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  • 前途の試練に備えてあなたは今訓練をしていますか
    ものみの塔 1971 | 6月1日
    • 者を励ましました。「わたしたちを誘惑に入れず,邪悪な者から救い出してください」― マタイ 6:13,新。

      22 「誘惑に入れず,邪悪な者から救い出してください」との祈りに,神はどのように答えられますか。

      22 しかしながら,それは,祈りをしたあとは手をこまねいて救出を待っていればよい,という意味ではありません。試練に首尾よく耐えるためには,それ以上のことが要求されます。それは,「わたしたちを誘惑に入れず,邪悪な者から救い出してください」とのこの祈りに,神がお答えになる方法から明らかにされています。神はおもに二つの方法でそれをなさいます。まず,サタンが影響を及ぼす方法に関し,みことばを通して事前の警告を与えることによってです。そのおかげで,わたしたちは試練においてサタンから何を期待すべきかを知ることができます。事前に警告されると,事前に警備を整えられます。(コリント後 2:11)次に,みことばを通してご自分のしもべたちを強めることにより,エホバは前述の祈りに答えてくださいます。彼らはそのために,神の許しでサタンがもたらす試練に耐えうるのです。

      23 前途の試練に備えるわたしたちの訓練には,何が含まれねばなりませんか。

      23 したがって,前途の試練に備えての訓練に,神のことば聖書の研究を含めねばならないのはきわめて明白です。事前に正しく警告を受けかつ強められるために,この研究は必要です。しかしそれに加えて,会衆の集会における神の民との定期的な交わりをも,あなたの訓練の中に含めねばなりません。そうした集会で,あなたは神の聖霊を受け,そこで神の見える組織から愛ある援助を受け,強められるのです。(マタイ 18:20)あなたは自分をひとりにすることはできません。聖書は次のように述べているからです。「自らをひとりにする者は自分の利己的な熱望を求める。すべての実際的な知恵に逆らってきおい立つ」― 箴言 18:1,新。

      24 わたしたちはエホバからのどんなすばらしい約束を得ていますか。しかし,その約束はすべての人に当てはまりますか。

      24 あなたを強めるエホバ神からの備え,すなわち,みことば,霊,組織を活用するなら,ほんとうにすばらしい保証を得ることになります。聖書の中の約束に注目してください。「神は忠実であるから,あなたがたが耐えうる以上に誘惑されるままにはせず,誘惑とともに,あなたがたがそれに耐えうるようにするため,のがれる道をも設けてくださるであろう」。(コリント前 10:13,新)そうです,誘惑や試練がいかにきびしいものであろうと,エホバはご自分のしもべたちが忠実に耐えうるようにしてくださるのです。なんとすばらしい保証ではありませんか。しかし,この約束はすべての人に当てはまるのではないということを忘れてはなりません。自分を強めるための神の備えを活用する人たちにのみ当てはまるのです。祈りを通してエホバ神と定期的な連絡を保つこと,また神のことばの定期的な研究や,神の民と会衆の集会に定期的に出席することをしないでおきながら,誘惑された時にのがれる道をエホバが設けてくださると期待するのは無理です。このことから,前途の試練に備えて今,正しい訓練をすることがどれほど重要かを銘記すべきです。

      25 エホバはどのようにご自分のしもべを助けて試練に耐えさせることができるかを示す,どんな現代の例がありますか。

      25 ご自分の備えを活用した人々のために,エホバがどのようにのがれる道を設けることができるかを示す例として,アラブ連合共和国の神のしもべたちの場合を考えてみましょう。クリスチャンの中立を犯す活動に参加することを拒んだため,彼らは足の裏や背中を殴打されました。しかしそのひとりはこう書いています。「地面に横たわって打たれている間,この拷問を耐えられるよう助けてくださいとエホバに祈りました。全能の神エホバが私を助けてくださり,ほんとうに幸福でした」。別の証人は次のように書いています。「どれほどのはずかしめや殴打を受けたにしても,数秒後には,打たれ続けているにもかかわらず何も感じませんでした。エホバ神がいつもわたしたちとともにいてくださるのだと感じられました」。エホバはなんと驚くべき仕方で,のがれる道を設けてくださるではありませんか。悩み苦しんでいたロトを昔救出されたように,エホバは,「敬虔な専念をいだく人々をどのように試練から救出するかをご存じで(ある)」ことを,今日においてもくり返し証明してこられました。―ペテロ後 2:6-9,新。

      26 今何をすることが絶対に必要ですか。

      26 あなたの信仰も,まちがいなく試みられます。その理由は,悪魔サタンが自分の終わりの近いのを知っており,神への奉仕からあなたを引き離そうとして試練をもたらすからです。したがって,定期的に神に祈り,みことばを研究し,神の組織の民と定期的に集まり合って,自分を強めるための神からの備えを活用することが絶対に必要です。そうするならば,エホバの是認を得,どんな試練が臨もうとも,それを成功裏に耐えぬくことができるのです。

  • わたしたちの信仰をこころみる試練に耐える
    ものみの塔 1971 | 6月1日
    • わたしたちの信仰をこころみる試練に耐える

      『あなたがたはさまざまな試練によって嘆き悲しまされてきました。それは,試みられたあなたがたの信仰の質が,賛美のいわれとなるためです』― ペテロ前 1:6,7,新。

      1 試練は楽しいものですか。試練のもとでの忠実さは,どのように賛美のいわれとなりえますか。

      試練は楽しいものではありません。きわめて悲痛なものである場合もあります。たとえば,イエスがつばをかけられ,嘲笑され,最後には打たれたうえ,刑柱にくぎづけにされて苦しみの死を遂げた時,それは決して楽しいことではありませんでした。(マタイ 26:66-68; 27:26-30)彼の信仰を最も極端な試みにあわせたそれらの試練は,確かに悲痛なものでした。しかし,試練のもとでのイエスの忠実な歩みは,賛美のいわれとなりました。そのために,まず神の名前に賛美がもたらされました。イエスの忠実さは,悪魔サタンが彼を神の崇拝から引き離しえないことを実証したからです。さらに,神がイエスを死から天の命へ復活させられた時,イエスは自分の忠実さの報いとして賛美と誉れを受けました。―ピリピ 2:9-11。

      2,3 (イ)試練にあっている時でも,どのように幸福でありえますか。(ロ)試練にはどんな益がありますか。

      2 神の名前にもたらされる賛美と,忠実さに対して神が与えられるすばらしい報いを常に見つめるなら,試練にあっていても真の幸福を維持できます。事実,イエスは山上の垂訓の中でこう言われました。「人々が,わたしのためにあなたがたを非難し,迫害し,偽ってあらゆる邪悪な事柄を言うとき,あなたがたは幸福です。喜びなさい。喜び踊りなさい。天においてあなたがたの報いは大きいからで(す)」。(マタイ 5:11,12,新)弟子ヤコブも同様に次のように書いています。「試練に耐え続ける人は幸福です。なぜなら,是認されると,その人は命の冠を受けるからであり,それは,ご自分を愛し続ける者たちにエホバが約束されたものです」。(ヤコブ 1:12,新)そうです,試練のもとでのわたしたちの忠実さが神を喜ばせ,また神からの永遠の命の報いをもたらすことを知るのは喜びの源と言えます。さらに,

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