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  • 神は人々が生きることを望まれている
    ものみの塔 1976 | 5月15日
    • たった一度の聖書の話が自殺しかけた人を救ったという事実からも,それは明らかです。聖書の真理を広めるわざはまさに緊急なものです。ある人がどれだけ生きるか,あるいは不敬虔な世に対する神の裁きがいつ執行されるか,正確なことはだれにも分かりません。しかし一つの事は確かです。一日過ぎるごとに何十億という人々がそれだけ死に近づいているということです。手遅れにならないうちに,あるいは何か悲劇的な失敗をしないうちに人々を助けることができますか。

      人々に対して純粋の関心を示し,悔い改めに至るようにひとりでも多くの人を助けるという点で神と同じ気持ちを持っていることを表わす機会を,エホバ神はご自分のしもべに与えておられます。(使徒 3:19)わたしたちは人類の世に対する自分の責務を極めて真剣に考えており,何かの言い訳を見つけて責任を逃れようとは決して考えません。(マタイ 28:19,20)だれも次のように考えるべきではありません。「聖書の真理を伝道し教えるわざはそれほど大切ではない。結局のところ神はすべての羊が見いだされるように取り計らわれるだろう」。このような考え方は,神を知らないために重大な危険に陥っている人々に対して親しい関心を欠いていることを示すものです。(テサロニケ第二 1:6-10)それは実際には愛の欠けている証拠であり,その人自身,至高者との関係において何か欠けるところがあることを示しています。―ヨハネ第一 5:2,3。

      もしあなたがエホバ神のしもべならば,命を保たせる知らせを人々に伝えるためにはどんな犠牲もいとわないと考えていますか。あなたはあらゆる機会をとらえて親族,友人,知り合いその他,日常の生活の中で接する人々に神のことばを語っていますか。神は人々が生きることを望まれています。あなたはそう信じていることを言葉と行ないで示していますか。

      あなたの知っている人あるいは接したことのある人以外にも,聖書の知識を緊急に必要としている人は大勢います。現代において人々と会う最善の方法のひとつは戸別訪問であり,そのことは経験からも明らかです。あなたはそのための時間を特別にとっていますか。命を得させる神の備えは,啓示の書の中で両岸に木の並んだ川として象徴的に述べられています。その木は「月ごとに実を生じ,実を十二回生み出す」ことが描かれています。(啓示 22:1,2)そのことと一致して,命を与える聖書の音信を人々に伝えることに毎月あずかるのは全くふさわしいことではありませんか。

      公に宣べ伝えるために組織する

      ゆえにエホバの証人の会衆が特定の地域を“区域”に分け,それらの区域内の家すべてを訪問するために明確な取り決めを設けて,しかも一年たつうちに進歩的また定期的にそうするのは,神のご意志に一致した行為と言えます。―コリント第一 14:33と比べてください。

      聖書の真理を公に宣明するわざを円滑に進めるには秩序正しい適切な取り決めが必要です。会衆の長老たちはその定期的な集まりにおいて,これらの取り決めに十分な注意が払われているかどうかを考慮すると良いでしょう。長老たち自身は,聖書の真理を他の人に熱心にわかつという点で手本を示していますか。エホバ神は人々が生きることを望まれていますが,長老たちの言葉と行ないは彼らが堅くそう信じていることを示していますか。長老たちはその持つ機会に応じて活発にグループと共に公の伝道と教えるわざにあずかれるように事を行なっていますか。

      もちろんのこと,長老は会衆と家族と,その両方に対する責任の点で平衡を保たねばなりません。(テモテ第一 3:2,4)ある長老たちは,グループの人々が集まって公の伝道と教えるわざにあずかる取り決めのほとんど全部を支持できるでしょう。しかし長老たちの中には事情があってそうすることのできない人もいます。聖書の音信の重要さを認識しているゆえに,長老は仲間の信者と共に聖書の真理を他の人に伝えるため,都合できる時間を最大限に活用したいと望むに違いありません。(エフェソス 4:11,12)長老は自分たちが率先しないならば,会衆をひどく失望させるおそれのあることを知っています。

      そのうえ,会衆のメンバーは,聖書の価値そしてイエス・キリストの忠節な弟子として神に仕える重要さを悟るように他の人々を助ける際,どのようにその事を行なえばよいかを教えられる必要があります。牧者また教える者としての自分たちの責任を真剣に考える時,長老は言葉と行ないにより喜んで助けを与えるでしょう。(ヘブライ 13:7)彼らはまた資格ある他の人を招いて援助に当たらせます。

      エホバ神の献身したしもべすべては,聖書のことばを伝道し教えることにあずかる重要さを銘記しなければなりません。次の事を自問してごらんなさい。イエス・キリストが同胞の国人の多くの示した冷淡さのため,あるいは何か他の理由であきらめてしまったとすれば,今日わたしはどうなっているだろうか。わたしたちのうち,だれひとり終わりのない命を得る機会を与えられなかったことでしょう。イエス・キリストがご自分の使命にずっと忠実であられたことは,わたしたちにとってなんとうれしいことでしょう!―ヨハネ 17:6-8。ヘブライ 3:6。

      会う人ごとにその人もわたしたちと共に神の新しい秩序にいてほしいとその人のために願い,そのことについて考えるのはなんと良いではありませんか。人々がどんな態度をとってもそれにはかかわりなく,わたしたちは次の事実を見失ってはなりません。すなわちキリストはその人々のために死なれたこと,エホバ神はその人々が「真理の正確な知識に至」って生きることを望まれているという事実です。(テモテ第一 2:3,4)世界情勢あるいは人々自身の生活に起こる変化について人は目ざめ,起きている事柄のゆえに「歎き哀しむ」ようになるかもしれません。(エゼキエル 9:4)人は何か良いものを切望するようになるかもしれないのです。わたしたちはさっそくその人を助けることができますか。エホバ神は人々が生きるのを望まれているという事を本当に認識しているならば,わたしたちは必ずやその人々を助けにおもむくでしょう。

  • 聖書は霊的な必要に目ざめさせる
    ものみの塔 1976 | 5月15日
    • 聖書は霊的な必要に目ざめさせる

      ● 時として人は聖書の数節を読んだだけで,霊的な必要に目ざめることがあります。

      例えばフィリピンのある婦人は聖書を読んだことがありませんでした。彼女が子供の時に父親の求めておいた聖書が,彼女の結婚の時に与えられました。その後,夫の宝石加工場で働いていた時,包装紙が無くなったので彼女は聖書のページを包装紙の代用にしはじめました。その事を続けているうちに,ある日,彼女は「エホバ」のお名前が全部,大文字で印刷されているページを見て驚きました。彼女はその先を読み,エホバを知らないために悪人が滅びると述べられていることに感銘を受けました。

      それ以後,婦人は聖書の残りの部分を保存して定期的に読み始めたのです。ある時,宝石を戸別に売り歩いていた彼女は,エホバの証人の一人と聖書を学んでいるグループに出会いました。彼女はその証人を自分の家に招いて聖書を学びました。いま彼女は四人の子供と共にそろってエホバに奉仕しています。確かに聖書は霊的な必要に目ざめさせ,良い結果を生みました。

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