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    ものみの塔 1983 | 3月1日
    • 「すべての慰めの神」はわたしたちと共におられる

      『すべての慰めの神がほめたたえられますように。神はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださるのです』― コリント第二 1:3,4。

      1,2 コリント第二 1章3-7節で使徒パウロは患難にある時の慰めについて何と述べましたか。

      エホバは「すべての慰めの神」であられます。使徒パウロは個人的な経験を通してそのことを知りました。そのためパウロは,仲間のクリスチャンたちを励ますために人を勇気付ける次のような言葉を書き記しています。

      2 『優しい憐れみの父またすべての慰めの神がほめたたえられますように。神はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださるのです。……さて,わたしたちが患難にあるとしても,それはあなた方の慰めと救いのためであり,また慰められつつあるとしても,それもあなた方の慰めのためであって,わたしたちも苦しむ同じ苦しみをあなた方に忍耐させる働きをするのです。こうして,あなた方に対するわたしたちの希望は揺るぎません。あなた方が苦しみを分け合う者となっているのと同じように,慰めをも分け合う者となることを知っているからです」― コリント第二 1:3-7。

      3 (イ)パウロがエホバを,「すべての慰めの神」として知っていたのはなぜですか。(ロ)仲間のエホバの証人たちはどんな根拠に基づいて慰めを受け,患難を耐え忍ぶよう励まされますか。

      3 確かにパウロは,エホバが「すべての慰めの神」であられることを知っていました。パウロは特に自分が「義のために」苦しみを受けていた時,天の父が慰めに満ちた,優しく憐れみ深い仕方で自分を扱ってくださるのを経験しました。(マタイ 5:10と比較してください。)ですから使徒パウロは,他の人々を慰め,患難を耐え忍ぶよう励ますことができました。患難を耐え忍んできたエホバのクリスチャン証人は,忠実さと,エホバへの信頼を表明することとに関する模範を示すことにより,仲間の信者たちが神に忠実であり続けるよう促す励ましを与えます。そしてパウロは苦しみを耐え忍ぶことにおいて模範的でした。

      忠実な忍耐の記録

      4,5 (イ)パウロがコリント人への第二の手紙を書いたのはいつですか。(ロ)パウロはどのような点でコリントの「優秀な使徒たち」と同等でしたか。しかしどのような点で彼らより勝っていましたか。

      4 西暦55年ごろ,パウロはコリントの町のクリスチャンたちに霊感による2番目の手紙を書き送りました。コリントの町でパウロは,彼が皮肉をこめて「優秀な使徒たち」と呼んだ人々からの反対を受けました。パウロは自分のためではなく,「神のため」,つまりエホバに属する会衆を救うため勇敢に自分の使徒としての立場を擁護しました。(コリント第二 11:5,12-14; 12:11; 5:12,13)使徒パウロは自分が系図上は敵対者たちと同等であることを示してから,「キリストの奉仕者」としての労苦,苦しみ,旅行,危険,辛苦の点では彼らより勝っているということを指摘しました。こう書いています。

      5 「彼ら[パウロの敵対者たち]はキリストの奉仕者ですか。わたしは狂人のように答えます。わたしはその点はるかに際立った者です。その労苦はさらに多く,獄に入れられたこともさらに多く,殴打を受けたことは過度に及び,死にひんしたこともしばしばでした。ユダヤ人たちからは四十より一つ少ないむち打ちを五回受け,三度棒むちで打ちたたかれ,一度石打ちにされ,三度難船を経験し,一昼夜深みで過ごしたこともあります。幾度も旅をし,川の危険,追いはぎの危険,わたし自身の民族からの危険,諸国民からの危険,都市での危険,荒野での危険,海での危険,偽兄弟たちの間での危険に遭い,労し苦しみ,眠らぬ夜を幾度も過ごし,飢えと渇きを知り,食物を取らないことが何度もあり,寒さと裸を経験しました」― コリント第二 11:21-27。

      6 (イ)コリント人への第二の手紙を書く前の,パウロのクリスチャンとしての人生について幾らかの特色を示す記録は,どこに見いだせますか。(ロ)忠実な忍耐に関するパウロの記録を振り返ることから,わたしたちはどんな益を得ますか。

      6 聖書の「使徒たちの活動」の書(9章3節から20章4節あたりまで)には,クリスチャンになってからコリント人への第二の手紙を書くまでのパウロの人生における前述の特色の幾らかが示されています。では,パウロの忠実な忍耐の記録を振り返ってみましょう。それは,「すべての慰めの神」がわたしたちと共におられるという確信を持って患難を耐え忍ぶようわたしたちを励ますものとなるはずです。

      『労苦と投獄はさらに多い』

      7 (イ)「その労苦はさらに多く」というパウロの言葉はどんな業のことを言っていますか。(ロ)エフェソス会衆の「年長者たち」に対する同使徒の言葉によると,パウロはどのように自分の奉仕の務めを果たしましたか。(ハ)良いたよりと王国の関心事のために熱心に労苦するようパウロを鼓舞したものは何ですか。

      7 その労苦はさらに多く: 「良いたより」の宣明者としてパウロは自分の敵対者たちより「一層骨折って働きました」。(コリント第二 11:23,今日の英語聖書)より長い期間,また非常に難しい区域でしばしば宣べ伝える業に携わったことは言うまでもありません。例えば,異教の女神アルテミスが崇拝され,パウロが暴徒の行動の犠牲となったエフェソスでは,奉仕の務めにおける,また仲間の信者たちの益を図るパウロの努力は非常に精力的なもので,それが悲痛なものになったこともありました。しかし立派な霊的な実が結果として生じました。後にパウロは,エフェソス会衆の「年長者たち」に適切にもこう言うことができました。「わたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした。むしろ,神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に証しをしたのです」。(使徒 20:17,20,21,31; 19:1-41)したがって,今では長老となっていたこれらの人々がクリスチャンになる前,使徒パウロは既に「家から家に」宣べ伝える活動においてキリスト教の基本的な真理を彼らに教えていたのです。良いたよりを広める面で,また王国の関心事を促進する面で熱心に労苦するようパウロを鼓舞したのは,パウロの心に働きかけたエホバの言葉とその聖霊でした。(イザヤ 61:1,2。ローマ 10:8-10)こうした熱心な活動において,この使徒は20世紀のクリスチャンに対する優れた模範となりました。

      8 (イ)パウロが,「優秀な使徒たち」より「獄に入れられたこともさらに多く」と言えたのはなぜですか。(ロ)フィリピで投獄されていた時,パウロとシラスはどんなことに慰めを見いだしたと思われますか。そして地震によって解放された時,二人は何を行ないましたか。(ハ)フィリピにおけるパウロの獄での経験から,どんな励ましを得ることができますか。

      8 獄に入れられたこともさらに多く: 西暦1世紀の終わりごろに著作活動を行なっていたローマのクレメンスによると,パウロは7回投獄されたことがあるとのことです。コリント人への第二の手紙を書く前に,パウロは既に「優秀な使徒たち」よりひんぱんに獄に入れられていました。「使徒たちの活動」の記録は,そうした投獄のうちの一つ ― マケドニアの都市フィリピでの出来事を述べています。明らかに,パウロとシラスは「義のために」苦しみを受けることを喜びました。投獄されている時に二人は神に祈り,歌によって神を賛美したからです。聖書について思いめぐらすことにより,また神が自分たちの祈りを聞いてくださり,その祈りを聞き届けてくださることが分かっていたので,二人は慰めを得ました。(詩編 65:2; 119:52)地震によって解放された二人は,すぐに逃げ出すのではなく,「エホバの言葉を[牢番]に,またその家にいるすべての者に語った」のです。その結果はどうなりましたか。牢番とその家の者がクリスチャンになりました。(使徒 16:16-40)確かにこの記述は,敬虔な喜びを持って迫害を受け入れ,よく祈り,神の言葉について黙想し,神の言葉について大胆に語るよう投獄されている今日のエホバの証人たちを励ますものです。―使徒 4:29-31。

      打ちたたかれても,死にひんしてもひるまない

      9 「殴打を受けたことは過度に及び」という言葉は何を意味していますか。

      9 殴打を受けたことは過度に及び: パウロは過度に打ちたたかれました。パウロはしばしば「死の戸口に」いたとも述べられています。(23節,20世紀新約聖書)これは,打ちたたかれているある時に殴打が余りにもひどかったため,パウロが打ちたたかれて死んだも同然の状態になったことを意味しているのかもしれません。

      10 (イ)パウロはどのように,『しばしば死にひんする』経験をしましたか。(ロ)「死の戸口に」いた時,この使徒を支えたものは何だと思われますか。

      10 死にひんしたこともしばしばでした: これは必ずしも,打ちたたかれるある特定の状況だけに関係したものではないでしょう。同じ手紙の前の方でパウロはこう述べました。「わたしたちは常に,イエスに加えられた致死的な仕打ちを,自分たちの体のいたるところで耐え忍んでいます」。(コリント第二 4:10,11)同使徒は,ダマスカス,ピシデアのアンティオキア,イコニオム,ルステラ,テサロニケ,そしてベレアで,命を脅かすような危険に直面し,死をもたらすような苦痛さえ味わいました。(使徒 9:23-25; 13:49-51; 14:1-6,19,20; 17:1,5-9,13,14)実際,パウロが『エフェソスで野獣と戦ったこと』について述べていることからすると,パウロはローマで行なわれていた競技の致死的な危険にさらされていたのかもしれません。(コリント第一 15:32。使徒 19:23-41; コリント第二 1:8-11と比較してください。)自分の命がこれほど幾度も危険にさらされたので,この使徒は確かに「わたしは日ごとに死に面している」と言うことができました。(コリント第一 15:31)何度も「死の戸口に」いた時にこの使徒を支えたのは,エホバの聖霊の助けと,神の貴い約束に対するパウロの信仰であったことに疑問の余地はありません。―コリント第二 1:20-22。

      11 ユダヤ人がパウロを打ちたたいた行為はどんな性質のものでしたか。

      11 ユダヤ人たちからは四十より一つ少ないむち打ちを五回受け: パウロは,「義のために」五回打ちたたかれるという経験がユダヤ人によるものであることを示しました。恐らく彼らの会堂でそうした仕打ちを受けたのでしょう。(24節。マタイ 10:17)モーセの律法は棒や棒むちによって打ちたたくことを規定しており,裁き人が悪行の程度に応じ,むち打ちの数を決定しました。しかし,その罰は情け深くも40回のむち打ちに制限され,ユダヤ人たちは間違って法的な限界を越えてしまうようなことを避けるため,それを39回に減らしました。(申命記 25:1-3)このように打ちたたかれることは大きな苦痛を伴いました。しかし「すべての慰めの神」は,忠実な忍耐をもってこの仕打ちを忍べるようにパウロを強められました。

      12 (イ)「三度棒むちで打ちたたかれ」と述べたとき,パウロはどんな仕打ちのことを述べたと思われますか。(ロ)どのような助けがあると,「義のために」打ちたたかれることを耐え忍べますか。

      12 三度棒むちで打ちたたかれ: このように三度にわたってひどく打ちたたいたのは,棒むちを身に帯びていたローマの役人だったようです。(25節)棒むちによって打ちたたくことは,打ちたたかれる人の外衣をはぎ取ってから行なわれました。パウロはローマ市民だったので,そのように打ちたたかれることを法的に免除されていました。しかしそれもパウロとシラスを救うことにはならず,二人はフィリピにおける良いたよりの宣明者として投獄される前に「何度も殴打」されました。(使徒 16:19-24,33,35-40)このように打ちたたくことは極めて残虐なものとなり得ましたが,神の霊の助けにより,パウロは「義のために」受けるこの厳しい仕打ちを忠実に耐え忍びました。現代の多くのクリスチャンも,それに匹敵するような身体的な虐待をものともせず,神からの同様な支えを得て,神に対する忠誠を保ってきました。

      13 パウロはどこで石打ちにされましたか。しかしそれはパウロの宣教をとどめるものとなりましたか。

      13 一度石打ちにされ: ルステラでは狂信的なユダヤ人たちが「パウロを石打ちにし,彼が死んだものと思って市の外に引きずり出し」ました。もちろん,その石打ちはパウロを殺すことを目的としたものでした。(レビ記 20:2; 使徒 7:58-60と比較してください。)しかし,『弟子たちが取り囲んでいると,彼は起き上がり,市の中に入って行き』,まさにその翌日には宣教旅行を再開しました。―使徒 14:19-22。

      難船と海での危険

      14 パウロは,どのような難船の経験について述べましたか。そのような経験は,良いたよりのためのパウロの旅行にどのような影響を与えましたか。

      14 三度難船を経験し: 「使徒たちの活動」の書には,一つだけ難船の記録がありますが,それはパウロがコリント人に手紙を書き送った後に生じています。それは,パウロがローマへ行く途上で生じました。(使徒 27章)しかし,この事件の前に,同使徒は幾度も遠洋航海船で旅行しました。そして,沿岸航行をしているときに難船を経験するのは珍しいことではありませんでした。したがって,聖書にはここに引用されている三度の難船に関する詳しい記録はありませんが,地中海の船旅の危険も,良いたよりのためのパウロの旅行を思いとどまらせるものとならなかったことは明らかです。

      15 (イ)「一昼夜深みで過ごしたこともあります」というパウロの言葉にはどんな意味がありますか。(ロ)「あらゆる慰めの神」は上述の例において,どのようにパウロを助けましたか。このことから,わたしたちはどんな確信を抱くことができますか。

      15 一昼夜深みで過ごしたこともあります: この使徒は,奇跡的な方法により24時間水中で耐え忍んだと言っているわけではありません。難船の被害者として,パウロは幾らかの時間,荒れ狂う海の中で懸命に泳いだり,難破した船の木材や破片などの浮遊物にしっかりつかまったりして,これらの危険な時を過ごしたのかもしれません。たとえ救命いかだに乗っていたとしても,この痛ましい経験(聖書のほかの箇所には述べられていない)には,同使徒が救出されるか陸地に達するまで,勇敢な忍耐が要求されました。確かにパウロは『苦難の中からエホバに向かって叫び,神は彼に対する圧迫の中から彼を連れ出された』のです。(詩編 107:23-31と比較してください。)この同じ「すべての慰めの神」は,わたしたちの祈りをも聞き届けてくださるだけの力をお持ちです。―ヨハネ第一 5:13-15と比較してください。

      わたしたちの神は尽きることのない慰めをお与えになる

      16,17 わたしたちが「義のために」苦しみを受ける時,エホバの聖霊の助けが大切だと言えるのはなぜですか。

      16 わたしたちは,患難をものともせずエホバに忠実を保つようパウロを助けた慰めの幾つかの源に注目してきました。これらは強調するだけの価値のあるものです。現代のエホバの証人が「義のために」苦しみを耐え忍ぶ助けになるからです。

      17 エホバの聖霊の助けは非常に大切です。とりわけ患難にある時には,その霊を祈り求め,その指示に従い,その実を表わすべきです。(ルカ 11:13。詩編 143:10。ガラテア 5:22,23)わたしたちの心に働きかけるエホバの霊はエホバの愛をわたしたちに意識させ,慰めを与えるこの保証は,わたしたちが患難を耐え忍ぶよう助けてくれます。―ローマ 5:3-5; 8:35-39。テサロニケ第二 3:5。

      18 クリスチャンとして受ける患難の間,神の貴い約束に対する信仰はどのようにわたしたちを慰めることができますか。

      18 聖書に記されている,神の貴い約束に対する信仰も,わたしたちを慰めてくれます。(ローマ 15:4)『この方[イエス・キリスト]は,自分の前に置かれた喜びのために,……苦しみの杭に耐えた』ことを忘れてはなりません。(ヘブライ 12:1,2)万一わたしたちが「死の戸口」を通るような所まで苦しみを受けようとも,復活と,天的なものであれ地的なものであれ神の新秩序における終わりのない命というすばらしい見込みがあるのです。(マタイ 10:28。ルカ 23:43。ヨハネ 5:28,29; 17:3。コリント第一 15:53。ペテロ第二 3:13)永遠を考えに入れるなら,患難は本当に「つかの間で軽い」ものです。―コリント第二 4:16-18。

      19 患難のただ中で,祈りはどのように慰めをもたらしますか。

      19 神が,わたしたちの祈りに対する答えとして,思いの平安と力を与えてくださることも患難にある時の慰めの大きな源です。(ルカ 22:32; 使徒 4:23-31; ヤコブ 5:16-18をご覧ください。)イエスは,「自分を死から救い出すことのできる方」エホバに祈願し,請願し,「その敬虔な恐れのゆえに聞き入れられました」。そうです,エホバは試練の時のイエスを強めるためにみ使いを遣わされました。(ヘブライ 5:7。ルカ 22:43)患難のただ中にいるわたしたちの祈りにエホバが答えてくださることを知るとき,わたしたちは確かに慰められます。

      20 わたしたちは次に,パウロがコリントの「優秀な使徒たち」を上回っていた他のどんな面を考慮しますか。

      20 もしわたしたちがエホバのクリスチャン証人として忠実に耐え忍ぶ努力を熱心に払うなら,「すべての慰めの神」は,使徒パウロと共におられたように,わたしたちと共にいてくださいます。わたしたちは,パウロの労苦と苦しみを考慮しました。しかし,「キリストの奉仕者」としての自分を擁護するパウロの言葉は,同使徒が旅行,危険,辛苦の点でもコリントの「優秀な使徒たち」を上回っていたことを示しています。これらの経験からわたしたちは何を学べますか。

  • わたしたちは,『終わりまで耐え忍ぶ』ことができます
    ものみの塔 1983 | 3月1日
    • わたしたちは,『終わりまで耐え忍ぶ』ことができます

      「終わりまで辛抱強く耐え忍ぶ人は救われます」― マタイ 24:13,エンファティック・ダイアグロット訳。

      1 (イ)わたしたち個人個人にとって,マタイ 24章13節に記されているイエスの言われた「終わり」はどんなものになるかもしれませんか。(ロ)救いにとって何が不可欠ですか。

      イエス・キリストはご自分の「臨在」に関する偉大な預言の中で,希望を鼓舞する次のような言葉を語られました。「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」。(マタイ 24:3,13)わたしたち個人個人にとって,「終わり」は「事物の体制の終結」かもしれず,わたしたちの死かもしれませんが,いずれにしても長い困難な試練の期間のあとに訪れるでしょう。しかし,最終的な救いを得るためには,忠実な忍耐が不可欠です。―ペテロ第一 1:8,9。

      2,3 (イ)不完全ではあっても,わたしたちが救いを得られることを確信できるのはなぜですか。(ロ)これからどんなことを考慮しますか。

      2 イエスは忍耐に関する完全な模範を残されました。(ヘブライ 12:1-3)しかし不完全な人間ではあっても,わたしたちは「義のため」の激しい苦しみや迫害にめげず神に忠実であることができます。(マタイ 5:10)エホバの過分のご親切により,神の愛するみ子,イエス・キリストの贖いの犠牲を通して,永遠の命への救いを得ることができるのです。―ヨハネ 3:16。ヨハネ第一 2:1,2。

      3 使徒パウロは不完全な人間でしたが,救いに至る忍耐に関して優れた模範となっています。コリント第二 11章23節から27節に記されている,パウロが自分の立場を擁護する部分を考慮して,わたしたちは,パウロが労苦と苦しみにおいてコリントの「優秀な使徒たち」よりも「はるかに際立った」「キリストの奉仕者」であったことを学びました。これから見るように,パウロは旅行,危険,様々な辛苦の面でも「キリストの奉仕者」として彼らを上回っています。

      良いたよりを広めるための危険な旅行

      4 パウロは自分が「幾度も旅をし」と述べたとき,どのような旅行のことに言及していましたか。

      4 幾度も旅をし: パウロは良いたよりをふれ告げるために度々旅行をしましたが,この点でパウロのコリントの敵対者をはるかにしのいでいました。(23,26節)もちろんパウロは,ローマの世界で旅行者たちがよく出合う危険に直面しました。しかしパウロの旅は非常に広範にわたるもので,激しい疲労が伴いました。パウロは旅行して,ピシデアのアンティオキア,イコニオム,ルステラ,デルベ,フィリピ,テサロニケ,ベレア,アテネ,コリントなどの都市に赴きました。―使徒 13:14-14:26; 16:11-18:17。

      5 パウロの旅を特に苛酷で危険なものにしたのは何でしたか。パウロはこのような難儀な旅行をなぜ耐え忍ぶことができましたか。

      5 使徒パウロは『キリストの名のゆえに憎しみの的』だったため,その旅はなお一層苛酷で危険なものでした。(マタイ 10:22)にもかかわらず,エホバは難儀な旅行に必要とされる活力と勇気をパウロにお与えになりました。(イザヤ 40:28-31)この使徒は熱心に働く奉仕者として,確かに王国の関心事を促進する面で,現代のエホバの証人たちに対する立派な模範となっています。―マタイ 6:33。

      多くの危険を忠実に耐え忍ぶ

      6 使徒は,どんな「川の危険」について言及していたと考えられますか。

      6 川の危険: 橋は比較的少数しかなかったため,洪水で水かさを増した川を渡る時にパウロの命は幾度も危険にさらされたに違いありません。例えば,パウロはその最初の宣教旅行,また往復旅行においてピシデアを抜けましたが,その地域では山の奔流が非常な脅威となりました。(使徒 13:13,14; 14:21,24)エホバの証人 ― 特に辺ぴな地方にいる宣教者や他の奉仕者たち ― はこうした状況下でのパウロの忍耐から励ましを得ることができます。

      7 (イ)パウロは,どんな「追いはぎの危険」に直面しましたか。(ロ)今日のエホバの証人たちは同様の危険をどのように耐え忍ぶことができますか。

      7 追いはぎの危険: 親切なサマリア人に関するイエスの例えは,1世紀の旅行者が,『衣をはいだうえ殴打を加え,半殺しにして去って行くような強盗たちに襲われる』可能性があったことを示しています。(ルカ 10:25-37)パウロが旅行して通った多くの地域には,山賊が普通に見られました。例えば,パウロとバルナバがペルガから北上し,ピシデアのアンティオキアに向かって旅していた時,二人は山賊の横行する山地を通りました。(使徒 13:13,14)そうした危険な賊たちは,人気のない所で相手を待ち伏せし,暴力を振るうこともいとわなかったことでしょう。恐らくパウロ自身も追いはぎに襲われたと思われます。現代のエホバの証人たちも同様の危険に直面するかもしれず,注意を払う必要があります。しかしこの使徒と同じく,彼らは恐れに屈してしまうことなく,エホバの保護を確信して忠実に耐え忍ぶことができます。―詩編 56:4と比較してください。

      8 仲間のユダヤ人がパウロを憎み,パウロを殺したいとさえ考えたのはなぜですか。

      8 わたし自身の民族からの危険: パウロは,杭に付けられて復活させられたメシア,つまり自分自身の同国人一般から退けられた方について宣べ伝えていました。(コリント第一 1:22-24; 2:2)それに,人はモーセの律法の業によってではなく,イエス・キリストに対する信仰によって義と宣せられるということも教えました。(ローマ 3:20; 5:18-21; 6:14)したがって仲間のユダヤ人たちはパウロを背教者とみなし,パウロを憎み,パウロを打ちたたいて殺したいとさえ考えました。(使徒 9:23-25)また,パウロ自身の民族に属する人々は,ユダヤ人たちが自分たちの宗教に改宗させようとしていた一部の異邦人たちをパウロがキリスト教に引き入れてしまったため,逆上してしまったように見えます。―マタイ 23:15。使徒 17:1-10。

      9 使徒はどんな「諸国民からの危険」に直面しましたか。しかしこうした危険はこの使徒を沈黙させましたか。

      9 諸国民からの危険: 異邦人,つまり諸国の人たちもパウロを迫害しました。(使徒 19:11-41)事実,ユダヤ人でパウロに敵対した人々は時々異邦人を扇動して,この使徒に対する暴力的な行動を取らせました。(使徒 14:1-7,19,20)それでも,ユダヤ人と異邦人からのこうした危険も,恐れを知らない王国宣明者を沈黙させることはありませんでした。同様に,現代の迫害されているエホバのクリスチャン証人たちも,自分自身の民族の人々,および他の人々の中で恐れずに宣べ伝えます。―使徒 17:30。詩編 59:1-4と比較してください。

      10 パウロは「都市で」どのような危険に遭いましたか。

      10 都市での危険: パウロは,ダマスカス,エルサレム,ルステラ,エフェソスなどの都市で何らかの形の迫害を受けました。(使徒 9:23-30; 14:19; 19:29-31)フィリピにおける異邦人の敵対者たちは,パウロとシラスが『彼らの都市をひどくかき乱している』と言いました。その結果,これらの福音宣明者たちはその都市で群衆の行動の犠牲者となり,打ちたたかれ投獄されました。(使徒 16:16-24)しかしこれは,王国宣明者をとどめるものとなりませんでした。同様の暴力が,現代におけるエホバの証人たちを沈黙させなかったのと全く同じです。

      11 生じ得る「荒野での危険」とはどんなものでしたか。

      11 荒野での危険: 使徒パウロは,自分の活動や旅行を,人の多い地域や人がよく行き交う道路に限ることはありませんでした。パウロはその旅で,ほとんど人が住まない地域,「荒地」にさえ赴きました。(今日の英語聖書)そのような地域には,飢え,あらしに見舞われること,道に迷うこと,野獣が忍び寄ること,山賊の待ち伏せを経験することなどの危険が可能性としてありましたが,それらに対しパウロは勇敢に立ち向かいました。

      12 パウロはどんな「海での危険」に直面しましたか。そしてこれらの危険はパウロの宣教の遂行を思いとどまらせましたか。

      12 海での危険: 良いたよりを広めたり,仲間の信者たちを助けたりする活動のために「外海」(今日の英語聖書)を旅行することが必要な場合,難船の可能性に加えて,激しいあらしの危険もありました。それでもパウロはそうした危険によって自分の宣教の遂行を思いとどまることはありませんでした。現代におけるエホバの証人の多くが王国の関心事を促進するため旅行する際に同様の危険を勇敢に耐え忍んでいるのと全く同じです。

      「偽兄弟たち」によって危険にさらされる

      13,14 (イ)「偽兄弟たち」とはだれのことでしたか。(ロ)「偽兄弟たち」が特に危険であったのはなぜですか。(ハ)エホバの証人たちは,会衆内に入り込むかもしれない「偽兄弟たち」を防ぐためどのように霊的に強化されてきましたか。

      13 偽兄弟たちの間での危険に遭い: 中でも最も危険だったのは,そしてパウロにとって特に試練となったと思われるのは,不実な「偽兄弟たち」,つまり「えせ兄弟たち」でした。(王国行間逐語訳ギリシャ語聖書)裏切り者のユダ・イスカリオテの時代以来,このような人々がキリストの追随者たちの中に見受けられました。パウロの時代のこれら「偽兄弟たち」には,コリントの「優秀な使徒たち」が含まれていたかもしれません。「偽兄弟たち」がとりわけ危険なのは,実際には不忠節な裏切り者でありながら,不実にも友人のような振りをしたからです。そのような者たちは,パウロについてどこか非難できるところはないか,探そうとしていました。―コリント第二 11:5,12-14。ダニエル 6:4,5と比較してください。

      14 「えせ兄弟たち」の中には,「ガラテアの諸会衆」で活動していた人々が含まれていました。しかしパウロは,「良いたよりの真理が引き続き[自分の仲間の信者たち]のもとにとどまるようにするため」,こうした人たちに屈服することは全くありませんでした。(ガラテア 1:1,2; 2:4,5。ユダ 3,4と比較してください。)エホバはパウロを助けたように,現代におけるご自分の証人たちをも霊的に強化しておられます。「良いたよりの真理」が引き続き彼らのもとにとどまるためです。コリントやガラテアの信者たちに宛てた,神の霊感によるこのような手紙の中に,彼らは,会衆に入り込むかもしれない「偽兄弟たち」を防ぐために必要な霊的な助けを見いだします。

      「神聖な奉仕」における辛苦を耐え忍ぶ

      15 『労し苦しむ』という点で自分は『はるかに際立って』キリストの奉仕者であると述べた時,パウロは何のことに言及していたのですか。

      15 労し苦しみ: 次いでパウロは,自分を敵対者たちより「はるかに際立った」「キリストの奉仕者」とした様々な辛苦を引用しました。(23,27節)ここに述べられている「労し苦しみ」という言葉は,パウロが自らの宣教において自活するために行なった骨の折れる手仕事と一部関係があるとも考えられます。(使徒 18:1-4。コリント第一 4:11,12。テサロニケ第二 3:7,8)しかしこの使徒が行なった一切の事柄は,エホバへの奉仕を中心としていました。したがってこの「労し苦しみ」という表現は,パウロの骨折り,加えて,苛酷な旅行,暴風雨にさらされたこと,窮乏,およびエホバへの「神聖な奉仕」において耐え忍んだ他の様々な辛苦が原因で生じた疲れを含んでいたに違いありません。―ローマ 12:1。

      16 パウロがしばしば経験した「眠らぬ夜」の説明として,何を挙げることができますか。

      16 眠らぬ夜を幾度も過ごし: パウロは自分が良いたよりを宣べ伝えた人々に経済的な重荷を負わせたくないと思ったので,手ずから「夜昼」働きました。睡眠をかなり奪われることもしばしばあったことでしょう。(テサロニケ第一 2:9)もちろんこのすべては,「キリストの奉仕者」としての同使徒の活動と関係していました。パウロの「眠らぬ夜」は,物質的な必要物に対する思いわずらいから生じたものではありませんでした。エホバは,ご自分の僕たちがそうした必要物を得られるように取り計らっておられるからです。(マタイ 6:25-34)しかしこれらの眠れない夜のある部分は,祈りをしたり,仲間の信者たちを深く気遣ったりして過ごしたとも考えられます。(ルカ 6:12-16; コリント第二 11:28,29と比較してください。)ある時など,集まった兄弟たちに「真夜中にまで」,そうです,『夜明けに及ぶまで』一晩中話すことが必要であると感じました。(使徒 20:7-12)さらに,これらの睡眠をとらない夜の多くは,同使徒が自分の宣教を遂行する際に耐え忍んだ身体的な不快感,様々な危険,他の辛苦から生じたに違いありません。

      17 使徒パウロはいつ「飢えと渇き」を経験したかもしれませんか。

      17 飢えと渇きを知り: パウロは,荒涼とした地域や暑い砂漠の地方を旅行する際に「飢えと渇き」を経験したのかもしれません。見知らぬ人や,不慣れな場所で自分自身が労苦して得られた幾らかの食料に頼っていたために,飢えと渇きを経験したことがあったかもしれません。しかしエホバは,食物が時に粗末であったとしても,パウロが生き残るように絶えず取り計らわれました。これに匹敵することとして,「すべての慰めの神」は,ご自分の現代の僕たちにも食物をお与えになります。―詩編 37:25。ルカ 11:2,3。

      18 「食物を取らないことが何度もあり」という表現は,何について述べたものと考えられますか。

      18 食物を取らないことが何度もあり: ここ(27節)でパウロは,自分の意志とは無関係な「飢えと渇き」を,自分の意志によって『食物を取らないこと[文字通りには「断食」]が何度もあった』ことと比較対照しようとしたのかもしれません。ある場合にパウロは,祈りに専念する時や,非常に重要な霊的な事柄を世話する時などのように,自分の意志で断食を行なったのかもしれません。(使徒 13:3; 14:23と比較してください。)しかし仮にここで引用したことがただの辛苦だったとするなら,パウロは恐らく下痢のような病気のため,あるいは宣教期間中に経験した窮乏のためでしょう,自分の意志とは無関係に食物を取らずにすませた,と述べていることになります。(コリント第二 6:5と比較してください。)もとより,パウロがある宣教旅行を始めた時,食物や水が乏しく,手に入りにくいことは十分承知していたことでしょう。しかしパウロは,このことによって,キリスト教の関心事を広めることを思いとどまりませんでした。―フィリピ 4:12。

      19 どんな状況のもとでパウロは「寒さと裸」を経験したかもしれませんか。

      19 寒さと裸を経験しました: 同使徒は寒さや,「裸」つまり「露出」に近い状態という辛苦をも耐え忍びました。(新英訳聖書)しかしパウロは,怠惰のゆえに『着る物に乏しい』ことはありませんでした。自分の必要を賄うために働いたのです。(コリント第一 4:11,12。使徒 20:33,34と比較してください。)「寒さと裸」は,迫害に遭って十分な衣服もなく,悪天候の中を旅行し,あるいは困難な状況のもとで宣教に携わっていた時に同使徒が耐え忍んだ辛苦でした。

      『終わりまで耐え忍びなさい』!

      20,21 (イ)パウロが力の面で際立った人物であったと言えないのはなぜですか。(ロ)今日のエホバの証人はどのような面で使徒パウロと似ているかもしれませんか。

      20 使徒パウロの労苦,苦しみ,旅行,危険,そして様々な辛苦の一部を考慮して,ある人はパウロを力の面で際立った人物であるとみなすかもしれません。ところがパウロはわたしたち一人一人と同じように不完全な人間でした。(ローマ 7:21-25)実際のところ,コリントの敵対者たちはパウロを見下してこう言っています。「彼の手紙は重々しくて力強いが,身をもってそこにいる様は弱々しく,その話し方は卑しむべきものだ」。(コリント第二 10:10)その上,パウロは「肉体に一つのとげ」を与えられていました。これは眼の病であったと思われます。―コリント第二 12:7。使徒 23:1-5。ガラテア 4:15; 6:11。

      21 同様に,現代のエホバの証人であるわたしたちは,神に喜んでいただこうと熱心に努力はしますが,パウロと同じように不完全です。(コリント第一 9:24-27)たとえわたしたちが仲間の人間の霊的な福祉に深い気遣いを示したとしても,この世はある人々が使徒パウロを見下げたように,わたしたちを見下げます。(マタイ 22:39)パウロのようにわたしたちの多くは何らかの病気を持っています。しかしこのことは,わたしたちを神の力に一層頼らせ,神の力は,わたしたちが宣べ伝える人の中で,わたしたちの弱さにおいて特に明らかにされます。―コリント第二 12:7-10。

      22 (イ)「義のために」苦しみを受けることが求められる場合,わたしたちはエホバからどのように慰められますか。(ロ)どのようにしてのみ,わたしたちは「終わりまで耐え忍ぶ」ことができますか。

      22 エホバの不完全ながら忠実な僕としての死に至るまさにその時まで,上からの力がこの使徒を支えたことに疑問の余地はありません。(コリント第二 4:7。テモテ第二 4:6-8)その点と比較して,わたしたちがこの邪悪な事物の体制の「終わりまで」,あるいは忠実のうちに遂げるわたしたちの死に至るまで「耐え忍ぶ」ことができるのは,ただ神の力によります。(詩編 29:11。マタイ 10:28; 24:3,13。マルコ 13:13)たとえわたしたちが「義のために」苦しみを受けることを求められたとしても,エホバの聖霊により,エホバの貴い約束により,そしてわたしたちの祈りに対するエホバの答えにより,わたしたちは大きな慰めを得ます。このような事柄は,「すべての慰めの神」がわたしたちと共におられるという確信を与えてくれます。使徒パウロと同じように,わたしたちは「困惑させられながらも,逃れ道が全くないわけではなく,迫害されながらも,見捨てられているわけではなく,倒されながらも,滅ぼされているわけではありません」と言えるでしょう。(コリント第二 4:8,9)わたしたちの神は,迫害や辛苦に直面しても恐れずに良いたよりをふれ告げるよう力を与えてくださいます。そして確かに,エホバの力においてわたしたちは「終わりまで耐え忍ぶ」ことができます。

      次の質問に答えることができますか

      □ 「終わりまで耐え忍ぶ」とはどういう意味ですか

      □ 「幾度も旅をし」と述べたとき,パウロはどんな種類の旅行のことを言っていましたか

      □ 「偽兄弟たち」により,この使徒はどのような危険にさらされましたか。現代のエホバの証人たちは,このような人々を退けるよう,どのように霊的に強化されましたか

      □ どんな状況のもとで,パウロは「寒さと裸」,そして「飢えと渇き」を経験しましたか

      □ パウロと同じくわたしたちも不完全ですが,どのように「終わりまで耐え忍ぶ」ことができますか

      [18ページの図版]

      宣教旅行において,パウロはしばしば追いはぎの危険に遭った

      [19ページの図版]

      パウロは,ルステラでの場合のように,諸国民からの危険に遭った

  • 前進するエホバの組織 ― あなたはその組織と共に前進していますか
    ものみの塔 1983 | 3月1日
    • 前進するエホバの組織 ― あなたはその組織と共に前進していますか

      クリスチャン・ギリシャ語聖書を読んで,クリスチャンが崇拝のために組織されていたことに感銘を受けずにはいられないはずです。彼らは,特に,神の王国の良いたよりを宣べ伝え,広めるために組織されていました。

      現代の歴史家H・G・ウェルズは初期のキリスト教についてこう述べました。「唯一の組織は説教者の団体であり,その主な仕事は説教であった」。確かに,使徒ペテロもこう述べています。「この方[イエス・キリスト]は,民に宣べ伝えるように,そして,……徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました」― 使徒 10:42。マタイ 28:18,19。

      では,わたしたちの時代,すなわちこの事物の体制の「終わりの日」における宣べ伝える業についてはどうでしょうか。(テモテ第二 3:1-5)イエス・キリストはこのように予告されました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)ですから,この事物の体制の終わる前に,全世界で大規模な宣べ伝える業がなされねばなりません。どんな組織がそれを行なっていますか。

      実際のところ,この王国を宣べ伝えるために世界的に組織されている人々の集団はただ一つしかありません。それはエホバの証人です。彼らの伝道活動は全地に及び,206の国でなされています。1981年には,236万1,896人のエホバの証人がこの業に携わりました。これは,ほんの10年前の王国宣明者の数を75万人も上回っています。

      拡大の一途をたどる宣べ伝える活動についてゆくため,エホバの証人は過去2年間だけでも,聖書文書を印刷する新しい工場を20ほど建てたり建て始め

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