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昔の敵に対する神の女の勝利ものみの塔 1964 | 4月1日
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しよう。あなたは祝福の基となるであろう……地のすべてのやからは,あなたによって祝福される」。バビロンから西に何百かマイルも離れた約束の地にアブラハムが着いてのち,エホバは「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」と言われました。
29 (イ)エホバは,約束のすえがアブラハム,イサクから出ることをどのように確かにされましたか。(ロ)大いなるバビロンは,なぜアブラハムの子孫に敵対しましたか。
29 30年以上ののち,アブラハムがエホバの命ぜられた通りに独り子のイサクを犠牲にしようとしたとき,エホバの天使はアブラハムをとどめて言いました,「わたしは大いにあなたを祝福し,大いにあなたの子孫をふやして,天の星のように,浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り,また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである」。(創世 12:1-3,7; 22:1-18,新口)これによって,神の女のすえがアブラハムおよび息子のイサクの系統から地上に人間として現われることが確かになりました。このすえが権力を得るとき,大いなる蛇,サタン悪魔すなわち大いなるバビロンは打撃をこうむります。この理由で神の女の敵である女は,すえとすえの生れる家系に敵対しました。
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その2ものみの塔 1964 | 4月1日
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その2
1 (イ)大いなるバビロンが古代都市バビロンに座を占めていたのは,どれだけの期間ですか。(ロ)大いなるバビロンは,どのように他の世界強国をも支配しましたか。(ハ)どんな目的のために,彼女はその宗教上の支配力を利用しましたか。
偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの主要な座は,ユーフラテス河畔の古代都市バビロンにありました。それは紀元前539年,聖書歴史中の第三世界強国としてのバビロンが倒れ,メデア-ペルシャ世界強国にとって代わられるまでつづきました。バビロニア世界強国の前に二つの世界強国がありました。それは(1)エジプト,および(2)アッシリアです。しかしバビロン的宗教の世界帝国である大いなるバビロンのほうは,これら二つの世界強国をも支配しました。大いなるバビロンはその宗教的な勢力を利用して,これらの世界強国を神の女のすえに敵対させ,すえの出る系統を滅ぼそうとしました。大いなるバビロンは国際的な淫婦であり,その宗教上の野心を遂げるため,政治支配者に身をゆだねます。こうして宗教と政治とが結びつくのです。
2 エジプトにおいて,大いなるバビロンは何をしようとしましたか。その企てはどの程度まで成功しましたか。
2 族長イサクの孫でエジプトの総理大臣となったヨセフが死んでのち,宗教的な勢力である大いなるバビロンはエジプトのパロと共媒してヨセフの民ヘブル人を滅ぼそうとしました。ヘブル人は当時エジプトの地で寄留者となっていたのです。パロはヘブル人を奴隷にして激しく追い使い,彼らを絶やそうとしました。これが成功しないのを見たパロは,ヘブル人の男の子を生まれるそばから殺すことを命じました。大いなるバビロンは,エジプトにいたヘブル人すなわちイスラエルの子らによって代表されていた神の女に対して勝ち誇ったに違いありません。大いなるバビロンと宗教的な姦淫を犯したパロが悪魔的な手段を用いたにも拘わらず,男の子の赤ん坊はヘブル人につぎつぎに生まれて保護されました。その中にモーセもいたのです。
3 エジプトにおいて大いなるバビロンはどのように悩まされましたか。
3 モーセは40歳のとき,イスラエルの民を解放しようとしましたが,志を遂げず遠いミデアンの地に逃れました。その後40年たってエホバはモーセを預言者としてエジプトにお遣わしになり,イスラエルの民を奴隷の地から導き出されます。エホバは十の災をつぎつぎにエジプトに下して,女のすえのために行動をおこされました。「エホバは……彼らの神々にも罰をかうむらせ給へり」。これによってエジプトの初子はみな死にました。宗教的な大いなるバビロンにとって,これは大打撃であったに違いありません。そのすぐ後にエホバは追跡するパロの軍隊を紅海にことごとく滅ぼして,大いなるバビロンの宗教の無力なことを暴露されました。その時イスラエル人は紅海を無事に渡り,エホバがご自身の友アブラハムに与えると約束された土地に導かれたのです。―民数 33:4。詩 78:43-53。出エジプト 15:1-21。
4 (イ)イスラエルのどの王の家系は,敵の女の攻撃の目標となりましたか。(ロ)ソロモンはどのようにして遂に心を奪われましたか。
4 それから443年の後,エルサレムの要害シオンではダビデ王が全イスラエル12支族の主権者として治めていました。ダビデは神のみ心にかなう人であったために,エホバは永遠の御国がダビデの家系に留まるとの契約をダビデと結ばれました。(サムエル後 7:1-18。サムエル前 13:14)ダビデと結ばれたこの王国の契約によって,神の女はその約束のすえがダビデ王の家系から出ることを知りました。間もなく敵の女である大いなるバビロンもこの事を知り,ダビデの王統に敵対し始めました。ダビデの子ソロモンは父のあとを継いでシオン(エルサレム)の「エホバのくらい」につき,エホバの崇拝のために壮麗な宮を建てました。ソロモンはまたイスラエルの神の聖都としてエルサレムを更に美しくしました。しかしソロモンは約束された神の女のすえではなかったのです。宗教的な大いなるバビロンはその代表者すなわちソロモンの持った多くの異教徒の妻を用いて晩年のソロモンの心を奪いました。ソロモンは妻たちの神々のために崇拝の高い場所を築きました。―列王上 11:1-10。
5 ソロモンの死後起きたどんな出来事によって神の女の地上の代表は危険に陥りましたか。
5 不忠実なソロモンの死後,ダビデの家の王国は反逆のため二つにわかれました。反逆した北のイスラエルの国は自らの首都を設置して黄金の小牛の崇拝を始め,遂に第3番目の首都となったサマリアにおいてバアル崇拝が導入されました。しかしエルサレム(シオン)は,わずか二つの支族とエホバの宮に仕えるレビの支族を残すだけになったユダの国の首都としてつづきました。(列王上 11:41–16:33)こうして2世紀が過ぎ,キリスト前8世紀になってイスラエル人は新興の世界強国の支配を感じ始めました。紀元前740年,北のイスラエルの国の首都サマリアは,アッシリア王サラゴン2世の略奪を受け,国は覆えされて生き残ったイスラエル人もアッシリアの領土に連れて行かれました。何年かたってユダの土地は,サラゴン2世の子でアッスリア王となったセナケリブの侵略を受け,地上で神の女を代表するエルサレムは危険に陥りました。当時バビロンはアッスリアの支配下にありましたが,バビロン的宗教がアッスリアで行なわれていました。
6 アッスリアの王と神を代表する者によって,どんな嘲笑の言葉がエルサレムの町に投げかけられましたか。
6 ユダの町ラキシの前に包囲の陣をかまえたアッスリアのセナケリブはエルサレムに使者を送り,ごうまんに聖都の降伏をヒゼキヤ王に迫りました。町の城壁の前に立ったアッスリアの代弁者ラブシャケはセナケリブ王の神ニスロクの証人としてふるまい,城壁の上のユダヤ人に向かって大声で呼ばわりました,「ヒゼキヤ エホバ我等を救ひたまはんと言て汝らを勧るとも之に聴くなかれ 国々の神の中いづれかその国をアッスリアの王の
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