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  • 憎しみがこれほどはびこっているのはなぜか
    目ざめよ! 1984 | 9月22日
    • 憎しみがこれほどはびこっているのはなぜか

      世界は憎しみの波に洗われています。無力な婦女子が大量虐殺されたというような事件を耳にすることもあるでしょう。公共の場所で爆弾がさく裂し,見るも無惨な修羅場と化すこともあります。あるいは,次のような記事を読むこともあるかもしれません。

      「だれもが憎しみを抱いていて,相手かまわず人を殺す態勢にある。レバノンで起きている事柄は,人類全体に臨む事柄の兆しのように思えて恐ろしくなることがある」。ノーベル賞受賞者のアイザック・バシェビス・シンガーはこのように慨嘆し,さらに,「我々が陥っているどん底状態に戦りつを覚える」と述べています。―US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌,1983年12月19日号。

      「石油で潤った,インドのアッサム州では,4年の間不満がくすぶり,1か月ほどの間暴力行為が増していったが,共同社会間の憎しみと宗教間の憎しみがついに爆発した」― タイム誌,1983年3月7日号。

      「ベルファスト西部は戦闘地域である。建物が破壊されて不気味な廃虚と化した所を二分して,鋼鉄とコンクリートのグロテスクな“平和ライン”が走っている。……それらのビルに身を潜める,[様々な政治的主義主張を持つ]テロリストたちは,アイルランド史という同じ毒された井戸でいわばのどをうるおし,自分たちの憎しみを新たなものにしている」― ナショナル・ジオグラフィック誌,1981年4月号。

      憎しみは人間社会のガンのようなものです。わたしたちは過去の野蛮な状態からは遠く離れた,啓蒙された世界に住んでいることになっています。しかし,聖書筆者がかつて述べた,「憎しみは争いをかき立てる」という悲しむべき真実を裏付ける証拠が社会のあらゆる階層に見られます。―箴言 10:12,改訂標準訳,カトリック版。

      誤った情報を氾濫させる宣伝家たちは闘争や争いを引き起こします。惑わされた人々は盲目的な憎しみに駆り立てられて,非道な暴力行為に訴えるかもしれません。もっともに思えるような不満が火に油をそそぐ結果になることも少なくありません。しかし,憎しみが引き起こす偏見や暴力の犠牲になる数知れない人々の失意,絶望感,苦もんなどを見ると,心痛を覚え,『なぜだろうか。憎しみがこれほどはびこっているのはなぜだろうか。憎しみをなくすことはできないものだろうか。この世界から憎しみが完全になくなることがあるのだろうか』という疑問がわくかもしれません。

  • 憎しみの犠牲者に差し伸べられている希望!
    目ざめよ! 1984 | 9月22日
    • 憎しみの犠牲者に差し伸べられている希望!

      憎しみが全世界からぬぐい去られる時は必ず到来します。しかし,それがどのようにして可能になるのかを調べる前に,(1)憎しみを引き起こすものは何か,また(2)憎しみを除き去るためにはどうしたらよいかを知らなければなりません。

      もちろん,“憎む”とか“嫌う”とかいう言葉はしばしば無造作に使われます。幼い子供は顔をしかめて,「肝油なんて大嫌いだ!」と言って騒ぎます。それも,仕方のないことだと思えるかもしれません。しかし,ここで今考慮しているのは,その種の憎しみではありません。

      憎しみを引き起こす今日の争いや心痛は,非常に激しい,しかもしばしば悪意に満ちた敵対行為や敵意です。それはある民族に対する積年の恨みであることもあります。この種の憎しみは焼き尽くす火のようなものになります。制御されなければそれが破壊的なものになり得ることは,だれもが知り過ぎるほど知っています。

      憎しみを引き起こすのは何か

      一つの点として,年若い人々に歴史を教える方法によっては,ある国民や民族に対する人々の見方全体がゆがめられることがあります。家庭での影響も一役買っていることが認められています。別の人種や民族についての偏見に満ちた言葉を無視することは子供たちにはとてもできません。あるアイルランド人が英国人に対して抱いている見方,およびある英国人がアイルランド人に対して抱いている見方を見ればよく分かるはずです。

      宣伝家もやはり一役買っています。老若を問わずどんな人の考え方も自分の聞く事柄の影響を受けるものです。例えば,政治宣伝に耳を傾けていると,ある民族を憎むようになるかもしれません。それは,人の思考を操る巧妙な人々のせいでその民族を誤った型にはめて見るようになるからです。これは戦時中によく見られることです。この点に関して,J・A・C・ブラウンは「説得の技術」という本の中で,「戦争宣伝の場合のように,別のグループに対する……強い憎しみの感情をかき立てようとしているにすぎないことがかなりある」と書いています。そのような宣伝にはどの程度の効果があるでしょうか。ブラウンは,それが「敵に対する誇張された憎しみに結びつくだけでなく,自分たちも残虐な振る舞いをした場合に自らの罪悪感を和らげる」と述べています。

      ほかにも憎しみの原因を幾つか思い出せるでしょう。しかし,読者も他の心ある人々と同様,これほど多くの苦しみを引き起こしている元凶をなくすためにはどうすればよいかということのほうにはるかに大きな関心を抱いておられるでしょう。では,そのことについて考えてみましょう。

      どうすればよいのか

      当然のことながら,一人の人間が世界を変えることはできません。しかし,宗教は様々な種類の憎しみをなくす面で優れた影響力となるように思えるかもしれません。では,その点について少し考えてみてください。宗教的な偏狭はしばしば憎しみを助長してきたのではありませんか。少なくとも,世界の諸宗教は人類社会の上に垂れ込めているこの暗い影をぬぐい去ることに大して成功してはいません。レバノンや北アイルランドで異なった宗旨の党派が戦い合っていることを考えてみるとよいでしょう。興味深いことに,18世紀の著述家ジョナサン・スウィフトは,「我々には憎しみを宿すのに丁度よい程度の宗教があるが,愛し合うようになるには不十分である」と言いました。

      とは言っても,宗教は憎しみを一切非とするよう教えるべきだというわけではありません。聖書は,「何事にも定められた時がある。……愛するのに時があり,憎むのに時がある」と述べています。(伝道の書 3:1,8)しかし,これは敬虔な憎しみです。正しく制御されたこの感情は保護ともなり得ます。神が邪悪な事柄を憎んでおられることは明らかです。そうした事柄を憎むのは,神の僕たちにとっても正しいことです。詩編作者は,「エホバを愛する者たちよ,悪を憎め」と述べています。―詩編 97:10。

      しかし,悪意に満ちた憎しみとなると話は別です。どうしたらそうした憎しみを避ける,あるいは除き去ることができるでしょうか。では幾つかの点を吟味してみることにしましょう。

      その源を考慮する。基本的に言って,盲目的な憎しみは人間の不完全さの所産です。クリスチャン使徒パウロは次のように書きました。「さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意[憎しみ,欽定訳],闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません」。(ガラテア 5:19-21)敵意,つまり憎しみは,闘争や口論と共に,「肉の業」とされ,その種の業は人を神の王国から締め出すものとなります。

      ですから,天からの祝福を切望する人は自分の心の中から間違った憎しみを払いのけなければなりません。では,どうしたらそれができるようになりますか。

      自分の思いを守る。この破壊的な感情から自分を守り,生活からその種の感情をなくしてしまうには,自分の思いをどんなもので養うかに用心しなければなりません。当然のことながら,正当と思われる不満の種がある場合や,何らかのひどい不公正が行なわれている場合,あるいは自分の権利が踏みにじられている場合,自分の思いを守るのは容易なことではありません。しかし,そのような事柄を気に病み,ガンにも似た憎しみが自分の内面をむしばむにまかせるなら,自分で事態を悪化させているにすぎないということを覚えておかなければなりません。言うまでもなく,自分の思いを養う事柄に用心すると口で言うのは簡単でも,それを実際に行なうのは難しいものです。しかし,幾つかの積極的な措置を取ることができます。まず,憎しみをあおる人々の片寄った話に耳を傾けないようにすることができます。しかし,そのほかにどんなことができるでしょうか。

      積極的な考え方をする。これには,苦々しい感情に換えて,築き上げる,建設的な感情を抱くことが関係しています。使徒パウロはそのことを次のように言い表わしています。「終わりに,兄弟たち,何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい」。(フィリピ 4:8)優れた助言です! しかし,積極的な考え方のほかにまだ必要なものがあります。これは,何らかの善を実際に行なう筋に信頼を置くことも関係しているのです。

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