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  • 『有能で,神を恐れる男子を選び出しなさい』
    ものみの塔 1983 | 12月1日
    • 『有能で,神を恐れる男子を選び出しなさい』

      「だがあなたは,民全体の中で,有能で,神を恐れる男子,正直で買収されない男子を自ら探し,そして民の上に……彼らを任命しなければならない」― 出エジプト記 18:21,新英訳聖書。

      1 「監督」および「年長者」という用語がエホバの証人にとって特に興味深いのはなぜですか。

      「ホメロスの時代[西暦前9世紀ごろ]から現代に至るまでに,数多くの言葉が消滅し,ほかの多くの言葉が生まれてきた。エピスコポス[監督]およびプレスビュテロス[年長者]という言葉は生き続けてきた」。現代のあるギリシャ語学者のこの注解は,「監督」および「年長者」に相当するギリシャ語の用語に含まれる意味の豊かな生命力を際立たせています。これらの言葉は幾千年にもわたって,ご自分の民のためのエホバの組織の取り決めの肝要な部分と結び付けられてきました。もし読者がエホバの証人と交わっておられるなら,これらの用語がクリスチャンの会衆に取り入れられたいきさつに関する以下の論議は特に興味深いものとなるでしょう。

      2,3 神から任命されたイスラエルの指導者として仕えるために,モーセはだれを納得させなければなりませんでしたか。

      2 言うまでもなく,聖書の歴史はギリシャの詩人ホメロスよりもはるかに昔の時点にまでさかのぼります。西暦前16世紀に,モーセは,エジプトへ戻ってイスラエル人を奴隷状態から導き出すようにとの任務をエホバから受けました。モーセは約40年にわたって自分の属する民から離れていたので,信用証明を提出しなければなりません。では,だれにそれを提出するのでしょうか。神はこう言われました。「あなたは行って,イスラエルの年長者たち[ギリシャ語,ゲルーシア,「長老たちの議会」; セプトゥアギンタ訳をご覧ください]をぜひ集め(なさい。)……そうすれば彼らは必ずあなたの声に聴き従うであろう。それであなたは,すなわちあなたとイスラエルの年長者たちとは,エジプトの王のもとに行(か)……なければならない」― 出エジプト記 3:16,18。

      3 族長たちの時代以来年長者たちは,その経験や知識,知恵や健全な判断のゆえに大変重んじられていたようです。モーセが救出を図るために神から任命された指導者として受け入れてもらえるよう納得させなければならなかったのは,それらの人々でした。

      イスラエルにおける年長者の資格

      4 エテロはモーセにどんな提案を述べましたか。それはどんな結果をもたらしましたか。

      4 イスラエル人が自分たちを捕らえていたエジプト人から解放されて,ひとたび砂漠に出るや,この国民に対するモーセの司法上の責任はどうにも負いきれないほどのものとなりました。モーセを訪れたしゅうとのエテロは,その点をはっきりと見て取ったので,エホバの是認を得たと思われる実際的な提案を述べました。エテロはこう言いました。「あなたがしているそのやり方はよくない。あなたは,そうだ,あなたも一緒にいるこの民もきっと疲れ果ててしまう。この仕事はあなたにとって重すぎる荷なのだ。あなた独りでこれを果たすことはできない。さあ,わたしの声を聴き入れなさい。わたしはあなたに忠告しよう。そして神はあなたと共にいてくださるだろう。あなた自身はまことの神の前にあって民の代表とな(る)……だがあなたは,民全体の中から,有能な男子,神を恐れる,信頼できる人々,不当な利得を憎む者たちを選び出すべきだ。……その人たちがあなたと一緒に荷を負うようにしなければいけない」。(出エジプト記 18:17-23)イスラエルにおけるこの新たな司法上の取り決めは,他の有能な男子に荷を分散させるものとなりました。こうしてイスラエルの会衆は,司法上の問題や争いを処理する資格のある,組織された長老団を持つようになりました。

      5 モーセは,手近にいる年の長じた男子をだれでも選べばよかったのでしょうか。

      5 高潔な原則の真価を本当に認める人々がほとんどおらず,贈収賄や汚職で支配者と被支配者がひそかに害されている現在のこの世界体制とは何と対照的なのでしょう! 当時,古代イスラエルでその国民のために裁判を行なうようにモーセと共に仕えることになっていた男子は,注意深く探し出されることになっていました。エテロはそのことをこう言い表わしています。「あなたは,民全体の中で,有能で,神を恐れる男子,正直で買収されない男子を自ら探し,そして民の上に……彼らを任命しなければならない」。(出エジプト記 18:21,新英訳聖書)それは単に年齢の点で年長の男子を選ぶというだけの問題ではありませんでした。モーセは,有能で,資格のある,買収されない男子を『探す』ことになっていました。今日のエホバの民の益を図らなければならない人々のための何とすばらしい基準なのでしょう。

      エホバにより権限を付与された年長者たち

      6,7 イスラエルで年長者を任命するために,エホバはどんな行動を取られましたか。

      6 それからしばらく後,イスラエル人は荒野での境遇について不平を言いました。モーセはその国民に対する管理の面での荷がもはや自分には大き過ぎると感じ,問題をエホバに打ち明けました。神の解決策はどのようなものでしたか。こう書かれています。「それに対しエホバはモーセにこう言われた。『わたしのためにイスラエルの年長者[ギリシャ語,プレスビュテローン,セプトゥアギンタ訳]七十人,すなわち,民の年長者[プレスビュテロイ]であり,そのつかさであることをあなたがよく知っている人々を集めなさい。……わたしはあなたの上にある霊の幾らかを取って,それを彼らの上に置くことになる。そして,彼らは荷……を担う点であなたを助け(る)』」― 民数記 11:16,17。

      7 モーセは命じられた通りに行ないました。こう述べられています。「するとエホバは雲のうちにあって下って来られ,彼に話して,彼の上にあった霊の幾らかを取り,それをその七十人の年長者[プレスビュテルース]ひとりひとりの上に置かれた。そして,霊がその上にとどまるとすぐ,彼らは預言者として行動するのであった」。(民数記 11:24,25)それら「年長者」が神権的に任命されたことを示すはっきりした証拠がここにあります。エホバは捕らわれから救出するためにご自分の民を組織し,今度は『有能で,信頼できる,神を恐れる男子』を用いて,指導および管理の責任をモーセと分かち合うようにさせておられたのです。

      8 イスラエル人が約束の地に定住してから,年長者たちはどんな役割を果たしましたか。

      8 放浪生活をしていたイスラエル人は,やがて約束の地を征服し,かつてエジプトで営んでいた生活様式に戻り,再び町や都市に定住するようになりました。これは,年長者たちが地域社会のレベルで民に対して責任を持つようになったことを意味しました。年長者たちはそれぞれの地域社会のための監督たちの一団としての役割を果たし,裁判を行なったり平和や秩序や霊的健康を維持したりするための裁き人やつかさとして仕える人々を出しました。―申命記 16:18-20; 25:7-9。ルツ 4:1-12。

      白髪があれば十分か

      9,10 身体的な円熟と共に,「年長者」にはほかにどんなことが要求されますか。聖書的な根拠を挙げてください。

      9 では,これまで述べたことからして,イスラエルでは年長者はだれでも自動的に,司法上あるいは管理上の資格のある「年長者」になったということでしょうか。一定の年齢になると,イスラエル人はそのような意味での「年長者」になったのでしょうか。いいえ,そのような結論は道理にかなったものではありません。エリフは問題をはっきりと述べ,「単に日数の多い者が賢いのではなく,またただ年老いた者が裁きを理解するのでもない」と言いました。また,賢明な召集者は,「白髪は,義の道に見いだされるとき,美の冠である」と書いています。(ヨブ 32:6,9。箴言 16:31。伝道 12:9,10)ヘブライ語聖書は,資格のある「年長者」のうちには,年齢と経験が,知恵と義にかなった行状とに結びついていなければならないことをはっきりと示しています。

      10 とはいえ,年齢と経験には大きな価値があります。奉仕の特権にあずかる資格を得るには,年長者は神の霊の導きを受け入れ,そのみ言葉の理解を得なければなりません。聖句を引用できるだけでは十分ではありません。その賢明な適用の仕方を知ることは,「年長者」の資格の肝要な要素です。―箴言 4:7-9。テトス 1:9。

      クリスチャン会衆における年長者

      11,12 (イ)イエス・キリストが地上におられた時,ユダヤ人の地域社会には年長者が依然としていましたか。(ロ)クリスチャン会衆内ではどんな取り決めのもとに長老たちが任命されましたか。

      11 これまでに検討した事柄から,昔からエホバの民の営みにおいて指導の任に当たる資格のある「年長者」が用いられていたことは明らかです。しかし,イエス・キリストが地上におられた時には,ユダヤ人はサンヘドリンとして知られる,祭司と長老たちの中心的な機関をエルサレムに設立していました。それはユダヤ人の高等法院の役割を果たしました。(マタイ 26:57-68)それでも,証拠の示すところによると,年長者たちのグループは国家的なレベルにおいてのみならず,諸都市の地域社会の営みにも依然として活発に関与していました。―ルカ 7:3-5。

      12 この歴史的な背景を念頭に置くと,初期のクリスチャン会衆が,モーセの時代にエホバの是認を受けていたのと同様の神権的な取り決めを引き続き用いるであろうことを理解するのは難しくありません。クリスチャン会衆内で「年長者」あるいは長老として任命されたそれらの人々は,神の聖霊の導きのもとにあって,『有能で,正直で,買収されない,しかも神を恐れる男子』だったことでしょう。

      13 クリスチャン会衆の中で活発で有能な男子が必要とされたのはなぜですか。

      13 西暦33年のペンテコステ以来,信者たちの会衆は急速に成長を遂げました。(使徒 2:41; 4:4)彼らはあたかもエッセネ派などの宗派のように,個人的な隠とん者のような聖書研究のグループに分かれてはいませんでした。キリスト教は私的な事柄ではありませんでした。それは公に知らされ,諸国民に告げ知らされるべきものでした。(マタイ 5:14-16; 28:19,20)そのために,クリスチャンの組織の中で指導の任に当たる活発で有能な男子が必要とされていました。そのような人々は当然,「年長者」だったでしょう。

      「年長者」の資格

      14 ペテロは長老たちに対するどんな要求を際立たせましたか。

      14 西暦60年代までには,クリスチャン会衆内で指導の任に当たる,それら年長者たちに求められる霊的な資格が確立されていたに違いありません。ですから,使徒ペテロやパウロの記した書き物の中にそうした資格に言及した箇所をたくさん見いだせるのです。例えば,ペテロは次のように書きました。

      「それゆえ,あなた方のうちの年長者に,わたしはこう勧めます。……あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自ら進んで行ない,不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で牧しなさい。また神の相続財産である人々に対して威張る者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい」。(ペテロ第一 5:1-3)

      「年長者」は「不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で」仕えるべきであるということを強調したとき,論理的に言ってペテロは,『有能で,神を恐れる,信頼できる人々,不当な利得を憎む者たち』を選ぶようにとのモーセに対する助言を反映させていました。―出エジプト記 18:21。

      15 パウロは「年長者」に対するどんな要求を挙げていますか。

      15 パウロは,地中海のクレタ島で奉仕していた信頼できる同労者テトスにあてた手紙の中で,諸会衆の「不備な点を正し,都市ごとに年長者たち[プレスビュテルース]を任命する」よう指示しました。興味深いことに,「年長者」と訳出されているギリシャ語の言葉は,「円熟した男子,その経験と思慮分別のゆえに自分の家族や民を治めるのに適した人」を示唆しています。(マヌエル・グエラ・イ・ゴメス教授著,「エピスコポス・イ・プレスビュテロス」)この見解はまた,パウロがテトスに順を追って説明した,監督として奉仕する資格のあるそれらのクリスチャンに対する要求の中でも強調されています。パウロはこう書きました。

      「つまり,とがめのない人で,一人の妻の夫であり,放とうの責めを受けたり無規律であったりすることのない,信者である子供を持つ人がいるならばです。監督[ギリシャ語,エピスコポン]は,神の家の家令としてとがめのない人で,我意を張らず,すぐに憤らず,酔って騒いだりせず,人を殴らず,不正な利得に貪欲でなく,むしろ,人をよくもてなし,善良さを愛し,健全な思いを持ち,義にかない,忠節で,自制心があり,自分の教えの術に関して信ずべき言葉を堅く守る人でなければならないのです。それは,健全な教えによって説き勧めることも,また,言い逆らう者を戒めることもできるためです」。(テトス 1:5-9)

      こうした要求を注意深く吟味してみると,クリスチャン会衆内の「年長者」が行ないと霊性の,高い基準に達していなければならないことを認識するのに役立ちます。

      16 西暦1世紀当時,長老たちが同時に監督たちでもあったことは,どうして分かりますか。

      16 パウロがギリシャ語のプレスビュテロスおよびエピスコポスという用語,つまり「年長者」および「監督」という語を使っているその仕方に注目するのも興味深いことです。このことから,資格のある年長者たちが会衆内で監督の務めを果たしていたということを推論できます。他の聖句は,同じ会衆の中にそのような年長者の監督が幾人かいることもあり得たという点を示しています。―使徒 14:23; 20:28。フィリピ 1:1。

      17 (イ)監督に対するどんな要求についてパウロはテモテに書き送りましたか。(ロ)長老が宣べ伝える業においても活発でなければならないのはなぜですか。

      17 テモテに書き送った手紙の中でも,パウロは監督に対する要求を列挙していますが,わずかながら異なった用語を用いています。これは異なった状況を考慮に入れたものと思われます。(テモテ第一 3:1-7)初期のクリスチャン会衆は本来,福音を宣明する組織だったので,それらの年長者もやはり良いたよりをふれ告げるのに熱心であるということは当然のこととみなされていました。無精な態度の入り込む余地はありませんでした。―ルカ 24:46-48。コリント第一 9:16。マタイ 25:24-27と比較してください。

      背教が入り込む

      18 背教は監督の立場にどんな影響を及ぼしましたか。

      18 2世紀そして3世紀へと時がたつにつれて,会衆の事態は変わってゆきました。予告されていた背教が根を下ろしたのです。(使徒 20:29,30。ペテロ第二 2:1)まさしく会衆内の長老たちの中から野心的な者たちが現われました。それらの者は堕落した動機を抱いて,自分たちの監督の職を権力と威信を伴う地位とみなすようになりました。会衆の監督たちの中には,司教区つまり複数の教会から成るグループを治める“司教”にさえなった者もいました。やがて,それらの司教たちは平信徒により投票で職務に就けられるようになり,そのような平信徒の中には有力な支配者たちもいました。ですから,カトリックのある歴史家はこう書いています。「これは非常に大きな危険をもたらした。監督の職の威信が高まり,これらの地位にかなりの収入や物質上の利益が伴うようになった時からは特にそうであった。……[こうして]最も有力な司教の職に政治的な人をつけることになった」。

      19 背教は結局,どんな結果をもたらしましたか。

      19 そうです,各司教は権力のある君主のように高められました。次いでこれが,既に真のキリスト教の教えに従わなくなって久しいキリスト教世界の分裂と不和を助長しました。有能で,正直で,霊的な思いを持つ長老である監督に関する神権的な取り決めは,僧職者の位階制へと堕落しました。会衆に対する自発的な奉仕は,神学や哲学や教会法の面での幾年もの高等教育を要する有給の専門職に一変しました。

      20 ここで,どんな質問に対する答えが必要ですか。

      20 これは,各会衆のためのその本来の神権的な取り決めを伴う真のキリスト教が決して回復されることはないという意味ですか。あるいは,「年長者たち」つまり「監督たち」の行なう健全で誠実な奉仕は永久に失われてしまったということでしょうか。また,神権的な組織の向上を指摘するイザヤの預言についてはどうでしょうか。それはこう述べています。「わたしは銅の代わりに金を携え入れ,鉄の代わりに銀を,木の代わりに銅を,石の代わりに鉄を携え入れる。わたしは平和をあなたの監督たちとして任命し,義をあなたに労働を割り当てる者たちとして任命する」。(イザヤ 60:17)次の記事はこうした肝要な質問に答えるものとなるでしょう。

  • 『あなた方の間で指導の任にあたっている人々を覚えていなさい』
    ものみの塔 1983 | 12月1日
    • 『あなた方の間で指導の任にあたっている人々を覚えていなさい』

      「あなた方の間で指導の任に当たっている人々,あなた方に神の言葉を語った人々のことを覚えていなさい。そして,その行ないがどのような結果になるかをよく見て,その信仰に倣いなさい」― ヘブライ 13:7。

      1 19世紀の終わりに,真の崇拝に関してどんな変化が生じましたか。しかし,クリスチャンの長老たちはどのようにして選ばれていましたか。

      19世紀の最後の25年間に,真の崇拝は米国ペンシルバニア州ピッツバーグ市でチャールズ・テイズ・ラッセルと交わる,献身した聖書研究者たちの小さなグループによって回復されるようになりました。これらの聖書研究者たちはまず,バビロン的な伝統や哲学による汚染から清められた,真の聖書の教理を回復しようと努めました。しかし,会衆の組織の分野では当初の回復の進み具合はゆっくりとしたものでした。聖書研究者たちの間には長老や執事(奉仕の僕)がいたものの,ある面では偽りの宗教の考えが依然として幅を利かせていました。ですから,20世紀に入ってからでも,長老たちは,挙手によって示される民主的な票決の手順を経て会衆により選ばれていました。

      2 それでも,エホバの民の中の長老たちに対してどんな高い基準が定められましたか。

      2 そうではあっても,高い基準にかなうことが求められました。1909年11月1日号の「ものみの塔」誌(英文)は,325ページで次のように述べていたからです。「長老たちを選出するに当たって,聖別された者たちは自分たちに責任があることを覚えておかなければならない。神のみ心を念入りに考慮し,神の導きを求める祈りなくしては,いかなる票も投ぜられるべきではない」。その記事はさらにりっぱな長老の三つの特徴を強調していました。それは次のようなものです。(1)教える面で巧みでなければならない。(2)誤りではなく,真理を教えなければならない。(3)謙遜さと敬神の念は,「長老職の一番大事で,主要な資格」である。

      神権的秩序が回復される

      3,4 会衆内の責任のある立場に人を任命することに関して,(イ)1919年に,(ロ)1932年に,(ハ)1938年に,そして(ニ)1971年に,それぞれどんな歴史的な変化が生じましたか。

      3 1919年に任命に対する神権的な管理を回復するための第一歩が踏み出されました。諸会衆は,宣べ伝える業に率先する奉仕の「指揮者」として一人の熱心な兄弟を推薦するよう求められました。その人は地元での年ごとの選挙の対象にはならず,油そそがれた者の会衆を法的に代表する,ものみの塔協会によって直接任命されることになっていました。次いで1932年に,奉仕の「指揮者」と協力してきたとされていた選出された長老たちに代わって,会衆内のさまざまな奉仕の立場を占める円熟した兄弟たちから成る奉仕委員が設けられました。それでも,奉仕委員たちは依然として会衆により選出されていました。「長老」という用語は使われなくなり,「会の僕」,「聖書研究の僕」などの用語が好んで使われるようになりました。

      4 1938年になるまで選挙から完全に脱却することはできませんでした。その年,任命の権限は世界的なクリスチャン会衆の統治体にあることが示されました。その時以降,資格のある男子が会衆内のさまざまな務めを扱う「僕」として協会により直接任命されるようになりました。しかし,1972年2月15日号と3月15日号(英文では1971年11月15日号と12月15日号)の「ものみの塔」誌の中で,長老と監督の役割に関するさらに明確な理解が示されました。年長者,つまり長老(プレスビュテロス)および監督(エピスコポス)という聖書の専門用語をもう一度用いる確かな理由が述べられました。

      5 (イ)長老の推薦に際して特別の注意を払わなければならないのはなぜですか。(ロ)どのような要素を考慮に入れるべきですか。

      5 この時にも再び,聖霊によって定められ,神のみ言葉の中に明示されている高い基準が強調されました。それはなぜでしょうか。長老が敬意を受けるに値する人になるには,当人が推薦されて任命される以前にクリスチャンの行状および奉仕の務めの面で「指導の任に当たっている」,つまり率先していなければならないからです。(ヘブライ 13:7,17)ですから,長老団は新しい長老を推薦する際に性急に行動すべきではありません。(テモテ第一 3:6; 5:22)多くの場合,資格のない長老をその立場から降ろすには,その任命を推薦するよりもはるかに多くの時間と話し合いが求められるということを忘れてはなりません。事実,当人が任命される以前に会衆がその兄弟のことを既に長老のように扱っているかどうかという付加的な指針に従えるでしょう。その兄弟は聖書の要求を満たすことにより会衆の敬意を十分に受けているので,推薦に関して一点の疑いもないと言えるでしょうか。

      『自分の家の者をりっぱに治める』

      6 自分の家族に関連して,長老に求められる資格の幾つかは何ですか。

      6 では,使徒パウロの述べる長老の資格の幾つかを手短に振り返り,今日それが実際的にどんなことを意味しているか調べてみましょう。パウロは次のように書きました。

      「つまり,とがめのない人で,一人の妻の夫であり,放とうの責めを受けたり無規律であったりすることのない,信者である子供を持つ人がいるならばです」― テトス 1:6。

      「したがって,監督は……自分の家の者をりっぱに治め,まじめさを尽くして子供を従わせている人であるべきです。(実際,自分の家の者を治めることも知らない人であれば,どのようにして神の会衆を世話するのでしょうか。)」― テモテ第一 3:2,4,5。

      7 自分の家族と会衆とに対する長老の責任の間には,どのような微妙な平衡を保つことが求められますか。

      7 自分の家の者を正しく世話するという要求は多くの長老にとって挑戦となります。長老はどうしたら会衆内で指導の任に当たりながら,なおかつ自分の妻子の霊的および感情的な必要をないがしろにせずにすむでしょうか。それは容易ではありません。確かに,これらの責任を平衡を保って果たしてゆくには霊的な円熟性が求められます。時には,長老が自分の家族に与えてしかるべき時間と注意を,会衆の成員に求められる場合もあります。自分の家族に対する長老の関心はなぜそれほど肝要なのでしょうか。長老が自分の家族関係をないがしろにしたり,扶養家族の未成年の子供が霊的に怠慢な者になるなら,その長老がいかに能力を持ち,また熱心であろうと,もはや長老としての資格がなくなるからです。ですから,牧羊の業は家庭で始まるということを覚えておかなければなりません! そうです,長老とその家族の双方,そしてまた会衆もその要求の点で,注意深く平衡の取れた態度を表わさなければなりません。―エフェソス 5:28-33; 6:4。テモテ第一 5:8。ペテロ第一 3:7。

      『我意を張らず,道理をわきまえる』

      8,9 他の人々との関係において,長老はどんな特質を表わさなければなりませんか。

      8 別の一連の要求は,長老が仲間の長老たちや会衆全体をどのように扱うかということと大いに関係しています。パウロがテトスとテモテにそれぞれあてた手紙の中で述べている通りです。

      『監督は,神の家令としてとがめのない人で,我意を張らず,すぐに憤らず……人を殴らず……自制心がある人でなければならないのです』― テトス 1:7,8。

      『人を殴ったりせず,道理をわきまえ,争いを好みません』― テモテ第一 3:3。

      9 こうした要求は長老が人格の面でキリストのようでなければならないことを示しています。これは確かに高い基準です。しかし,この基準はすべてのクリスチャンに同じように当てはまるのです! わたしたちすべてはキリストに見倣う者でなければならず,それはまた,わたしたちが平和を求めなければならないことを意味しています。(コリント第一 11:1)聖書筆者のヤコブはそのことをこう言い表わしています。『上からの知恵はまず第一に貞潔であり,次いで,平和を求め,道理にかない,進んで従い,憐れみと良い実とに満ちています。……そのうえ,義の実は,平和を作り出している人たちのために,平和な状態のもとに種をまかれます』― ヤコブ 3:17,18。

      10,11 (イ)長老の態度は会衆にどのように影響を及ぼすことがありますか。(ロ)意見の相違がある場合でさえ,どんな態度が優勢でなければなりませんか。

      10 長老として,わたしたちは「平和を作り出している」でしょうか。争いや口論の原因になりたいと思う長老は一人もいないでしょう。長老団はこの点でりっぱな模範を示さなければなりません。そうすれば,長老たちの間の論争のために会衆が動揺することはないでしょう。わたしたちすべてはパウロの次の言葉を銘記しておきたいものです。「わたしは,どの場所でも男が祈りをし,忠節な手を挙げ,憤りや議論から離れているように望みます」― テモテ第一 2:8。

      11 時には意見の相違もあることでしょう。道理をわきまえた人は,たとえ強い個性を持っているにしても,我意を張ったり,かたくなになったりはしません。聖書の原則が関係していないときには進んで譲ります。また,聖書の原則が関係している場合には,自制心を保つことの知恵を認めます。そして,コリント第一 13章4,5節に言い表わされている,愛は「刺激されてもいら立ちません」という原則を思い起こします。―コロサイ 3:12-14。

      『信ずべき言葉を守る』

      12 パウロはさらにどんな肝要な要求を際立たせていますか。

      12 長老が肝要な資格をさらに培うのに何が助けになるでしょうか。実際,場合によっては,そうした資格を失わないようにするために,どんなことを行なえるでしょうか。パウロの次の言葉が答えを与えています。

      「自分の教えの術に関して信ずべき言葉を堅く守る人でなければなりません。それは,健全な教えによって説き勧めることも,また,言い逆らう者を戒めることもできるためです」― テトス 1:9。

      「教える資格があり」― テモテ第一 3:2。

      13 長老はどのように自分の霊的健康に特別な注意を払うべきですか。

      13 『信ずべき言葉を堅く守り』,『教える資格がある』人になるため,長老はどんなことを行なえますか。まず,聖書の個人研究のために定期的に時間を取っておかなければなりません。これにはクリスチャンの集会や話の割り当てのための準備が含まれます。自分自身の霊的健康のために,この準備は浅薄なものであってはなりません。例えば,長老は「ものみの塔」誌の研究記事の中の質問に対する答えに短い時間で線を引けるかもしれませんが,それで資料が研究されたということになるでしょうか。主題の展開の仕方を十分に理解していますか。参照されている聖句の適用を確かめるために,それらの聖句を調べましたか。下線を引く短い時間だけではそれは明らかに不可能なことです。個人研究と家族研究には時間が要ります。―ヨシュア 1:8。詩編 1:2; 77:6,12。

      14 長老は自分の教えの術に注意を払うため,どんなことができますか。

      14 次に,忙しい予定のゆえにすべてを行なう時間はないので,長老は自分の『教えの術,説き勧めること,および戒めを与えること』と直接関係のある,クリスチャンの出版物や記事に特別な注意を払わなければなりません。簡単なことでこの面で助けになるのは,きちんと整とんされた個人用の図書を保つことです。長老には聖書の正確な情報をすぐに入手できるようにしておく特別の必要があります。そしてそれは,ものみの塔出版物索引を度々用いることを意味しています。このすべてはどうしてそれほど重要なのでしょうか。使徒パウロはこう書きました。「自分自身と自分の教えとに絶えず注意を払いなさい。これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは,自分と自分のことばを聴く人たちとを救うことになるのです」― テモテ第一 4:16。

      15 聖書に基づかない助言はなぜ危険ですか。

      15 そうです,長老の助言が命と救いとにかかわることもあります。例えば,堕胎や輸血やクリスチャンの中立に影響を及ぼす問題において,長老は人々とエホバとの関係だけでなく,自分自身の良心や他の人々の良心にも,善きにつけ悪しきにつけ計り知れない影響を及ぼすことがあります。ですから,関係している聖書の原則について絶対の確信がない場合に質問に答えようとするのは賢明でないことが分かるはずです。確かな聖書的根拠に欠ける助言は,取り返しのつかない害を引き起こしかねません。―フィリピ 1:9,10。

      16 ある長老たちがゆゆしい罪に陥ったのはなぜですか。これは軽微な問題でしょうか。

      16 長老として自分自身に注意を払う別の理由は,エホバとの親密な関係を培い,また保つことの必要性にあります。残念ながら,長老たちの中にはこの関係をないがしろにして,姦淫のような罪に陥るところまで行ってしまった人がいます。どうしてそのようなことが起こり得るのでしょうか。それは,エホバとその約束が重要な位置を占めなくなることを許してしまったからにほかなりません。その人たちの霊的な視力は曇り,利己的な肉欲が支配的になりました。エホバの聖なるみ名にもたらされる非難や,自分の家族にもたらされる苦しみにむとんちゃくで,結婚の誓いに対して不忠節になった長老たちも幾らかいます。言うまでもなく,そのような人々はつまずきのもとになってきました。現代が性的な面で何でも許容する時代だからというだけの理由で,その人たちの罪をあっさりと許したり,不問に付したりすることはできません。―マタイ 13:41; 18:7-9。ヘブライ 13:4。

      忠実な長老たちとその妻たち

      17 大半の長老たちはどんなりっぱな模範を示していますか。

      17 一方,わずかな例外を除けば,世界中の長老たちは忠誠と真理とのために堅く立ってきたということも述べておかなければなりません。4万5,000を超える会衆におけるそのりっぱな模範は,神の民にとって励ましの源です。この「対処しにくい危機の時代」にあって,勤勉な監督たちは使徒パウロと同様,日夜忙しく働いています。(テモテ第二 3:1。使徒 20:31)これらの長老たちは,道のりや天候の状態というような事柄にかかわりなく,霊的に病んでいる人をその家庭に進んで訪問します。そして,これら『年長者たち』が定期的に野外奉仕の面で指導の任に当たるのを見るのは何と良いことなのでしょう。

      18 長老たちの妻は会衆内でどんなりっぱな役割を果たしますか。

      18 わたしたちはまた,長老の妻たちが時として払わなければならない犠牲についても深く感謝しています。それらの婦人たちは,夫が特別な集会に出席したり,牧羊の訪問をしたりする間,家に残されることもあります。時には入念に練り上げられた個人的な計画が,会衆内のある緊急な問題のために後回しにされたこともあります。わたしたちはまた,内密の問題を夫から聞き出そうとするようなことを注意深く避ける,これらりっぱな姉妹たちをも推称します。それらの姉妹たちは長老たちに対して敬意を示し,会衆にとって貴重な存在になっています。―ローマ 16:12; テトス 2:3-5と比較してください。

      19 (イ)長老であるということは何を意味しますか。(ロ)長老ではない献身した男子はどんなことを自問できますか。

      19 今日のクリスチャン会衆内における長老たちの役割を振り返り,その大多数が自己犠牲を示し,りっぱな仕方で指導の任に当たっているのを見る時,この愛ある取り決めを設けてくださったことに対し,わたしたちの心はエホバへの感謝の念に動かされます。長老たちは霊的な価値を認識し,会衆内での奉仕に自らを役立てる,有能な男子です! だからこそ,パウロはテモテに対して,「監督の職をとらえようと努めている人がいるなら,その人はりっぱな仕事を望んでいるのです」と言うことができたのです。その「りっぱな仕事」は,キリスト教世界の場合のように,地位や権力や威信を示唆してはいません。それは無私の態度,犠牲,そして奉仕を求めるものです。献身してバプテスマを受けた男子であっても,まだ長老でないなら,あなたは純粋な動機を抱いてその責任を進んでとらえようとしておられますか。―テモテ第一 3:1。ルカ 17:10。

      20,21 (イ)わたしたちは会衆内の忠実な長老たちをどのように見るべきですか。(ロ)そうすることによって,わたしたちはほかにもどんなことを表わしますか。

      20 忠実に指導の任に当たっている人々は会衆内で尊敬されます。会衆内の忠節な人々は,そのような長老たちの愛ある模範に進んで答え応じ,パウロの次の助言に従います。「あなた方の間で指導の任に当たっている人々,あなた方に神の言葉を語った人々のことを覚えていなさい。そして,その行ないがどのような結果になるかをよく見て,その信仰に倣いなさい。あなた方の間で指導の任に当たっている人たちに従い,また柔順でありなさい。彼らは言い開きをする者として,あなた方の魂を見守っているのです。こうしてあなた方は,彼らがこれを喜びのうちに行ない,嘆息しながら行なうことのないようにしなさい。そのようなことはあなた方にとって損失となるのです」― ヘブライ 13:7,17。

      21 わたしたちすべては,神権的な取り決めに対する柔順さを示し,誠実に指導の任に当たる長老たちに対して敬意を示すようにしたいものです。彼らが喜びのうちにそれを行ない,嘆息しながら行なうことのないようにするためです。そうすることによって,わたしたちはまた,最高の監督であられるエホバとその代理監督イエス・キリストを敬っていることを示すのです。―ペテロ第一 2:25。啓示 1:1; 2:1-3:22。

      思い起こしますか

      □ 「選出された長老たち」は,どんな高い基準にかなうことが求められましたか。

      □ 1919年から1938年にかけて,クリスチャンの組織の中に神権的な秩序を回復するため,どんな措置が取られましたか。

      □ 自分の家族と会衆に対する責任を果たすために,長老はどのように平衡を保って責任を果たさなければなりませんか。

      □ 他の人との関係において,長老たちはどんな際立った特質を表わさなければなりませんか。

      □ 長老が「信ずべき言葉を堅く守る」のはなぜ肝要なことですか。

      □ わたしたちは会衆内の長老の取り決めになぜ感謝すべきですか。

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