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  • ギレアデ38回生の卒業式
    ものみの塔 1964 | 4月15日
    • ギレアデ38回生の卒業式

      ものみの塔ギレアデ聖書学校第38回生103名が待ちに待った卒業式の日がやってきました。1963年11月25日月曜日午後3時。式場はものみの塔協会本部の建物の中にある御国会館です。ホールや廊下では,764名の人が卒業式のはじまるのを熱心に待っていたので,そこには生き生きした,楽しいふんいきがみなぎっていました。

      学校の校長であり,協会の会長でもあるN・H・ノアの卒業式の話に先だって,4人の教師の短い話がありました。W・R・ウイルキンソンは,命に通ずる道の重要な里程標を学生はいま通過した,それはまことにすばらしいことである,と話しました。次にフレッド・ラスクは,エホバが完全であられるように完全である,ということについて話し,エホバの四つの偉大な属性である正義と知恵と愛と力とを正しい平衡のうちに培うことを卒業生にすすめました。U・V・グラスは次に,どの核燃料よりも強力な力,すなわち神の聖霊を活用するようにと,卒業生を励ましました。教頭E・A・ダンラップは,全生徒が「他の羊」級であることを指摘し,多くの学生が,本部において油をそがれた御国相続者の残れる者と親しく接しえたことを感謝している,と述べました。

      協会の秘書グラント・スーターはつぎに,全世界から寄せられたたくさんの祝辞や電報を読みあげました。ついで工場のしもべマックス・ラーソンは,生徒の円熟性にふれ,その平均年齢が34歳,献身したクリスチャンとして奉仕した期間が平均16年であることを指摘しました。そしてラーソンは,他の人が霊の「堅い食物」を楽しむように援助しなさい,と彼らを励ましました。ベテルの家のしもベジョージ・カウチは,どこへ行こうと他の人々を助けて,あなたたちの良い感化が四方に広がるようにしなさい,と卒業生を励ましました。

      協会の副会長F・W・フランズは,エホバ神が,偽宗教の世界帝国からはじめて,ご自身の敵を撃たれるとき最高潮に達するこの暴力の時代について述べました。そして,いまこそ人々を大いなるバビロンから解放する時であることを強調し,また大いなるバビロンの破滅後,そしてハルマゲドンまえに,人々が神の側に来る中間期間があると信ずるのは間違いであることを指摘しました。エホバが大いなるバビロンに対する攻撃を開始されてのちは,人々の救いの時はないのです。「だから,大いなるバビロンの滅亡後,人々の大群衆を集めるわざが行なわれる,という考えを組織に浸透させないように」とフランズは学生に強調しました。

      ついでノア会長が,聞かされていることを心にとめる必要について,卒業式の基調となる講話を行ないました。会長は,ヘブル書 1章1,2節と2章の1節から4節にもとづき,神はみ子をとおして私たちに語られるという事実を強調しました。ゆえに,「わたしたちは聞かされていることを,いっそう強く心に留めねば」なりません。み子が地上におられたとき,奇跡やいやしを行ない,人を復活させることさえできるように,神がみ子を援助されたことを会長は説明しました。今日神はみ子をとおして,何をすべきかを私たちに告げられます。それで会長は,卒業生に対し,自分たちはみ子の権威のもとにいないという考えをもたぬようにとの助言を与えました。イエスの行なわれたことは事実であって,作り話やおとぎばなしではないことを心にとめなさいと会長は話しました。ですから私たちは,なすべきこと,してはならぬことについてのイエスのいましめを心にとめるべきです。私たちはみ子の言葉に耳を傾けねばなりません。そうしないで,神のみ子を通して語られた救いをないがしろにするなら,どうしてのがれることができますか。神はいつもみ子が述べた言葉を支持されました。したがって,もし私たちが,してはならないと言われていることをするなら,罰をのがれることができないのはたしかです。反面,み子に注意を向け,そのいましめを守るなら,私たちは神の祝福を得ます。

      それからノア会長は各生徒に任命状を渡しました。56ヵ国からきた生徒は,67の国で奉仕するように任命され,そのうちの多くは支部のしもべになりました。午後5時45分から休けいにはいり,別れの夕食がありました。7時25分,短縮された「ものみの塔」の研究とともにプログラムは再開され,40人の学生が質問に答えました。ついで40人以上の学生が,経験を話したり,アフリカやインドで御国のわざがどのように行なわれているかを示す寸劇の愉快なプログラムに参加しました。それから歌と会長の祈りがあって,生気にあふれた卒業式は,午後11時5分その幕を閉じました。

  • 輸血なしで腎臓の手術
    ものみの塔 1964 | 4月15日
    • 輸血なしで腎臓の手術

      ◆ オーストラリアのエホバの証者で,26歳になる青年は,左の腎臓に結核のすすんでいることが発見されました。数種の薬が用いられましたが,病状はかわりませんでした。医師たちは,手術によって,おかされた腎臓を取り除くべきだと考えました。証者が,自分は輸血を受けない旨伝えると,医師はそれでも手術をするとの意向でした。しかし,それからほとんど毎日,医師は証者の病室を訪れ,考えを変えて血を用いるようにすすめました。証者は,使徒行伝 15章29節の「血……を避くべきことなり」など,神の律法を示して,自分の考えを説明し,立場をまげませんでした。

      医師は,訪ねてくるたびに,「輸血をしないでもすむ確率は99%です。しかし,あなたが残りの1%にならないとは限りません。そんな場合でもやはり輸血を断りますか」とか,「もう考えを変えましたか」などと言って,証者を問いつめました。ある日,医師はこう言いました,「あなたは私に,大変な責任を負わせることになります。あなたの手術はお断りすることもできます」。証者は,患者が輸血を拒んで生ずるいかなる事態にも,医師には責任がない旨したためた文面に署名する事を申し出ましたが,医師は聞きいれずに病室を出て行きました。手術を予定した日の前日になって,医師は,患者が輸血に同意しないなら,手術をしないと言いました。

      むずかしい事態になりました。ひと月以内に手術しないなら,病状は悪化し,腎臓の機能が阻害され,命の危険を伴います。どうすべきですか。証者は,どこまでもエホバの律法を第一にしますか。血を用いずに手術をする医師が見つかりますか。シドニー地方の多数の証者が電話を使って,そのような医者を探しました。患者の属する会衆の監督は,シドニーの泌尿器科医の団体から医師の名簿をもらい,一人ずつ名前が消されてゆきました。日数はたちましたが,医師は見つかりません。望みは絶たれたかのように見えましたが,一人の証者は,12ヵ月ほど前にやはりエホバの証者を扱って,輸血をせずに腎臓を切り取った専門医がいることを思い出しました。すぐその医師に連絡がとられ,事の次第が知らされました。医師は関心を示し,患者にたずねました。「あなた自身の考えで,本当に輸血を望んでいないのですか」。証者は,「はい」と答えました。医師は言いました,「分りました。あなたの病状なら,輸血なしで出来るようです」。

      手術中,患者の血液の流出は,冷却器を流れる程度に切りつめられ,すべてのことが,予定通りに進みました。2時間後に,患者は病室にもどり,自分の妻とも話ができました。手術中に失われた血液はコップに半分もありませんでした。

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