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『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 6月15日
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神の民と交わる時に直面する困難や危険に加えて,個人的な問題も起こりがちです。しかしこれらの問題を克服するのに必要な力が神のことばから与えられるのを見ると,勇気づけられます。2人の子供を持つ若い夫婦がいくらか関心を示しました。しばらくして夫は無関心になり,妻が良い進歩を見せました。エホバの証人が酒に酔わず,ぶらぶらして時をすごすことをしないのを好まなかった夫は,ある日,伝道者が帰ったあとで大騒ぎをしました。彼は消極的な見方をするようになり,酔って帰宅しては妻をたたきました。彼女は身ごもっていましたが,中絶に同意しませんでした。夫は収入の大半を飲んでしまい,生活にも事欠くありさまでしたが,彼女はこのつらい経験から古い世と新しい秩序との相違を明白に見ていっそう信仰を強くしました。そして献身してバプテスマを受けたのです。夫の反対のため定期的には集会に出られませんが隠してある勉強道具を,夫が勤めに出ている間に取り出して勉強したり,訪問する姉妹たちと話をしたりできます。彼女はひとりの婦人と聖書研究を始めました。
2人の若い姉妹は,福音が伝えられたことのない都市で伝道を始めました。公園でひとりの婦人に話しかけたところ,彼女は驚いてこう言いました,「なんという驚くべきことなのでしょう! それに若い人がこんなふうに語るのを聞くのは初めてです」。そして自分の住所を教えました。2人の姉妹がこの婦人の家を訪問すると,その肉身の兄弟にも真理を学ぶ気持ちのあることがわかりました。いまこの家では,家庭聖書研究がよく行なわれており,この都市における最初の足がかりが得られました。
長い刑期に服している兄弟でさえも内攻的になりません。彼らは自分をあわれんだりせず,エホバを喜ぶことにあずかっています。そのひとりは刑務所の外にいる人々に励みとなる手紙を書き,中でも次のように述べています。「わたしたちは偶像,偽りの神々の崇拝者に満ちた世になお住んでいます。そして神の義が行なわれる時まで,そのことは続くでしょう。神の戒めを守るのをやめることはできません。またわたしたちは,神と和解する道を開かれたイエスを信じます。古い世から受ける仕打ちのゆえにどんな結果が身に及ぼうとも,わたしたちはエホバ神に従います……あらゆる試練に打ち勝ってエホバ神に忠実を保ち,イエス・キリストをとおしてエホバ神から永遠の生命を得るために生涯,神を賛めるのは大きな特権です。古い世に対する最後の勝利が得られ,新しい事物の制度を迎えるまで信仰を守り,忍耐されるように祈ります。エホバが皆さんと共にいまして祝福してくださるように」。
アラブ連合
愛の父エホバは御言と約束にたがわず,エジプトの兄弟たちを長年のあいだ強めてこられました。それはこの年の間,彼らに臨んだ激しい迫害や他の試練に備えるものとなりました。かいつまんで言うと,福音の伝道が禁止されたことは2度(1960年と1964年)ありますが,清い崇拝にとって事態が非常に困難になり,残酷な迫害やエホバの証人の大量投獄が起きたのは,1967年が初めてでした。
11月以降,会衆の組織されている都市の大多数において,官憲の前に呼び出された兄弟,姉妹たちは100人以上に上ります。関心を持つ人々のグループの研究と,建てられた神の国の宣明をやめさせるためにおどすのが,その目的でした。しかし意図されたのとは反対の結果が生じています。関心を持つ人の数は増加し,その活動は増大しました。そこで「上にある権威」は,偽りの宗教の指導者から絶えず働きかけられながら,逮捕をつづけ,また拘留した者たちを手ひどく扱っています。そのためにわざはやみましたか。そうではありません。それはイエスのことばどおり,官憲また一般の人に対してさらに証言が行なわれる結果となりました。「人々はあなたがたに手をかけて迫害をし,会堂や獄に引き渡し,わたしの名のゆえに,王や総督の前にひっぱって行くであろう。それは,あなたがたがあかしをする機会となるであろう」― ルカ 21:12,13。
大きな事件は,3月25日の記念式の時に初めて起きました。ある家で主イエス・キリストの死を記念していた平和な男女子供15人が,秘密警察により逮捕され,彼らの持っていた,あるいは家にあった宗教文書,写真,通信物が押収されました。それは彼らを罪に定め,シオン主義者であることを証明するためです。15人のうち11人は13日間,拘留され,指導者と目された4人はなお投獄されています。彼らはまた残酷な仕打ちを受けました。
その後,エホバの証人であるというだけの理由で2組の夫婦が逮捕されています。6月5日にアラブ-イスラエル戦争が勃発すると,迫害は激化しました。官憲は多くの都市で怒りを爆発させ,約20軒の兄弟たちの家に行って18歳以上の兄弟をいっせいに逮捕し,投獄しました。これらの兄弟たちおよび記念式の時に逮捕された4人は,この報告を書いている現在,まだ釈放されていません。
証言のわざを沈黙させようと努めている当局は,エジプトにおける協会の伝道活動の発展に最も責任があり,また最も活動的と思われるヨーロッパ人の兄弟の一部を追放しました。
4月と5月には,アラビア語の2つの週刊誌アル・ムサワールとサバ・エル・ケール誌にエホバの証人に反対する5頁から8頁の記事がそれぞれ掲載され,またアル・アラム,アル・ゴウモウリア,アル・イサの日刊紙にも同様な2つの記事が出ました。これらには逮捕された人々やまだ逮捕されていない人の名前や写真がのせられています。これはエホバの証人をシオン主義者また国家の安全を危険にする者としてあやまり伝え,大量逮捕を正当化し,終極的には,エホバの証人を家に入れないように一般の人を説得することです。しかしそれは成功しましたか。次の経験はそれを明らかにしています。
激しい迫害が始まってのちにエホバの証人と接した人の中には,かつてなかったほどエホバの証人の見解を熱心に聞きたがっている人がかなりいます。コプト派の一牧師の指示によってその一部が書かれたアル・ムサワール誌の記事を読んで,エホバの証人のほうに真理があるのを確信したと語った人もいました。この牧師は物質主義者として知られており,強要の疑いで最近,裁判を受け,投獄されそうになったことがあるからです。
この記事についてひとりの兄弟は次のように報告しています。「わたしは,『神を真とすべし』を使って,関心を持つ人と聖書研究をしています。いつも勉強する部屋にはいると,テーブルの上には聖書と研究の本のほかに,エホバの証人を攻撃した雑誌と新聞がおいてありました。雑誌の記事のことでエホバの証人を非難し,勉強をつづけることを断わるものと思っていると,案に相違してその人はこう語りました,「以前はこの研究のことでどうすべきかに迷っていましたが,牧師の中傷を読んでからというもの,わたしもバプテスマを受けて真にエホバの証人になることを決心しました」。それで牧師の中傷は,意図したこととは反対に,ひとりの人がエホバの御国の側に立つという結果を招きました」。
以上から明らかなように,わたしたちの同労者は以前も今も激しい迫害や困難に遭遇しながらも,エホバの御名をほめることをやめていません。それで,すすんで,あるいは追放されてやむなく国を去った人がかなりあり,また妥協した人もいくらかありますが,兄弟たちの人数は昨年とほとんど同じです。もっとも正確な報告を得ることは困難な事情の下にあります。わたしたちはエホバの助けによって,みずからの立場を堅く守るのみならず,この国に残された「他の羊」を集めることを望んでいます。
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生活を変えさせる真理ものみの塔 1968 | 6月15日
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生活を変えさせる真理
● 中央アメリカ,エル-サルバドルの一特別開拓者は次のような経験を寄せました。「4か月ほど前のことですが,幼少の時以来『セントラル・アメリカン・チャーチ』の会員だったひとりの男の人と『神が偽ることのできない事柄』の本を用いて聖書研究を始めました。ところが幼少の時からの彼を知っていた一牧師は,彼がエホバの証人と聖書研究をはじめたことを知ったので,エホバの証人は,1914年以来イエスが支配を始めているというたぐいの偽りを教えていることを証明してみせるために,エホバの証人とともに話し合いたいと告げたのです。
「それで,その牧師を訪問する取り決めを設け,牧師は私たちを丁重に迎えてくれました。牧師は彼をその幼少の時から知っており,彼は最も熱心な教会員の一人だったのに,今やエホバの証人になろうとしていると語りました。この問題についてどう感じているかと尋ねたところ,牧師はこう語りました。『あなたがたは,いろいろな事柄を教えていますが私はそれに同意できません。たとえば,みなさんは,キリストの国がすでに建てられていると教えていますが,私は聖書のことばどおり,「すべての人の目が彼を見る」ということを信じています』。すると,真理に関心をいだいていたその男の人は,ヨハネ伝 14章19節を引き合いに出して「そうではありません。理解の目でそれを見るのです」と答えました。私が終わりの時のしるしについて話すと,牧師は,聖書に出ていないのに1914年という年をどうして計算したか知りたいものだと述べ,「さあ,これからが見どころだぞ」と言わんばかりに,その男の人を見つめました。私は直ちに,『「異邦人の時期」が何を意味するか,ご存知ですか』と尋ねました。牧師は『よく知りませんので,知りたいと思います』と答えました。それで,紙と鉛筆を取り出して,『異邦人の時』の始まった時,その長さ,それを基にして1914年という年をどのように算出できるかについて聖句を用いて説明しました。その教会員は牧師に,満足できたかどうかを尋ねたところ,牧師はその説明を快く受け入れようとはせず,問題をもう一度調べ直し,また,さらに研究してみなければならないと答えました。
「しかしこの話し合いは,関心をいだいたこの人の信仰を強める結果になりました。最近,彼が宗教関係の色々の本を私に見せたので,かつてクリスチャンになったエペソの町の人々が偽りの宗教の本を焼いたことについて話したところ,翌週,彼は自分の本を焼いてしまいました。そのうえ,2度目の訪問の時以来,集会を欠かしたことがありません。教会は,彼が事実婚の関係をもっていたにもかかわらず,何もしませんでしたが,真理を学んだ彼は,自分たちの結婚関係を正式に届け出ました。エホバの御心を行なうことこそ彼の心からの願いとなったからです。―エホバの証人の1968年度年鑑より
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