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長老となる資格のあるのはどんな人ですかものみの塔 1975 | 11月1日
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たちに期待される事柄について助言を与えています。長老は「とがめのない」,非難するところのない人でなければなりません。だれも,好ましくない個人的習慣を持つ者として後ろ指を指すことのできない人でなければなりません。また「我意を張」る人,あるいは威圧的な人,「すぐに憤」る短気な人ではなく,むしろ会衆の内外で物事を非常に正直に行なう人でなければなりません。―テトス 1:6,7。ペテロ第一 5:2,3。
24 監督の忠節はどのように示されますか。
24 イエス・キリストに見倣って「忠節」であることは,監督にとって特に重要なことです。正しい原則に対して忠節であれば,「言い逆う者」を戒めずにいることはできないでしょう。(テトス 1:9)これは楽しい仕事ではありませんが,戒めることを必要な時に差し控えるなら,罪を犯している者に組し,その者の仲間であることを示すことになるでしょう。(箴 29:24)気づかずに間違った道を歩む人に戒めを与えることは,親切な行為です。(ガラテア 6:1)ある好ましくない行為はすぐに忘れたり,見逃したり,無視したりしてかまわないかもしれませんが,会衆内に分裂や分派を引き起こして聖霊を嘆かせるような行為についてはそうするわけにはいきません。したがってある場合には,忠節は戒めを与えることを要求します。―ルカ 17:3,4。エフェソス 4:30。
25,26 (イ)監督が自分自身と神の会衆に特に注意を払う必要があるのはなぜですか。(ロ)新しい人々は,今日神の会衆内でよい導きを受けることを期待できますか。
25 パウロはエフェソスの長老たちに別れを告げるに当たり,彼らに次のように訴えました。あなたがた自身と『群れのすべてに注意を払いなさい。……[そして]神の会衆を牧し(なさい)……[なぜなら今から]圧制的なおおかみがあなたがたの中に入って群れを優しく扱わない[からです]』。(使徒 20:28,29)これらの「おおかみ」は,クリスチャンの身分証明である衣をはぎ取って事実上群れから奪うでしょう。この勧めは,この危機の時代に一層時宜を得たものといえます。監督ならばだれでも,自分の怠慢からエホバの「羊」が一匹でも失われることのないことを願います。
26 「年鑑」は,イエスの多数の「ほかの羊」がエホバのクリスチャン証人たちとどの程度交わってきたかを示しています。イエスの声を「聴く」のでイエスが「連れて来なければならない」羊は,まだ残っています。この古い事物の体制の「末の日」にあって,一人の羊飼いの一つの群れに流れ入る人々は,エホバの道を教えられています。そしてエホバが,牧羊のわざを任せるにふさわしい者,とみられた人たちの愛情深い,優しい導きを確かに受けることができます。―ヨハネ 10:16。ルカ 12:32。ミカ 4:1-4。イザヤ 32:1,2。
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主宰の任をりっぱに果たす長老たちものみの塔 1975 | 11月1日
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主宰の任をりっぱに果たす長老たち
「あなたがた自身と群れのすべてに注意を払いなさい。……神の会衆を牧させるため,聖霊があなたがたをその群れの中に監督として任命したのです」― 使徒 20:28。
1 どんな状況のために長老制は時宜を得たものといえますか。
非常に大ぜいの人が神の王国の側に立ちつつあるこの時代に,聖書に基づく長老制が「忠実で思慮深い奴隷」級により会衆内にしかれたことを,エホバの証人はエホバに感謝しています。過去5年間に75万人以上の人がエホバのクリスチャン証人としてバプテスマを受けましたが,そのうちの9万519人は1974年に開かれた「神の目的」大会中にバプテスマを受けました。この会衆の長老制は,以前の一時的な「会衆のしもべ」制よりも,導きを切に必要としている新しい人々の世話をするのに大いに役立っています。なぜなら,現在幾万もの長老が,群れを助けることに携わっているからです。
2 (イ)この取り決めから会衆はどんな益を得ますか。(ロ)グループで決定を下すことの利点を述べなさい。
2 会衆は,聖書に基づくこの取り決めから幾つかの面で益を得ています。長老の一団がいる場合,会衆のより多くの人々が自分の教える能力を十分に用いるように,自ら進んで行動するように励まされ,またただ一人の人の指導に頼る必要ももはやありません。長老たちの知識や経験が持ち寄られる結果,この取り決めは会衆を富ませる働きをします。すべての長老は他の長老たちから学んで,エホバと会衆に対する彼らの責任をよりよく理解することができます。長老たちが,任命された幾つかの職務を交替で受け持つことはまた責任の重荷のほどよい分担になります。長老団は,種々の問題の判断に平衡を保たせる効果があります。グループで決定を下すのはよけいに時間がかかるように思えるかもしれませんが,そうして下された決定はより強固な基礎を持つので,結局は時間の節約になります。確かに,「勝利は議者の多きによる」です。会衆内の他の人々も,必要とされている特質を養うこと,監督の職を『とらえ』その仕事に参加することを励まされるでしょう。―箴 24:6。テモテ第一 3:1。
3,4 (イ)「主宰の任に当たる」とは文字通りにはどんな意味がありますか。(ロ)広義ではどんな意味がありますか。
3 テモテ第一 5章17節で使徒パウロは,会衆内でりっぱに主宰の任を果たす年長者たちに言及しています。長老はどのように「主宰の任を果たす」のでしょうか。用いられているギリシャ語によると,「主宰の任を果たす」とは,字義通りには,「前に立つ」,導く,司会する,指示する,そして人がある人または物を保護するあるいはかばうためにその前に立つ時のように他の人々の世話をする,という意味です。長老団の中の一人が「主宰監督」に指名されるとはいっても,この聖書的意味においては,全部の長老が主宰の任に当たるべきです。テサロニケ第一 5章12節には次のように示されています。「あなたがたの間でほねおって働き,主にあってあなたがたの間で主宰の任に当たり,あなたがたを訓戒している人たちを重んじなさい」― テモテ第一 3:5。
4 長老たちは文字通り会衆の『前に立ち』,聖書の話を行ない,集会を司会することによって主宰の任を果たしますが,より広い意味においては,会衆全体の利益と,会衆の各成員の霊的利益に心を配ることによって正しい指示や導きを与え,主宰の任を果たします。このことは,彼らが監督兼羊飼いであることと調和します。パウロがヘブライ 13章7節と17節で示している通りです。「あなたがたの間で指導の任に当たっている人びと,あなたがたに神のことばを語った人びとのことを覚えていなさい。そして,その行ないがどのような結果になるかをよく見て,その信仰に倣いなさい。あなたがたの間で指導の任に当たっている人たちに従い,また服しなさい。彼らは言い開きをする者として,あなたがたのために見張りをしているのです。こうしてあなたがたは,彼らがこれを喜びのうちに行ない,嘆息しながら行なうことのないようにしなさい。そのようなことはあなたがたにとって損失となるのです」。
5 (イ)主宰の任を果たすには,長老たちにどんな特質が要求されますか。(ロ)彼らはだれに対して言い開きをする務めがありますか。(ハ)会衆内で顕著な存在はだれだけであるべきですか。
5 羊飼いとして主宰の任に当たっている間,彼らは神の主要な牧者イエス・キリストに言い開きをしなければなりません。ですから彼らは「真剣に」主宰の任を果たさねばなりません。(ペテロ第一 5:4。ローマ 12:8)彼らは他の人々を扱う際にキリストの性格を反映することにより,彼の謙そんさを見倣うことによって,キリストの頭の権に敬意を示します。(マタイ 20:24-28。ヨハネ 13:13-16)長老であるということは,自らを高める理由とはなりません。むしろ「兄弟愛のうちに互いに対する優しい愛情をいだきなさい。互いを敬う点で率先しなさい」。(ローマ 12:3,10)そうすれば,パリサイ人のように自分が有名になることを求めたり,「最も目だつ場所」を自分のものとしておきたがったり,またそれを欲しがったりすることから守られるでしょう。(マタイ 23:6)名声はエホバと,任命された会衆の頭イエス・キリストにのみ帰せられるべきです。ですから長老
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