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中国風の迎春目ざめよ! 1971 | 1月8日
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子どもたちが幸運に恵まれると信じているのです。また,新年の祝いのあいだは,幸運を断ち切ることを恐れて,ナイフとかはさみなどの刃物を使わない人たちもいます。また戸口の上に,幸運を招く札をはる人も少なくありません。
新年のあいだ人々が幸運のことを非常に気にするので,それを巧みに利用している宗教もあります。家によっては,戸口の上や屋内に,ちょうちんをつるします。それには,「万事成功するように」といった,言い古るされた文句がいろいろ書かれています。それらのちょうちんは,道教や仏教の寺院から買ってくるのです。実際のところ香港には,ちょうちんの競売で1年暮らせるだけの基金を集める寺院がたくさんあります。ちょうちんは最高入札者に売られるので,ちょうちんに書かれている文句のとおりの祝福を願う人は,1個に対して100ドル以上払います。
また,新年の祝いのあいだには,運と関係のあるタブーがいくつかあります。一例として,多くの人は祝いのあいだ床をはきません。幸運を家からはきだしてしまうことを恐れるからです。はきそうじはすべて,大みそかまでにすませてしまいます。しかし,どうしてもごみをはかねばならない人は,そのはきかたに気をつかいます。つまり,家から幸運をはき出さないように,内に向けてはくのです。ですから,財神を迎えることから,新年の伝統的なあいさつ,また,床のはき方に至るまで,中国人の新年の祝いには,裕福になりたいという願望があらわに見られます。
まちがった暗示
新しい年が,いっそう大きなしあわせをもたらすことを望むのは,別に悪いことではありません。しかし,しあわせは富とともに訪れるものでしょうか。お金と幸運を重視する中国の新年の祝いはそのことを暗示するものです。けれども証拠は,明らかに,必ずしもそうでないことを物語っています。事実,富はそれ自体悪ではないにしても,裕福になりたいという欲望はたいへん有害です。信頼できる聖書はそのことを指摘しています。「それ金を愛するは諸般の悪しき事の根なり,惑る人々これを慕ひて信仰より迷ひ,さまざまの痛をもて自ら己を刺しとほせり」― テモテ前 6:10。
したがって中国人の新年の祝いは,人々を真の幸福の源に導くものではありません。その源は,お金でもなければ富でもなく,天のまことの神エホバだからです。
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なぜあいさつをしてはならなかったのか目ざめよ! 1971 | 1月8日
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なぜあいさつをしてはならなかったのか
★ 聖書の列王紀略下 4章29節によれば,預言者エリシャが急用でしもべゲハジをつかわしたとき,途中でだれにもあいさつしないように,また,あいさつされてもそれに答えないようにとゲハジに命じたとしるされています。ルカ伝 10章4節によれば,イエスでさえ,70人の人々を伝道につかわしたとき,同様の命令を与えました。それらエホバの忠実なしもべたちは,親切で友好的な態度の持ち主であったことからすると,それはなんと奇異な話ではありませんか。しかし,そうした命令の背後にある理由を理解するには,聖書の土地に見られた種々の習慣を考慮しなければなりません。
中東の人々のあいさつには,かなりの時間がかかる場合があります。ふたりの友人が会うと,おじぎをし,互いに相手がさいわいな暮らしをしているかどうかに関し,身ぶり手ぶりをまじえながら再三ことばをかわします。そうした型どおりの最初のあいさつだけでも,数分かかるでしょう。そのうえ,さらに,他のあいさつのことばを付け加えたり,種々のたよりを長々と交換したりして,会話を続ける場合がよくあります。それには半時間かかることさえあるのです。それで,前述の神のしもべたちは,緊急な仕事をしようとしていたやさきだったので,そうした長いあいさつをかわすために立ち止まってはならないと戒められたのです。
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