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山上の垂訓 ―「そこで,あなたがたはこのように祈らねばなりません」ものみの塔 1978 | 11月15日
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設けてくださるのです」― コリント第一 10:13。
(7)「邪悪な者から救い出してください」。(マタイ 6:13後半)これは悪魔が,神の忠実な崇拝者たちを征服することなどお許しにならないでくださいという願いです。(詩 141:8,9と比較してください。)イエスの弟子たちは,そうした請願に答えてくださる神の力に信頼を置くことができます。使徒ペテロは次のように書いています。「エホバは,敬神の専念をいだく人びとをどのように試練から救い出すか(を知っておられるのです)」― ペテロ第二 2:9。啓示 3:10と比較してください。
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覚えていますかものみの塔 1978 | 11月15日
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覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。もしお読みでしたら,たぶん次の点を思い起こされることでしょう。
● イエス・キリストが死人のうちから本当によみがえらされたことを,どんな歴史的な事実が証明していますか。
クリスチャンである500人以上の弟子たちが,復活した神のみ子を目撃しました。(コリント第一 15:6)イエス・キリストが死人のうちからよみがえらされたことを十分に確信した人々は,それが自分の死を意味する恐れのある場合でも,その事実を恐れることなく宣言しました。単なる幻や想像に基づいてこのような信仰を働かせることはできませんでした。その当時は人を欺こうとするどんな試みであれ,あばかれてしまったことでしょう。クリスチャンに敵対する人々は彼らの信用を失わせ,その活動を阻もうとしていたからです。―7月15日号 13,14ページ。
● なぜエホバ神は預言者バラムを通して語ることを選ばれたのですか。
ご自分の民はどんな武器をもってしても征服されないということを証明するのがエホバの目的であったことは明らかです。モアブ人とミデアン人は軍隊の力だけではイスラエル人に勝利を収める望みのないことを悟りました。バラムがイスラエルに威力のある呪いを下すことができると信じた彼らは,この預言者を最強の武器とみなしました。しかしバラムが自分の望みとは裏腹にイスラエル人を祝福させられた時,イスラエル人との戦いは負け戦になることが明らかになりました。―8月15日号 29,30ページ。
● 神のみ名(YHWH)が普通エホバと訳出され,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に現われるというどんな証拠がありますか。
その主要な証拠の出所は,ヘブライ語聖書の最初のギリシャ語訳であるギリシャ語セプトゥアギンタ訳の写本の断片です。四世紀以後,この訳の完全な写本のほとんどが,神のみ名をギリシャ語の“神”とか“主”とかいう言葉に置き換えています。ところがもっと古い断片になると神のみ名がヘブライ語の文字で現われます。入手できる一世紀のセプトゥアギンタの写本の中に神のみ名が見いだされるため,論理的に言って,クリスチャンの聖書筆記者たちは,み名が現われるヘブライ語聖書中の節を引用する場合,そのみ名を用いたに違いないということになります。やがて神のみ名がセプトゥアギンタの写本から姿を消すにつれ,それは明らかにクリスチャン・ギリシャ語聖書からも除かれることになりました。―8月1日号 7-11ページ。
● 聖書の古い翻訳にはのっているいくつかの節が,現代の翻訳では省かれているのはなぜですか。
19世紀から20世紀にかけて,聖書の多くの古代写本が発見されました。これらの写本によって学者たちは聖書本文の元々の読み方を確かめるための注意深い研究が行なえるようになりました。このような学者による研究は,ある単語や句が入手可能な最古の写本に出ておらず,その後の写字生たちによって書き加えられたことを明らかにしました。このゆえに,最近発見された事実を考慮に入れたマスター・テキストが作られたとき,これらの単語や句はその書物の主要な部分から省かれました。現代の聖書翻訳の多くは,この一層正確で洗練された本文に基づいているため,その中には写字生たちの付け足した部分として知られる節が含まれていないのです。―8月15日号 12-14ページ。
● エッサイの長子エリアブが王としてふさわしくなかったことを示したのはどんな点ですか。
確固とした証拠もないのに,エリアブはダビデが邪な動機を抱いていると決めつけました。彼はペリシテ人ゴリアテの嘲笑に対して何も行なわず,エホバに対する信仰の欠如を示しました。エリアブはエホバのみ名が崇められることより,わずかな数の羊の方に関心があったようです。―9月1日号 31ページ。
● アンティオキアのクリスチャンに「心からの決意を抱いてその後も主のうちにとどまるように」と励ましたバルナバは何を意図していたのですか。―使徒 11:23。
彼は仲間の信者が心からその愛全体をもって主イエス・キリストに結びつき続けることを訓戒したのです。これは彼らの人生の唯一の目的となるべきでした。―9月15日号 6ページ。
● イエス・キリストの弟子たちは,いつまたどのように,イザヤ書 61章3節の成就として,「頭飾り」,「歓喜の油」そして「賛美のマント」を初めて与えられましたか。
これは西暦33年のペンテコステの日のことでした。その時,彼らのこうべは神の是認という冠で飾られました。それはまるで慰めの油が彼らのこうべに注がれ,彼らを元気づけて歓喜にまで至らせるもののようでした。彼らはもはや気落ちした霊は持たず,「賛美のマント」を着せられているかのように,エホバへの賛美が彼らを見分けるしるしとなりました。―10月1日号 20ページ。
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読者からの質問ものみの塔 1978 | 11月15日
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読者からの質問
● 第二次世界大戦中にドレスデン,スターリングラード,広島や長崎がひどく破壊されたことを考えると,どうしてイエスは西暦70年にエルサレムに生じた事件を『今に至るまで起きたことがなく,二度と起きないような大患難』と言うことができたのでしょうか。
その預言は,西暦70年にエルサレムとユダヤ人に生じた出来事だけに限らず,その後の時代にも適用するものでした。しかしそのユダヤの都市と国民の歴史にも当てはまるものでした。
この言葉は,イエスの将来の臨在と事物の体制の終結に関する使徒たちの質問に対し,イエスが述べられた預言的な解答の中に含まれています。(マタイ 24:3,21。マルコ 13:19)エホバの証人は,イエスがここで述べた事柄の多くが,二重に成就したことを何度も指摘してきました。つまり最初の限定的な成就は,西暦70年における,ローマによるエルサレムとユダヤ教の事物の体制の崩壊及びそれに至るまでの発展段階において見られました。第二に,そして主だって適用されるのは,イエスがメシア王国の王として目に見えない天の臨在を始められた1914年からで,まだ起こっていない,全世界に広がる邪悪な事物の体制の終わりも含まれます。―「ものみの塔」1970年4月15日号229ページから244ページと「神の千年王国は近づいた」の293ページから332ページをご覧ください。
この預言の中でイエスは,目覚め続け,それに備える必要性を力説してこう語られました。「あなたがたの逃げるのが冬期または安息日にならないように祈っていなさい。その時世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです」― マタイ 24:20,21。
エルサレムとユダヤに居住し,ユダヤ教の事物の体制の終結によって直接に影響を受けようとしていたクリスチャンにとって,目覚めていることは命にかかわる問題でした。ローマの軍隊は西暦66年にその町を包囲したものの,不意に撤退してしまいます。それはイエスがルカ 21章20-22節で語った明確な合図でした。そして歴史の示すところによると,従順なクリスチャンはそれに答え応じてエルサレムの町とユダヤから逃げました。それでイエスが“大患難”に関しその次に述べられた事柄を文字通りのエルサレムの町とユダヤに適用するのは当を得たことでした。
西暦70年,ローマ人によってもたらされた崩壊は,バビロニアが西暦前607年にエルサレムの町を滅ぼした時より広範であると同時に,ひどいものでした。また西暦70年の患難は,ユダヤ人の建てた都市や神殿,またそこを中心として築かれた崇拝の体制を永久的に破壊し,終わりをもたらしました。そういうわけで,西暦70年の出来事を,「世のはじめから今に至るまで[その都市や国家及び事物の体制に]起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」と預言的に描写したイエスは正しかったことになります。
しかしこれにはそれ以上のことが関連しています。わたしたちにも関係があるのです。なぜですか。マタイ 24章21節のイエスの言葉には明らかにより大きな意味があるからです。全地を支配するメシアなる王としてのキリストの目に見えない臨在は,西暦70年に始まったのではありません。イエスご自身,それを期待さえすべきでないと説明されました。弟子たちは一時期,「神の王国がいまやたちどころに出現するものと想像して」いました
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