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天からの戰爭は地に平和をもたらすものみの塔 1955 | 10月15日
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あろう。「約束された彼の臨在はどこであるのか? 私たちの祖先が死の眠りについて以来,すべてのものは創造の最初の時とそつくりそのままではないか?」』 さらに,彼らは『自分の欲望に従つて』事実を見ないと,聖書は述べています。彼らの目は,ただ自分の計画を見るだけであり,その耳は自分の企てのみを聞き,その心は自分の理論のみを考えます。彼らは自分自身の欲望に従い,良いたよりの伝道とハルマゲドンの警告には,目をつぶつて耳をふさぎ,それを見分けようとはしません。―ペテロ歿 3:3-5,新世。
18 誰が暗やみにいませんか? 彼らは,ハルマゲドンの後に何を見ますか?
18 しかし,忠実な者たちは,ヱホバの御言葉の予言的な光を通して,この時代に生ずる出来事を見ます。そして,彼らに対して聖書はこう述べています。『しかし,兄弟たちよ,あなた方は暗やみの中にはいない。それで,その日が盗人のように,あなた方を不意に襲うことはないであろう。あなた方はみな光の子であり,昼の子であるからだ。』かく霊的に目覚めている者にむかい,イエスはこう言われました。『あなた方の目は見ており,あなた方の耳は聞いているからさいわいである。』(テサロニケ前 5:4,5。マタイ 13:16,新世)そのような人は,ハルマゲドンについてのヱホバの御目的をいま見て,聞いて,そして見分けることにより,そしてヱホバの警告に注意を払い,かつヱホバのいましめに従つて山に逃れることにより天からの戦争に生き残ります。そしてそれが地にもたらす平和をたのしみます。彼らは,ハルマゲドンの大破滅にもこの感覚と知覚力を保ち続け,かつ生残者に与えられる次の招きの言葉に応じてその感覚を用います。『きたりてヱホバの事跡をみよ。ヱホバはおおくの懼るべきことを地になしたまえり。ヱホバ地のはてまでも戦闘をやめしめ,弓をおり,戈をたち戦車を火にてやきたもう。なんじらしづまりて我の神たるをしれ。われはもろもろの国のうちに崇められ,全地にあがめらるべし。万軍のヱホバはわれらと偕なり。』― 詩 46:8-11。
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天からの戦争の後に来る平和ものみの塔 1955 | 10月15日
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天からの戦争の後に来る平和
『私は新しい天と新しい地を見た。前の天と前の地は過ぎ去り,海ももはやないからである。神は彼らの目から涙を全部拭い取られるであろう。死はもはやないであろう。そして欺きも叫びも苦しみもないであろう。前のものは,過ぎ去つたからである。』― 黙示 21:1,4,新世。
1 地に対するヱホバの御目的は何ですか?
『地は永久に存つなり。』この霊感の言葉から,地は亡びてしまうという宗教的な主張は偽りのものと曝露されます。ヱホバは,地を創造しても荒れ果てた状態に置かずむしろ『人の住所につくり』ました。はつきり言明されている神のこの御目的により,地は火で燃えてすつかりなくなつてしまうという主張は,根こそぎに覆えされます。ヱホバの御目的は,地を亡すことではなく,地を救うことです。ハルマゲドンは,地を亡しません。むしろ,『地を亡ぼす者らを亡ぼす』ものです。―伝道之書 1:4。イザヤ 45:18。黙示 11:18,新世。
2,3 天と地の亡びについて,聖書は何と言つていますか? しかし,なぜ実際の天と地ではありませんか?
2 しかし,地は裁きの日の火のために保たれていると,聖書は述べていませんか? たしかに,聖書は述べています。それで,地は永久に保つなりと述べる他の聖句と,このこととは相矛盾すると,ある人は性急に結論づけるかもしれません。しかしながら,前後の関係から判断しつつ,火についての聖句を読む時『地』は必らずも実際の遊星を意味しないことは明瞭です。『むかしに天があり,また神の言葉により地は水から,そして水の中で成り立つていた。その時の世は,それらの手段により,水で覆われた時に亡びをうけた。しかし,同じ御言葉により現在の天と地は,火のために貯えられ,裁きと不敬虔な人の亡びの日にたいして保たれている。しかし,ヱホバの日は盗人のように来るであろう。その時天は鳴り轟く音とともに過ぎ去り,非常に熱した天体は溶けさり,地とその中にある業は曝露されるであろう。このように,これらのものはみな溶けさるのであるから,あなた方は聖い振舞と敬虔な行をし,ヱホバの日の臨在を待ち望みて,心にしつかりと憶えていなければならない。その日には,天は燃えくずれ,非常に熱した天体は溶けさるであろう。しかし,神の約束により,私たちは新しい天と新しい地を待つている。それらの中に,正義は宿るであろう。』― ペテロ後 3:5-7,10-13,新世。
3 この聖句は,まずノアの時の洪水について述べています。その時,天と地で成り立つていた昔の世界は,水で亡ぼされました。洪水は,実際の遊星である地を亡ぼしましたか? そのような事は決してあり得ません。ノアとその家族は方舟に入つて洪水を生き残り,水が減水した後に方舟から出て,洪水前と同じ地に立つたからです。実際の地は,洪水で亡ぼされず,今日でも存在しています。そして,その大洪水を物語る証跡を持ち越しています。また,ノアの日の洪水が,地表より幾光年も遠く離れている実際の天を亡ぼさなかつたことは,確かです! しかし,天と地は過ぎ去つて,別の天と地,すなわち火で亡ぼされる『現在の天と地』と入れ代りました。そして,『現在の天と地』に入れ代るものは,『新しい天と地』です。『神の約束により,私たちは新しい天と新しい地を待つている。それらの中に正義は宿るであろう。』星の輝く天とこの遊星の地が,ノアの時の洪水で亡ぼされなかつたのと同じく,ハルマゲドンの火のごとき亡びにも存在し続け,その後も永遠に存続するでしよう。なお,ついでのことですが,地が燃える時に『天は燃えくずれ』てしまうと主張する宗教家は,どうして天に行けるのでしようか?
4 洪水で亡びた天と地は何でしたか? ハルマゲドンは,どんな天と地を亡しますか?
4 それでは,洪水で亡ぼされた昔の天と地は何でしたか?『天』は,サタンの反逆に加り,人間の形に表われて女と同棲した見えざる霊者を指しました。洪水により,この状態は終りました。『地』は,この遊星である地に住んでいた悪しき人間たちを意味し,彼らは洪水で亡ぼされました。この見解は,自分勝手な独りよがりの解釈ではありません。聖書は,しばしば場所や界域の名称を用いてその地に住む者たちを示しています。丁度人が今日はロシヤやエジプト,あるいはメキシコと言いながら,その前後の関係から,場所を意味したり,そこの民を意味したりするのと同じです。次の聖句を考えてごらんなさい。『天よきけ。地よ耳をかたむけよ。』『全地皆智恵を聴かんとて,ソロモンの面を見んことを求めたり。』『全地よヱホバにむかいて謳うべし。』自然の天と地にむかつて聞くべしとは命じていません。自然の天と地には聞く耳がありません。しかし,天にいる御使たちは聴くことができ,地に住む人間はソロモンの言葉を聞き,かつヱホバの讃美を歌うことができます。サタンとその悪鬼共は,洪水前とは違う状態下で,いまでも存在しています。そして,サタンと悪鬼共は,ハルマゲドンで亡ぼされる天であります。諸国家として組織され,そしてヱホバに反対する国民は,ハルマゲドンの火のごとき裁きをうけて燃えつきてしまう地であります。―イザヤ 1:2。列王記略上 10:24,ア標。詩 96:1。創世 6:1,2。コリント後 4:4。エペソ 6:12。黙示 12:9,12; 20:1,2。
5 誰が誰を棄てましたか? 人間の平和努力は,良く成功していますか?
5 大多数の人間の意見とは逆に,永久の平和はただハルマゲドン後になつて,この地に来ます。今日多くの人は,神はこの地に関心を持たず,この地を棄ててしまつた,と考えています。その考え方は,エゼキエルの時代の多くの人の考えと同じです。『ヱホバは我らを見ず。ヱホバはこの地を棄てたり。』しかし,ヱホバはこの地をも,また地上の従順な人をも決して棄てません。実際には,キリスト教国の人々はヱホバを棄てました。『そはわが民は二つの悪しき事をなせり。すなわち,活る水の源なる我をすて自己水溜を堀れり。すなわち壊れたる水溜にして水を有たざる者なり。』彼らは,ヱホバの御言葉の中にある真理の生命の水を飲もうとはせず,むしろ科学の哲学や人間の政治的な計画に依存しています。彼らは平和を設立するキリストの御国に依存せず,むしろ人間の策略や残酷な戦争に頼つています。人間の策略は,国家的な利己主義のために行きづまつており,残酷な戦争は,将来の戦争の種子を播くのみです。彼らは平和を語りながら,戦争を準備します。『平和でない時に,平和,平和』と彼らは言います。『和をもと
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