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  • 求愛期間を誉れあるものに保つ
    ものみの塔 1974 | 4月1日
    • 求愛期間中は身体的接触をいっさい厳重に慎むことを好むかもしれません。そうした良心的な態度はだれも軽べつしたり,軽視したりすべきではありません。―ローマ 14:5,10,22,23。

      せっぷんも,結婚を考えている人たちの間の清い愛情の表現かもしれません ― あるいはそうでないかもしれません。実際に問題は,情欲がどの程度入り込んでいるかということです。ある種のダンスは清いもので情欲とは無関係ですが,そうでないダンスもあります。せっぷんについても,あるいは抱擁についてさえも,同じことが言えます。しかしたとえ清いものであっても,そうした表現はいずれも新しい線を越えていることを表わします。求愛期間の初めのころに ― もしかしたら婚約する前に ― それらの線を越えるなら,そのためにふたりの関係は情欲を満たすだけのものに堕落し,淫行とまではいかなくとも,汚れた行ないをするようになるかもしれません。―コロサイ 3:5,6。

      わたしたちは自分について正直であるべきです。そういう事がらに対する強い自制力が自分にないことを知っているなら,冒険をして自分と相手の将来を危険にさらすべきではありません。ブレーキの調子が悪いことを知っているなら,その自動車で曲がりくねった急坂を降りるようなことはしないはずです。こうした問題にかんして決意をし,心を定める時は,事を始める前であって始めた後ではありません。いったん肉体的欲望が起きはじめると,その増大を制止するのは非常にむずかしいのが普通です。(ヤコブ 1:14,15)結婚によってその資格を得てもいないときに,性関係を望むまでに情欲をつのらせる人は,緊張感,欲求不満,実際の痛みなどに悩まされます。それは,非常におもしろく読んでいた本の最後の一章が破れてなくなっているのを発見する時の気持ちに似ています。

      求愛期間中の関係を高いレベルに保つ人たちは,ひん度と熱烈さが徐々に増す親密な交際によってふたりの関係のレベルを下げてゆく人たちよりも,結婚においてはるかに良い出発をします。『いつも撃退』しなければならない相手に,女性はどれほどの敬意がいだけるでしょうか。しかし,強い意志力と礼儀正しい慎みを示す若い男性は尊敬されます。女性についても同じことが言えます。そして女性はとくに次のことに気づく必要があります。つまり,女性の場合は感情が高ぶるまでに時間がかかるかもしれませんが,男性の場合にはそういうことはまずないということです。―箴言 25:28。

      ひんぱんな,そしてしだいに熱烈さを増す愛情の表現に屈するなら,早まった結婚をする結果になりかねません。「思春期と青少年」という本(288ページ)は次のように述べています。「求愛期間の初期は,とほうもなくロマンチックである場合が多い。その時期に結婚すると,どんな結婚でも実現させることができないことをその結婚に期待するようになるかもしれない。求愛期間が長ければ,相手に対してもっと無理のない理解が生まれるのが普通であるから,理解のある結婚となるだろう」。そのように求愛期間を長くするなら,自制心を働かせることが必要です。さもないと,性衝動の力が早くから実際に危険なほどに強くなるかもしれません。―コリント第一 9:27とくらべてください。

      また,求愛期間,あるいは婚約期間を情欲の色彩の濃いものにすると,結婚したのちに,深刻な疑問や疑惑が生まれる可能性があります。わたしたちはほんとうに愛し合っているから結婚したのだろうか,それともただ情欲のとりこになっただけだろうか,賢明な選択だっただろうか,といったことをふたりは考えはじめるかもしれません。女性のほうはまた自分に対する夫の愛の純粋さを疑い,夫はわたしという人間を求めて結婚したのでも,また今結婚しているのでもなく,ただわたしの肉体を求めて結婚したのではないだろうか,と考えるようになるかもしれません。

      あなた自身とあなたの将来の幸福を守るために,情欲を刺激するような状況を避けてください。(詩 119:101,104)淋しい場所や暗いところは,求愛期間を誉れあるものに保つ助けにはなりません。またたいくつで,問題の愛情の表現をする以外には何もすることがないような状況もやはり同じです。しかしアイス・スケート,テニスその他のスポーツや,レストランでいっしょに食事をしたり,博物館を見学したり,近くの名所や景勝地を尋ねたりすることからも,多くの清潔な楽しみを味わうことができます。周囲に知人がいないために,ある程度のプライバシーを楽しみますが,他の人びとの目が全くないわけではないのでやはり安全です。

      また,自制することによって自分が「逃がしている」もののことばかり考える代わりに,将来のために準備している事がらについて考えてください。そうすれば,将来ずっと求愛期間を楽しく回顧することができ,いやな思いや後悔をすることはないでしょう。―ローマ 13:13,14。

      確かに求愛期間は,あなたがどんな人であるか,あなたの心の中に何があるか,どれほど良心的であるかをためすものとなります。神のことばは,この問題のすべての面に明確な線を引いてはいません。しかし神のことば聖書にしるされている健全な原則,賢明な助言,役だつガイドラインは,わたしたちが平衡を保ち,清くて道徳的に健全な事がらの範囲内にとどまるのに十分助けとなります。それに従えば,未来の配偶者に対する愛情の表現は,感情的にも霊的にも,相手の害となることはないでしょう。それでもしあなたが求愛期間にはいるようなことがあるなら,それをぜひとも誉れあるものに保ってください。あとになってあなたはそうしたことをうれしく思うでしょう。

  • ベトナムにおける良いたよりの伝道
    ものみの塔 1974 | 4月1日
    • ベトナムにおける良いたよりの伝道

      ベトナムには,現在,神の王国の良いたよりを宣べ伝える90人のエホバの証人がいます。わずか5人のエホバの証人がエホバの王国を知らせていた1957年当時のことを考えると,これは大きな喜びです。この進歩は何の障害もなしに遂げられたわけではありません。というのは,1939年以来この国は平和というものを知らないからです。ベトナムでは,わずか一日の平和な日をさえ知らずにその短い生涯を終える人も少なくありません。聖書の真理を受け入れたために,かなりの数の献身した兄弟姉妹が仏教徒やカトリック教徒の親に家を追われました。他の人々は宗教的に分裂した家庭の中にあってエホバに対する忠誠を保っています。ここベトナムのエホバの証人は,アジアの他の地域のエホバの証人と同じように,業の進歩が他の国々ほど速くはないことに気づいています。しかし,エホバのみ名をたたえ,王国の良いたよりを宣明するために,可能な限りの努力が払われています。―エホバの証人の1974年度年鑑より。

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