その造り主,それを堅く立て,それを単にむだに創造せず,まさに住まわせるためにそれを形造られた方」であることを保証しています。そうです,神は,人を住まわせるために地を造ったのであって,荒廃させるために造られたのではありません。神の言葉は,さらにこう保証しています。「わたしの口から出るわたしの言葉……は成果を挙げずにわたしのところに帰っては来ない。かえって,それはわたしの喜ぶ事を確かに行ない,わたしがそれを送った事柄でそれは確かに功を奏することになる」。それでわたしたちは,創造者がこの地球と人類を破滅に至らせることはない,との確信を持てます。―イザヤ 45:18,新; 55:11,新。

      不完全な人間の場合,『意志のある人には資力がなく,資力のある人には意志がない』ということがよくあります。言い換えれば,助けを必要としている人に同情心を持つ人には,大抵の場合,助けるだけの力がないということです。しかし,それは創造者には当てはまりません。神には人類を救う意志 ― ご自分の独り子を救い主としてわたしたちに与えてくださるほどの意志 ― があるだけでなく,無限の資力と能力があります。―ヨハネ 3:16。

      疑いもなく,神の資力,つまりその知恵や力が尽きることはありません。神は,まず最初に星のきらめく天や地球を造られたのではありませんか。(創世 1:1)それから,創造のための六つの期間に,地球を人間の恒久的な住まいにするための準備をされました。それらの各期間に,神は光をあらしめ,大気を形成し,乾いた地を出現させて植物を生えさせ,海と空と陸上の生物を創造し,最後に,ご自分の無上の被造物である人間を造られました。―創世 1:3-28。

      大英百科事典(1974年版)は次のように所見を述べています。「地球の生活環境は,生物にとって理想的なものと言える。地球は,太陽から程よい距離にあり,受ける太陽光線は多すぎることも,少なすぎることもない。またその自転周期は,昼の側が日光を浴びて暖まり,夜の側でそれが冷めるのに適したものである。その質量,ひいてはその引力は,それがなければ宇宙のかなたに漂い出てしまうような軽いものをも含め,多種多様な分子を引き止めておくのに足るものである。地球の磁場は,太陽からの非常に強力な放射線を宇宙のかなたへ追いやってしまうが,さもなければ光線は生命を奪うものとなるであろう」。

      地球とその上の被造物に関するこうした事実すべては,無限の知恵をいかによく物語っているのでしょう。確かに,これらのものすべてを造り出した知恵をもってすれば,人間がその利己心や無知のゆえにもたらすいかなる問題をも処理できるに違いありません。

      神の知恵が無限であるのと同様,その力にも限りがありません。神ご自身が族長アブラハムに思い起こさせたとおり,神は「全能の神」です。さらにアブラハムは,こう尋ねられました。「エホバにとって異例すぎる事が何かあろうか」。幾世紀も後,神のみ子イエス・キリストは同じことを保証してこう言いました。「神にとってはすべてのことが可能です」。そうです,神は全能者であられ,聖書はその事実に60回余り言及しています。―創世 17:1; 18:14,新。マタイ 19:26。

      神はどのようにしてそれを実行されるか

      神はどのようにして,汚染や破壊をもたらす者たちの手からこの地球を保護し,全地球的な楽園をもたらされるのでしょうか。神は三段階に分けてそれを実行されます。まず最初に,問題の根源は無知と利己心にあるのですから,神は現在,人間を無知と利己心に基づく道からひるがえらせ,知恵と義に基づく道へ向かわせることを意図した教育運動を進めておられます。神の王国の良いたよりが宣べ伝えられ,イエス・キリストの弟子となる方法が教えられることにより,人々の人格には大きな変化がもたらされています。これらの人々は,公害のもはや見られない,神の新秩序での命のために備えています。―マタイ 24:14; 28:19,20。マルコ 12:29-31。

      しかし,様々な理由から,地上の人間の大半は,神の王国を宣べ伝えるその業に答え応じようとはしません。そのような人すべては,神が「大患難」によって,公害に対する二番目の措置を講じられる時に滅ぼされます。その際に神は,「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」のです。―マタイ 24:21。啓示 11:18。

      以前にもエホバ神は,地を汚染させ破滅させている人々を,その力強い行動によって地上からぬぐい去られたことがありました。それはいつのことですか。ノアの洪水の時です。イエスと使徒ペテロは共に,ノアの洪水の日と現在のこの邪悪な事物の体制の終わりとを対比させて示しています。イエスは,終わりのことを「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」として述べています。その患難は,「全能者なる神の大いなる日の戦争」ハルマゲドンの時にその最高潮に達します。―マタイ 24:21,37-39。ペテロ第二 3:3-13。啓示 16:14,16。

      神とその義の支配に反対する者がすべて滅ぼされれば,汚染問題を解決するための神の三番目の措置を取る道が開かれます。それは,地を楽園に変えて,清い生活を送る人間がその状態を享受できるようにすることです。その益にあずかる人の中には,神と義に対する愛そして信仰のゆえに,「大患難」を生き残った人々がいます。その時,キリストの弟子たちが,長い間,そして何度も繰り返してきた次の祈りが成就します。「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」― マタイ 6:9,10。

      神のご意志が,天で行なわれているように,地上においても行なわれるとき,地上にはどのような状態が見られるでしょうか。聖書は,神のこのご意志が地上において行なわれるとき,「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」と答えています。―啓示 21:4。

      一体いつ行なわれるのか

      しかし,大きな疑問が残ります。神は,いつそのような行動を起こされるのですか。

      神のみ言葉は次のような原則を明らかにしています。「いっさいのことには定められた時があ(る)」。ゆえに,「時の限りが満ちたとき,神はご自分のみ子を遣わし,そのみ子は女から出(たのです)」。―伝道 3:1,新。ガラテア 4:4。

      同様に今日,地を破滅させる者を含むご自分の敵すべてに対して,神が行動を起こされる,『時の限りは満ち』ました。どうしてそれが分かりますか。この世代における,数多くの預言の成就から分かります。わたしたちは,イエスがご自分の臨在とこの邪悪な事物の体制の終わりの時をしるしづけると言われた事柄,つまり戦争・飢きん・疫病・地震・不法の増加などを見てきました。―マタイ 24:1-22。啓示 6:1-8。

      しかし創造者は,人間がこの地を人の住めない所とし,核戦争によって地表から人類をぬぐい去ってしまうまで待つようなことはされません。そのような事態が近い将来に起こる可能性が強い,ということから多くの人は深く憂慮しています。しかし神は,地球に対して関心と配慮を示しているので,そうした事態が生じる前に,必ず行動を起こされるでしょう。

      あなたはそれに応じて何らかの行動を取られますか

      楽園となった地球で生活する見込みは,心を引き付けるものではありませんか。確かに,その見込みは手の届かないところにあるのではありません。それに応じて行動を起こしさえすれば,あなたも楽園を見ることを期待できるのです。そのためには,昔与えられた次のような神の諭しの言葉に聞き従わねばなりません。「エホバを求めよ。義を求め,温順を求めよ。おそらくあなたがたはエホバの怒りの日にかくまわれるであろう」。エホバを求めるとは,神とその特質,そのお目的,そして自分に対する神のご意志を知るようになることを意味します。そのすべては,神のみことば聖書の中で明らかにされています。義を求めるとは,公正,正直,公平などに関する神の義の原則を学び,それに従って生活することを意味します。そして,温順を求めるとは,柔和で,慎み深く,素直な精神的気質を培うことを意味します。―ゼパニヤ 2:3,新。

      地を破滅させている者たちに対して神が行動を起こされる時は間近に迫っているので,自分の生活をそのように変化させるために残されている時も短くなっています。ためらうべき時ではありません。あなたに関する限り,今は「救いの日」なのです。お近くのエホバのクリスチャン証人は,いつでも喜んでご援助いたします。―コリント第二 6:2。

      [脚注]

      a この言葉は,人間が地球を荒廃させた根本の責任は神と聖書にある,とする人々の主張を首尾よく論破するものとなる点に注目できます。詳しくは,1975年10月22日号の「目ざめよ!」誌をご覧ください。

  • あなたが飲んでいる水
    目ざめよ! 1976 | 4月22日
    • あなたが飲んでいる水

      『飲み水は健康を増進することも体に悪いこともある。下痢を起こし,硫黄,憂い,怒りを含み,赤,黄,緑,黒,青色を帯び,脂肪を含み,濃厚また薄いことがある』。レオナルド・ダ・ビンチはかつてこう書きました。

      今日,飲用に供される水には,おそらくこのような特色はまず認められないでしょう。しかし今日においてさえ約五億の人々は飲み水のためにいつも健康を害していると言われます。その中で死ぬ人が毎年一千万人はいるかもしれません。

      意外なことに,“安全な”水を自慢する先進国でさえも,今や問題を抱えています。現代農業と工業が生み出す化学物質は,飲用水の水源にますます多く入り込んでいます。これらの化学物質は除くことが困難であり,もしかすると有害です。米国の一専門家はこの問題に関する上院の聴問会でこう述べました,「生活を便利にする物はなんでも水を汚くするようです」。

      生命を支える水

      このような問題があるにしても,水は依然として既知の物質の中で最もすばらしい,そして絶対に必要なもののひとつです。地球上に生命の存在していること自体,水が基になっています。事実,たいていの生物の主要な成分は水です。人体は「あぶなっかしく液体を詰めた,事実上,歩く水袋」と言われてきました。体重のおよそ三分の二は水であり,脳と筋肉に至っては四分の三までが水分です。

      この事から明らかなように,生命の営みに最も適するのは,水が液体として存在する狭い範囲の温度なのです。生命の存在を可能にするこのような環境は,他に宇宙のどこにも存在していないと言われています。科学者は宇宙に何百万とある,可能性を秘めた惑星について推測していますが,「水: 生命の網」と題する本は次のように驚嘆しています。

      「地球上の環境が全くいかに特異なものかをいっそう知るにつれて……たとえ何百万を数える惑星の中であろうと,地球と同じものがあるかどうかは疑わしく

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