-
牧師はアインシュタインに勧告すものみの塔 1955 | 11月1日
-
-
ない創造者を確証するものと,聖書は指摘しています。『神の見ることのできない性質,すなわち永遠の力と神なることとは,世の創造の時以来,造られたものによつて理解することができ,明らかに見られる。』(ロマ 1:20,新世)聖書の言葉を知つて理解することは,聖書の神を信ずるときに必要なものです。それで,ロマ書 10章17節(新世)は『言葉を聞いてから信仰を持つ』と述べています。しかし,正統神学の神に信仰を持つことは,聖書の真理に基づいていないため,盲目の信仰であります。正統神学の信仰は,古代祭司の異教の想像か又は現代牧師の強く主張する哲学に基いているものです。理性を持つ人なら盲目の信仰に基く,そのような神の概念をうけ入れることはできません。たとえ,正統宗教の教える神の概念が偽りのものであるにせよ,それらの人は,聖書の神から背くべきではありません。聖書を研究して,宇宙を創造した神を学ぶべきです。宗教的な偽りのために,神への偏見を持つべきではありません。―彼らを真理によつて潔めて下さい。あなたの御言葉は真理です。ヨハネ 17:17。
-
-
平和と生命を得る教育ものみの塔 1955 | 11月1日
-
-
平和と生命を得る教育
あなたの教育 ― 有害か? 或は有益か? 高等教育は平和をつくりますか,又は戦争を起しますか? 自由をもたらしますか,又は奴隷状態をもたらしますか? 保護を与えますか,又は亡びをもたらしますか? この記事を読みなさい。それはあなたの運命に関係するものです。
教育は,現在の文明世界の背骨にあたると言われています。仮りに教育がないなら,この世界は長く存続できず,すぐに昔の原始状態や,手入れのしていない自然の地に逆戻りしてしまうでしよう。それで,高度の啓発と進歩を保つために,高等教育に強調が置かれています。
人々は,この世紀こそ啓発の時代であり,学問の黄金時代であると,誇つています。そして,便宜な物があることとか,又科学の発見がなされていることは進歩の証拠であると指摘し,かつ政府の施策や智力をも発展せしめて,正しい世界支配の制度をつくりあげ,人々に満足をもたらし得ると吹聴しています。
この世には,幾世紀にも亘つて積み重ねられて来た人間の経験の知識が保存されています。そして,この知識は有益なものと信じ,かつ人間はこの知識のおかげで実際的な智恵を学んだのであると主張します。それがこの世の智恵です。この世はその智恵に従つて来たものの,一番願わしいものである平和と生命を知りません。この世は,神の助けなどを受けようとはせず,又神の御意に注意を払わずに,自ら独立独歩して行こうとするために,戦つたり,血を流したり,又苦しみをうけています。この世は,その智恵によつて神を知りません。それどころか,ヱホバ神を全く度外視してしまい,自分自身の智恵,能力,そして計画に依存しています。
それで,次のように尋ねます。この世は,どれ程賢明ですか? その賢明な仕事から何を得ましたか? より良い世界にむかい,この世はどれほど進歩しましたか? この世は独立独歩して行けますか? その教育は有害ですか,又は有益ですか? 現在は流線形汽車と自動車,ロケット飛行機と原子力潜水艦,電気と動力の時代であることは,間ちがいありません。しかし,道徳面や霊的な面で,どのような進歩がなされていますか? この世の原則,標準,その智恵は何ですか? アイゼンハゥアー大統領は,コロンビヤ大学200年祭正餐式上で,的確にこう話しました。『真理あるいは真理の知識を,単なる事実とか,統計とか,数学の方程式の狭い範囲内だけで定義すべきでなはい。智恵と人間の理解 ― 保護の観念 ― は必要なのである。知識により核分裂をなし得る。しかし,智恵と理解により,核分裂は人間の進歩のために用いられ,人間の亡びのために用いられることはない。』
この世は知識の武器を用いて夥しい殺人をしているため,この世には智恵と理解が無いと証明されています。この世は気味の悪い巨人のように生育し,大力を持つていて恐ろしい強さを持つています。しかし,道徳とか霊的の責任感はありません。この世は,すばらしい施設,テレビジョン,電話,そして抗菌性物質の時代ですが,同時に腐敗,不道徳,犯罪,恐れ,心配,そして戦慄の時代でもあります。バーナード,エム,バルウは,ニューヨークのシテイ大学の学生に講演し,道徳の欠如を明白に示しました。
『驚くべき物質進歩をもたらしたこの半世紀には,二つの恐ろしい世界戦争が生じて,昔の暴力政治が再興し,そして技術面で進歩したにせよ,かえつて野蛮なものにしたのである。』
バルウは,更に続けてこの原子時代の成行きを簡単に話し,かつその失敗についての理由を述べました。約60年昔には,全国民はより良い生活と個人の自由の増加にむかつていると考えていたが,しかし,『必らず進歩するという信仰はなくなつてしまつた。この20世紀に,ガス室の恐ろしいにおいを嗅いでいるのである。ヒットラーの支配したドイツおよび鉄のカーテン背後では,奴隷制度が復活しているのである。実験室では,殆ど毎日のように奇蹟を為し得るのに,我々自身の統制というときには,なぜ我々は子供のようにだらしなく下手なのであろうか? 多分,我々の教育が不充分な為ではないだろうか?』
バルウは,話の要点を説明するため,アメリカ合衆国の憲法作成者たちを引合に出しました。こう述べています『憲法をつくつた者たちは,今日の学問の標準から判断すれば,決して高等教育をうけた者とは言えない。行政についての教授は,ひとりもいなかつたのである。……断言するが,憲法をつくつた多くの者は,おそらくこの大学に入学する資格も無かつたことであろう。しかし,正式な教育をうけようとうけまいと,1787年ヒラデルフイヤに会した人々は,真実の意味で良く教育をうけた人々であつた。先ず最も重要なことに,彼らは考え方を知つていた。……我々の父祖は,別の意味でも良く教育されていたのである。つまり,道徳の価値について深い認識を持つていたのである。彼らの心は,善と悪を明白に区別し,原則と御都合主義とを区別したのである。彼らは,自分の信じており,かつ守りつづけようと決意している価値に確信を持つていたのである。……
『さて今日では,考えるということは一般になおざりにされている。読書はふんだんにされているが,過去からあるものを学ぶという力は失つたようである。価値についての確かな観念は欠如している。人間は,すばらしい通信手段や,高速度印刷機,挿絵の多い雑誌,ラジオ,映画,テレビジョンを極めて誇つている。しかしこれらすばらしい通信設備も,森の中の1本の木とおなじく,考えることに貢献するところはない。実際のところ,これらロケット噴進や流線型の交通設備も考えるということの敵に見えるのである。それらのおかげで,毎日我々の気分は乱され,注意をかき乱される。とどのつまりはこうである ― 我々の経済および軍事資源だけでなく,知的な力も,些少な問題に費されてしまい,根本的な大問題は依然として未解決のままである。さして古くない昔,我々の時代は「啓発の時代」と甘く考えられていた。だが,いまやますます「注意撹乱の時代」となつている……
『過去半世紀のあいだ,より良い世界に対する我々の希望は,主として物質の進歩にかけられていた。技術面を強く押して行つたため,もはや人間の力でなし得ないものは ― 身体にしろ,物質にしろ ― 何一つないようである。人間は山を平らにし,砂漠に灌漑し,音速よりも早く飛ぶことができる。この技術の進歩を求める熱狂ぶりを反映して,大学は考える力よりも技術ということにますます強調を置く傾向である。それにより,我々はどうなつたであろうか? 我々は,人間の用いる非常な力で,現在の文明が亡ぼされるのではないかと,恐れおののきつつ生活しているのである。たしかに,あるものが欠けているのである。そのものが,もつと力のあるもの,もつと新しい技術の進歩ということはあり得ない。それは我々自身およびすでに存在している力を制禦する能力であり,いましめである。』― 1953年6月,大講演集(英文)
失敗を認む
たしかに,この世には,いましめがありません。しかし,この世は正義のいましめを欲しないのです。この世には自分自身を制禦する能力がないのにもかかわらず,ヱホバ神の支配を拒絶します。この世には,その多くの力を制禦する良識がありません。しかし,制禦し得る智恵を欲しないのです。この世は,平和を叫び求めても,実は戦争準備に熱狂しています。この世は,信心ぶつて敬虔らしく見せかけますが,神や神の言葉を少しも欲しません。この世の教育家は,人間の霊的福祉を軽く見るか,または全く無視しています。教育家は,知識の教科書である聖書に背を向けてしまい,自分の利己的な欲望に従つて聖書と反対の道,結局は平和と生命に反対の道に従つています。予言者の次の言葉は,なんとピッタリ当つているのでしよう。『汝いかで我ら智恵あり我らにはヱホバの律法ありということをえんや。視よまことに書記の偽りの筆これを偽りとせり。智恵ある者は辱しめられ又あわてて執えらる。視よ,彼らヱホバの言葉を棄たり,彼ら何の智恵あらんや。』― エレミヤ 8:8,9。
アイゼンハゥアー大統領は,この失敗の救済策を提唱し,どの人も「真理を伝道し,かつ恐れることなく真理を実践せよ」と呼びかけました。彼はこう言いました『真理は人を自由にする! 人間が自由に生活を計画し,自分自身を制禦し,真理を知り,友である人を理解するところでは,平和に生活しようとする意欲も必らずあると信ずる。原子爆弾,水素爆弾および近代戦争の残酷な破滅,そして恐怖,暴動,宣伝,賄路にもかかわらず,平和を得る鍵を見つける。その鍵とは知識と理解であり ― すべての人の絶えざる使用である。……ここに大学の永遠の使命がある。―本当に自由世界のあらゆる教育機関の使命でもあるが,― それは真理を見出してその真理を宣べひろめることである。
真理は救済策
いまから1900年むかし,古今の最大の教育家であるナザレのイエスは,パレスチナを隈なく歩いて,この真理の原則を述べ伝えました。しかし,彼の述べ伝えた真理は,この世の智恵ではありません。それで,ピラトはキリストに『真理は何か?』と尋ねたのです。ピラトにとつては,カイザルの政治的な野心制度,伝統,その他などが正しい真理であつて,ローマ帝国内に伝道されるべきものだつたのです。しかし,イエスにとつて,真理とは全く別のものであり,この世には全然ないもので,この世の知らないものです。イエスは,神の言葉は真理であると言いました。彼は『あなたの言葉は真理です』と言いました。それより前の時に,彼は弟子たちにこう告げました。『私の言葉のうちに留まるならば,あなた方は本当に私の弟子である。そしてあなた方は真理を知るであろう。真理はあなた方を自由にする。』― ヨハネ 18:38; 17:17; 8:31,32,新世。
イエスの宣べ伝えた大真理は,ヱホバ神とキリストの支配する神の御国についてであり,かつそれらはこの古い世に属さず,またこの世はハルマゲドンの戦の悲惨な最後にむかつてまつしぐらに進んでおり,そしてその戦を生き残る人類の唯一つの希望は,全能の神とその言葉の正確な知識を得て,それに一致する生活を行えということでした。イエスはこう言いました。『唯一つ真の神であるあなたと,あなたの遣した者,すなわちイエス,キリストを知ること,これこそ永遠の生命を意味する。』このために,イエスはこう命じました。『御国のこの良いたよりはすべての国民に証をするため,全世界に伝道されるであろう。それから全き終りが来るのである。』この真理こそ,人を自由にするものです。パウロは次の言葉を述べました。『この組織制度の支配者は,ひとりとしてこの智恵を知らなかつた。もし知つていたなら,栄光の主を杭につけなかつたであろう。』― ヨハネ 17:3。マタイ 24:14。コリント前 2:8,新世。
平和と生命を願い求める人は,この智恵を知らねばなりません。しかし,どのように? いままでの70年以上ものあいだ,ヱホバの証者は最も活潑な教育運動を全世界で行い,これらの真理を人々にもたらそうと努めています。ヱホバの証者の仕事は,100以上の言語でなされ,150以上の国々で行われています。それは不思議な業であり,すばらしい結果を収めています。
ヱホバの証者自身,神の言葉である聖書から教育をうけているため,まわりの国民が過去4000年のあいだ為し得なかつたことを行うことができます。聖書を知つて信ずるとともに,神の原則に従つて生活しているため,ヱホバの証者は,たとえ違つた国籍,皮膚の色,言語を持つ者であろうと,睦まじく和やかに集会することができます。人は殺人したり,盗んだり,賄賂したりしてはならないと知りかつ神の御霊の支持をうけて神の御意を行おうという強い気持があるため,軍備とか,人種の相違とか,政治的な区別とか国家の分けへだてはなくなります。これらの人は盗みもせず,賄賂もしません。彼らはその剣を打ちかえて鋤となし,槍を打ちかえて鎌にしました。彼らはお互いに反抗し合つて戦うことはなく,又戦争を二度と学びません。平和な状態のうちに,おたがいに睦まじく生活しています。
正しい考えと,正しい原則が彼らの動機になつているため,あらゆる道徳腐敗はすつかり取り去られました。そして,犯罪も行われず,自堕落な生活もなくなつて,悪に打ち克つことができます。別の言葉で言うと,聖書の真理は彼らを自由にしました。その聖書の真理により,彼らの社会はこの古い世とぜんぜん違うものになりました。その社会は,神の御名を崇める新しい世の社会であります。
-
-
働きに満足を得よものみの塔 1955 | 11月1日
-
-
楽しんでいません。互いに競争する貧欲な気持のため,生活を平和に楽しむことができず,科学の物質主義は,人間の存在に恐ろしい脅威を与えています。そして,人間は死ぬとき,その労苦の実を一つとして携えて行くことはできません。まつたく,そのような働きは無駄なものです。しかし,霊的な価値を良く悟るときに,人間は楽しんで働けます。そして,安心して食べたり眠ることができ,物質主義の恐れもなく,それに死んだときでも,その働きの価値ある実は無くなることがありません。この働きは無益なものではなく,深い満足を与えます。次の記事は,その詳細を述べています。
-