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聖書は地球の終わりを予告していますかものみの塔 1982 | 2月15日
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聖書は地球の終わりを予告していますか
世の終わり ― この五つの文字は人類史を通じて幾世紀もの間,多くの人々の心を恐怖でおののかせてきました。今日では,宗教心が衰えつつあるので,それらの文字の影響力もかなり弱まっています。しかし,世界的な大災害を予告する声は,宗教界からのものに限られてはいません。人間の学問の幾つかの分野において科学者たちが人類に臨む大災害について警告しています。
科学者の抱く恐れ
天文学者たちは,地上の生物の存続を脅かす少なくとも四つの脅威を挙げています。「地球を脅かす,宇宙からの四つの大災害」という見出しのもとに,フランスの科学雑誌シヤーンス・エ・ヴィは,そうした脅威として,超新星の爆発,大規模な太陽面爆発,巨大ないん石の落下,および太陽系全体が宇宙塵の雲の中に入って太陽熱の大半が吸収されてしまうために生じる地球の凍結を挙げています。
同時に,生態学者たちは,人間や野生動物の健康や時には生命をさえ脅かす,自然には存在しない物質の使用および乱用による汚染の危険に対していよいよ声高に警告を発しています。確かに,汚染によってわたしたちの吸う空気が,土地とその産出する食物が,そして海とわたしたちの食べる魚が毒されています。無思慮で利己的な森林の伐採により,洪水の惨害がもたらされ,人間の作り出した砂漠が出現しました。
これら環境上の脅威一つ一つを取れば,地球上の生命を絶滅させるほどのものでないのは確かです。しかし,それらが一緒になると,積もり積もって恐るべき危険を造り出します。パリの週刊ニュース雑誌レクスプレスとのインタビューの中で,世界環境会議の元事務総長,モーリス・ストロングは最近次のように述べました。「人間が自然に対してこのような尊大な態度をこれからも取り続けるとすれば,言いたくはないが,人間はやがて消滅することになろう」。
しかし,地球上の生物の存続を脅かす当面の脅威はなんと言っても,全面的な核戦争の非常に現実的な可能性です。それは“最後の大殺りく,あるいは世の終わり”と呼ばれ,“ハルマゲドン”と誤って名付けられています。軍備を整えた世界の諸国家の保有する核兵器には,地球上の男女子供一人当たりTNT火薬数トン分に相当する爆発力があります。世の終わりという言葉をもって核の脅威が語られているのももっともなことです。
諸教会は何を教えているか
幾億人ものカトリック教徒やプロテスタント信者の多くは,“最後の審判の日”,“審判の日”あるいは“世の終わり”というような表現を聞くと,最終的な清算および地の破滅の有様を思い浮かべます。権威のある「カトリック神学辞典」は「世の終わり」という項の下で次のように述べています。「カトリック教会は,神がお造りになった,今あるがままの現在の世界はいつまでも続くものではないと信じ,かつそう教えている。各時代を通じて神がお造りになった目に見える創造物すべては……存在しなくなり,新しい創造物へと変えられるであろう」。
キリスト教世界の諸教会は,人間の究極の運命は天国におけるとこしえの喜びか,“地獄”での永遠の刑罰かのいずれかであると教えています。それらの諸教会によれば,地球は神の目的の中で何ら恒久的な役割を担ってはいないことになります。ところが,カトリックおよびプロテスタントの神学者たちは,神のご意志が「天におけると同じように,地上において」成されるようにするため神の王国が到来すると聖書が告げていることを十分承知しているのです。(マタイ 6:10)神学者たちは,それがクリスチャンの祈り求めるべき肝要な事柄の一つであることを知っています。また,義の宿る「新しい地」に関する聖書の約束にも精通しています。(ペテロ第二 3:13。啓示 21:1-4)ところが,これらの聖句,および神の目的の中で地の占める位置について述べる他の多くの聖句に関するカトリックおよびプロテスタントの神学はあいまいで,逃避的なところさえあります。
一方,善人すべてを天国へ,悪人すべてを“地獄”へ送ろうとするキリスト教世界の神学者の多くは,「天と地は過ぎ去るでしょう」(マタイ 24:35)というような聖句をすぐに引用して,地球がやがて滅びることを“証明”しようとします。地球は自分たちの神学の中に占める位置がないため,これがなくなれば実に好都合なのです。それらの神学者たちは,聖書のある翻訳が「世の終わり」と呼ぶものを地球の終わりを意味するものとし,自分たちに極めて都合のよいように解釈します。―マタイ 24:3。
聖書の見方
では,聖書が「世の終わり」と言う場合に何を意味しているのでしょうか。ある翻訳が「世の終わり」と訳している言葉を,他の翻訳は「時代の終了」(プロテスタントおよびカトリック版の改訂標準訳),「時代の完了」(マーシャル ―「希英行間逐語訳新約聖書」)あるいは「事物の体制の終結」(新世界訳)と訳出している点にまず注目しましょう。「終了」,「完了」あるいは「終結」などの言葉は,ギリシャ語のシンテレイアという言葉をテロス(終わり,あるいは完全な終わり。マタイ 24:6,14と比較してください)と区別した,より厳密な翻訳です。同様に,「時代」および「事物の体制」は,アイオーンという語を,一般に人類の世を指すコスモスと区別したより厳密な翻訳と言えます。
興味深いことに,「世の終わり」と誤訳されることのある言葉の含まれる聖句の中に,コスモスという言葉は一度も現われません。ですから,その表現は人類の終わりを意味してはいません。それは邪悪な事物の体制の終結,「不敬虔な人びと」の悪い行ないによって特徴付けられる代(アイオーン)の終了を指しています。―ペテロ第二 3:7と比較してください。
地球の終わりを予告するどころか,聖書はこの美しい惑星のすばらしい将来に関する希望を差し伸べています。しかし,その前にまず,地球から現在の邪悪な体制が一掃されねばなりません。ですから,この体制の終わりは,次の記事が示すように待ち望むべき出来事なのです。
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「世の終わり」― 待ち望むべきものものみの塔 1982 | 2月15日
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「世の終わり」― 待ち望むべきもの
「経済および道徳の分野に見られる危機,戦争,暗殺の企て,人質を取ること,軍備競争,飢饉や難民の悲劇 ― 確かに人類は非常に病んでいる。……しかし,一つの世の終わりは必ずしもこの世の終わりとなる必要はない」。これはパリで発行されている日刊紙ル・モンドに,「現代の黙示録?」という見出しの下に書かれた一文です。
知ってか知らずか,このくだりを書いた人は物事に対する聖書の見方を言い表わしていました。聖書は,この世が(この地とその住民すべてという意味において)破滅させられることなしに,一つの世が(一つの「事物の体制」という意味において)その終わりに至り得ることを示しています。さらに,あとで述べるように,「確かに人類は非常に病んでいる」ことの証拠としてこのフランスの新聞が挙げた状況そのものが聖書の中に予告されていたのです。それらはわたしたちが今,現在の邪悪な「事物の体制」の「終結」に生きており,著しく異なる別の「時代」,すなわち新しい「事物の体制」の黎明期にいることを示すしるしの一部を成しています。
古い「世」が消え去らねばならない理由
「世の終わり」という背筋も凍るような言葉は,実際のところ,キリスト教世界の説教者たちが人々を恐れさせてその教会を支持させるために用いてきた誤った呼び名です。原語のギリシャ語は,「事物の体制の終結」を意味しています。そこで,どうして現在の体制は消滅しなければならないのだろうか,という質問が起きるでしょう。
主な理由は,それが神の目的であるからです。なぜですか。現在の事物の体制は,ノアの日の洪水のあとほどなくして存在するようになって以来,悪化の一途をたどってきています。(創世 10:8-12; 11:1-9)それはエホバ神によって創造されたものではありません。それどころか,神の真の僕たちは「この事物の体制の支配者たち」によって絶えず悩まされ,時には迫害まで受けてきました。(コリント第一 2:6)それも少しも不思議なことではありません。使徒パウロは,サタンを「この事物の体制の神」と呼んでいるからです。(コリント第二 4:4)「この事物の体制の支配者たち」が「栄光ある主を杭につけ」たというだけでも,そのような体制は消滅するに値します。―コリント第一 2:8。
現在の世を特徴付けているのは,神とそのご意志に対する罪や不義や反抗の増加です。それは個人および国家の間に,不公正や圧制,暴力を助長してきました。聖書はそれを,「現在の邪悪な事物の体制」と呼んでいます。(ガラテア 1:4)それを改革するすべはありません。ですから,この体制は消え去らねばならないのです。
根拠のない,科学の抱く恐れ
しかし,それは地球という惑星の終わりを意味してはいません。最初の記事の中で述べたように,科学者たちは,『地球を脅かす,宇宙からの大災害』への恐れを言い表わしています。しかしそのような恐れは,起こり得る事柄に関する単なる仮説にすぎず,宇宙構造論上の最も重要な要素を考慮に入れたものではありません。その最も重要な要素とは,神,および地球に対する神のお目的です。
フランス科学アカデミーの会員であるピエール-パウロ・グラースは次のように語っています。
「自然の秩序は,人間の頭脳が考え出したものでも,特定の知覚力によって作り上げられたものでもない。むしろ,プランクやアインシュタインのような物理学者や数学者によって完全に解明された現実なのである。秩序の存在は,物事を組織する知力の存在を前提としている。そのような知力は神の知力以外の何ものでもあり得ない」。
このように,知力を有する創造者の存在を認める方が,「偶然」という言葉で宇宙を説明するよりも道理にかなっているという結論に達する科学者はいよいよ多くなってきています。
神が存在するのであれば,神は地球に対してどんな目的を持っておられるのだろうか,という質問が次に起こります。神のみ言葉聖書はこう答えています。「エホバはこのように言われた(の)である。それは天の創造者,まことの神であり,地を形造り,それを造り,それを堅く立て,それをいたずらに創造せず,人が住むために形造った方である。すなわち,『わたしはエホバであ(る)』」。(イザヤ 45:18,新)エホバ神は最終的に地球を破壊することを意図してそれを創造されたのではありません。(詩 104:5)地球に対する神のお目的は,神のご意志を行なうべく献身した男女からなる義にかなった人々がそこに「住む」ことでした。イエスがクリスチャンに,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」と祈るよう教えた理由がこれによって分かります。―マタイ 6:9,10。
義の「新しい地」― どのように?
『地を形造った方』,『それを堅く立てた方』であられるエホバ神がわたしたちの住んでいるこの惑星に対してはっきりとした目的を持っておられることが明らかになったので,次に残されているのは聖書がどんな意味で『義の宿る新しい地』について述べているのかを理解することです。―ペテロ第二 3:13。
約束されている「新しい地」が新しい惑星を意味しているはずがないのは明らかです。それが何を意味しているかは,ペテロの第二の手紙の文脈から筋道を立てて導き出すことができます。義の「新しい地」が設立される前にどのようなことが起きなければならないかを示す例として,ペテロはノアの日の洪水について言及し,こう述べています。「神のことばにより,昔から天があり,地[ギリシャ語,ゲー]は水の中から,そして水の中に引き締まったかたちで立っていました。そして,それによってその時の世[ギリシャ語,コスモス]は,大洪水に覆われた時に滅びをこうむったのです」― ペテロ第二 3:5,6。
洪水によって滅ぼされたのはどの「世」でしたか。同じ手紙のそれよりも前の部分で,ペテロはこう書いています。「[神は]古代の世[コスモス]を罰することを差し控えず,不敬虔な人びとの世[コスモス]に大洪水をもたらした時に義の宣明者ノアをほかの七人とともに安全に守られた」。(ペテロ第二 2:5)ですから,「不敬虔な人びとの世」は大洪水によって終わりに至りました。しかし,地は滅びず,地上の人間もごく少数ではありますが生き残りました。a 滅ぼされたのは,惑星である地球ではなく,邪悪で不敬虔な人間社会だったのです。
同様に,ノアの洪水の時以来大きくなってきた腐敗した人間社会を表わす象徴的な「地」について,ペテロは次のように述べています。「その同じみことばによって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日まで留め置かれているのです」。(ペテロ第二 3:7)惑星である地球は,洪水前に存在した「不敬虔な人びとの世」の終わりに際して滅びることがなかったのと同じように,「不敬虔な人びと」とその政府に臨む「火」つまり「滅び」の際にも存続します。これら諸政府およびそれらの諸政府が治める邪悪な人間社会が,象徴的な「今ある天と地」を構成しています。―啓示 21:8と比較してください。
ペテロはさらにこう付け加えています。「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。ペテロがこれらの言葉によって,義の新しい政府(キリストの下にある,神の王国)と再生された人間社会とに言及していたことは論理的に言って明らかです。―ペテロ第二 3:13。
生き残る方法
人間の未来学者たちの大半は地球と人間社会の将来について大変悲観的ですが,聖書を本当に信じ,それに従うクリスチャンたちは非常に楽観的です。それらクリスチャンたちは1914年以来地上で突如大規模に生じるようになった危機のうちに,イエスがご自分の追随者たちに注意するようお告げになった「しるし」を見ています。イエスはさらにこう付け加えられました。「これらの事が起こり始めたなら,あなたがたは身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなたがたの救出が近づいているからです。……これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい。それで,起きることが定まっているこれらのすべての事をのがれ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」― ルカ 21:10,11,25,26,28,31,36。マタイ 24:3,7-13。
エホバの証人は“滅亡に関する預言者”であるどころか,最善の良いたより,すなわち神の王国が間もなく地球を治めようとしているというたよりを鳴り響かせているのです。エホバの証人はイエスの次の預言的な言葉を成就しています。「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わり[テロス]が来るのです」。(マタイ 24:14)その「終わり」は,現在の邪悪な事物の体制の終わり,不公正,圧制,暴力,戦争,ききん,病気が終わること,そうです,苦しみや死そのものの終わりを意味するのです。―啓示 21:1-5。
確かに,「世の終わり」は恐れるべきものではありません。むしろそれは,待ち望むべき事柄なのです。それは,神が『その基礎を固く,永久不変に揺り動かされることがないように据えた』この美しい地球に,義の新しい事物の体制を招来するものとなるからです。―詩 104:5,エルサレム聖書。
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