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『有能で,神を恐れる男子を選び出しなさい』ものみの塔 1983 | 12月1日
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19 背教は結局,どんな結果をもたらしましたか。
19 そうです,各司教は権力のある君主のように高められました。次いでこれが,既に真のキリスト教の教えに従わなくなって久しいキリスト教世界の分裂と不和を助長しました。有能で,正直で,霊的な思いを持つ長老である監督に関する神権的な取り決めは,僧職者の位階制へと堕落しました。会衆に対する自発的な奉仕は,神学や哲学や教会法の面での幾年もの高等教育を要する有給の専門職に一変しました。
20 ここで,どんな質問に対する答えが必要ですか。
20 これは,各会衆のためのその本来の神権的な取り決めを伴う真のキリスト教が決して回復されることはないという意味ですか。あるいは,「年長者たち」つまり「監督たち」の行なう健全で誠実な奉仕は永久に失われてしまったということでしょうか。また,神権的な組織の向上を指摘するイザヤの預言についてはどうでしょうか。それはこう述べています。「わたしは銅の代わりに金を携え入れ,鉄の代わりに銀を,木の代わりに銅を,石の代わりに鉄を携え入れる。わたしは平和をあなたの監督たちとして任命し,義をあなたに労働を割り当てる者たちとして任命する」。(イザヤ 60:17)次の記事はこうした肝要な質問に答えるものとなるでしょう。
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『あなた方の間で指導の任にあたっている人々を覚えていなさい』ものみの塔 1983 | 12月1日
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『あなた方の間で指導の任にあたっている人々を覚えていなさい』
「あなた方の間で指導の任に当たっている人々,あなた方に神の言葉を語った人々のことを覚えていなさい。そして,その行ないがどのような結果になるかをよく見て,その信仰に倣いなさい」― ヘブライ 13:7。
1 19世紀の終わりに,真の崇拝に関してどんな変化が生じましたか。しかし,クリスチャンの長老たちはどのようにして選ばれていましたか。
19世紀の最後の25年間に,真の崇拝は米国ペンシルバニア州ピッツバーグ市でチャールズ・テイズ・ラッセルと交わる,献身した聖書研究者たちの小さなグループによって回復されるようになりました。これらの聖書研究者たちはまず,バビロン的な伝統や哲学による汚染から清められた,真の聖書の教理を回復しようと努めました。しかし,会衆の組織の分野では当初の回復の進み具合はゆっくりとしたものでした。聖書研究者たちの間には長老や執事(奉仕の僕)がいたものの,ある面では偽りの宗教の考えが依然として幅を利かせていました。ですから,20世紀に入ってからでも,長老たちは,挙手によって示される民主的な票決の手順を経て会衆により選ばれていました。
2 それでも,エホバの民の中の長老たちに対してどんな高い基準が定められましたか。
2 そうではあっても,高い基準にかなうことが求められました。1909年11月1日号の「ものみの塔」誌(英文)は,325ページで次のように述べていたからです。「長老たちを選出するに当たって,聖別された者たちは自分たちに責任があることを覚えておかなければならない。神のみ心を念入りに考慮し,神の導きを求める祈りなくしては,いかなる票も投ぜられるべきではない」。その記事はさらにりっぱな長老の三つの特徴を強調していました。それは次のようなものです。(1)教える面で巧みでなければならない。(2)誤りではなく,真理を教えなければならない。(3)謙遜さと敬神の念は,「長老職の一番大事で,主要な資格」である。
神権的秩序が回復される
3,4 会衆内の責任のある立場に人を任命することに関して,(イ)1919年に,(ロ)1932年に,(ハ)1938年に,そして(ニ)1971年に,それぞれどんな歴史的な変化が生じましたか。
3 1919年に任命に対する神権的な管理を回復するための第一歩が踏み出されました。諸会衆は,宣べ伝える業に率先する奉仕の「指揮者」として一人の熱心な兄弟を推薦するよう求められました。その人は地元での年ごとの選挙の対象にはならず,油そそがれた者の会衆を法的に代表する,ものみの塔協会によって直接任命されることになっていました。次いで1932年に,奉仕の「指揮者」と協力してきたとされていた選出された長老たちに代わって,会衆内のさまざまな奉仕の立場を占める円熟した兄弟たちから成る奉仕委員が設けられました。それでも,奉仕委員たちは依然として会衆により選出されていました。「長老」という用語は使われなくなり,「会の僕」,「聖書研究の僕」などの用語が好んで使われるようになりました。
4 1938年になるまで選挙から完全に脱却することはできませんでした。その年,任命の権限は世界的なクリスチャン会衆の統治体にあることが示されました。その時以降,資格のある男子が会衆内のさまざまな務めを扱う「僕」として協会により直接任命されるようになりました。しかし,1972年2月15日号と3月15日号(英文では1971年11月15日号と12月15日号)の「ものみの塔」誌の中で,長老と監督の役割に関するさらに明確な理解が示されました。年長者,つまり長老(プレスビュテロス)および監督(エピスコポス)という聖書の専門用語をもう一度用いる確かな理由が述べられました。
5 (イ)長老の推薦に際して特別の注意を払わなければならないのはなぜですか。(ロ)どのような要素を考慮に入れるべきですか。
5 この時にも再び,聖霊によって定められ,神の
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