-
会衆内でエホバの優しい愛情に答え応じなさいものみの塔 1973 | 6月1日
-
-
に進歩していない人びとをもわたしたちは神の見地から見なければなりません。そのようなやや進歩のおそい人びとを重要でないと考えるのは,まちがった人間的な考えです。神はそういう人たちに関心を持っておられ,価値のある方法でその人たちをお用いになることができますし,また現に用いておられます。
23 (イ)だれがだれを助けるべきですか。(ロ)ヤコブに共鳴して,わたしたちはみな何が真実であることを知りましたか。
23 ですから,このような正しい見方をもって,謙そんな人びとも他の人びともみな,お互いに助け合いましょう。このことには,年の若い,文字通りの子どもたちを助けることも含まれています。また,年を取った人,からだの弱い人,そして劣等感を感じているかもしれない人なども援助すべきです。謙そんな人びとが,エホバの愛情深い備えに答え応じて,エホバの民の会衆の組織に支持と力を与えるとき,すべての人が彼らから霊的な益を受けることができます。この点で会衆での交わりや個人的な交わりは貴重なもので,すべての人に,『神は劣れるところに殊に尊栄を加えて人のからだを調和したまえり』という聖書のことばの真実さを実感させます。(コリント前 12:24)確かにエホバのしもべたちはみな同じように,聖書の記述者ヤコブのことばに共鳴するでしょう。彼は言いました。『なんじらヨブの忍耐を聞けり,〔エホバ〕の彼に成し給いし果を見たり,すなわち〔エホバ〕は慈悲ふかく,かつあわれみあるものなり』― ヤコブ 5:11,〔新〕
-
-
エホバの新しい体制について教えるものみの塔 1973 | 6月1日
-
-
エホバの新しい体制について教える
● アルゼンチンのチャコ州でわざの興味深い面は,森林を伐採する野営で公開講演を行なうことです。こうした野営は密林のまん中にあり,きこりたちが住む不安定な小屋や差掛け小屋から成り立っています。中には小じんまりしたテントを張ったり,ハンモックをかけたりして生活する人がいます。私たちはこうした野営を訪れ,ある日時に予定されている聖書の無償の講演会に彼らを招待したものです。もちろんそれは,いつも就労時間の終わった夜に行なわれました。このようにして人びとは仕事から帰って,少しばかり汚れを洗い落とし,マテ茶をいっぱい飲む時間があります。もう一つの経験は,私たちが滞在していたクリスチャン兄弟の家からの旅にかんするものです。私たちは夜の集会のためにカンテラを持って行きました。また時には,土地を仕切ってある有刺線の塀のわきを一列になって通ることもありました。私たちのうち,この冒険から無きずで帰宅した者はまれであり,シャツやからだは有刺線のそばを通ったことを表わし示しました。しかし障害はこれだけではありませんでした。午後のこの時刻になるとヘビが出てきて,道路沿いに寝そべっていることがあります。まちがってその上を踏もうものなら命とりになりかねません。集会場所への私たちの到着は風変りです。ここではなんの儀式もなく,ただ何人かの人とあいさつを交わし,風雨や労働で手の荒れた人と握手をし,それからカンテラをつりさげるための木を探します。講演者が筋書きを置くスタンドや演壇や扇風機はありません。人びとは地面や箱の上にすわったり,しゃがんだり,木にもたれたり,めいめい思いどおりにしました。私はより明るい場所を求めて,カンテラの下に立つという失敗を一度しました。私は,自分にではなく,光に関心のある何百ぴきもの虫に見舞われたのです。私たちが,日光や風雨によって皮革のような色に日焼けし,言うに言われない疲労をのぞかせているそれらの人たちに向かって話している時でも,それらの人が約束されている新しい体制のことを学んでうれしそうにほほえみを浮かべるのを見るのはすばらしいことです。講演は終わりました。そして再びみなとあいさつを交わしてから,『行って,弟子を作りなさい』というイエスのご命令の成就にあずかれたことの喜びを味わいながら,星の輝く夜空の下,徒歩で家に帰ったものです。―1972年エホバの証人の年鑑より。
-