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わたしたちは,『終わりまで耐え忍ぶ』ことができますものみの塔 1983 | 3月1日
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ここで引用したことがただの辛苦だったとするなら,パウロは恐らく下痢のような病気のため,あるいは宣教期間中に経験した窮乏のためでしょう,自分の意志とは無関係に食物を取らずにすませた,と述べていることになります。(コリント第二 6:5と比較してください。)もとより,パウロがある宣教旅行を始めた時,食物や水が乏しく,手に入りにくいことは十分承知していたことでしょう。しかしパウロは,このことによって,キリスト教の関心事を広めることを思いとどまりませんでした。―フィリピ 4:12。
19 どんな状況のもとでパウロは「寒さと裸」を経験したかもしれませんか。
19 寒さと裸を経験しました: 同使徒は寒さや,「裸」つまり「露出」に近い状態という辛苦をも耐え忍びました。(新英訳聖書)しかしパウロは,怠惰のゆえに『着る物に乏しい』ことはありませんでした。自分の必要を賄うために働いたのです。(コリント第一 4:11,12。使徒 20:33,34と比較してください。)「寒さと裸」は,迫害に遭って十分な衣服もなく,悪天候の中を旅行し,あるいは困難な状況のもとで宣教に携わっていた時に同使徒が耐え忍んだ辛苦でした。
『終わりまで耐え忍びなさい』!
20,21 (イ)パウロが力の面で際立った人物であったと言えないのはなぜですか。(ロ)今日のエホバの証人はどのような面で使徒パウロと似ているかもしれませんか。
20 使徒パウロの労苦,苦しみ,旅行,危険,そして様々な辛苦の一部を考慮して,ある人はパウロを力の面で際立った人物であるとみなすかもしれません。ところがパウロはわたしたち一人一人と同じように不完全な人間でした。(ローマ 7:21-25)実際のところ,コリントの敵対者たちはパウロを見下してこう言っています。「彼の手紙は重々しくて力強いが,身をもってそこにいる様は弱々しく,その話し方は卑しむべきものだ」。(コリント第二 10:10)その上,パウロは「肉体に一つのとげ」を与えられていました。これは眼の病であったと思われます。―コリント第二 12:7。使徒 23:1-5。ガラテア 4:15; 6:11。
21 同様に,現代のエホバの証人であるわたしたちは,神に喜んでいただこうと熱心に努力はしますが,パウロと同じように不完全です。(コリント第一 9:24-27)たとえわたしたちが仲間の人間の霊的な福祉に深い気遣いを示したとしても,この世はある人々が使徒パウロを見下げたように,わたしたちを見下げます。(マタイ 22:39)パウロのようにわたしたちの多くは何らかの病気を持っています。しかしこのことは,わたしたちを神の力に一層頼らせ,神の力は,わたしたちが宣べ伝える人の中で,わたしたちの弱さにおいて特に明らかにされます。―コリント第二 12:7-10。
22 (イ)「義のために」苦しみを受けることが求められる場合,わたしたちはエホバからどのように慰められますか。(ロ)どのようにしてのみ,わたしたちは「終わりまで耐え忍ぶ」ことができますか。
22 エホバの不完全ながら忠実な僕としての死に至るまさにその時まで,上からの力がこの使徒を支えたことに疑問の余地はありません。(コリント第二 4:7。テモテ第二 4:6-8)その点と比較して,わたしたちがこの邪悪な事物の体制の「終わりまで」,あるいは忠実のうちに遂げるわたしたちの死に至るまで「耐え忍ぶ」ことができるのは,ただ神の力によります。(詩編 29:11。マタイ 10:28; 24:3,13。マルコ 13:13)たとえわたしたちが「義のために」苦しみを受けることを求められたとしても,エホバの聖霊により,エホバの貴い約束により,そしてわたしたちの祈りに対するエホバの答えにより,わたしたちは大きな慰めを得ます。このような事柄は,「すべての慰めの神」がわたしたちと共におられるという確信を与えてくれます。使徒パウロと同じように,わたしたちは「困惑させられながらも,逃れ道が全くないわけではなく,迫害されながらも,見捨てられているわけではなく,倒されながらも,滅ぼされているわけではありません」と言えるでしょう。(コリント第二 4:8,9)わたしたちの神は,迫害や辛苦に直面しても恐れずに良いたよりをふれ告げるよう力を与えてくださいます。そして確かに,エホバの力においてわたしたちは「終わりまで耐え忍ぶ」ことができます。
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前進するエホバの組織 ― あなたはその組織と共に前進していますかものみの塔 1983 | 3月1日
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前進するエホバの組織 ― あなたはその組織と共に前進していますか
クリスチャン・ギリシャ語聖書を読んで,クリスチャンが崇拝のために組織されていたことに感銘を受けずにはいられないはずです。彼らは,特に,神の王国の良いたよりを宣べ伝え,広めるために組織されていました。
現代の歴史家H・G・ウェルズは初期のキリスト教についてこう述べました。「唯一の組織は説教者の団体であり,その主な仕事は説教であった」。確かに,使徒ペテロもこう述べています。「この方[イエス・キリスト]は,民に宣べ伝えるように,そして,……徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました」― 使徒 10:42。マタイ 28:18,19。
では,わたしたちの時代,すなわちこの事物の体制の「終わりの日」における宣べ伝える業についてはどうでしょうか。(テモテ第二 3:1-5)イエス・キリストはこのように予告されました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)ですから,この事物の体制の終わる前に,全世界で大規模な宣べ伝える業がなされねばなりません。どんな組織がそれを行なっていますか。
実際のところ,この王国を宣べ伝えるために世界的に組織されている人々の集団はただ一つしかありません。それはエホバの証人です。彼らの伝道活動は全地に及び,206の国でなされています。1981年には,236万1,896人のエホバの証人がこの業に携わりました。これは,ほんの10年前の王国宣明者の数を75万人も上回っています。
拡大の一途をたどる宣べ伝える活動についてゆくため,エホバの証人は過去2年間だけでも,聖書文書を印刷する新しい工場を20ほど建てたり建て始め
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