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  • クリスチャンは尊称をうけますか?
    ものみの塔 1955 | 8月1日
    • です。聖なる人は,ひとりもいないからです。『すべての人は罪を犯し,神の栄光をうけることができない。』(ロマ 3:23,新世)たしかに,キリスト・イエスは『聖なる父』という言葉を用いましたが,それを人間に用いたのではありません。イエスはヱホバ神おひとりだけ,その名にふさわしい方であると知つていました。『聖なる父よ,御自身の御名のため彼らを守つてください。』(ヨハネ 17:11,新世)今日のキリスト教国で行われているごとく,『神父』や『聖なる神父』の尊称をうけたり,用いたりすることは,ヱホバ神の目から見て憎むべきものです。

      司教,執事,長老

      『司教』という称号は,今日広く一般のものです。この言葉は,いくらかの聖書の翻訳,特に二,三百年前ギリシャ語から翻訳された聖書の中に表われています。しかし,この言葉は聖書の原文には出ていません。『司教』は,ギリシャ語の『エピスコポス』の誤訳であつて,尊称には決してならないからです。それは,神の制度内における奉仕の特権を示すために用いられました。その言葉の真の意味は,『監督』です。それでは,なぜ翻訳者たちは『エピスコポス』を『司教』と翻訳しましたか? いわゆる『司教』を持つている宗教制度に属する人々が,翻訳したからです。翻訳者たちが,教会の職階制度を支持するため,司教という言葉を聖書の英語訳に入れたのは当然です。正確な現在の翻訳は,『司教』という言葉を用いていません。

      同じく,『執事』という称号は,ギリシャ語『ディアコノス』の誤訳です。その真の意味は『奉仕の僕』です。パウロはピリピ人に,こう書きました。『ピリピにいてキリスト・イエスにあるすべての聖徒たちへ,そして監督と奉仕の僕たちへ』(ピリピ 1:1,新世)諂いの称号でないことは,まつたく明白です。

      『長老』という称号については,どうですか? 欽定訳で『長老』と訳されているギリシャ語は,プレスビテロスです。その文字通りの意味は,『年上の者』または『年齢の進んだ者』ということです。それで,実際には称号でありません。パウロは『町々に年上の人(『長老』欽定訳)の任命をしなさい』と言いました。(テトス 1:5,新世)奉仕の特別な特権に任命された人は,年上者になるよう任命されたのではなく,年上者であつたために任命されたことに,良く注意してください。規則はこうです。神の群の監督(エピスコポス)に任命される人は,『年上の者』でなければなりません。すなわち,その言葉,教理,そして行動の実からみて,霊的な面では『年上の人』または円熟した者ということです。聖書は『長老』『司教』そして『執事』という尊称を用いる権威を与えていません。

      神の御言葉は尊称を禁じているため,クリスチャンが王を『王』,裁判官を『閣下』,と呼ぶことは間ちがいですか? 間ちがいではありません。クリスチャンが支配者や裁判官によびかけるとき,それは民政上の僕とみなして呼びかけるのであり,崇拝をするとか,または霊的な指導者と見なして呼びかけるのではありません。使徒パウロは,アグリッパ王の前に立ち,こう言いました。『アグリッパ王よ,ユダヤ人の訴えるすべての事に関して,』ネロの時代のユダヤの総督フェストの前で,パウロは『フェスト閣下よ,私は気が狂つていません。』と言いました。パウロは民政上の僕に公式な尊敬を払いましたが,クリスチャンでも非クリスチャンでも霊的な指導者を特別な称号で呼びかけたことは一度もありません。―使行 26:2,25,新世。

      このすべてのことは,何を意味しますか? 神の述べられる方法に従つて,神に仕えたいと欲する人は,『師』とか『神父』という称号で牧師を呼びかけるのを止めるべきです。真のクリスチャンは,どんな種類の尊称も用いません。さらに,尊称を用いることは,偽りの宗教のしるしです。そのような偽りの宗教を棄てなさい。ヱホバの証者の新世社会と交わることにより,真の宗教を行いなさい。これら真のクリスチャンの中に階級差別はありません。すべてのものは兄弟たちです。みな神の書かれた言葉の原則に従います。その中には,神の予言者がヨブ記 32章21,22節(ア標)で述べている原則も含まれています。『かならず我は人に偏らず,人に諂の称号を与えじ。我は諂の称号を与えることを知らず,もし諂わば,我の造化主ただちに我を絶ちたもうべし。』

  • イタリーで,
    ものみの塔 1955 | 8月1日
    • イタリーで,

      人里離れたところに住む75歳の老人は,真理のことを聞き,開拓者に訪問して頂きたいとお願いしました。開拓者がそのところに行つてみると,30人の人々が待つていました。話しを聞いてから,みなさんは書物を求めました。幾人かの人は翌朝も来て,多くの質問をし,真理に対する飢餓を癒しました。75歳の老人は,幸福な叫びを発して,こう言いました。『わしは40年のあいだ聖書を持つていたが,しかしこの長い年月をかけても,2時間で学べるものを到底学ぶことができなかつた。』(1955年度のヱホバの証者の年鑑より)

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