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読者からの質問ものみの塔 1978 | 6月1日
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て自分で判断し,自分で責任を負わねばなりません。
そのような人が,その事態は聖書的な離婚の根拠になると主張することもあるでしょう。そのような場合,当人は自分の取ろうとしているいかなる離婚措置についても,神のみ前で全き責任を受け入れねばなりません。長老たちは,離婚の根拠がはっきりしないかぎり,その離婚を(聖書的に)承認するわけにはゆきません。同時に長老たちは,問題がどちらともつかないような場合,自分の良心を他の人に押し付ける権威を与えられてはいません。(ヤコブ 4:11,12)ふさわしいと思われる聖書的な助言を述べてから,長老たちは,当人に事態の重大性および離婚措置を取った場合に負わねばならない全面的な責任をはっきりと示すことができます。もし結婚のきずなを断つ口実を求めているにすぎないのであれば,そのような人は神の不興を買うだけです。配偶者に対するそのような背信行為について,「神は離婚を憎まれた」と述べられているからです。(マラキ 2:16,新)「神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれる」のですから,単に口実を設けて離婚し,それから再婚する人は,そうした裁きを免れることはできません。(ヘブライ 13:4)長老たちは,主がそのご予定の時に,「やみの隠れた事がらを明るみに出し,また心の図るところを明らかにされ」ることを確信できます。(コリント第一 4:4,5)欺まんや背信行為のうちにまいた者は,苦しみを刈り取ることから免れることはできません。『神は侮られるようなかたではない』からです。―ガラテア 6:7,8。
聖書の中ではっきりと述べられていない問題に関して兄弟姉妹が自分の良心を働かせるのを会衆の長老たちが,認めるのと同じく,長老たちには,問題となるような行為にふける人に対する見方に関して自分の良心を働かせる権利があります。こうした問題に関して会衆の一成員の取る行動のゆえに,長老たちがその人を会衆内の模範的な立場での奉仕に推薦できないと良心的に感じるのなら,長老たちにはその良心に従って行動する権利があります。―テモテ第一 1:19; 3:2-12; 5:22。
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スポーツはあなたの生活の中でどんな位置を占めるべきですかものみの塔 1978 | 6月1日
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スポーツはあなたの生活の中でどんな位置を占めるべきですか
スポーツなどによる「身体の訓練」にはそれなりの役目がある,と聖書が述べていることをご存じでしたか。スポーツはわたしたちの益になります。しかしスポーツの益にあずかりながら,スポーツのもたらし得る害を避けるにはどうしたらよいでしょうか。
「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」という192ページの本は,「スポーツと娯楽」という章の中で,この点を論じています。この本は「世の苦難からの人間の救いは近い」と題する本と共にわずか450円のご寄付でお求めになれます。郵送料は発行者が負担いたします。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 5-138022番)にお申し込みください。
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