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  • 闘牛 ― スペインの国技
    目ざめよ! 1975 | 12月22日
    • 「最も聖なる秘跡(サンティシモ・サクラメント)をひとつの祭壇から別の祭壇に移すとき,闘牛によってそれを祝った。聖遺物や聖徒の像の移動,都市や町の守護聖人の記念祭,教会の建設,聖者の列に加えられることや他の宗教的な祝祭に関しても同様である。テレサ・デ・ヘスースが聖人の列に加えられたことを記念しておよそ30の闘牛で200頭以上の牛が陽気に殺された。バレンシア・カセドラルの内部で闘牛が行なわれた。聖人を祭って殺した牛の肉は聖遺物として,またいやしの力を持つものとして保存された。僧会[僧職者の団体]が闘牛を組織し,資金を出した。……チュデラにおいては闘牛の行なわれる日の朝,カプチン会の僧侶が牛に呪文をかけてどう猛にするために出むいて行った」。

      トレロスはがいして信心深い人々です。しかしその中のある人々が認めるようにそれは迷信深いということなのです。闘牛場にはそれぞれ専用の礼拝堂があって,トレロは牛とたたかう前にそこで祈ることができるようになっていると,あるトレロは説明しました。事実,トレロの多くは一種の携帯用祭壇を旅行に携行し,ホテルの部屋にそれを飾って闘牛場に出かける前にその前で祈ります。

      闘牛はクリスチャンのためのものですか

      今日のクリスチャンは闘牛をどう見るべきですか。このことに関しては多くの疑問がおのずと湧いてきます。たとえば,人間が神のかたちにつくられており,神が愛であるならば,人は動物を残酷に扱いながら神の愛を反映していると言えますか。(創世 1:26。ヨハネ第一 4:8)クリスチャンが神に献身した者であるなら,猛牛をわざと怒らせて自分の命を危険にさらすのは理にかなっていますか。人間も動物も「そこなうことなく,やぶることがない」神の新秩序において,このような慣行がつづけられるでしょうか。―イザヤ 11:9,口語訳。

      したがって闘牛や闘牛士の絵を集めたり,家に飾ったりすることについてはどうですか。生命という賜物を軽視し,動物を残酷な目にあわせて見せ物にすることから収入を得ている人を偶像視するのは,釣合いのとれた見方,健全な精神,良い判断を示すことと言えますか。もうひとつの考えるべき事があります。このような絵を自分の家に飾ることは仲間のクリスチャンにどんな影響を与えるでしょうか。それとも仲間のクリスチャンが闘牛を見物しているのをだれかが見るならばどうですか。それらは考え深いクリスチャンにとって重大な質問です。なぜなら使徒パウロは次のように書きました。「おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」― コリント第一 10:24。

  • 地球は冷えつつあるか
    目ざめよ! 1975 | 12月22日
    • 地球は冷えつつあるか

      ● 1940年以来地球は“冷える傾向”にあるということが,最近多くの論議を呼んでいる。新たな“氷河時代”が襲って来るのではないかと推測する人もいる。ところが,ニュージーランドの二人の科学者は,この問題に関する大半の科学的推論が見過ごしていると思われる次のような質問を提出している。南半球はどうであろうか。この二人の科学者は,南半球の気温の傾向が北半球のそれと正反対であることに注目している。例えば,ニュージーランドの人々は,記録破りの暖かい日々を楽しんでいる。同国の非常に広大な氷河は,ここ40年の間に山の奥の方へ数㌔も後退した。

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